逆境の中にいても、笑顔を絶やさないことは、実に難しいものでございます。
逆風の中にあっても、絶えず希望を胸に抱くことも、難しいものでございます。
受験生の中には、人としてレベルの高い人がいて、明るい風に振舞っている方がございます。
やはり、お勉強といいますのは合否をめぐる不安との戦いでありますから、どうしても負のオーラが出て来るのでございます。
わたくしのよく行く場所の近くに、資格の専門学校がございますが、そこに入る人は500m先にいてもわかるものでございます。
といいますのも、そこだけ灰色の空気が渦巻いているからでございます。
わいわいがやがや雑踏に、そこだけ木枯らし吹いている−こんな詩ができそうなくらいに、際立っているのでございます。
お勉強を抱えた人というのは、10中八九は当るのですが、時に外れることもございます。
それが、お勉強のプレッシャーに負けず、明るさを保っている人でございます。
勿論、先天的に明るい性格の人も居られることでしょう。なかには、ひとつ間が抜けていてただ明るいだけという人も居られましょう。
しかし実際のところは、自然体でそういう明るさではなく、意志と努力の産物である方が多いかと考える次第でございます。
というのも、笑顔や明るさというのは、意識的に保とうとしなければ維持できないからでございます。
無意識でそうなら、そちらの方が不気味でございます。
また、人は急に明るくなれないものですし、気分が沈んでいるのに急に笑顔にはなれないものでございます。
他人の心の中のことですので、はっきりとはいえませんが、おそらくは明るい人・笑顔の人とはそういう風に振舞おうと努力しているからこそ、明るい空気になっていると考える次第でございます。
気分が沈んだままだとやはり沈んでしまいますから、我が心中を思い量って、暗いのであれば明るく振舞おうと勤めているのではないかと、忖度する次第でございます。
明るくなろうという意志を持たねば、意識的に笑顔になろうとせねば、そうはならないかと存じます。
そこで、わたくしは、朝一の顔を洗うときに、にやりとしたり、志村けんの「アイーン」をしてみたりして、できるだけ顔の筋肉をほぐしてから、1日のスタートを切っております。
そういうことを意識的にしておくと、何となく1日が浮き立つ気持ちといいますか、明るい陽気な感じで過ごせる感じが致します。逆に、朝一で顔をにやっとしていないと、なぜだか沈んだ気持ちで1日を過ごしたような感じがするのでございます。是非、お試しください。
お勉強におきましては、明るくやろうが暗くやろうが記憶や理解の度合いは変わらないかと存じます。
ならば、明るくやっていく方が精神衛生上よろしいのではないかと存じます。
暗い感じの人が前から歩いてくるとそれだけで嫌な感じが致します。その感じがまたその人に伝染して更に暗くなることもありましょう。
かつては、しかめっ面の陰気な顔で出歩くのは、無礼なことでありました。
街中や人中に居るときは、常に明るく笑顔で過ごせとはいいませんが、暗くて陰気な気は出さないようにするのがエチケットであるかとつとに考えるわたくしでございます。
鏡に映った自分の暗さに驚いて、反省することしきりのわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月5日 11:13 AM |
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お勉強と相性のよいものとして、わたくしは散歩を挙げる次第でございます。
かなりいい関係ではないかと考える次第でございます。
理由の第一は、気分転換であります。
外に出るだけでも、お勉強の緊張を解くことが出来ます。
屋外の新鮮な空気を吸えば、自然と「ふう」と一息をつけるかと思います。
第二の理由は、緊張の緩和でございます。
外に出て歩くと、頭に溜まった血液が循環するようになります。
座りっぱなしのため滞りがちだった血の巡りがよくなって、だんだんすっきりしてくるかと存じます。
ちなみにわたくしなどは、困ったときは散歩というくらいに、外で出歩くと気分が変えております。
また、歩くことで運動不足も改善できますから、一石二鳥でございます。ちなみに、カロリー消費の度合いはランニングも散歩もほとんど同じです。人は歩くだけで走るに等しいカロリーを消費致しますから、ダイエットにも効果があるかと存じます。
しかし、散歩を推奨するのは、これだけではないのでございます。
散歩最大の利点は、考えながらできるという点にあるかと存じます。
というのも、「〜をしながら」+「考える」というのは、意外に難しいのであります。
例えば、歯磨きをしながら考えられるかというわけです。歯ブラシを上下左右しながら、まあ、さっきやったお勉強のことを思い返して見ましょう。
思い返すことはできますが、丁寧に歯は磨かれているでしょうか。あとでベロで確認してみると多少のざらつきがあり、奥歯などは磨けていないときが多々ではないでしょうか、
例えば、料理をしながら考えることはできるかというと、手先が不注意となるため危険なのでございます。手を切りそうになりますし、火も使いますからやけどの危険もじゅうぶんに考えられるのでございます。
