先だってのススメでは、人は考えざるを得ない生き物である事を言及いたしました。
本日のススメは、それにちょっと違う解釈を加えたく存じます。お目汚しの程、お願い致します。
基本的に、済んでしまった事や終ってしまった事を、アレコレ考えても仕方がありません。
覆水盆に返らずでございます。何十時間、寝食を忘れて考えてみても、その事実に変わりはありません。
先ほどいいましたように、人はどうしても考えてしまう生き物でございます。考えるのを止める方が難しいくらいでございます。
ですから、どうして考えるのかについて、よくよく注意を払っておかねばならないのでございます。
よくある間違いは、単なる愚痴と反省との混同でございます。
両者のプロセスはよく似ております。
起きた原因を深く掘り下げてみる。失敗する背景を探ってみる。心象風景を再現してみる。などでございます。
しかし単なる愚痴は、これらの思考が堂々巡りをするというか、循環しているというか、同じような事を同じように、ぐずぐずグダグダと考えているのでございます。
まさに老人の繰言でございます。
基本的に、結論を引き出さない事で、頭や心を悩ませてはいけません。カビが生えます。
時間の無駄ですし、気持ちが損なわれます。そんなことに時間と頭を用いるくらいなら、散歩にでも行って雲の観察か星の観測でもしている方が、よっぽどすがすがしい事でしょう。
反省と単なる愚痴は、明確に区別していただきたく存じます。
反省というのは、明白な結論を引き出す思考でございます。
そう、失敗や過ち、間違いを「一言で述べる」ために行うのが、反省なのでございます。
「つまり何なんだ!何が原因なんだ!」と、失敗の本質を絞りに絞る過程が反省なのでございます。
言おうとすれば・考えようとすれば、それこそ、原稿用紙10枚分くらいの分量になりましょう。
しかし、そのままではなりません。
一言でまとめきらねばならないのでございます。
遅刻をしたのなら、アレコレ考えられますが、一言で言えば「夜更かししない」コレのみに尽きます。
絞りに絞ってポイントを一言でまとめるからこそ、その一言に肉付けされるように、善処策や対処法が生まれてくるのでございます。
先ほどの例でいえば、「夜更かしをしない」ために何をして、そして何をしなくてよいか、が生まれてくるのでございます。
一言で述べる事が反省でございます。ぎりぎりの一言まで絞るから、はっきり事態が見えそれに適う方策が生まれ出るのでございます。
反省の過程が、愚痴の過程となりませんよう、しっかりお考え下さればと存じます。原因を絞りに絞っててから対処法を考える方が時間が早いです。
馬鹿とはさみは使いようと申します。頭も本当に使い方ひとつでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月8日 6:59 PM |
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続けるコツというのは、たくさんあると思います。
いくらでもありますから、好きになったものや合いそうなものを試してみる事をお勧めいたします。
ほいでしっくり来るものがあれば、それを続けていくのが宜しいかと存じます。
しかし、続けるためには、大前提というものがございます。
それは、「それ」について、常日頃から考えておくと言う事でございます。
当たり前の事なのですが、やはり、これを抜きにしては続ける事など出来ないのでございます。
わたしたちは、考えている事はだいたい実行できたり、実行したり致します。
カレーの事を考えていれば、だいたい、3日のうちにカレーを食べる事になります。
カレーの事を考えていて、外食の機会に玉子どんぶりを注文する人は、そう居ない事かと存じます。
食べたくなくてもつい、カレーを注文してしまうものでございます。
考えているから、やってしまうというわけでございます。
逆に言いますれば、考えてもいない事をやる事なんてできない、というわけでございます。
何かを続けようとするならば、「それ」を意識して、頭に「それ」の領域を作っておかないといけません。
これが続ける大前提でございます。
急に始めたスポーツ(ランニングなど)が長続きしないのは、1日のうち殆ど全くそれについて考えていないからでございます。
三日坊主で終った各種トレーニング・ダイエット・習い事などを振り返ってみれば、1日のうち殆ど何も考えていなかった事に気づくのではないかと存じます。
古典的な受験生像ですが、「○○大学合格!」なんて張り紙をするのも、続ける意味では100点満点でございます。
人は容易く、自分のする事を忘れてしまいます。あーいう張り紙を目にするたびに、どうしてもその事を考えてしまいますから、途中で中断することなく続けられるかと存じます。
頭のどこぞに「それ」について考えているからこそ、考えが進展いたします。
