独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

眠いのは仕方なし

気候もだんだんと暖かくなって参りました。
花粉以外を別にするなら、過ごしやすくなってございます。
しかし、お勉強の天敵も発生しているかと存じます。
お勉強の天敵、それは、睡魔でございます。
季節の移り変わり目といいますのは、ひたすらに眠たいものでございます。
寝たのに眠い。それが春先であるかと存じます。
個人的には、この季節の移り変わり目の眠さといいますのは、身体の冬細胞とでもいう存在が、春・夏用に変わって行っているからと考えてございます。
春先の景色を見てみれば、老若男女、ノラ犬からノラネコ、小鳥までもが眠むたそうにしているものでございます。
この眠さだけは生理的なもの、動物的なものであるかと考える次第でございます。でなければ、これほどまでに眠いわけがない、と思う次第でございます。
とはいえ、眠たいからといってぐうぐうと眠りに眠れるわけではありません。
やるべきこと、進めるべきこと、やってしまわなければならないことは、多々ございます。
そこでお進めするのが、カフェイン飲み物の筆頭である、コーヒーでございます。
コーヒーの原産は南アフリカとのことでございますが、頻繁に飲まれるようになったのは、アラビア・イスラム圏からと聞いてございます。
飲まれるようになった発端は、噴飯ものであります。
何ゆえにコーヒーが飲まれるようになったのかといいますと、説法を聞かせるがためでございます。
長い長いコーランの解説や説明となりますと、どうしても、居眠りをこく人がたくさん続出したのでありましょう。
首ががっくんがっくんして、もげるのではないかと思うくらいに、うとうとしていたのではないかと想像するものでございます。
眠たいときの会議・眠たいときの授業を思い起こしてくだされば、情景がお分かりいただけるかと存じます。
どんなにありがたい教えでありましても、めちゃくちゃに眠たくなってしまうわけでありまして、その眠気を醒ますためにコーヒーが飲まれるようになったというわけでございます。
コーヒーが飲まれるようになったのは、説法のため、説法時の眠気覚ましのため、宗教の用途にあったのでございます。
わたくしが興味を覚えるのは、昔の人も眠たかったという点でございます。
わたくしなどのような人間が、その当時のその説法の場所に居合わせたら、ボール2杯分のコーヒーを飲ませられるくらいに、居眠りをこいていたと想像するものでございます。
さてさて、でございます。
コーヒーには、このように眠気を醒ます効能がございます。
わたくしの経験では、インスタントコーヒーにはこの眠気醒ましの効果はそれ程ないように思う次第でございます。
ですから、コーヒーは挽いたものをドリップして頂くのが良いかと存じます。
あまりに安いコーヒー豆は気分が悪くなりますが、まあまあの豆なら2〜3杯飲んでも、気分は悪くならないかと思います。
眠気覚まし用に飲むコツは、お勉強の開始前に飲んでおく事でございます。
眠気醒ましはタイムラグがあるのでございます。
ですから、お勉強の開始直後に飲んでも、眠気のピークに達したときに効いていないときがあるのでございます。
個人差はあるかと思いますが、まあ、お勉強の30分から1時間前くらいには、濃いのを一杯頂いておくのが良いかと思います。
すると猛烈な眠気は軽い眠気に、軽い眠気は頭のモヤに、頭のモヤはぼンやり程度の状態に、引き下げられるのではないかと存じます。
眠いけれどもやらねばならない時は、コーヒーの力にお頼りくださればと存じます。

(さらに…)

