独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

急カーブ

当たり前の話ではございます、よいことがあれば悪いこともございます。
急激に成績が伸びることはいいことかといいますと、よくもあり悪くもあるとしかいいようがないのでございます。
上がることはいいことですが、急上昇したものは一気に下がるのが常でございます。
株価などは、顕著な一例であるかと存じます。
お勉強におきましても、ぐうんと上昇曲線を描いたと思ったら、いきなりがくんと落ち込むときがございます。
成績上昇がたまたまであることもあるからでございます。
単に山勘が当りに当っていただけ、ということもありましょう。
言うなれば、メッキが剥げて元に戻ったとさえいうことも可能かと存じます。
しかし、当の本人は、成績上昇がたまたま偶然であるということを知りませんから、2階に登ったらはしごを外されたかのような状態に陥るのでございます。ショックも一角ではないでしょう。
皆様方におきましては、実力が急にぐんぐん伸びるよりも、徐々に伸びて行くほうが安定且つ安全であることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
得てして、急なことというのは、注意かつ慎重に身を処していかねばなりません。
車の運転に致しましても、カーブが急なほど、丁寧に慎重にハンドルを取らねばなりません。
これと同様でございます。
調子がいいなあと思っていたら、その後、急にスランプが舞い降りるものでございます。
好調だったりするほど、そのあとに到来する落ち込みに対して、対ショック防御を採っていなければならないのでございます。
実力というものの伸びは、上がったり下がったりして、上昇して行くのが理想的でございます。
株価も、上がったり下がったりして上昇するのが、安定の証でございます。ある時期だけ、がぐうとマグマのように噴火して、その後は何の動きもない株は多々ございます。そんな物を掴んではなりません。
成績も上がったり下がったりして伸びて行くのが理想的でございます。上がって下がる分だけ、急な落ち込みを回避できるからでございます。
逆にいいますと、ぐんぐん右肩上がりで伸びまくっているときほど、来るべき下降が恐ろしいというわけでございます。
愛はたやすく憎悪に変わると申します。隣でぐうぐう寝ている人の顔を見れば、狐か狸にかまされた感しかないのではないかと忖度いたします。まさに騙し愛・化かし愛でございます。
っと、お勉強に話を戻します。
ぐんぐんと成績が右肩上がりなのは、それはそれで結構でございます。しかし、真にそれが価値あるものとなるには、落ち込みという試練を超えてからでございます。
以後の不調とスランプを乗り越えてから、安心してくださればと存じます。
不調のときは、以前の好調時を思い出してください。(ああ、あのときが今になって現われている)のかと思えるようになれば、ふっと張り詰めた緊張の糸もほぐれるかと存じます。気持ちが軽くなれば、脱出の糸口も見え始めるでしょう。
全く上がりもしなければ下がりもしない横ばいの人は、まあ、大きな変動もないし、本試験まで現状維持をお続けくださればと存じます。もちろん、合格ライン上での現状維持・横ばいではありますが。
状況というのは、常に一長一短がございます。どれがよくてどれが悪いというのは、一概には言えないことであるのを、意識の片隅にでもおいていてくださればと存じます。
ただ、不調の時に本試験に突入しないよう、自己管理を徹底してくださいね。

