独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

自由さ

時間帯というのは、お勉強において重要なキーでございます。
お勉強の時間帯を変えることで、お勉強の能率が意外に変わったり致します。
たとえば、夜のお勉強でございます。
夜の8時から勉強をすると決めておいても、7時から夕食が始まるならば、その時間のお勉強はたまらないものになるかと存じます。
というのも、人間は食後に眠くなる生き物だからでございます。
食後は、食べたものを消化せんがために、血液が胃や腸に大量に向かっていることでありましょう。
ということは、つまり、相対的に頭の方には血がまわらずに、ぼおとしてしまうわけでございます。
頭がうまく働かないのに、頭脳労働たるお勉強をしようとしても、やはり興はそれほど乗らないものでありましょう。
ならば、時間を少しずらして、10時スタートとするのがよろしいかと存じます。
もちろん、2時間先に延ばした間にお風呂に入ったり、靴磨き・ハンカチちり紙・来て行く服ネクタイ・持って行く資料データの整理・各種連絡返信指示などなど、雑用を済ませておくのは言うまでもありません。
10時くらいになれば、食べたものの大半は消化され、スムーズにお勉強のできる体勢となるかと存じます。
また、夜にお勉強をしなければならない、というわけでもありません。
夜更かししてのお勉強が、何か一種の試験勉強のトレードマークになっておりますが、実のところ、夜というのは脳が汚れきっており、あまり綺麗な状態ではないのでございます。
ですから、夜のお勉強は軽めに、復習や確認、暗記程度にとどめておいて、重厚感溢れるたっぷりのお勉強は朝早く起きてやる、というのも進め方のひとつでございます。
朝一番の脳は全く綺麗な状態ですので、意外にすらすらとテキストを読むページと解く問題の量は伸びて行くのでございます。
先ほどの例でいえば、10時よりお勉強スタートと致しましたが、朝に強い人であるなら、30分くらいでお勉強は終了して、床に就き、早朝より再開というのも、1つの手立てであるかと存じます。
もちろんのこと、これは1つのやり方でありますから、夜のほうが頭の回転がいいという人や、低血圧で朝の勉強など考えられないという人は、夜の時間をどう充実させるかに眼目がおかれるかと存じます。
お勉強の内容の順番も、ひとつのやり方でございます。
なんだか興の乗らないときは、カンタンなことや易しいところから始めて、勢いをつけて行くのもよろしいでしょう。
やる気のあるときは、難しいことやこれまでの懸念事項のところをばっさばっさとなで斬りにして進むのがよろしいでしょう。
普通のときは、たんたんと予定通り・計画通りにお勉強の駒を進めるのがよろしいでしょう。
お勉強というのは、学校教育のときのように、決まりきった時間があるわけでもありませんし、時間割があるわけでもありません。
お勉強といいますのは、基本的に自由なのでございます。特に独学ですと、特に自由度は増すものでございます。
何をどうやっても構いませんし、これこれこうこうという手順があるわけでもありません。
たとえば、突拍子のない喩えですが、レントゲン装置の操作などは、被験者及び操作者の被爆の可能性・被爆による健康被害といった重大な結果を及ぼしかねうるものでありますから、操作手順の習熟、各手順の意味の確認、機械のメンテナンス、操作者の被爆状況など、メーカの言う手順・チェック・安全確認は厳密に、ひとつとしておざなりにしてはなりません。勝手に動かすなどもってのほかでありましょう。
しかし、お勉強というのは、こうしたものとは違って、原則自由でございます。
逆に言うならば、どんどんやり方や手順や方法や進め方を変えられる点に、お勉強の特色があるかと思うのでございます。
お勉強というのは束縛するものでありますが、その一面、大いに自由度を発揮できる舞台でもあるのでございます。

