続けるコツというのは、たくさんあると思います。
いくらでもありますから、好きになったものや合いそうなものを試してみる事をお勧めいたします。
ほいでしっくり来るものがあれば、それを続けていくのが宜しいかと存じます。
しかし、続けるためには、大前提というものがございます。
それは、「それ」について、常日頃から考えておくと言う事でございます。
当たり前の事なのですが、やはり、これを抜きにしては続ける事など出来ないのでございます。
わたしたちは、考えている事はだいたい実行できたり、実行したり致します。
カレーの事を考えていれば、だいたい、3日のうちにカレーを食べる事になります。
カレーの事を考えていて、外食の機会に玉子どんぶりを注文する人は、そう居ない事かと存じます。
食べたくなくてもつい、カレーを注文してしまうものでございます。
考えているから、やってしまうというわけでございます。
逆に言いますれば、考えてもいない事をやる事なんてできない、というわけでございます。
何かを続けようとするならば、「それ」を意識して、頭に「それ」の領域を作っておかないといけません。
これが続ける大前提でございます。
急に始めたスポーツ(ランニングなど)が長続きしないのは、1日のうち殆ど全くそれについて考えていないからでございます。
三日坊主で終った各種トレーニング・ダイエット・習い事などを振り返ってみれば、1日のうち殆ど何も考えていなかった事に気づくのではないかと存じます。
古典的な受験生像ですが、「○○大学合格!」なんて張り紙をするのも、続ける意味では100点満点でございます。
人は容易く、自分のする事を忘れてしまいます。あーいう張り紙を目にするたびに、どうしてもその事を考えてしまいますから、途中で中断することなく続けられるかと存じます。
頭のどこぞに「それ」について考えているからこそ、考えが進展いたします。
あーこの時間は、アレをするのに適しているとか、この仕事をしているときに同時進行できるなど、でございます。
全く考えもせず、意識もせず、24時間のうち殆ど考えない事には、こうした考えの進展は見られません。
小学生のさんすうですが、ゼロには何をかけてもゼロなのでございます。
少しでも考えているなら、今にないやり方や方法、手段、接近の仕方が見えてくるものでございます。
それは「ふと」という感じで湧き上がって参ります。そうなったらこっちのもので、だんだんと深く集中して、またはその反対でワイドに奥行きまで考えられるようになります。
人は考える動物でありますが、どうしたって考えてしまう生き物でもございます。
ほっといたって考えます。つまらぬ事、済んだ事を考えるなと申しますが、それは考えというものが自動的に進展するが故でございます。
続けようと思うなら、取り敢えず「それ」を考えられるようにしてくださればと存じます。
考える事、考えておく事、それが単純ながらももっとも肝要なコツかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月7日 5:06 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
茶飲み話でございます。
家相学というもの占いがございます。
家の作りや構え、間取りや方角にて、その家に住む人たちの吉兆を占うものでございます。
わたくし、詳しい事はわかりませんし、深く追求するほど好きではありません。
しかしながら、家相学の言います、「玄関の様子でその家の運命がわかる」というのは、至極納得するものでございます。
例えば、植木は枯れたまま、何か薄汚れている、日よけのすだれは出しっぱなし、燃えないゴミが玄関に置かれている、乱雑、子供遊器具が散乱している、傘が異常に多い、敷石が埃っぽい、汚い、くすんでいる、古めかしいといいますような、何か負の感じがする玄関といいますのは、近いうちに空き家になる、売り家、不動産の看板が立つ、差し押さえの旨が書かれた証書が張られる、連絡は以下の弁護士事務所までという張り紙が張られるものでございます。
ま、汚かったり雑な玄関を見れば、(この家、うまく行っていないな)という気はするものでございます。
そして、なにやらうわさが流れ、あーあそこの家の人ねと相なる次第でございます。これはよく当ります。
逆に、気持ちのよい家、スッキリしている玄関、さっぱりしていて生気のある門構えの家というのは、そんなに悪いことは起きていないわけでございます。
付き合っても損はない、災いはないと言うわけでございます。
お付き合いの際にでも、ご参考にして下さればと存じます。
ちなみにわたくし目の友人で、玄関先をビールや焼酎、サワーの空き缶・空き瓶の入ったゴミ袋の置き場とし(角部屋であったので廊下の通行障害にはならず)、玄関は雑誌・週刊誌の束、その他のゴミでいっぱいにしていた人は失踪致しました。当ります。
さてさて、お勉強についてでございます。
玄関、玄関先がその家の住人の運命・現状を示すものであるなら、お勉強におきましては、机の上があるものを示してございます。
机の上が示唆するもの、それはわたくしたちの頭の中を示すのでございます。
ごちゃごちゃしているなら、頭の中も混乱していないでしょうか。
古臭いメモ用紙の束が机の端っこに鎮座しているなら、頭の中も古くてカビの生えた考えでいっぱいでありましょう。
雑然としているなら、頭の中も論理の抜けの多いスカスカ思考でいっぱいでしょう。
まとまりがないなら、頭の中もあっち飛びこっち飛びの考えていっぱいでありましょう。
ゴミだらけなら、頭の中もゴミでいっぱいです。文房具など必要なものの不足した机なら、どこかに重大な欠陥のある考えが頭を占めている事でしょう。
