独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

テキストはずうっと

独学では、主に問題演習を中心に試験勉強を行なって参ります。
ここでいう問題集とは広い意味での問題集でありまして、基本的な問題集や初歩的な問題集、過去問から予想問題集、模試問題集、横断問題集などなど、すべての問題集を含んでございます。
独学では、問題演習を通して試験勉強を進めていく、といった次第でございます。
お勉強の舞台は、主として問題集が担うのでございます。
では、でございます。
テキストはどうなるのか、どのように扱えばいいのか、どういう立ち居地なのかという疑問が生じるかと存じます。
もちろんのこと、テキストも使います。大いに使います。
しかし、最も使うようになるのは、試験勉強の中盤以降になってからでございます。
試験勉強の序盤では、テキストは初歩的な問題集で問われたところをじっくり読んで、その他のページは適当に読み流す程度でございます。
過去問を解くときでも同様に、出題されたところは熟読するが、その他のページはざっと読む程度でございます。
基本的に、試験勉強の前半では、テキストはサポート役なのでございます。
テキストがメインの勉強対象となるのは、過去問演習を終らせた後からでございます。
幾数冊の問題集と過去問を終えると、ようやくといいますか、テキストと正面から向かい合える力が身に付くからでございます。
それまでは、あまりテキストを丁寧に読まないといいますか、それほどに重視しないのでございます。
といいますのも、テキストという教材は、試験勉強のすべての期間で勉強するからでございます。
テキストは、最初の問題集のときも読みます。
その復習のときも、確認のために読みます。
過去問演習でも大いに読まねばなりませんし、過去問の復習においても同様に、否、これまで以上にテキストを読み込むことになります。
予想問題集や模試問題集を解くときにも、模試を受けたあとにも目を通すことに相なるかと存じます。
テキストを読む機会は、無数にあるわけです。
逆に言えば、各問題集をマスターするのは、そのときどきしかないというわけでございます。
もっと逆に言えば、テキストというのは、試験勉強の全ての期間をかけてマスターしていくものである、といえるかと存じます。
ですから、1回1回の勉強では負担を抑えた、軽めの扱い、サポート扱いをしていくわけでございます。
試験勉強の終盤となりましたら、ほぼ大概の内容が頭に入っているでしょうから、真剣に、丁寧に熟読していくという塩梅でございます。
ただ注意してほしいのは、以上の教材の取り扱いは試験の全てに通じるものではない、という点でございます。
中には、テキストを真剣に読まずとも、過去問演習と問題演習で合格できてしまう試験もございます。
しかし、まあ、大半の試験に適用可能でありますので、皆様のお勉強の一助になればと存じます。

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大きなやる気は

「三日坊主」と言う言葉がございます。
いいえて妙でございます。
坊主になろうと発心したはいいが、3日もしたら飽きちゃったというわけでございます。
坊主になるというのは、世を捨てるわけでございます。
仕事はいうまでもなく、祖父母両親、妻子までも、捨て去るわけでございます。
ただごとではありません。
しかし、そんな「ただごと」でないことでも、3日もすれば飽きてしまうというわけでございます。
人間の心には、こうした飽き性というものがあるわけでありまして、穏当に行けば、わたくしたち自身にも、こうした性質があることを忘れてはならないかと思う次第でございます。
お勉強にも同様のことが言えるのでございます。
やろうと決意するのはようございます。
これこれこういう理由があるから、おれはやる!みたいな理由付けも結構でございます。
しかし、なのでございます。
そう頭でいくら考えたところで、わたくしたち自身に備わった飽き性がどうなるわけでもないのでございます。
まあ、ぶっちゃけていいますと、どんな美辞麗句で飾ろうと、どんな理屈を、最新の研究成果を持ってきても、人間が持つ飽き性をj変えることはできないのでございます。
最初のうちは、そうした手練手管にてやる気は燃え上がるかもしれませんが、まあ、3日、もって1週間、よっぽど忍耐力があって3ヶ月保つのが精一杯でありましょう。
極端な例でありますが、洗脳というのは、洗脳するための定期的なメンテナンスが欠かせない、と申します。
また、洗脳できているかどうかを調べるための係官・監視人が必ずいると申します。
いくら理屈やらなんやらでアレしようとも、人間の飽き性の前には屁のカッパなのでございます。
人間というのは、悲惨なほど現実的なものでありまして、燃えるような意欲ややる気が出て来るのは、試験勉強の後半に到ってからでございます。
殿方はよく、胸が大きい方がいいとか、スカートは短いほうがいいなどと飽きもせず申しておりますが、基本は裸が大好きでありまして、胸が小さかろうがなんだろうが、現実に裸になってくれる人が大好きなのでございます。現実の裸を前にして、胸がうんぬん言う男性はおりません。
っと、話を元に戻します。
やる気や意欲というのは、実力の完成を目指して勉強しているときや本試験の直前になれば、自然と燃え上がるものでございます。
逆に言うなら、燃えるような意欲とやる気は、心に現実感がありありと湧き出るようになってから、最大限に発揮させるべきかと存じます。
試験勉強の序盤や中盤にて、大きな力を出そうとするのは、気力の無駄遣いであるかと存じます。
模試がある、などの現実的な事情がありましたら話は別ですが、現実には本試験はまだとおくにあるのに、真剣になってお勉強せよという方が、無理があるかと存じます。
あまりに気合を入れすぎたり、やる気を搾り出そうとすると、1番最初にあげた三日坊主になりがちでございます。
大いなるやる気をもってするよりも、とりあえずは、毎日続けるくらいの小さな目標とちょっぴりしたやる気から、お勉強を見てくださればと存じます。
やる時が来れば自然とやるものでございます。

