独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

気持ちは明るく

お勉強といいますのは、基本的に楽しいものではありません。
このことは、皆さん重々承知であるかと存じます。
楽しいどころか、大半の時間は難解な文章や長ったらしい専門用語と格闘する日々でありましょう。
このためどうしても、ストレスは溜まりがちに、表情や雰囲気はダーク系・灰色系になっていくのでございます。少なくとも、柑橘系の色にはならないかと存じます。
そうかな、と疑問に思われた方は、予備校や試験の専門学校近くを歩くときに、周辺の通行人を観察してくださればと存じます。そこだけ、寒色が揃っていることでしょう。
暗い雰囲気・落ち込んだ表情・寒色の服装をした人が前方から歩いてきたら、99%、専門学校の教室の入ったビルに入って行くことでしょう。
今度、何かランチや一杯でも賭けてみてください。ほぼ、鉄板です。
さて、こうしたことは他人事ではありません。
他でもないわたしたちも、同様の事態に陥っても、少しもおかしくないからでございます。
皆様方におきましては、よくよくお考え下さればと存じます。
暗い表情をしていようと、しかめっつらであろうとも、事態が変わるわけではない、ということをです。
暗い雰囲気であれば、試験官がやってきてクーポンでもくれるように、「お見舞い」と称して数点加点してくれるのであれば、明日世界が滅ぶようなくらいの表情でいればよろしいかと存じます。
しかし、そんなことは全くないことは、自明でございます。
ならば、暗いままで居るよりも、明るくなった方がいいのではないかと思うのでございます。
明るい気持ちというのは、自然のものではなくて、絶え間ない自己訓練の賜物でございます。
中小企業の社長さんは皆、驚くほど明るい人ばかりでございます。それは、悲観していても何にもならないからでございます。
逆に悲観的で居ると、不安に押しつぶされそうになるとのことでございます。
ですから、勤めて明るく、きわめてハイブロウなオヤジギャグを飛ばすというわけでございます。
事態が悪くなればなるほど、社長さんはワット数が上がって更に明るくなります。
笑うしかないからでもありますが、もっと切実な理由がございます。
暗い顔をして居ると即座に銀行の担当行員や取引先の部課長レベルの人間が飛んでくるからでございます。
もちろん、顔が見たくて来社するのではなくて、倒産するかしないかをチェックするためでございます。
こうした社長さんのとびっきりの「笑顔」を思い出すにつけて、暗い表情で居られるということ事態が、まだまだ大丈夫である証左であると考えるのでございます。
ですから、わたしは鏡を見るにつけて、髪の毛のセットや鼻毛の有無の確認以上に、自分の顔が暗い表情になっていないかを確かめるのでございます。
基本的にわたくしは、暗い気分や表情では、うまくいかないという理屈を信奉しているものでございます。
暗い状態で何かメリットがあるならまだしも、状況は変わらないのであれば、もっといえば、暗かろうが同じ頭の悪さであるなら、明るい気持ちでいたほうがトクではないかと思うのでございます。
暗い気持ちのままだと、本当に低空飛行を強いられるといいますか、展望が開けなくなるのでございます。
5分後、10分後、1時間後もきっと停滞した沈んだ気持ちでありましょう。
しかし、勤めて明るい気分で居ようとすると、なんとなく何とかなるのではないかという希望が胸をよぎるのでございます。
短い間でも明るい気分になれば、10分後も、30分後の気持ちも上向きに変わってくるように思います。
朝起きて、ああ、こいつはだめだなあと沈んでいても、少しずつ気分を上向くようにしていれば、昼過ぎにはおいしくうどんを啜れるようになるわけでございます。
暗い気持ちで居るよりかは、少しずつ気分を立て直して、明るい気分にしていった方が自分自身にとっても、周りの人にとってもいい影響を及ぼすのではないかと存じます。
明るくても暗くても、事態は同じで変わりません。しかし、事態の担い手であるわたくしたちは、変わって行くように思います。
わたくしたち自身が変われば、応じて事態も変わって行くように思います。
自身を変えて事態を変えるのでございます。