例えば、ネクタイを締めながら考えてみてください。全然決まらず、何度も締めなおすことになるかと存じます。シャツも、考えながら着ると、7割位の確率でボタンのはめ間違いがあります。結局、1回脱いで着直すことになるかと存じます。
テレビを見ながら、パソコンをしながら、考えることはできますが、じゃあ、集中して考えられるのかというとそうでもないかと思います。
そのほか、いろいろ考えながら何かをできるかもしれませんが、考えるとうまくいかないことはたくさんあるかと存じます。
しかし、散歩は、そうではないのでございます。
もちろん、人ごみの中や車や自転車の往来が激しいところでは、考えながら歩くと危険ではありますが、散歩に適した道を穏当に歩けば、それほど危険な目に遭うことはことはないでしょう。
考えながら歩いても、よっぽど深く考えない限りは、脚の動きが止まったり転んでしまうことはないかと存じます。大きな石があれば避けますし、前から人が来れば脇に寄ることでしょう。
散歩は何かをうーんと考えながらでも可能なのでありまして、考えながらでもできる、数少ない動作のひとつなのでございます。
難しい論点や複雑な規定などは、机の前で考えるのみならず、歩きながら散歩の間にも考えることができます。
いわば、ひとつ、机以外の選択肢が増えるというわけでございます。
人間、ちょっとした変化で不図、名案が沸いたり突破口に気付いたりするものでございます。
何度机の前で考えてもうまくいかないときなどは、そこそこのところで区切りをつけて、散歩という第二ラウンドで決着を付けてみてはどうかと思う次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月4日 9:24 PM |
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基本的に、方法というのは数限りなくございます。
例えば、ある場所に行くにしても、電車で行くこともあれば、バスで行くのも、歩きでも、自転車で、または、タクシー・ハイヤーを使うことだってできるわけでございます。
いろいろ手段があって経路も様々、それぞれに趣あるかと存じます。
進め方・やり方・方法というのは、数あるうちのひとつであることを、意識の片隅にでも置いてお勉強くださればと存じます。
「いい」といわれるやり方でも、所詮は数ある手法のひとつでしかないのでございます。
お勉強におきましては、「それ」でなければならない、絶対的な理由など無いのでございます。
お勉強というのは、本当に人それぞれでありまして、ある人にはいいやり方が他の人には効かなかったりするのでございます。
わたくし自身のことでいいますと、暗記ペンというのが全く性に合わなかった記憶がございます。
クラス中で大いに流行ったのでわたしもやってみたのですが、目がチカチカするし引くのが面倒だしで、結局数ページじか使わなかったのでございます。
わずか数ページだけ引かれた紫マーキングが鮮やかだったことを、合わなかった証として今でも憶えているのでございます。
お勉強というのは、どうしても人それぞれにならざるを得ない面がございます。
お勉強といいますのは、憶えたり、理解したりするために行うのでありますが、実感として、憶える瞬間や理解したときというのははっきりしないのでございます。
電球が点くように何かを憶え理解したことを把握できるのは、数えるほどしかないように思います。
実際のところ、気が付いたらそうなっていたのではないでしょうか。
ですから、Aという方法論ゆえにできるようになったのかどうかは、確かめ難いし、はっきりということができないわけでございます。
独学が、「自分からやる」「自分で決める」「自分で合う方法でやる」ことを重視していますのは、まさに、この理解や記憶の不確かさを踏まえているからでございます。
何がうまくいって、何がよくないのかは一概には言えないのでございます。
例えば、酒を飲みながらの勉強は、9割の人がダメでしょうが、意外にお酒を飲むと頭が覚醒する人も居られます。ですから、このような人は、難しいところや難所のお勉強は一杯やりながらでもよろしいでしょう。しかし、わたくしには絶対的に無理ですし、他の人にもこんな特殊なやり方を推奨致しません。しかし、それでうまく行く人もいるのは事実でございまし、うまく行くならやるべきなのでございます。
結局、わたくしたちの頭の中のメカニズムが曖昧でよくわからない以上は、どの方法が良いか悪いかではなくて、自分に合っているかどうかが大切になってくるかと存じます。
朝学習はわたくしが大推奨する勉強のやり方ですが、低血圧の人にとってはトンデモナイものでありましょう。ならば、朝学習などやらず、もっと他のやり方を模索してみよう、ということに相成るのでございます。
お勉強といいますのは、もっと自由にやっても良いものですし、もっと自分に適したようにやっていっても支障はありません。
刃物や機械の取り扱いには一定の手順を守らなければいけませんが、お勉強ではそうではありません。
もっと頭を柔らかく、先入観を捨て、凝り固まった勉強へのイメージを緩めて、自分の勉強というものを見直してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月1日 10:56 AM |
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