あーこの時間は、アレをするのに適しているとか、この仕事をしているときに同時進行できるなど、でございます。
全く考えもせず、意識もせず、24時間のうち殆ど考えない事には、こうした考えの進展は見られません。
小学生のさんすうですが、ゼロには何をかけてもゼロなのでございます。
少しでも考えているなら、今にないやり方や方法、手段、接近の仕方が見えてくるものでございます。
それは「ふと」という感じで湧き上がって参ります。そうなったらこっちのもので、だんだんと深く集中して、またはその反対でワイドに奥行きまで考えられるようになります。
人は考える動物でありますが、どうしたって考えてしまう生き物でもございます。
ほっといたって考えます。つまらぬ事、済んだ事を考えるなと申しますが、それは考えというものが自動的に進展するが故でございます。
続けようと思うなら、取り敢えず「それ」を考えられるようにしてくださればと存じます。
考える事、考えておく事、それが単純ながらももっとも肝要なコツかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月7日 5:06 PM |
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茶飲み話でございます。
家相学というもの占いがございます。
家の作りや構え、間取りや方角にて、その家に住む人たちの吉兆を占うものでございます。
わたくし、詳しい事はわかりませんし、深く追求するほど好きではありません。
しかしながら、家相学の言います、「玄関の様子でその家の運命がわかる」というのは、至極納得するものでございます。
例えば、植木は枯れたまま、何か薄汚れている、日よけのすだれは出しっぱなし、燃えないゴミが玄関に置かれている、乱雑、子供遊器具が散乱している、傘が異常に多い、敷石が埃っぽい、汚い、くすんでいる、古めかしいといいますような、何か負の感じがする玄関といいますのは、近いうちに空き家になる、売り家、不動産の看板が立つ、差し押さえの旨が書かれた証書が張られる、連絡は以下の弁護士事務所までという張り紙が張られるものでございます。
ま、汚かったり雑な玄関を見れば、(この家、うまく行っていないな)という気はするものでございます。
そして、なにやらうわさが流れ、あーあそこの家の人ねと相なる次第でございます。これはよく当ります。
逆に、気持ちのよい家、スッキリしている玄関、さっぱりしていて生気のある門構えの家というのは、そんなに悪いことは起きていないわけでございます。
付き合っても損はない、災いはないと言うわけでございます。
お付き合いの際にでも、ご参考にして下さればと存じます。
ちなみにわたくし目の友人で、玄関先をビールや焼酎、サワーの空き缶・空き瓶の入ったゴミ袋の置き場とし(角部屋であったので廊下の通行障害にはならず)、玄関は雑誌・週刊誌の束、その他のゴミでいっぱいにしていた人は失踪致しました。当ります。
さてさて、お勉強についてでございます。
玄関、玄関先がその家の住人の運命・現状を示すものであるなら、お勉強におきましては、机の上があるものを示してございます。
机の上が示唆するもの、それはわたくしたちの頭の中を示すのでございます。
ごちゃごちゃしているなら、頭の中も混乱していないでしょうか。
古臭いメモ用紙の束が机の端っこに鎮座しているなら、頭の中も古くてカビの生えた考えでいっぱいでありましょう。
雑然としているなら、頭の中も論理の抜けの多いスカスカ思考でいっぱいでしょう。
まとまりがないなら、頭の中もあっち飛びこっち飛びの考えていっぱいでありましょう。
ゴミだらけなら、頭の中もゴミでいっぱいです。文房具など必要なものの不足した机なら、どこかに重大な欠陥のある考えが頭を占めている事でしょう。
机が埃を被っているなら、頭の中も埃だらけで少しも動かしていない事でしょう。
机の上は、わたくしたちの頭を反映してございます。これは、予想以上に的中致します。
考えがうまくまとまらないとき、ひどく混乱しているときなどは、取り敢えず机の上と周辺を掃除して、片付ける事をお勧め致します。
すっきりしたところで、ゆっくり考えをまとめていってくださればと存じます。
気が向けば、机の周りの特には要らない物、捨てるには惜しいからおいてある物も、びしばし捨ててくださればと存じます。それも邪魔をしております。
海を飲み込むような巨大な思考力の持ち主なら周りの事など全く関係ありませんが、そうではないわたくしたちでございます。
掃除や片づけをすれば、必ずいい考えがわくわけではありませんが、よく考えるための環境作りはやっておいて損はありません。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月6日 5:24 PM |
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