やっているはずなのに、成績は芳しくない。
やってきたのに、実力が付いていない。
お勉強をしているにもかかわらず、結果や成果が付いてこないときがございます。
お勉強が最も嫌になる瞬間でございます。
誰も徒労など味わいたくありません。やったからには、それなりの見返りが欲しいものでございます。
しかし、なのでございます。
本当に「やって」きたのでありましょうか。
本当にやったのであれば、「力」は間違いなく付く筈なのでございます。
お勉強は芸術やスポーツとは違って、才能を必要としないものでございます。
芸術やスポーツの世界では、やったからといって必ずしも力は付きません。
どれ程努力をしても、天賦の才能の持ち主の前ではくすんでしまうものでございます。
お勉強は、この世で数少ない努力がそのままストレートに表れる世界でございます。
ですから、努力の空回り感があるときは、どこぞが間違っていると考えた方がよいのでございます。
成果や結果が付いてこないと思うときは、本当に自分がやってきたのかどうかを、数字を使って確かめてくださればと存じます。
やって来た、やったと言うけれども、では、いったい何ページを読んで、何問の問題を解いてきたのか、という塩梅でございます。
やってきたことを紙に書き出してみると、思った以上に少ない数字がそこに現れるかと存じます。
今週はがんばったなあ!と思っていたら、日々1時間とちょっと位しかお勉強をしていなかったり、テキストの1章も読めていなかったりするわけでございます。
空回りを感じる人に、多く見られる現象と致しましては、(やらなくては・・・)という後ろ向きの思いの元で、ただ何となく始めて、時間が来たので何となくお勉強を終えるといった「あいまいタイプ」が多いかと存じます。
そう、お勉強の始めも終わりもぼんやりとしていて、どう始めてどう終わったか、ハッキリつかめていないのでございます。だからこそ、やった感じしか残っていないのでございます。
試験におきましては、確実な記憶と確かな知識のみがモノを言います。
これらはやはり、ぼんやり始めてあいまいに終わる勉強とは、相容れないのではないかと存じます。
努力が空回りしている風に感じるときは、まず、やっていること・やってきたことを数字化・軽量化してくださればと存じます。
数字は現実を締め付け、たがに嵌める力がございます。
ぶよぶにょにたるんだ現在を数字で引き締めてくださればと存じます。そうすることで、自身のお勉強の事実が見えてくるかと思います。
その見えてきた確実な事実を土台にして、改善や工夫の手立てを取れば、確かな手ごたえがあるかと存じます。
きちんとした地盤の上でこそ鉄筋コンクリート作りの頑丈かつ堅牢の建物が建つのでございます。
確かな事実の上にこそ、効果的な対策が取れるものであります。
確かな事実の認識から、現状の空回りを打破してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年12月2日 6:32 PM |
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わたくしは強く、お勉強と体調の関係を重視するものでございます。
お勉強とは頭脳労働のように見えますが、頭脳が身体の一部である以上、身体の影響を受けざるを得ないと考えております。
例えば、集中力でございます。
集中力は精神力や性格などが強い因子だと思われがちでございます。
しかし、とびっきりの集中状態を除けば、集中状態は目の疲れと強く関係しているかと思います。
集中が切れてきたなあと思ったときは、ゆっくり目を閉じてまぶたの辺りがどんな感じになっているか、調べてみてほしく思います。
重かったりぼってりしているかと存じます。また、まぶたを閉じたときは、眼球がじんわりして、意外に目が乾いていることに気付くかもしれません。
また、肩や首のあたりをさすってみてください。筋肉が張って結構な硬さになっているかと存じます。
わたくしは、集中力が途切れるというのは、一種の身体からのサインであると考えている次第でございます。
ですから、集中力が切れたときには、何らかの動作をさしはさんで、筋肉の凝りや血流の改善を図っている次第でございます。
ムリに集中を続けようとするよりも、ちょっとした何かをさしはさんだ方が、結局は長く集中状態を維持できるかと存じます。
とはいえ、仕事や家事その他の雑用で身体のあちこちがかちこちになっているかと存じます。
そこでオススメしたいのが、半身浴でございます。
今更感のある半身浴でありますが、やはりいい物はいいといわざるを得ないのでございます。
といいますのも、普通のお風呂の入り方では、なかなかに身体が温まらないからでございます。
人間の身体は80%が水分でございます。ならば、体重60キログラムの人には、48キログラムの水分がございます。
48キログラムの水分は、リットル換算で48リットル、48,000ccもあるわけでございます。
牛乳パック48本分の液体の温度を数度上げようと思った場合、結構な時間がかかるのは言うまでもないかと存じます。
お風呂にざっとはいっても表面の語句わずかな部分のみが熱されただけで、内部の殆どには熱が及んでいないわけでございます。
体温が上がれば代謝も良くなり、体中のいたるところに溜まっている疲労物質や老廃物も排出されます。もちろん、身体が楽になるのはいうまでもありません。
1週間に一度くらいは、少し肌寒いくらいの温めのお湯に下半身だけ、胸より上は浸からないようにして、温めのお湯に1時間強は浸かり、身体の芯まで暖めてくださればと存じます。
いかに常の風呂やシャワーが、身体の表面しか温めていないかを実感できるかと思います。逆に、こんな温めのお風呂でも十分に身体の温まる事をご体感できるかと存じます。
半身浴を1時間もすれば、寝るときまで身体は温かく、寝ているときも通常の倍以上は汗をかくかと思われます。
勿論、寝汗のような性質の悪い汗ではなく、起きたら体中の節々が軽くなるような汗でございます。
半身浴の効果は如実に感じられるかと存じます。
まあ、長風呂は周りの人の迷惑になるので先に入らせてしまい、ラジオを持ち込む、本を持ち込む、テキストを持ち込む等して、半身浴の1時間をお過ごしくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年12月1日 8:44 PM |
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お勉強は、不安との戦いでございます。
試験それ自体が根本的に不安を呼び覚ますものでございます。試験の結果は、「合格」と「不合格」のふたつしかないからでございます。
準合格みたいなものがあればまだしも、不安も少なくなるでしょうが、大半の試験は合否の二者択一でございます。
勿論、大概の試験は不合格者となる人の方が多いわけですから、確率的にも不合格となりやすいのでございます。
これだけでも不安要素は大きいのに、お勉強それ自身の作業も、不安を掻き立てやすいものでございます。
わからない。憶えられない。読めない。解けない。できない。
困った。間に合わない。遅い。時間がない。どうしたらいいかわからない。
お勉強をしていくと、こうした様々の不安要素とぶつかってしまうのでございます。
(こんなので合格できるのか?)とか、(終わる気がしない)、(もうできない)などの弱気ばかりが心に定住し始めましたら、以下の事をお試しくださればと存じます。
それは、「自分の葬式を考えてみる」のでございます。
とりあえず、来週に死ぬことになったとします。では、何が原因で身罷ることになったか、リアルに考えて行きましょう。
最も自分に近い死を考えてみてください。事故でしょうか、ケガでしょうか、病気でしょうか、トラブルに巻き込まれたのでしょうか。
ちなみにわたくし自身は、高血圧と糖尿病の合併症に至り、ちょっとした油断で風邪を引いて肺炎で死亡するのではないかと考えております。親兄弟親戚友人知人などを見てまいりますと、何だか自分はこうなりそうな気がするのでございます。慎重だから事故も怪我もないだろうし、そんなに悪人でもないからトラブルもない。しかし、甘いものが好きでしかも塩辛いものが好き、ならば・・・という塩梅でございます。
さて、自分の死因が決まりましたら、通夜の席を思い浮かべます。何人の人が来ているでしょうか。そして、何を食べ、何を飲んでいるでしょうか。アレコレ考えると色々なことが頭をよぎるかと思います。
まさかと思うが発泡酒を出さないだろうな、とか、いい酒を出してくれよ、恥だから、とか、どこの仕出屋に頼むのか、法的な手落ちはないやろうなあ、とかでございます。
通夜の想像の後は、葬式でございます。遺影に使う写真はあるのか、これまた何人の人が来るのか、いくら包みそうか、泣く人はいるのか、どの会場を借りるのか、自分は何宗でやるんかしらんとか、本当に考えることはたくさんあるかと思います。
そして、ついに出棺です。家族や親しい人は何を入れるでしょうか。果物でしょうか、菓子パンでしょうか、なんだろなあと他人の視点から今の自分の趣味や嗜好を思ってみてください。
そしていよいよ火葬場でございます。燃えるのか、燃えないのか、どう燃えるのだろうかと考えて見ます。
拾骨をするとき泣いている人はいるだろうか、嫌がってはないだろうか、骨太だからきちんと燃え切るだろうかなど、これまた考えられることはたくさんあるかと思います。
次はお墓。日当たりのいい場所かどうか、じとじとした場所はいやだなあ、今の死に金で足りるのかなど。もしかしたら予算不足でプラスチックでチープな、どこぞひとまとめに納められる簡易墓になるかも。
そして、遺品の整理。パソコンのHDDを覗いた家族はどう思うのか、はやく処分すべき物はすべきですね。
さって、長々と考えて参りましたが、ここで、先ほどまで心にあったお勉強のことについて、考えてみてほしく存じます。
やるべきことはひとつも減っていないし、問題は山積みでございます。しかし、心持ち軽くなった感じはしないでしょうか。
死の問題に比べたら、お勉強なんて屁のカッパレベルでございます。
お勉強はコレまでの合格者の数ほど解決されてきたのです。方や死の問題は、これまで誰も解決していないのです。
一連の死の想像をしてみると、心底、(まあなんとかなるべさ)という思いを新たにできるのではないかと存じます。
それこそ、元気とやる気の源でございます。あとは努力を厭わず、少しずつ小分けしてやっていけばいいだけの話でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月30日 6:32 PM |
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