独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

不安は仕方なし

試験勉強といいますのは、不安との戦いでございます。
外から窺えばしゃらっとしている人でも、不安というものはあるものでございます。
本試験が近づいてまいりますと、どんなにしっかりしている人であっても、ちゃんとした勉強をしてきた人であっても、精神的に少し不安定になります。
本当の事をいえば、「少し」ではないように思います。
何しろこれまで、見たいものを見ず、睡眠時間を削り、時間を捻出して勉強してきたのでございます。
しっかりした勉強をしてきた人ほど、諸々の不安を抱えるかと存じます。やって来た事を無駄にしたくない、受からなかったらどうしよう、きちんと解答できるだろうかなど、不安の種は引きこもらないのでございます。
このため、ちょっとしたことで揺れ動いてしまうのでございます。
例えば、インターネットのちょっとした書き込みが気になったり、軽い間違いや物忘れがひどく心の重荷になってウジウジしてしまう、などでございます。
基本的に、試験勉強をする者全てにとって、不安というものをなくす事はできません。
なんてたって、不合格になる可能性の方が断然高いのですから、不安を抱かざるを得ないのです。
不安は不安で仕方がなく、自然現象のようなものですから、不安の影響をもろに受けて、右往左往したり、やけのやんぱりになったり、それか、毎日暗く過ごすのも面白くありません。
まずは、受験生の皆が皆、試験の不安と戦っている事実を意識してくださればと存じます。
しかし中には、(できる人たちはこんな不安など感じていないんだろうなあ)と思われる方も居られるかと存じます。
それは確かにいるでしょう。しかし、それは本当にごく少数で、誤差の範囲くらいの人数でございます。
試験に圧勝できるなんて人はほんとに数えるくらいでありまして、1パーセント強の人数でありましょう。
合格者の殆ど大多数は、不安と戦いながら受験して合格を果たしてきたのでございます。
先ほどもいいましたが、成績や実力の上の人の方が不安は得てして強くなりがちでございます。
受かって当然位の人の方が試験勉強のプレッシャーと不安はきつく、受かるかどうかわからない、でも合格できそうくらいの人の方が軽いくらいでございます。
「自分だけがそうではなくて、皆が皆そうである。また、これまで多くの人がこの不安に打ち勝ってきたのだから自分だけが勝てないわけもない。」
っと、こんな風にお考え下さればと存じます。
不安も不思議なもので、この不安も特別なものではなくごく自然なものと考えられるようになれば、心持ち気も軽くなるものでございます。
不安を抱くのは仕方がありませんが、それ以降のことは工夫が可能でございます。
不安を抱えたままで居ないことでございます。

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教材の買い増し

独学におきましては、基本的に少数の教材を用いて、試験勉強を進めるものでございます。
教材を買い増す際は、これまでの教材を十分に使い込み、従来のものでは物足りなくなった場合に、新規教材の追加を考えるものでございます。
独学とは、少数精鋭の教材を以って本試験に臨むのが基本でございます。
よく見受けられるのは、次から次へと、教材を買い込む御人でございます。
感心するのは、その熱意でございます。
お勉強用の教材は意外に値が張るものでして、やはり、お勉強への情熱が無ければ、到底、買いかねるものでありましょう。
それをぽんぽんと買うわけですから、大したものでございます。
しかし、これまでに買い揃えた教材の使用度はどうなのか、なのでございます。
買いに買う動機がどのようなものか、じっくりと検討する価値はあるように思います。
といいますのも、人は不安に駆られるとあれこれ情報を求めたり、何かと手を付けたがる生き物だからでございます。
しかし、こうしたことは右往左往と申しまして、結局は何も生まず、確固たる試験対策にはなっていないのが実情でございます。
しかも事態は逆になります。
買いに買っても、余計に何をしたらいいのかわからなくなるだけなのでございます。
しかも、更に輪をかけて悪いのは、たくさんあればあるほど、1冊1冊の完成度は落ちる点でございます。
記憶というのは、同じ事を繰り返す事で精度を増して参ります。
教材を限定して可能な限り少ない冊数にする理由は、こっちの方が記憶が安定するからでございます。
行きつけのお店を皆さんお持ちかと思いますが、何処にあって何がどの場所にあるのか、明白であるかと存じます。安心感がある分だけ、落ち着いて記憶に残せられるわけでございます。
一方の見知らぬもの、慣れていないものというのは、記憶に馴染み難いのでございます。
教材を買い込み過ぎれば、個々に慣れ始めた頃にはもう本試験、下手をしたら親しめないままに本試験と相なる次第でございます。
熟練という点で全く覚束かないでしょうし、マスターの度合い、理解の深さ、記憶できた数も控えめな数字となるかと存じます。
基本的に、いくらたくさんの教材があっても、やらなければ、マスターしなければ、憶えるくらいに読まねば、憶えてしまうくらいに繰り返さないと、意味はないのでございます。
たくさんだろうが、少なかろうが、お勉強はやったものが勝つものでございます。
分散せず集中投下、各個撃破、1点集中がお勉強のコツでございます。
新しく教材を買う場合は、何のために買うのか、これまでの教材はやったのかをはっきりさせてから、決断くださるようご助言いたします。

