独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

実戦的

試験勉強をしていますと、よく「実戦的」と耳にするものでございます。
さて、では、いったい実戦的とはどういう意味なのか、というわけでございます。
実戦的と聞いてしっくり来ない方は、まず、「点」というものを意識してくださればと存じます。
ぶっちゃけいいますと、「実戦的」というのは、少しでも、わずかでも、部分点でも、1点でも、引いては0.1点でも求める姿勢を指すのでございます。
実戦的というのは、「点」であると考えれば、すんなりその言わんとするところがわかってくるかと存じます。
わたくしたちは合格を求めて試験勉強をしております。
試験勉強は、ある意味で知識や教養を得るためでもありますが、内心からすれば5位か6位くらいの優先順位でありまして、第1位はやはり合格と相なってございます。
最優先事項の合格のためには、ある程度の点数を取らなければならないわけでございます。
しかし、点というのは、普通にしていれば自然に取れるものでもありません。
やはりある程度執着して、意識して点が取れるように努力する必要がございます。
しかしなかには、「点」のみにまい進するお勉強にしっくり来ない人も居られるかと存じます。
点を取る事はなにか意地の汚いもの、スマートじゃないこと、土臭く泥臭い行為だと考えておられる人がおられます。
確かに、1面では汚いといいますか馬鹿らしいことではあります。
1点のために、恐らく試験後には一度も思い出すことのない表やリストを憶えなければなりません。
本当にただの試験上の、ペーパーだけの知識もございます。そのようなものを追い求めるのは賢明ではない、というのは実によくわかるものであります。
しかし、今は試験の勉強をしているのでありまして、点数を求める勉強が1分1秒でも耐えられないというのなら、試験勉強は断念せねばならないかと存じます。
試験である以上は点を取らねばならないのでございます。
現実的に言えば、点に執着する勉強なんてものは、逆にいっそう点に執着してごく短い期間で済ませてしまう方が効率的であるともいえましょう。
試験は試験でございます。点を求める勉強は一面、少ない犠牲で成果を得る方法といえなくもないのでございます。
この「点」についての点、しっかり意識して乗り越えてくださればと存じます。
実はわたくしも引っ掛かっていたのでありますが、やはりお勉強といいますのは、点を取らねば面白くもなくやった気にもならず、その上何をしたらいいかもわからず、結果も付いてこずとあまりよろしくない羽目に陥るものでございます。
試験といいますのは、本当に1点で泣く代物でございますから、試験を受けるのであれば、点という現実から離れず、1点に執着してくださればと存じます。

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過去問の第一印象

基本的に独学では、ごく早いのうちから過去問を解き出します。
テキストをざっと読んで、問題集もざらっと解いて、素人に毛が生えたくらいでも果敢に、過去問に挑戦する次第でございます。
経験からいって、過去問は早く解けば解くほどよいと断言いたします。皆様方におきましては、過去問に余計な壁を設けず、早いうちに着手するようご助言させていただきたく存じます。
多くの人が過去問を難しく感じてございます。
確かに難しゅうございますが、いうほどのものではありません。
ではどうして、過去問を難しく感じているかと申しますと、その最悪の第一印象の悪さかと存じます。
大半の人の過去問との初顔合わせは、教材を選ぶ際の立ち読み時ではないかと存じます。
過去問はテキストや問題集と同じコーナーで売られておりますから、(どんな問題が出るんだろう)と、つい過去問を手にして中身を見てしまったというわけでございます。
しかし、軽く思ったのが運の尽きでございます。
中を見た瞬間に(ナニコレ?!)と凍りつくのが、受験生の偽らざる気持ちかと思います。
皆さんも、実際の試験問題を過去問で目にしたときは、衝撃が走ったのではないかと存じます。
かくいうこのわたしも、最初に過去問を見たときは、冷静ではいらないものでございます。愕然とするだけでございます。
過去問のページくってみても、何が書かれているのか皆目わかりませんし、知っている用語や語句はチラホラとしか見えません。
肝心の問題は1つとして解けません。それどころか、問題文が何をいっているのかさえ、よくはわからなかったりするのでございます。
あまりに何がなんやらかわからないため、気分が悪くなって見るのを止めてしまうくらいに衝撃を受けたことを今でもよく憶えている次第でございます。
皆様方におきましても、過去問の第一印象はひどいものであるかと存じます。
ホント、「こんな問題を解かんといかんのか」と、暗澹たる気分に陥ったことでしょう。
このときの第一印象の悪さが、過去問から距離を取らせる原因と考える次第でございます。
胸の内を辿ってみて、そのような印象の悪さがないかどうか、お調べくださればと存じます。そして、もしその第一印象で過去問から距離を取っているのなら、即断にお正しください。
過去問は解いてみればなんだこんなものかと思うくらいのものでありますし、試験の視野も視点も充実していっそう、試験がよく見えてくるものでございます。解いて全く損はありません。逆に、解くのが遅ければ遅いほど、損をする代物でございます。
印象といいますのは、本当に中身のないものでありまして、そんなものに振り回されるのは賢明ではないかと存じます。
隣で寝ている、印象だけで選んだ人が今ではどうか、考えてみれば印象で物事を判別するのはあまりよろしくはないかと存じます。
過去問もまたかくのごとし。いやだなと思う気持ちをねじ伏せて、今日から明日からでも、過去問に是非チャレンジくださればと存じます。
ブルーチーズやふなずし、くさや、おたぐり、ざざむしなど、クセのあるものほど食べてみると病みつきになると申します。過去問もまたかくのごとし。
試験の滋養を過去問から入手してくださいませ。

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だらだらっと

わたくし、最近になってお笑い芸人の「さまぁ〜ず」の魅力に気付き出した次第でございます。
彼らほど「なんとも言えず面白い」を体現した芸人はないかと思われます。
面白くと何ともない芸人が多いなかで、さまぁ〜ずは一線を隔した存在であるかと存じます。
企画が優れているわけでもなく、トークが秀逸というわけでもなく、本当になんとも面白いのでございます。
あの面白さが計算でできるのなら、もの凄いレベルの芸人かと存じます。恐らくは天然のちからでしょう。
落語の世界では、なんとも可笑しい雰囲気のある事を「ふら」と申しておりますが、さまぁ〜ずのふたりには、その「ふら」があると申してもよいのではないかと存じます。
例えば、単にぶらぶらと街を歩いて話をするだけなのですが、また、それがおもしろいのでございます。
動画のサイトには彼らのトークなりコント、漫才がアップされているかと存じます。まったりしたいとき、張り詰めた緊張を解きたいときにでも、ご覧下さればと存じます。
なんとも、気の抜けた面白い時間が過ごせるかと存じます。
さて、なんでまた、さまぁ〜ずを引き合いに出したかと申しますと、意外に彼らの脱力した姿勢といいますのは、わたくし達にも参考になるからでございます。
お勉強中やお勉強に取り掛かるときなどは、早く終らせたい、済ませたいなどと皆様よく思っているかと存じます。
というのも、そう思う分だけ勢いが付くからでございます。
しかし、その気負う分、余計なものを出しているともいえるわけでございます。
がんばろうと思うのは結構なのでございます。
しかし、がんばろうと思わないと何もできないというのは、問題であるかと存じます。
また、逆に考えますと、がんばろうと思えばそのがんばることの質は上がるのかどうか、でございます。
お勉強といいますのは、実にランダムなものでありまして、一生懸命やれば理解し憶えられるというものではありません。
継続は力なり、などと申しますが、まさにお勉強の真理を照らしているかと存じます。
つまり、何時成長するのかわからない厄介なところがお勉強にはあるのでございます。
毎回毎回、がんばる!がんばる!などと思えるわけでもありませんから、わたくしたちは気負わなくても、気合を入れなくてもお勉強ができるようにならないといけないわけでございます。
そこで、さまぁ〜ずのあの脱力ぶりが参考になるというわけでございます。
一度お試しで、彼らのように、だらだらっとお勉強をするのもなかなかに雰囲気が変わってよいことに気付くかと存じます。
気負わないお勉強も時と場合によってはよいものでございます。
特に難しいところや複雑なところ、べらぼうに覚えないといけないところなどは、気負っていればそれだけ嫌になる可能性も高くなってしまいます。
三村風に「むずかしいよ!」「多いよっ!」「できねえよ!」などと突っ込みつつ、だらだらっとしたお勉強でお過ごしくださればと存じます。

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