机が埃を被っているなら、頭の中も埃だらけで少しも動かしていない事でしょう。
机の上は、わたくしたちの頭を反映してございます。これは、予想以上に的中致します。
考えがうまくまとまらないとき、ひどく混乱しているときなどは、取り敢えず机の上と周辺を掃除して、片付ける事をお勧め致します。
すっきりしたところで、ゆっくり考えをまとめていってくださればと存じます。
気が向けば、机の周りの特には要らない物、捨てるには惜しいからおいてある物も、びしばし捨ててくださればと存じます。それも邪魔をしております。
海を飲み込むような巨大な思考力の持ち主なら周りの事など全く関係ありませんが、そうではないわたくしたちでございます。
掃除や片づけをすれば、必ずいい考えがわくわけではありませんが、よく考えるための環境作りはやっておいて損はありません。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月6日 5:24 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
お勉強とは、行き当たりばったりで進めるのではなく、やはり、ある程度、計画にのっとって進めていくべきでございます。
勿論の事、計画を立てさえすればよい、計画があれば万全とは行きませんが、少なくとも計画の存在を支持する理由のひとつに、疲れない事が挙げられるかと思います。
計画といいますのは、スケジュールや日程以上の積極的な意味がございます。
それは、これからの道筋を決めていく過程に良き効能があるのでございます。
あーしてこーしてと、近い将来をありありとイメージしながら、計画は練られるからこそ、実際の作業がやりやすくなるのでございます。
全く想像もしていない事を突然行うのは、意外に疲れます。それが、たとえ同じ分量の事であっても、でございます。
(今日は○○を何処そこまでやる)と知っているときと、全く知らずに霹靂に(今日は○○をしないといけないの?!)というときでは、疲れ方は大きく異なってくるかと存じます。
だからこそ、計画を契機にして、やる前からある程度のイメージの固まる学習計画がお勉強に資するものとなるわけでございます。
しかしながら、先ほどもいいましたように、計画の全てが達成されるわけではありません。
本日のススメでは、よい進捗と悪い進捗について、一言申し上げたく存じます。
進み具合や達成度を難しくいいますと、進捗(しんちょく)と申します。
学習計画の低い進捗度は、それはそれで構わないのでございます。
例えば、計画全体のうち40%、50%、下手をしたらそれ以下の達成度であっても構わないのでございます。
どうしてかといいますと、それは明白な失敗原因があるからでございます。
計画の作り方がまずい、現状の認識が間違っている、希望的観測が含まれている、時間の捻出ができなかった、遊んでしまった、などなどでございます。
こうした計画達成の大きなお邪魔虫を取り除く事は、比較的容易でございます。
計画の立て方に工夫を持たせる、例えば、時間に余裕をもつ、収容所の囚人のようなきつきつの計画にしないなどでございます。
現状の認識を厳しくします。例えば、自分の進み具合をもっと少なく、どんなに疲れていても確実にできる数量・分量・難易度で計画を組み立てるといった塩梅でございます。
甘い考えを捨てます。例えば、今酒を飲みに行けば、二次会三次会に行くのは目に見えているから辞退するなどなどでございます。
こうした諸々の計画達成の障害物を意識的に除いていけば、自ずから学習計画の進捗度は増して行くものでございます。
ま、お読みの皆様のそれぞれに、個性と生活、リズムがありますから、一概に(こうしたらよい)とはいえませんが、自分なりのコツさえつかめれば、さくっと計画は進んでいくものなのであります。
以上は進捗のよいケースでございます。
次に述べたいのは、悪いケースでございます。
それは、進捗が90%台の場合でございます。
正直言って、90%までいけるのであれば、もうひと頑張り、ひと踏ん張りしたらできるものでございます。
100%まであと少しなのに、何ゆえにそこで諦めるのか、というわけでございます。
振り返ってみれば、あと少し、やれるだけの力なり時間なりがあったはずでございます。
どうしてそれを使わないのか?!といった次第でございます。
確かに独学におきましては、無理は禁物でございます。
しかしだからといって、全力を尽くさなくてもよいというわけではありません。
100%できるのであれば、自分の決めた事でございます。やりぬかねばなりません。
ぎりぎりの所で90%台までこぎつけたのであれば構いませんが、それ以外のケースで90%ならば、少しく反省しなければならないかと存じます。
筋肉トレーニングにおいては、筋肉が引きつり、びりびり痺れガクガク震えているときの数回分の運動が更なるパワーを生むのでございます。
商談・営業においても、恋や愛においても、意外にあとひと押してみれば・頑張ってみれば、良い結果が出る事は多々ございます。
ぶっちゃけいえば、100%できた筈なのに90%台で止めてしまうのは、力の出し惜しみでございます。
この「力の出し惜しみ」ほど、長期的に我が身を損なうものもありません。
いざというとき、本当に必要なときになって必ず、怯む様に、全力を傾ける事ができなくなってしまいます。それは、困ります。
何時の日か痛い目に遭いますので、100%できるときは100%完全に達成してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月5日 7:38 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |