独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

まあだいたい3回くらい

独学では、繰り返しをお勉強の中心に据えるものでございます。
1回やそこらやったところで何ができるか、という立場でございます。
わからないとか理解できないとか、憶えられないという問題の大半は、数の不足が原因でございます。
解決方法は単純でございます。読む数を解く数を増やすのみでございます。
世の中のことの大体は、数で解決いたします。
好きだよ、愛しているよと数限りなく言葉に出したり態度に示せば、文鳥でさえなつくもの。況や人をやでございます。
どんなに嫌いでめんどうな仕事や雑用でも、数をこなしていくうちに肩の力も取れ、無駄なところもなくなり、感情も起伏することもなく、自然とできるようになるものでございます。
もちろんのこと、性格的なことや生来的なものがありますから、一概に数さえこなせばうまく行くなんてことは言えませんが、大体のケースはまあ、見られるようになるものでございます。
数の威力といえば当ススメで、えんえんと綴っております雑文でございます。
ネタの被りや使い回しは多々ございますが、やり始めた頃は毎日書けるのかしらと不安でしたが、意外に書けてしまうようになりました。これも、数のこなした成果かと思う次第でございます。
さて、回数の件でございます。回数をこなすのはいいが何回やるのかという問題がございます。
答えから申しますと、お勉強では3回をめやすに読むなり解くなりしてくださればと存じます。
そのくらい回数を重ねれば、試験というものの全体から部分まで、よく見えてくるようになるものでございます。
多くが見えるようになってから、本格的に腰を落ち着けてしっかり考えるようにしても、損はございません。
3回という目標を取り敢えずでもあげておきますと、進捗の管理もラクでございます。
学習計画で使います言葉は「あと3回」「残2回」「ラストワン」くらいですから、いたってシンプルに管理ができるかと存じます。
目標といいますのは単純なほどやる気が向かいますので、この点でも有用であるかと存じます。
お勉強をしておりますと途中、不安になったり不合格の影に怯えたり、めんどくさくなってくるかと存じます。
そうした負のもやもや感は気が滅入るばかりでありますから、是非とも、心中から一掃なさってくださればと存じます。
一掃するには単純に、「3回やって考えるかな」と構えるのも結構ですし、「まだ2回目だし」などと考えるのもよいかと思います。
ちからがないの悩むこと、力不相応に考えることを、ごまめの歯軋りと申します。
ごまめとはいわしのことでありまして、オイルサーディンとなる小魚でございます。
オイルサーディンは結構値が張りますが、めちゃくちゃに身体によく、毎日少しでも食べ続けると腸の中の善玉菌が赤ちゃん並に増えるとのことでございます。(腸の中の善玉菌は加齢とともに減ります。お父さんやお母さん方のおならが激臭なのは善玉菌が減って悪玉菌の跋扈によるものでございます。)
話が脱線いたしました。
実力がないのに試験の行く末を考えてもまったく何にも解決にはつながりません。解決は実力を付けるのみでございます。
付けるには単純に目の前のテキストと問題集、過去問を繰り返すのが最も手っ取り早く、かつ、確実に付くものでございます。
実力がごまめ状態でギリギリするよりも、せめてシシャモ程度になってから、アレコレお考え下さればと存じます。