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書いて置く

買い物メモをおやりになっている方は、結構な数、居られるのではないかと存じます。
買い物にメモなんて馬鹿らしい、めんどくさいなあんて思っておられる方は、幸せな方でございます。
なぜなら自分で買い物をしなくてよいから、そんな事が言えるからでございます。
身の回りで、買わずに済んだものはありません。どれもこれも、どこぞで買ってきた物でございます。
買って来たと言う事は、他の誰かが買ってきたからこそ、そこにあるのでございます。
現代生活は買い物と切っても切れません。歯磨き粉ひとつ切らしているだけで、不快な思いをしなければならないのでございます。
ところで買い物メモなのでありますが、このメモの利点は、買い忘れのないようにするためでございます。
トイレ用品やだいどこ用品などは、必要であるために買い忘れるとひどい手間がかかります。
塩とか砂糖、醤油が切れたままだと本当に味気なく過ごさねばなりません。
コーヒーやお茶の切れもこれまた、イライラッとするものでございます。
ですから、切らさぬように買い物メモに記入するわけでございます。
さてここで、面白い現象が起きるのでございます。
人間、メモに書くのは忘れないようにするためなのに、いったん書いてしまうときれいさっぱり忘れてしまうのでございます。
メモに書いたから一安心というわけで、ごっそりその書いたものを忘れるわけでございます。
ですから、買い物メモを忘れると酷い事になります。いったい何をメモしたのかさっぱり覚えていないためでございます。
人は書くと忘れるのでございます。
この現象を逆手に用いたのが、不安な事は書いておく、でございます。
基本的に、不安というものほど当たらないものはありません。
幼少や小さい頃に感じていた不安というのは、今から思い返してみれば、何でまああんな事におびえていたのだろうかと思う事しきりでございます。
このことを現状に当てはめてみてください。つまり、2〜3年先から見返して見れば、今思っている不安なども同じように(何でまたそんな事を?!)と相なるわけでございます。
不安の大半は取り越し苦労なのでございます。しかし、現状のわたくしたちにとって、不安はやはり現実感を持って現われてございます。
このときに、先ほど言いました「書いておく」手法をとるわけでございます。
起きたら困るような事、不安に思っている事は、とりあえず日記かメモに書いておきます。
できれば、最悪の結果、支払うべき代償、かかるコストなどを書いておくわけでございます。
例えば、パソコンが壊れるかどうか不安であれば、修理代はいくら位か、買い換えるとしたら、壊れたらまず何ができなくなるかなどを書き記すわけでございます。
気になる不安、いつも心に巣くっている不安は、とりあえず書き出してみることでございます。
書いてみれば、どうでもいいもの、どっちでもいいものは途端に忘れてしまいます。そして、本当に解決しなければならない「不安」のみが残るかと存じます。
あとは、それに全力を挙げてかいけるするよう努力と工夫をするのみでございます。
不安というのは、鋭い牙や爪を持たない哺乳類たるヒトの一種の防衛機制でございます。
ですから、不安を抱かざるを得ませんが、上手に対処する事で、必要な不安のみに立ち向かえるかと存じます。
くだらない不安で気もそぞろになる事ほど、人生をつまらなくするものはありません。
とりあえず書いてみて忘れなさそうであれば真剣に相対し、忘れたらそのままうっちゃてくださればと存じます。

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