独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

エジソンって偉いなあ

本日のススメは、わたくし事でございます。宜しくお目汚しの程、お願い致します。
わたくしの悪い癖で、裸ゼニを持ち歩くことがよくございます。
1万円札を崩した際にそのまま財布に入れるのがめんどくさくて、そのままポッケに入れて、財布」に入れそびれたまま持ち歩くという塩梅でございます。
もちろん、よいわけはありません。
現金を持ち歩けば何かと無駄遣いをしてしまいます。持ち歩くのが千円札でありますから、そらもう、あっという間に小銭と化して行くものでございます。
なにより、落とす危険がございます。
お金を落とすというのは、実に馬鹿らしいといいますか、納得できないといいますか、理不尽で喪失感が大きいものでございます。
これが、例えば賭博なり株なりでスッしまうというのとは、違うのでございます。
そういったもので、お金を無駄遣いするというのは、まあ、いいのでございます。そのリスクを納得した上での行為でありますから。
ダメ買い物・ダメ通販・ダメスポーツマシーンでも、まあ、赦せるものがございます。
腹筋マシーンで肩と首を痛めたことも、振動ブレードで肩甲骨が異常に痛くなったことも、ご当地ラーメンを注文したらコンビニのそれよりもまずかったことなど、今となってはいい思い出で、かけがえのない教訓を得た次第でございます。
しかし、先の無駄遣いが万単位・十万単位でも許せるのに、単にお金を落とすのだけは、100円ですら惜しく思われるのでございます。
ここまでで勘の良い方ならお気づきかもしれませんが、先日、3千円か4千円の裸ゼニを落としてしまったわたくしでございます。
まあこの喪失感がストレートにやってくることといったら、言い様がございません。
ほんとにもう、損したなあと日に何度も思い返しては、逆上しているわたくしでございます。
なんでポッケに入れておくんだと、それも、手帳や携帯小銭入れといった、日に何度も取り出すのを同じポッケに入れるんだと、何度も落とした背景を思い浮かべては、くうゥと悔やんだものでございます。
このときフト、偉人エジソンの話を思い出したものでございます。
エジソンの凄いところはその楽天家ぶりでございます。
どんなひどい目に遭っても、「これも何かの役に立つ経験だ」と考える超ポジィティブ思考の持ち主なのでございます。
エジソンの逸話に、エジソンの住居兼研究所が火事に見舞われた話でございます。
ごうごうと燃え上がるマイホーム。もちろん、ローンも残っていることでしょう。高い金を出して駆った家具。月賦でありましょう。お金では購えない思い出が詰まった品々。お気に入りの洋服靴ズボン。もちろん、燃えている部屋の中には現金の蓄えや貴金属類もあったことでしょう。
それらが全部、目の前でごうごうと燃え上がり灰になろうとしているのでございます。
しかも、職場である研究所も燃えているのでございます。建物や什器類、実験用具、実験資材。業務用でありますから、どれも決して安いものではないことでしょう。
そして何よりも、これまでの研究資料、データ、そして、研究中の数々の発明品も、目の前で灰になっているのでございます。何年何ヶ月もの努力の結晶が、火に焼かれているのでございます。
わたくしなどは気絶することでしょう。
しかしながらエジソンは、我が子に「全財産が灰になるところなんてそう見れないぞ。よく見ておくんだ」と語りかけ、灰になるまでを見届けたとのことでございます。
燃え上がっている家と研究所を前にすれば、どんな気丈な人でも、茫然自失するか意気消沈するかがっくりうなだれるのが普通でありましょう。
それなのに、常人の量りを超えて「いい経験だ」と言えるエジソンは、これだけでも立派だなと思うものでございます。
「いい経験だ」なんて言は、本当に手垢にまみれて誰もが、中学生でさえ口に出す言葉でございます。
しかし、エジソンのシチュエーションになってでさえ、「いい経験だ」と言えるかどうか。わたくしは(スゲエ!)としか言い様がないのでございます。
かつて学生時代に、ネズミにインスタントラーメンをかじられて駄目にされたときから、ネズミが大嫌いになりミッキーマウスを見ても殺意が湧くわたくしでございます。
トムとジェリーであれだけジェリーが好きだったのに、今ではトム派。やっちまえ!とトムと一緒になっているわたくしでございます。
数千円の紙幣を無くしただけで、心底がっくりしているわたくしでございます。
フト、在りし日に聞いたエジソンの逸話を思い出し、自分の小ささを情けなく思った次第でございます。
まあ、命まで取られるわけでないし、今年は親類縁者友人家族にも大きなケガも病気もなかったし、厄払いかなと思って、ようやく落ち着きを取り戻しているわたくしでございます。
エジソンの髪の毛ほどくらいには、その楽天ぶりとポジティブさを見習いたいものでございます。

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じっとするのも実力

時折、体力が落ちたなあと思われる方も居られるかと存じます。
一晩ぐっすり寝ればスッキリしていたのに、今や、2〜3日は寝ないと疲れが取れないという人も居られるかと存じます。
模様替え等で、ちょっと重い荷物を動かすと、すじこばるといいますか、体中のあちこちが痛くなったりする方も居られるかと存じます。
このような現実を目にするにつれて、ああ、体力が落ちてきたなあと、すこしく寂しくなるものでございます。
しかしながら、でございます。
体力が落ちてきた一方で、以前と比べたら、だいぶ落ち着きも出て来たのではないでしょうか。
ひとつの場所でじっとしていられなかった人でも、体力がだんだんと下降気味になるにつれて、こつこつと何かに取り組めるようになっているのではないかと存じます。
お勉強もかつての自分と比べてみれば、例えば学生時分と比べてみると、今の方がずっと集中して取り組めているのではないでしょうか。
集中力が増したのは、ある意味、体力が落ちたからではないかと存じます。
体力と一言でいいましても、無駄な体力といいますか、余計な力といいますか、そうしたものが無くなって来たと言えるのではないかと存じます。
換言すれば、エネルギーの使い方が上手になったわけでございます。
元気の有り余っている子供の姿を見てみると、ひとつのところに止まって何かをやるのは、ひどく苦痛なように見受けます。
体力があるといっても、むやみやたらに放散していれば無いのと同じ、無駄なことをする分時間の無駄とも言えるわけでございます。
体力が落ちてきたからこそ、じっくりと目の前のことに、焦らずに落ち着いて、正確に集中して取り組めるようになったわけでございます。
ですから、お勉強というのは、体力があるからといって、一概に若い人が有利であるとはいえませんし、また、体力がないからといって殊更に試験勉強が不利になるとはいえないかと存じます。
わたくしたちは、何かを失った分、やはり何かを得ているものでございます。
奪われっぱなしというわけではないのでございます。
新たに得た「落ち着き」「慎重」「集中」という武器を意識して、やり方に変化を付けては工夫を重ねて、お勉強の難関を突破してくださればと存じます。
できないことは決してありません。
ただ、体力の急激な低下は、病気や持病の悪化、生活の荒れ、不摂生、食生活の不備、過度の飲酒、タバコ、高ストレス状態、悪い遊びなど、見過ごせない要因があるものでございます。
若いときは多少身体に毒な事をしても、有り余る体力で凌いでまいりましたが、今となってはその余分な「分」の体力はないわけで、やはり、節制と統制が必要になっているかと存じます。
また、意識的な体力づくりも忘れてはいけません。若いときに体力があったというのは、単にたくさん運動をして身体を動かしていたのも、見逃せない要因でございます。
今週は何の運動をしたか、振り返ってみてほしく存じます。衰えは本当に足腰から参ります。
階段の1段は寿命1日と申します。通勤時や移動には、階段を1段上がるたびに、1日寿命が延びた、1日寿命が延びた、1日寿命が延びたと唱えながらお登り下さればと存じます。年を取ってから運動しても遅いんです。
体力が落ちたと口に出すのみに終わらず、機会を見つけては身体を動かすようにしてくださればと存じます。

