独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ラスボス思考

ラスボスというのは、ラストのボスを略したものでございます。
昔風で言えば真打、今風で言えば真犯人、影の支配者、本当の悪役、裏で糸を引いていた人、などなどと言われるものでございます。
芝居映画ドラマゲームでよくある、演出のひとつでございます。
どうしてこうしたものがあるかといいますと、至極簡単にお話をひっくり返せるためでございます。
実に簡単に驚かせる上に、印象に残せるメリットもございます。
だいたいお話といいますのは、小さいことから始まって、一見は小さなことがだんだんと膨らむ過程で話が進んで行き、そのままで終わると締りがないので、最後でどんでん返しと言うわけでございます。
のっぺりと話が進んでそのまま終わってしまうと、見る方としては何のおかしみもありませんので、こうした技法があるわけでございます。
さて、この「ラスボス」でありますが、意外に実生活にも当てはまる現象であるかと存じます。もう2〜3個くらいは裏があるよということでございます。
弱り目に祟り目、2度あることは3度あるといいますように、自分ではこれでもう終わりだろ、仕舞だと思っていたら、何かがぽこんと顔を現すというわけでございます。
お勉強におきましても、「ラスボス」的なことはたくさんございます。
自分ではできたと思っていても、全然できていなかったことは多々ございます。
まあできるだろと思っていたら、模試等で痛い目に遭うこともあるかと存じます。
大丈夫と思っていたら全く解けずダメダメの嵐で、ダメかなあと思っていたらシッカリ憶えていた・解けていたなんてこともあるかと思います。
よほどの幸運に恵まれない限り、お勉強というのは、自分の思うように終わらなし進まないのでございます。
あーして、こーしていけば、まあいけるだろうと思ってやってみたら、なんてことはない、全くの見当違いでヒイヒイ脂汗を流すものでございます。
お勉強といいますのは、どこかでどんでん返しが、下手をしたら振り出しに戻るようなことが残っているのでございます。
重要なところなのにすっぽり抜け落ちていたり、他の受験生は重要視してシッカリやっているのに、当の本人はまったく見てもいないことがあるのでございます。
新事実の発見でやるべきことが発生したときは、やべえなあ、とか、めんどくさいなあと思うでありましょうが、これこそ「ラスボス」と思い直して奮起していただきたく存じます。
テキストの読み直し、問題集や過去問の解き直し、憶え直し、まとめ直しなどなどでございます。
まあでも、これまでやってきたことがあるので、予想以上に早く終わるかと存じます。
新しく生まれたやるべきことをグダグダ愚痴るよりも、まあ、あるよね程度に感情を抑えて、やっていくしかないかと存じます。
お話といいますのは、最後の最後は大団円で終わるものでございます。その前の、よくある演出が「ラスボス」でございます。
これを切り抜けないとダメなんだよなあ、うまく行かないんだよなあと考え直して、目の前の「べき」ことにお励みくださればと存じます。

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明るいようす

逆境の中にいても、笑顔を絶やさないことは、実に難しいものでございます。
逆風の中にあっても、絶えず希望を胸に抱くことも、難しいものでございます。
受験生の中には、人としてレベルの高い人がいて、明るい風に振舞っている方がございます。
やはり、お勉強といいますのは合否をめぐる不安との戦いでありますから、どうしても負のオーラが出て来るのでございます。
わたくしのよく行く場所の近くに、資格の専門学校がございますが、そこに入る人は500m先にいてもわかるものでございます。
といいますのも、そこだけ灰色の空気が渦巻いているからでございます。
わいわいがやがや雑踏に、そこだけ木枯らし吹いている−こんな詩ができそうなくらいに、際立っているのでございます。
お勉強を抱えた人というのは、10中八九は当るのですが、時に外れることもございます。
それが、お勉強のプレッシャーに負けず、明るさを保っている人でございます。
勿論、先天的に明るい性格の人も居られることでしょう。なかには、ひとつ間が抜けていてただ明るいだけという人も居られましょう。
しかし実際のところは、自然体でそういう明るさではなく、意志と努力の産物である方が多いかと考える次第でございます。
というのも、笑顔や明るさというのは、意識的に保とうとしなければ維持できないからでございます。
無意識でそうなら、そちらの方が不気味でございます。
また、人は急に明るくなれないものですし、気分が沈んでいるのに急に笑顔にはなれないものでございます。
他人の心の中のことですので、はっきりとはいえませんが、おそらくは明るい人・笑顔の人とはそういう風に振舞おうと努力しているからこそ、明るい空気になっていると考える次第でございます。
気分が沈んだままだとやはり沈んでしまいますから、我が心中を思い量って、暗いのであれば明るく振舞おうと勤めているのではないかと、忖度する次第でございます。
明るくなろうという意志を持たねば、意識的に笑顔になろうとせねば、そうはならないかと存じます。
そこで、わたくしは、朝一の顔を洗うときに、にやりとしたり、志村けんの「アイーン」をしてみたりして、できるだけ顔の筋肉をほぐしてから、1日のスタートを切っております。
そういうことを意識的にしておくと、何となく1日が浮き立つ気持ちといいますか、明るい陽気な感じで過ごせる感じが致します。逆に、朝一で顔をにやっとしていないと、なぜだか沈んだ気持ちで1日を過ごしたような感じがするのでございます。是非、お試しください。
お勉強におきましては、明るくやろうが暗くやろうが記憶や理解の度合いは変わらないかと存じます。
ならば、明るくやっていく方が精神衛生上よろしいのではないかと存じます。
暗い感じの人が前から歩いてくるとそれだけで嫌な感じが致します。その感じがまたその人に伝染して更に暗くなることもありましょう。
かつては、しかめっ面の陰気な顔で出歩くのは、無礼なことでありました。
街中や人中に居るときは、常に明るく笑顔で過ごせとはいいませんが、暗くて陰気な気は出さないようにするのがエチケットであるかとつとに考えるわたくしでございます。
鏡に映った自分の暗さに驚いて、反省することしきりのわたくしでございます。