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己を知る

何とも物堅いタイトルでございますが、中身はいつも通りの雑文でございます。
宜しくお目汚しの程、お願いする次第でございます。
さてさて、先だってのススメにて、カフェインの効果についてお話いたしました。
春先の眠い時は、気力や精神力で睡魔をどうこうできるものではないので、コーヒーの助けを借りて何とかお勉強中だけは睡魔との闘いを有利に運ぼう、といった内容でございます。
そして、睡魔との戦いには、コーヒーを飲む時間をうまく合わせるように申しました。
コーヒーのカフェインが効き出すには、タイムラグがあるからでございます。
お勉強が始まってから飲むのではなく、30分から1時間前あたりから飲んどく、というわけでございます。
こうした内容の雑文でありました。
己を知るというのは、まさにその「30分から1時間前あたり」の周辺にあるかと存じます。
効き始める時間には個人差がございますし、個々の生活習慣もございます。
そうした諸条件に応じて調整して、最も自分に適うように飲むのが一番であるかと存じます。
なかには、体質的にカフェインがすぐに効く人もいるでしょうし、時間が経って効く人もいるでしょう。
どう効くのか、どのくらいの時間覚醒できるのか、どのくらい飲めばいいのかといいますのは、お読みの皆さんの個々によって異なってくるわけでございます。
その違いを知ることが、己を知ることであるかと存じます。
自身の生活を知る事が、己を知ることなのでございます。
何やら真の自己やらなんやらを知ることではないように思う次第でございます。
突き詰めれば、己を知るなんてことは、コーヒーやお茶を飲むといった常時の総体ではないかと思う次第でございます。
どう飲むのがよいのか、好きなのか、嫌いなのか、そういったことが己なのではないかというわけでございます。
わたくしは一時、夜に眠れなくなったときがございます。不眠症かなと思ったのですがさにあらず、夜にがばがばお茶紅茶コーヒーをがぶ飲みしていただけなのでございます。
しかし、午後6時以降にお茶類を飲まないようにすると、途端にぐっすりと眠れるようになった次第でございます。
眠れない時は生活が不規則になりますから、体調は悪いし顔色も良くなく、眠れないので過ぎし日のことをあれこれ思い悩んだりして、非常に性格は暗くなったものでございます。好きになるも何か陰のあるようなもの、好きな色も暗色系でありました。
しかし、お茶の類を控えて、ぐっすり眠るようになると、一転して健康優良児、さまぁーずファンになる、明るい色のみかん色のジャンパーをきるなど、わかりやすく明るくなってしまったものでございます。
同時に、自己評価といいますか、自己認識の類も、変わってきたように思う次第でございます。
どのあたりで眠くなるか、他人のことはわからんが、自分のことならまあわかるという次第でございます。
どのくらいのときに、飲んでおくかなあとアレコレ量る事こそ、己を知るものではないかと存じます。
ま、難しくなりましたが、うまく、カフェインを利用する術、要するにお茶の飲み方を憶えますと、一生ものでございます。
害のない、副作用の少ない覚醒効果とリラックスの時を享受くださればと存じます。
わたくしたちは、生活が大部分でございます。己を知るとは、生活についての知識であるかと存じます。

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