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歩き歩こう

京都南禅寺琵琶湖疎水の周辺に、哲学の道という観光名所がございます。
たくさんの方がこの道をご存知であるかと思いますが、由来は京大の哲学の先生にございます。
哲学の道とは、「善の研究」で著名な西田幾多郎先生が、研究の合間に散歩をしていたことから、この名称と相成った次第です。
今では、西田先生の御名や著作・研究よりも、「哲学の道」という名称のみが一人歩きして、時の流れと申しますか、世のはかなさを感じる次第でございます。
さて、京都ネタは置いといて、今回のススメのテーマは、散歩のススメでございます。
やはり、つくづく思いますに、頭脳労働(頭を使う作業)と散歩というのは、実に相性のよい組み合わせにあると思うのでございます。
散歩自体が身体を動かしますので、それによるストレス発散効果もございますが、やはり、散歩が持つ独自の効能も、看過できないと考える次第でございます。
といいますのも、散歩というのは、いろいろと調子を変えることができるからでございます。
単に歩くという行為に、自分なりの変化を加えることで、ふっとお勉強の問題解決に到ることがあるのでございます。
たとえば、早く歩く競歩型の散歩でございます。
何かアイデアが出そうなとき、あと少しでわかりそうなとき、もうちょっとでできそうというときには、競歩でさっさと大股で歩いて行くと、なんだかうまく行きそうな予感がするのでございます。
たとえば、ゆっくり歩く散歩もございます。
いつもの歩調は和らげて、ゆっくりだらりと歩いていきます。
そのときに、(あれはいったい何なんだ?)と取り付く島もないことを考えて見ます。
全く茫漠として捉え所がないページを考え直して見ます。
現状では全く相手にならない箇所に再挑戦してみます。
緊張を解いてゆっくりと歩いて行くと、そうした難解な事柄について、何か名案というか突破口が開く予感がするのでございます。
わたくしが思いますに、人間というのは頭で考える以上に、足でも考えているとつくづく実感する次第でございます。
煮詰まったときや頭がうに状態になったとき、もやもやが晴れないときなどは、上着を手にして外に出かけてぶらぶらするのが日課となったわたくしでございます。
机の前で唸ればいいときもありますが、やはり、でないときはでないし、うまく行かないときはうまく行かないものでございます。
何となく停滞感を感じるときは、さっと散歩に緊急回避した方がよろしいかと存じます。
足で地面をける衝撃が脳に伝わって、脳を揺らすのでしょうか、それとも、血の巡りが良くなって、頭の回転が良くなるのかはわかりませんが、何かしら方針なりヒントなりがつかめるようにいたします。
難しいことを考えるとき、ややこしいことを考えないといけないとき、微妙な判断が必要なときなどは、歩きやすい靴を履いて散歩へ出かけるのがよろしいかと存じます。
公園や池、家の周りを3周するだけでも、30分前の自分とは違う自分が芽吹くかと存じます。
偉大な先達に倣って歩いて考えましょう。

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自由さ

時間帯というのは、お勉強において重要なキーでございます。
お勉強の時間帯を変えることで、お勉強の能率が意外に変わったり致します。
たとえば、夜のお勉強でございます。
夜の8時から勉強をすると決めておいても、7時から夕食が始まるならば、その時間のお勉強はたまらないものになるかと存じます。
というのも、人間は食後に眠くなる生き物だからでございます。
食後は、食べたものを消化せんがために、血液が胃や腸に大量に向かっていることでありましょう。
ということは、つまり、相対的に頭の方には血がまわらずに、ぼおとしてしまうわけでございます。
頭がうまく働かないのに、頭脳労働たるお勉強をしようとしても、やはり興はそれほど乗らないものでありましょう。
ならば、時間を少しずらして、10時スタートとするのがよろしいかと存じます。
もちろん、2時間先に延ばした間にお風呂に入ったり、靴磨き・ハンカチちり紙・来て行く服ネクタイ・持って行く資料データの整理・各種連絡返信指示などなど、雑用を済ませておくのは言うまでもありません。
10時くらいになれば、食べたものの大半は消化され、スムーズにお勉強のできる体勢となるかと存じます。
また、夜にお勉強をしなければならない、というわけでもありません。
夜更かししてのお勉強が、何か一種の試験勉強のトレードマークになっておりますが、実のところ、夜というのは脳が汚れきっており、あまり綺麗な状態ではないのでございます。
ですから、夜のお勉強は軽めに、復習や確認、暗記程度にとどめておいて、重厚感溢れるたっぷりのお勉強は朝早く起きてやる、というのも進め方のひとつでございます。
朝一番の脳は全く綺麗な状態ですので、意外にすらすらとテキストを読むページと解く問題の量は伸びて行くのでございます。
先ほどの例でいえば、10時よりお勉強スタートと致しましたが、朝に強い人であるなら、30分くらいでお勉強は終了して、床に就き、早朝より再開というのも、1つの手立てであるかと存じます。
もちろんのこと、これは1つのやり方でありますから、夜のほうが頭の回転がいいという人や、低血圧で朝の勉強など考えられないという人は、夜の時間をどう充実させるかに眼目がおかれるかと存じます。
お勉強の内容の順番も、ひとつのやり方でございます。
なんだか興の乗らないときは、カンタンなことや易しいところから始めて、勢いをつけて行くのもよろしいでしょう。
やる気のあるときは、難しいことやこれまでの懸念事項のところをばっさばっさとなで斬りにして進むのがよろしいでしょう。
普通のときは、たんたんと予定通り・計画通りにお勉強の駒を進めるのがよろしいでしょう。
お勉強というのは、学校教育のときのように、決まりきった時間があるわけでもありませんし、時間割があるわけでもありません。
お勉強といいますのは、基本的に自由なのでございます。特に独学ですと、特に自由度は増すものでございます。
何をどうやっても構いませんし、これこれこうこうという手順があるわけでもありません。
たとえば、突拍子のない喩えですが、レントゲン装置の操作などは、被験者及び操作者の被爆の可能性・被爆による健康被害といった重大な結果を及ぼしかねうるものでありますから、操作手順の習熟、各手順の意味の確認、機械のメンテナンス、操作者の被爆状況など、メーカの言う手順・チェック・安全確認は厳密に、ひとつとしておざなりにしてはなりません。勝手に動かすなどもってのほかでありましょう。
しかし、お勉強というのは、こうしたものとは違って、原則自由でございます。
逆に言うならば、どんどんやり方や手順や方法や進め方を変えられる点に、お勉強の特色があるかと思うのでございます。
お勉強というのは束縛するものでありますが、その一面、大いに自由度を発揮できる舞台でもあるのでございます。

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