身体の感覚から

お勉強の敵はまず、「眠さ」であるかと存じます。
難解な文章、どうでもいい練習問題、不可思議な過去問を前にすれば、誰だって眠たくなるものでございます。
疲れていれば、なおさら眠りを誘うものでございます。
30センチ先も見えないモヤが頭に立ちこめ、どんなにがんばってもまぶたはひっつこうとするものであります。
こうも眠くなってしまいますと、1文字すら頭に入っていかず、お勉強は頓挫してしまうわけでございます。
次の大敵は、退屈さであるかと思います。
お勉強と言うのは基本的に繰り返しが基本でありますから、見るのも読むのも解くのも、殆ど変わりません。
同じ、手垢の付いたテキストや問題集、過去問がわたくしたちの勉強相手でございます。
同じものを相手に、同じようなことを同じようにやるのでございます。そら、退屈でありますよ。
テキストと問題集を開いても、ひとつも読もうとも解こうとも思わなくなってしまう、これこそ退屈の仕業なのでございます。
次の敵は、飽きでございます。
どんな美人でも、3日もすれば飽きると申しますが、美人の「び」の字もない、無機質で無愛想な存在に対して、どうして飽きずにいられるでしょうか。
それはもう、退屈の塊といっても、まったく過言ではございません。
このように、お勉強とはもともとが眠たい上に退屈で、飽きやすいという三重苦を背負っている存在なのでございます。
しかし、わたくしたち自身で決めたことでございます。合格する!と決意したのでありますから、途中で放り投げるわけにも行きません。
そこで、どうしたらいいか、と言うわけでございます。
まず、眠たくて退屈で飽き飽きしている状態というのは、身体の感覚もぼんやりとしているものでございます。
ですから、まず、身体感覚を取り戻すことが重要であるかと考える次第でございます。
まず、椅子から立ち上がるなり、せんべいザブトンから腰をあげるなりして、立ち上がりましょう。
そして、相撲取りがやるように、太ももをバシンと手の平で叩きます。場所は、おしりでも構いません。
できるだけ強く、関取が気合を入れるように「バシリバシリ」と叩いてみてください。
太ももやおしり以外には、わき腹を叩くと目が覚めます。皆様方におきましては、いい音が発せられるかと存じます。
腕や胸をグーで叩くのもようございます。これまた、朦朧としてきた意識がはっきりとしてきます。
わたくし個人は、叩きで気合を入れた後で四股を踏みます。
片足を高く上げて数秒間、そのままの姿勢でいます。足の外側の筋肉がびりびりとしてきたところで、ズンっと床を踏み抜くように踏みつけます。これを4〜5回行っております。
片足を上げて不安定な姿勢になると、脳がバランスを取ろうと活性化するのでしょうか、頭がかなりスッキリするのでございます。
最近わたくしは四股を踏むのにはまっておりまして、実に手軽な気分転換方法と考えている次第でございます。
1日に数回、1回につき4〜5回程度踏んでおります。これだけでも十分、血の巡りが良くなって、かっかとしてきます。
四股の動作から思いますに、まず、腰痛予防、足の外側の筋肉を鍛える、バランス感覚を良くする、あと痔の予防にも(意外におしりの筋肉が刺激されているので血行がよくなってうっ血が減るように思います)効果があるのではないかと考えている次第でございます。ちなみに、痔は血流障害の病気とのことでございます。
ま、痛いぐらいに太もも・おしり・お腹・腕を叩いてみてください。できれば、足がつるくらいに高く上げて四股を踏んでみてください。
なお、女性の方につきましては、誰も見ていないところで、コッソリお願い致します。100年の恋も冷める姿を見られるのは一生の不覚となりかねません。
男女平等共同参画社会とはいえ、四股を踏む女性だけは絵になりません。周りの人がトラウマにならないためにも、コッソリお願い致します。
わたくしたちは、痛みや刺激によって現実に立ち返る生き物でございます。
ばしばし叩いて気合を入れ、ドスコイと四股を踏んで身体と脳を活性化して、お勉強の3つの敵に抵抗してくださればと存じます。
気合や精神力で渡り合うよりも、はるかに楽であるかと存じます。

(さらに…)