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白鳥のお話

今回のススメは、白鳥についての雑文でございます。
白鳥といいますのは、以下のような教訓話がございます。
白鳥は優雅に浮かんでいるようには見える。しかし、実は、その水面下では水かきをわしわしと動かしているのだ、と。
これを以って、「人は見えないところで努力しているものである」という教訓が引き出されて来るわけでございます。
年配の方なら、この白鳥話をご存知でないかと存じます。
しかし、この話、実は真実ではないのでございます。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、以下のような記述がございます。
「。。。白鳥に限らず水鳥にはお尻に油脂腺というものがあり、そこから分泌される油を毛繕いで羽に塗りつけ、水を跳ね返せるようにしている。 またそれによって羽毛の間に空気を溜められるようになり、それが浮き袋の役目を果たしている。。。」
こう言われると、水鳥が常に毛づくろいをしているのも、理解できるのでございます。
また、鳥にとっての毛づくろいは、脂を羽に塗って水を弾いたり空気を貯めやすくしていたのか、といった新事実を楽しんだり、また、浮かぶたびに水かきで水を掻いてたら疲れるわなと思えてくるわけでございます。
そして少し飛躍して、水鳥、たとえば鴨肉の脂のうまさは、ここに秘密があるのかもしれないと思ったりするわけでございます。
ウィキペディアの記述を目にして、これまで何十年と信じていたことがガラガラと崩壊したのですが、意外にすっきりして、1つ賢くなった気分になるのでございます。
確かに、この白鳥の教訓話「人は見えないところで努力している」も、上手な話ではありますが、穏当に事実を考えてみればそうでもないよね、というわけでございます。
やはり、スマートに見える人は、スマートなのでございます。
もちろん、白鳥話に言われる泥臭い努力を否定するものではありません。
当のわたし自身が、自分という者は泥臭い努力や作業なくしては何もできない人間であると考えております。
スマートな人・やり方にソツがない人に対しては、少し嫉妬もあって腹が立つ面もございますが、やはり、見るべきところは多々あるのでございます。
今日中にできることはささっとやってしまう、気の重いものは先にやる、メールの変身は本日中に明日に先延ばししない、やることを決め手からやる、やるべきことに躊躇しない、やらなくていいことはしない、優先順位の低いことはまとめてヒマなときにやるなどなど、やり方・進め方を見ても、「なるり」と納得して参考にすべきことはたくさんあるわけでございます。
泥臭い努力も大切ではありますが、努力努力で効率化や合理化を図らないのは、やはり愚かであり賢明はない気が強く致します。
優雅に湖に遊ぶ白鳥は、やはり、優雅に浮かべるような構造・仕組みを有していたのでございます。
努力思考・努力志向は大切ではありますが、努力のみを信仰してはならないかと存じます。
やはり、合理的・効率的な仕組みや考えがあってこそ、そして、それを取り入れる工夫があってのお勉強となることをご理解頂ければと存じます。

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試験は怖いです

試験といいますのは、怖いものでございます。
まずは、単純ながらこの事実を意識の片隅にでもおいていてくださればと存じます。
何しろ本試験数日の数時間で、数ヶ月から1年にわたる努力が実を結ぶか否かが決まってくるのでございます。
まさに、一発勝負でございます。しかも、当の闘う相手である「本試験」は、どういうものか確固としたものはありません。
模試や過去問、予想問題集は、それがどれほどの精度の高さを誇っていようとも、所詮は1つの資料でしかないわけでございます。
模試その他の成績などは、本当に気晴らしでしかありません。
何しろ、突然、試験問題の質や方向性が大転換することなど、珍しくないからでございます。
「冊子の表紙を開いてみれば、そこには異国の文字があり。」
何てことは、本当によくあることでございます。
これこれこういう問題が出るだろうと踏んでいた受験生の頭は一瞬に真っ白に、呆然唖然としたまま、砂を噛む様な時間を過ごすことと相成るわけでございます。
この時間の味気なさというのは、最早お互いに何も期待はしていないのに、一人でいるのは寂しいし極まりが悪いから、仕方なく一緒に連れ合っているカップルの時間のようなものでございます。
本当に味気なく、あ〜あ〜という溜息で一杯になるのでございます。
本試験というのは、常に不安定要素を含んだものでございます。
確たるものはない、このことが、受験生に不安を呼び覚ますのでございます。
本試験の性質から、受験生の大半は、お勉強の先行きに確かな確信など持ちえないのでございます。
受験生一般が何となく暗いのも、本試験の背景の所以でございます。
本当に数パーセントくらいの「超」楽天家の人しか、合格の確信など持っていないのではないかと考える次第でございます。
わたくし自身も、これまでの受験で合格の確信など持ったことがありません。
Aもしたし、Bもしたし、Cもやった。まあ、何とかいけるだろう、くらいの感が関の山で、余裕の「よ」の字すら窺ったことがないのでございます。
受験生は試験というものを怖がっていることを、まずはご理解くださればと存じます。
とはいいましても、赤信号みんなで渡れば怖くないという名言もございます。
「受験生の大半は試験を怖がっている、わたしだけではない」と思うことができれば、何かしら安心する気持ちになるものでございます。
今、自分の感じているお勉強の恐怖や不安などは、他の受験生も等しく感じていると思えば、何かしら心は軽くなるものでございます。
お勉強のメンタル面で大切なのは、お勉強の恐怖や不安に負けないようにすることでございます。
他の受験生も同じ恐怖や不安を味わっている中で、自分だけそれらに過度に反応したり影響されてしまうと、これだけで重荷を背負うことになるからです。
自縄自縛といいますか、自分で自分に縄をかけて動きにくくしているわけでございます。
お勉強の不安や恐怖は、受験生の大半に共通するものでありますし、その恐怖と不安はこれまでの合格者の数だけ克服されてきたのでございます。
穏当に行けば、これをお読みの皆様方も克服・対処・対策はできるものと思われます。
試験の恐怖や不安の半径を、自分から少し拡げてみてくださればと存じます。

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