低強度作業

本試験といいますのは、すべてが難問、難題であるわけではありません。
2割〜3割は難しいけれども、残りの7〜8割の部分は、まあ、これまでの問題を踏襲したものであったり、受験生なら常識的レベルの問題であったり、頻出する問題であったりするわけでございます。
本試験の問題には、このように強弱がございまして、「難しい」一辺倒ではないのでございます。
全てが全て、同じなわけではないのでございます。
色だってそうでございます。
緑は緑という1文字でしかありませんが、色彩の感じ方からすれば、千差万別に変わってくるものでございます。
春の緑と夏の緑、秋の緑、そして、冬の寒さの中の緑の見え方は違ってくるものでございます。
ちなみに、パソコンやテレビの画面ばかり見ているのは、良くないといわれております。
視力の問題ではないのでございます。目に良くないのではなく、頭に、つまり、脳によくないのでございます。
それは、あまりにも単純化された色と構成しかないからでございます。
どれほど高画像・高画質となろうとも、実際の雑草ひとつの色と感じには負けるのが、映像の世界の話でございます。
CG全盛の映画でございますが、やはり、と申しましょうか、CGが多用された映画ほど記憶に残らないものでございます。
やはり、身体がわかってしまうのでありましょう。それはにせものである、と。
さてさて、このように、物事といいますのは、濃淡微小がございます。
肝心のお勉強についてでございます。
お勉強におきましても、濃淡を意識くださればと存じます。
難しい一色ではないのでございます。
難しいところ、めんどくさいところがあれば、やさしいところ、やりやすいところも、うまいことに之あるものでございます。
上手に濃淡を見出しくださればと存じます。
つまり、でございます。
お勉強の気が乗らないときでも、やさしいところやこれまでやってきたことをなぞって確認するくらいの事はできる、というわけでございます。
気が乗らないときに難しいことをやろうとしても、得てして、うまくいかないものでありますし、余計に消耗してしまうものでございます。
気の乗らないときや調子の良くないときは、簡単なことややさしいこと、確認や復習でお勉強を組み立てれば宜しいかと存じます。
こうしたお勉強でも、少しも悪いことはないかと存じます。
独学の利点は小回りのよさ、でございます。
力技のほかに、こうしたすかし技もございます。
今できることに、ご尽力くださればと存じます。

(さらに…)

質と量とのバランスを

本日のススメは、難しいことを述べたく思います。
基本的に理想論でございます。現実にはそうなるのは極めて限られてくるかもしれません。
しかし経験則として、できるだけ合致させねばならないかと存じます。
できるだけ、可能な限り、という条件付でございますが、皆様の試験勉強のご参考になればと存じます。
試験勉強で大事なのは、「質」と「量」のふたつを充実させることでございます。
両方とも、欠けてはならないのでございます。
「質」のよい勉強ばかりしていてもダメなのでございます。
同様に、「量」だけの勉強のみでもよろしくないのでございます。
いくら丁寧で、細心まで心を砕いたお勉強をしても、演習数・読解数・試行数が少なければ身につかないのでございます。
逆もまた然りでございます。
いくら莫大な量の、何百時間にわたるお勉強をしても、ひとつひとつが杜撰であれば、本試験ではぽこぽことつまらない失点を犯し、その結果に涙を流すことでしょう。
「質」と「量」は皆様もご存じの通り、相反するものでございます。
質を高めれば時間がかかりますので、量を稼ぐことができなくなります。
量を稼げば、ひとつひとつは疎かにならざるを得ないので、質は低下するといった次第でございます。
しかし、合格のためには、両方が必要と相なる次第でございます。
非常に困った問題かと存じます。
しかし、まずは、「量」と「質」のふたつがいるんだくらいの認識が持てただけでも、今後の試験勉強は変わっていくのではないかと存じます。
時折見かけるのでございます。
ただ質だけの人、ただ量だけの人、をでございます。どちらかに傾くだけではならないことをご理解くださればと存じます。
では、どうしたらよいのか、でございます。
基本は、量の路線でお進みくださればと存じます。というのも、量を稼げば誰でもある程度の実力を有することができるからでございます。
しかし、量のお勉強である程度の実力が身に付くとはいえ、それで終らせてはならないのでございます。
ところどころ、欠けた櫛ののように、憶えそこなったもの、もう忘れてしまっているもの、理解不足のあるもの、勉強していないもの、丁寧に見ていないものがあるはずでございます。
そうなりますと、量のお勉強はトーンダウンして、質のお勉強に移行致します。
個々詳細を丁寧に見ていって、確固撃破をするという次第でございます。
質のお勉強によって実力のムラがなくなってきたら、再び量のお勉強に戻りまして、何回も繰り返して実力に定着させていきます。
あとはループでございます。
ある程度の実力が付いたとしても、まだまだ、やり足りないところ・見落としているところ・間違うところがあるはずでございます。
ならば、再度、質のお勉強に戻り、個々を丁寧にケアしてまいります。手当が済めばまた、演習数なり読解数、確認数を稼ぐといった次第でございます。
難しいし、そううまくいきませんが、どうか質と量の両面からお勉強をお考えくださればと存じます。

(さらに…)