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散歩論

お勉強と相性のよいものとして、わたくしは散歩を挙げる次第でございます。
かなりいい関係ではないかと考える次第でございます。
理由の第一は、気分転換であります。
外に出るだけでも、お勉強の緊張を解くことが出来ます。
屋外の新鮮な空気を吸えば、自然と「ふう」と一息をつけるかと思います。
第二の理由は、緊張の緩和でございます。
外に出て歩くと、頭に溜まった血液が循環するようになります。
座りっぱなしのため滞りがちだった血の巡りがよくなって、だんだんすっきりしてくるかと存じます。
ちなみにわたくしなどは、困ったときは散歩というくらいに、外で出歩くと気分が変えております。
また、歩くことで運動不足も改善できますから、一石二鳥でございます。ちなみに、カロリー消費の度合いはランニングも散歩もほとんど同じです。人は歩くだけで走るに等しいカロリーを消費致しますから、ダイエットにも効果があるかと存じます。
しかし、散歩を推奨するのは、これだけではないのでございます。
散歩最大の利点は、考えながらできるという点にあるかと存じます。
というのも、「〜をしながら」+「考える」というのは、意外に難しいのであります。
例えば、歯磨きをしながら考えられるかというわけです。歯ブラシを上下左右しながら、まあ、さっきやったお勉強のことを思い返して見ましょう。
思い返すことはできますが、丁寧に歯は磨かれているでしょうか。あとでベロで確認してみると多少のざらつきがあり、奥歯などは磨けていないときが多々ではないでしょうか、
例えば、料理をしながら考えることはできるかというと、手先が不注意となるため危険なのでございます。手を切りそうになりますし、火も使いますからやけどの危険もじゅうぶんに考えられるのでございます。
例えば、ネクタイを締めながら考えてみてください。全然決まらず、何度も締めなおすことになるかと存じます。シャツも、考えながら着ると、7割位の確率でボタンのはめ間違いがあります。結局、1回脱いで着直すことになるかと存じます。
テレビを見ながら、パソコンをしながら、考えることはできますが、じゃあ、集中して考えられるのかというとそうでもないかと思います。
そのほか、いろいろ考えながら何かをできるかもしれませんが、考えるとうまくいかないことはたくさんあるかと存じます。
しかし、散歩は、そうではないのでございます。
もちろん、人ごみの中や車や自転車の往来が激しいところでは、考えながら歩くと危険ではありますが、散歩に適した道を穏当に歩けば、それほど危険な目に遭うことはことはないでしょう。
考えながら歩いても、よっぽど深く考えない限りは、脚の動きが止まったり転んでしまうことはないかと存じます。大きな石があれば避けますし、前から人が来れば脇に寄ることでしょう。
散歩は何かをうーんと考えながらでも可能なのでありまして、考えながらでもできる、数少ない動作のひとつなのでございます。
難しい論点や複雑な規定などは、机の前で考えるのみならず、歩きながら散歩の間にも考えることができます。
いわば、ひとつ、机以外の選択肢が増えるというわけでございます。
人間、ちょっとした変化で不図、名案が沸いたり突破口に気付いたりするものでございます。
何度机の前で考えてもうまくいかないときなどは、そこそこのところで区切りをつけて、散歩という第二ラウンドで決着を付けてみてはどうかと思う次第でございます。

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