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実戦的

試験勉強をしていますと、よく「実戦的」と耳にするものでございます。
さて、では、いったい実戦的とはどういう意味なのか、というわけでございます。
実戦的と聞いてしっくり来ない方は、まず、「点」というものを意識してくださればと存じます。
ぶっちゃけいいますと、「実戦的」というのは、少しでも、わずかでも、部分点でも、1点でも、引いては0.1点でも求める姿勢を指すのでございます。
実戦的というのは、「点」であると考えれば、すんなりその言わんとするところがわかってくるかと存じます。
わたくしたちは合格を求めて試験勉強をしております。
試験勉強は、ある意味で知識や教養を得るためでもありますが、内心からすれば5位か6位くらいの優先順位でありまして、第1位はやはり合格と相なってございます。
最優先事項の合格のためには、ある程度の点数を取らなければならないわけでございます。
しかし、点というのは、普通にしていれば自然に取れるものでもありません。
やはりある程度執着して、意識して点が取れるように努力する必要がございます。
しかしなかには、「点」のみにまい進するお勉強にしっくり来ない人も居られるかと存じます。
点を取る事はなにか意地の汚いもの、スマートじゃないこと、土臭く泥臭い行為だと考えておられる人がおられます。
確かに、1面では汚いといいますか馬鹿らしいことではあります。
1点のために、恐らく試験後には一度も思い出すことのない表やリストを憶えなければなりません。
本当にただの試験上の、ペーパーだけの知識もございます。そのようなものを追い求めるのは賢明ではない、というのは実によくわかるものであります。
しかし、今は試験の勉強をしているのでありまして、点数を求める勉強が1分1秒でも耐えられないというのなら、試験勉強は断念せねばならないかと存じます。
試験である以上は点を取らねばならないのでございます。
現実的に言えば、点に執着する勉強なんてものは、逆にいっそう点に執着してごく短い期間で済ませてしまう方が効率的であるともいえましょう。
試験は試験でございます。点を求める勉強は一面、少ない犠牲で成果を得る方法といえなくもないのでございます。
この「点」についての点、しっかり意識して乗り越えてくださればと存じます。
実はわたくしも引っ掛かっていたのでありますが、やはりお勉強といいますのは、点を取らねば面白くもなくやった気にもならず、その上何をしたらいいかもわからず、結果も付いてこずとあまりよろしくない羽目に陥るものでございます。
試験といいますのは、本当に1点で泣く代物でございますから、試験を受けるのであれば、点という現実から離れず、1点に執着してくださればと存じます。

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過去問の第一印象

基本的に独学では、ごく早いのうちから過去問を解き出します。
テキストをざっと読んで、問題集もざらっと解いて、素人に毛が生えたくらいでも果敢に、過去問に挑戦する次第でございます。
経験からいって、過去問は早く解けば解くほどよいと断言いたします。皆様方におきましては、過去問に余計な壁を設けず、早いうちに着手するようご助言させていただきたく存じます。
多くの人が過去問を難しく感じてございます。
確かに難しゅうございますが、いうほどのものではありません。
ではどうして、過去問を難しく感じているかと申しますと、その最悪の第一印象の悪さかと存じます。
大半の人の過去問との初顔合わせは、教材を選ぶ際の立ち読み時ではないかと存じます。
過去問はテキストや問題集と同じコーナーで売られておりますから、(どんな問題が出るんだろう)と、つい過去問を手にして中身を見てしまったというわけでございます。
しかし、軽く思ったのが運の尽きでございます。
中を見た瞬間に(ナニコレ?!)と凍りつくのが、受験生の偽らざる気持ちかと思います。
皆さんも、実際の試験問題を過去問で目にしたときは、衝撃が走ったのではないかと存じます。
かくいうこのわたしも、最初に過去問を見たときは、冷静ではいらないものでございます。愕然とするだけでございます。
過去問のページくってみても、何が書かれているのか皆目わかりませんし、知っている用語や語句はチラホラとしか見えません。
肝心の問題は1つとして解けません。それどころか、問題文が何をいっているのかさえ、よくはわからなかったりするのでございます。
あまりに何がなんやらかわからないため、気分が悪くなって見るのを止めてしまうくらいに衝撃を受けたことを今でもよく憶えている次第でございます。
皆様方におきましても、過去問の第一印象はひどいものであるかと存じます。
ホント、「こんな問題を解かんといかんのか」と、暗澹たる気分に陥ったことでしょう。
このときの第一印象の悪さが、過去問から距離を取らせる原因と考える次第でございます。
胸の内を辿ってみて、そのような印象の悪さがないかどうか、お調べくださればと存じます。そして、もしその第一印象で過去問から距離を取っているのなら、即断にお正しください。
過去問は解いてみればなんだこんなものかと思うくらいのものでありますし、試験の視野も視点も充実していっそう、試験がよく見えてくるものでございます。解いて全く損はありません。逆に、解くのが遅ければ遅いほど、損をする代物でございます。
印象といいますのは、本当に中身のないものでありまして、そんなものに振り回されるのは賢明ではないかと存じます。
隣で寝ている、印象だけで選んだ人が今ではどうか、考えてみれば印象で物事を判別するのはあまりよろしくはないかと存じます。
過去問もまたかくのごとし。いやだなと思う気持ちをねじ伏せて、今日から明日からでも、過去問に是非チャレンジくださればと存じます。
ブルーチーズやふなずし、くさや、おたぐり、ざざむしなど、クセのあるものほど食べてみると病みつきになると申します。過去問もまたかくのごとし。
試験の滋養を過去問から入手してくださいませ。

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