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お勉強の副作用

独学といいますのは、じょじょに、だんだんと、ゆっくりと、というのが基本方針でございます。
といいますのも、急激な変化というのは、副作用も大きいからでございます。
たとえば、勉強時間でございます。
これまでに、お勉強の「お」の字もしてこなかった人が、一念発揮して数時間ものお勉強を開始したと致しましょう。
しかし、まあ、大半の人が、そんな数時間の勉強を3日と続けられないものでございます。
そして、まあ、8割くらいの人は1週間ともちません。
ほいで、最終的には、毎日数時間の勉強を1ヶ月も維持できる人というのは、稀になってくるのでございます。
こうした現象は、やはり急激な変化をもたらせたからでございます。
独学におきましては、いきなり数時間といわず、20分から30分くらいの、小学1年生の授業時間並みの短い時間からお勉強に取り掛かります。
それは、急激に現状の環境を変えないことに、眼目があるのでございます。
突然の長時間のお勉強が続かないのは、その反動たる副作用も大きいからでございます。
ですから、短い時間のお勉強とすることで、副作用を抑えつつ、お勉強に慣れて行くというわけでございます。
副作用はお勉強の時間以外にも、多々見られるものでございます。
よく見落とされていることとして、副作用は、実力の伸びにも現われる点でございます。
皆様方におきましては、お勉強が進むにつれて、不安の心がむくむくと湧き出るかと存じます。
このことも、ひとつの副作用なのでございます。
つまり、実力が伸びて色々なことが把握できるようになるからこそ、不安の種もまた見出すようになるわけでございます。
実力の伸びににおいても、副作用・反動という現象のあることを、意識の片隅にでもおいていてくださればと存じます。
副作用の存在は医薬品のみにあらず、反動は物理の世界のみにあらず、でございます。
劇的に実力が伸びて勉強ができるようになっても、心構えや姿勢をきちんと練っていかないと、徒に疑心暗鬼の状態となって膨れ上がる不安に苛まれるものでございます。
実力の上昇とともに、わたくしたちは、どんな問題が出ても動じない落ち着きや、ミスを犯してもリカバーする粘り強さも得ていかねばならないのでございます。
こうしたことは、一朝一夕のお勉強では出来上がらないものでございます。
わたくしは最近になって、進まない勉強・伸びない実力といったお勉強の歩みの遅さについて、ある「価値」を見出すようになってございます。
それは、その止まっているときにこそ、落ち着きやリカバーの精神といったものが涵養されているのではないかと考えております。
「お勉強に無駄はない」という思いを、再度深めたわたくしでございます。

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単純化のし過ぎです

単純に考えるというのは、実によい考え方のひとつでございます。
シンプルかつ明瞭に考えるというのは、伝統的な知的営みのひとつでございます。
皆様方におきましても、グダグダダラダラ、簡潔さと明瞭さに欠ける指示や命令の馬鹿さ加減に、辟易することもあるかと存じます。
「愛している」以外に何か言葉が必要でしょうか。電流が走るかのような単純さといいますのは、それだけで十分通じるものがございます。
逆にいえば、難解に複雑に考えたからといって、その分だけ通じやすくなるのかというとそうでもないわけでございます。
わたくしたちは考えているようにいて、考えていないものでございます。新しく考えているようで、実際には堂々巡りをしているものでございます。
であるが故に、できるだけ単純に考えてみることに光明が差すわけでございます。
しかしながら、馬鹿と天才は紙一重と申します。
最も単純かつシンプルに考える人というのは、英知に溢れた哲学者にもなりうるのですが、下手をすれば馬鹿にもなりかねないのでございます。
単純かつシンプルに、そして、「良く考える」といいますのは、馬鹿にはできない芸当でございます。
馬鹿は得てして、単純にしか考えません。
○○さんにこう言われたから。○○がこう言っていたから。テレビがこうこう言っているから。新聞にこうこう書かれているから。上の方針だから、などなどでございます。
こうしたことが、馬鹿者の言い分、または根拠でございます。正当性や根拠に意を傾けることなく、平気の平左衛門でそれをまさに「鵜」呑みなのでございます。
基本的に物事といいますのは、だめ・よいで割り切れるものではありません。
ひとつの側面のみで構成されているような状態・事態などないのでございます。
あっちを叩けばこっちが引っ込むものなのでございます。
お勉強というのはよいものではありますが、時期を誤れば、一生懸命になりすぎれば、婚期を逃すものでもあるのでございます。嗚呼!
わたくしたちは、単純化の罠に陥らないようにしなければならないかと存じます。
憶えられない→記憶力が悪い。できない→頭が悪い。
こうした図式がよく言われる愚かな単純化の例でございます。
憶えられないという問題に対して、記憶力が悪いから、と答えても、それはそうなのではありますが、そう結論付けても何も生まれてきません。
なじみやすいフレーズや図式で、現下の問題意識を薄めてはならないように思います。
得てしてできないといわれる人は、どうして理解できないのかを考えないまま、わからん・わからんとつぶやいているのみであったり、成果や結果が付いて来ていないのに惰性で勉強していたりといった傾向がございます。
自分から原因を突き止めようとはしていないのでございます。
考えるということは、まず、数量化すること(数字で考えること)、定義してみること、そして、細かく分けていってこれ以上は言えないというところまで細分化すること、今度は逆にこれ以上はいえないというくらいまでひとまとめにしてみることでございます。
頭というのは使えば使うほど良くなってまいります。悪しき単純化は、その成長を止めかねません。
シンプルなのはよいのですが、それも一面だけのこと。
単純化のし過ぎはご法度でありますので、皆様方におきましてはご留意してくださればと存じます。

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