お勉強の対象とは、基本的に難しい事や知らない事でございます。
よく知っている事を、敢えてわざわざお勉強する人はそう居ないかと存じます。
よく知らないものには近づくのだって抵抗を覚えるものでございます。
しかし、それを勉強していくのでございます。なかなかにうまく行くものではありません。
よくは知らないものを勉強しようとする時は、4の5を言わず、とりあえずやってみる事が肝要かと存じます。
右も左もわからないのでございます。ならば、試しにやってみるしかないのでございます。
基礎も応用も、簡単も難しいもごっちゃにして、やってみるしかないのでございます。
見知らぬものの中から基礎的なこと・基本事項を探し出して、それのみを勉強するなんて、そんな高度な事がどうしてできましょうか。
もっと言うなら、選別の作業自体が難しいものでございます。これは基礎レベル、これは応用レベル、この章は初学者には難しいかな、なあんて言えるのは相応の実力を身に付けた人以外に居りません。
ですから独学では、お試しにざっとテキストを読んで問題集を解いてみて、試験勉強の感触を掴む事から着手していくわけでございます。
勿論、泥縄でありますし、効率的とも言えません。基礎も付いていないのに難しいところや応用的な事も見ていかざるを得ないからでございます。
しかし、とりあえず泥縄式でもやってしまって、ある程度の見当が付いてから、これは基礎だからしっかりやろう、これは応用というか難しいから後にまわそうと判断して行ってもよいと思います。
とりあえずやってみる事でございます。
できることなら、1回はテキストや問題集を読んだり解いたりした後から、試験のこれからを真剣に検討考えてみて欲しく思います。
逆に言うなら、1回転目が済むまではあれやこれや深く悩んだり考えないわけでございます。
わたくしの実感からすると、とりあえず1回はやってしまってある程度の見当が付いてからアレコレと考えた方が実効性が高くて割によい考えになるかと思います。
よくはわからないものを目の前にして、あーだこーだ考えても、それほど正しい判断が出そうには思いません。
とりあえずやってみて、見当が付く、そこまで自分を持っていってくださればと存じます。
ぐだぐだ言わずに、取り敢えず「1回」という数を達成してみます。1回を終えたころにはきっと、今の10倍は視界が利くようになっているでしょう。そこからしっかり考えても全く遅くはないように思います。
考えの形式というのは色々ございます。
走りながら考える。走る前に考える。走ってから考える。などなどでございます。
お勉強におきましては、複合型でございます。少し走ってみてから考える、というような感じでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月28日 12:31 PM |
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何をしたらいいかわからないと、話は進みません。
何をしたらいいかをよくわかっていないと、やっぱり話はうまく進んでいきません。
以上は当たり前の事ですが、意外にお忘れになっている方が居られるかと存じます。
それはやはり、お勉強そのものの性質にあるかと存じます。
お勉強ではどうしても、未知の事を勉強する事となりますので、やっぱり、やる事の把握がぼんやりとしてくるわけでございます。
しかし、ぼんやりと曖昧なままにしておくのは危険でございます。
わたくしたちは、曖昧なものに対してはやる気が向かわないからでございます。
ぬえのように意見はコロコロ変わりどっちつかずで定見が無く、結論は言わず、言えばすぐに撤回するような人とは、まともに接しないかと思います。
これは、大人の世界に限った話ではなく、小学校1年生であってもこんな子は仲間はずれにはされる事でしょう。こんなクソガキとは、付き合う気が起きないからでございます。
具体性がなく曖昧な人や物、事柄については、「気」が起きないのがわたくしたちの性質なのでございます。
お勉強も同様の事情でございます。
具体的にやるべき内容を把握しているからこそ、日々、お勉強に対してのやる気が生まれてくるわけでございます。
こつこつやっていけば試験には穏当に合格する事はできますが、こつこつするには、何をこつこつするのか具体的に把握しておかねばならないのでございます。
何をするかを把握するのが、こつこつの最低限の準備なのでございます。
基本的に、独学で合格するというのは、魔法や特殊なテクニックの結果ではなく、どれだけ自分のやるべき事を具体的に把握して行ったかにほかなりません。
気合や精神力が優れているからお勉強ができるわけではなく、本当のところ、自分のすべき事をしっかり把握しているからこそ、お勉強しているのでございます。
あのあたりはまだやばいとか、過去問はまだやり足りていないとか、こういった自分の課題とその課題の重要性を明白に知っているからこそ、お勉強ができるわけでございます。
何にもない曖昧でのっぺらぼうの状態では、やはりお勉強の気は湧かないのでございます。
試験勉強は、ひいては合格するかしないかは、頭の良し悪しというより、お勉強の取り組み方や方法の違いに強く関係しているかと思います。
独学では学習計画を推奨しますが、それは、自分がこれから何をするかを具体的に把握するためなのでございます。
お勉強が進まないなあと思っておられる方が居られましたら、まずは、学習の計画作りから入ってくださればと存じます。
何を何時までにどのくらいの深度でやるか、こうしたことを考えるうちに、明日やる事、来週やる事が明白に頭に浮かんでくるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月27日 6:42 PM |
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本試験におきましては、それほど忘れ物を恐れなくても構いません。
絶対的に受験に必要なのは受験票のみでありまして、そのほかのものは何とかなってしまうからでございます。
大概、試験会場の近くにはコンビニがあるでしょうから、文房具や定規、消しゴム、ハンカチ・ちり紙といった小道具を忘れても、そこで買い揃えばしまいでございます。
そんなに数は居ないと思いますが、計算機や時計といった小機械類も今やコンビニで売られておりますので、ぶっちゃけ忘れても大丈夫でございます。
計算問題がある試験なのに、計算機を忘れコンビニで購う人を見かけて驚いた事がございます。ああ、便利な世の中になったなあと慨嘆した記憶がございます。
簿記といった計算機が必須の試験であってすら、計算機を忘れてもまあ何とかなってしまうのでございます。
もしコンビニが無くても、文房具類は隣の席の人から借りたり、試験官に言えば貸してもらえる可能性も大です。
時計は大概、試験会場のどこぞに備え付けられていますし、試験官がある程度の時間を言ってくれますので、時間配分の効かないきつい試験にはなりますが、何とかなるものなのでございます。
まあ、ぶっちゃけていうと、絶対的に必要な受験票すら、もしかしたら忘れても大丈夫かもしれません。
それほどに管理の厳しくない試験やこれまでに受験票関連の不正行為が無かった試験では、穏当に受験票の再発行などの処置が取られるかと思います。
受験票を忘れても一律に受験禁止となる試験は、余程の事情でもない限り、そこまで最悪のケースには陥らないかと存じます。
しかし、でございます。
忘れ物をしても大丈夫だからといって、忘れ物をしてもよいというわけではありません。忘れ物をしないに越した事はないのでございます。
忘れ物は心に影響を及ぼすからでございます。試験験のときは試験以外のことで煩いたくありません。
忘れ物をするとどっと汗をかきますし、心臓もバクバクいうものでございます。
忘れた!!!と気が急きながら、コンビニを探し回ったりするのは、愚かでございます。
忘れ物がらみの雑用にかかる手間と時間は無駄そのものでございます。
要らぬ緊張と動揺を強いるような真似は控えるべきかと存じます。
忘れ物なんてのは、本試験前日にでも願書を見ながら指差し確認をしながら用意すれば防ぐことができます。
前日にバタバタしたくない人は、持って行くものなんて決まっているのですから、1週間前から鞄に放り込んでおけばよいだけでございます。
忘れ物なんかで試験に影響が出ることを恐れてくださればと存じます。
万全の状態で試験に臨めるよう心がけてくださればと思います。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年1月26日 1:32 PM |
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