「客観視する」などと聞きますと、なんだか物苦しく感じるものでございますが、客観視とは、うまくいかないときの特効薬でございます。
現状の自分の見方でうまく行っているのであれば、客観的な視点など必要ないのでございます。
しかし、自分の見方とか視点とかいわれるものは、得てして不十分でございます。
単純に考えても、まず、自分の背中を見ることができませんし、鏡がなければ顔形すら見ることもできません。
意外にわたしたちの視野や視界というのは、狭くて不十分なのでございます。めがねを外すと何も見えなくなる人だっているでしょう。
わたくしたちは目から多くの情報を得ていますが、その目が不十分なのでありますから、思考も得てして欠けたものになりがちなのでございます。
このため、自分だけのものの見方に固執すると、得てしてうまく行かないのでございます。
うまくいっていないのは、大方は自分の視点がボケていたりズレていることに原因がございます。
ですから、いったんは自分の見方を止めて、どこぞ違う角度から見ない限りは、いいアイデアや手立て、手法などは思いつかないのでございます。
故に客観視、お客さん思考が必要となってくるわけでございます。
さて、先ほどもいいましたように、客観視せよといいましても、何をどうすればいいかわからないというのが実際であるかと存じます。
以下は、客観的に考える便宜といいますか、こうしたら客観的に物事が見えてくるよというひとつの試みでございます。お目汚しの程、ご了承くださればと存じます。
まず、ひとつの言葉が必要となってまいります。それは、自分の氏名でございます。
わたくしたちは言葉で考えておりますが、そこ言葉の節々に自分の氏名を入れてみるのでございます。
例えば、『ああ、できへんな、どうしょうかいな。○○君(自分の名前)』と考えて行くわけでございます。
『何がダメなのかね。○○君(自分の名前)。』とか、『どうすれば忘れなくなるのかね。○○君(自分の名前)』とか、『ミスを無くすのはどうしたらいいの?○○君(自分の名前)』といったのが塩梅でございます。
できれば、○○君のところはフルネームで、名字と名前で入れていってほしく存じます。
ま、○○君のところは、自分のあだ名でも結構ですし、旧姓でも構いません。
こんな風にして、考える合間合間に、自分の名前を入れて行くのでございます。
何回と言うレベルではなく、もう、何十回と自分の名前を入れてみてください。
すると、だんだんと考えている自分がどこか遠くに行ってしまい、なにやら会議室かどこかで誰か(※)と次善策を練っているような心持ちになってくるのでございます。
意識が跳ぶと言うのではないのですが、何となく高い次元から我が身を見れるようになるのでございます。
いってしまえば、自分のことが他人事になってしまうのでございます。
ですから、次第に愚痴がでなくなって参ります。会議で愚痴ってもしゃーないしという感じだからでございます。建設的に物事考えられるようになります。
また、他人事のような感じだからでしょうか、不思議とウンザリ感やメンドクサ感が感じなくなるのでございます。
故に、比較的やる気が出て来るのでございます。
客観視とは、わかってくるというか、自分の力のなさに気付くとか、まだまだ努力の量が足りないとかがクリアに見据えることではないかと考える次第でございます。
客観視とはそれほど難しくはないことを、この「○○君思考」でお試しくださればと存じます。
※ このときに感じる誰かが、自分のもうひとつの人格(ペルソナ、超自我)とのことでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月9日 7:09 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
ラスボスというのは、ラストのボスを略したものでございます。
昔風で言えば真打、今風で言えば真犯人、影の支配者、本当の悪役、裏で糸を引いていた人、などなどと言われるものでございます。
芝居映画ドラマゲームでよくある、演出のひとつでございます。
どうしてこうしたものがあるかといいますと、至極簡単にお話をひっくり返せるためでございます。
実に簡単に驚かせる上に、印象に残せるメリットもございます。
だいたいお話といいますのは、小さいことから始まって、一見は小さなことがだんだんと膨らむ過程で話が進んで行き、そのままで終わると締りがないので、最後でどんでん返しと言うわけでございます。
のっぺりと話が進んでそのまま終わってしまうと、見る方としては何のおかしみもありませんので、こうした技法があるわけでございます。
さて、この「ラスボス」でありますが、意外に実生活にも当てはまる現象であるかと存じます。もう2〜3個くらいは裏があるよということでございます。
弱り目に祟り目、2度あることは3度あるといいますように、自分ではこれでもう終わりだろ、仕舞だと思っていたら、何かがぽこんと顔を現すというわけでございます。
お勉強におきましても、「ラスボス」的なことはたくさんございます。
自分ではできたと思っていても、全然できていなかったことは多々ございます。
まあできるだろと思っていたら、模試等で痛い目に遭うこともあるかと存じます。
大丈夫と思っていたら全く解けずダメダメの嵐で、ダメかなあと思っていたらシッカリ憶えていた・解けていたなんてこともあるかと思います。
よほどの幸運に恵まれない限り、お勉強というのは、自分の思うように終わらなし進まないのでございます。
あーして、こーしていけば、まあいけるだろうと思ってやってみたら、なんてことはない、全くの見当違いでヒイヒイ脂汗を流すものでございます。
お勉強といいますのは、どこかでどんでん返しが、下手をしたら振り出しに戻るようなことが残っているのでございます。
重要なところなのにすっぽり抜け落ちていたり、他の受験生は重要視してシッカリやっているのに、当の本人はまったく見てもいないことがあるのでございます。
新事実の発見でやるべきことが発生したときは、やべえなあ、とか、めんどくさいなあと思うでありましょうが、これこそ「ラスボス」と思い直して奮起していただきたく存じます。
テキストの読み直し、問題集や過去問の解き直し、憶え直し、まとめ直しなどなどでございます。
まあでも、これまでやってきたことがあるので、予想以上に早く終わるかと存じます。
新しく生まれたやるべきことをグダグダ愚痴るよりも、まあ、あるよね程度に感情を抑えて、やっていくしかないかと存じます。
お話といいますのは、最後の最後は大団円で終わるものでございます。その前の、よくある演出が「ラスボス」でございます。
これを切り抜けないとダメなんだよなあ、うまく行かないんだよなあと考え直して、目の前の「べき」ことにお励みくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月6日 10:21 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
逆境の中にいても、笑顔を絶やさないことは、実に難しいものでございます。
逆風の中にあっても、絶えず希望を胸に抱くことも、難しいものでございます。
受験生の中には、人としてレベルの高い人がいて、明るい風に振舞っている方がございます。
やはり、お勉強といいますのは合否をめぐる不安との戦いでありますから、どうしても負のオーラが出て来るのでございます。
わたくしのよく行く場所の近くに、資格の専門学校がございますが、そこに入る人は500m先にいてもわかるものでございます。
といいますのも、そこだけ灰色の空気が渦巻いているからでございます。
わいわいがやがや雑踏に、そこだけ木枯らし吹いている−こんな詩ができそうなくらいに、際立っているのでございます。
お勉強を抱えた人というのは、10中八九は当るのですが、時に外れることもございます。
それが、お勉強のプレッシャーに負けず、明るさを保っている人でございます。
勿論、先天的に明るい性格の人も居られることでしょう。なかには、ひとつ間が抜けていてただ明るいだけという人も居られましょう。
しかし実際のところは、自然体でそういう明るさではなく、意志と努力の産物である方が多いかと考える次第でございます。
というのも、笑顔や明るさというのは、意識的に保とうとしなければ維持できないからでございます。
無意識でそうなら、そちらの方が不気味でございます。
また、人は急に明るくなれないものですし、気分が沈んでいるのに急に笑顔にはなれないものでございます。
他人の心の中のことですので、はっきりとはいえませんが、おそらくは明るい人・笑顔の人とはそういう風に振舞おうと努力しているからこそ、明るい空気になっていると考える次第でございます。
気分が沈んだままだとやはり沈んでしまいますから、我が心中を思い量って、暗いのであれば明るく振舞おうと勤めているのではないかと、忖度する次第でございます。
明るくなろうという意志を持たねば、意識的に笑顔になろうとせねば、そうはならないかと存じます。
そこで、わたくしは、朝一の顔を洗うときに、にやりとしたり、志村けんの「アイーン」をしてみたりして、できるだけ顔の筋肉をほぐしてから、1日のスタートを切っております。
そういうことを意識的にしておくと、何となく1日が浮き立つ気持ちといいますか、明るい陽気な感じで過ごせる感じが致します。逆に、朝一で顔をにやっとしていないと、なぜだか沈んだ気持ちで1日を過ごしたような感じがするのでございます。是非、お試しください。
お勉強におきましては、明るくやろうが暗くやろうが記憶や理解の度合いは変わらないかと存じます。
ならば、明るくやっていく方が精神衛生上よろしいのではないかと存じます。
暗い感じの人が前から歩いてくるとそれだけで嫌な感じが致します。その感じがまたその人に伝染して更に暗くなることもありましょう。
かつては、しかめっ面の陰気な顔で出歩くのは、無礼なことでありました。
街中や人中に居るときは、常に明るく笑顔で過ごせとはいいませんが、暗くて陰気な気は出さないようにするのがエチケットであるかとつとに考えるわたくしでございます。
鏡に映った自分の暗さに驚いて、反省することしきりのわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月5日 11:13 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |