| カテゴリー: 過去のススメ |
「三日坊主」と言う言葉がございます。
いいえて妙でございます。
坊主になろうと発心したはいいが、3日もしたら飽きちゃったというわけでございます。
坊主になるというのは、世を捨てるわけでございます。
仕事はいうまでもなく、祖父母両親、妻子までも、捨て去るわけでございます。
ただごとではありません。
しかし、そんな「ただごと」でないことでも、3日もすれば飽きてしまうというわけでございます。
人間の心には、こうした飽き性というものがあるわけでありまして、穏当に行けば、わたくしたち自身にも、こうした性質があることを忘れてはならないかと思う次第でございます。
お勉強にも同様のことが言えるのでございます。
やろうと決意するのはようございます。
これこれこういう理由があるから、おれはやる!みたいな理由付けも結構でございます。
しかし、なのでございます。
そう頭でいくら考えたところで、わたくしたち自身に備わった飽き性がどうなるわけでもないのでございます。
まあ、ぶっちゃけていいますと、どんな美辞麗句で飾ろうと、どんな理屈を、最新の研究成果を持ってきても、人間が持つ飽き性をj変えることはできないのでございます。
最初のうちは、そうした手練手管にてやる気は燃え上がるかもしれませんが、まあ、3日、もって1週間、よっぽど忍耐力があって3ヶ月保つのが精一杯でありましょう。
極端な例でありますが、洗脳というのは、洗脳するための定期的なメンテナンスが欠かせない、と申します。
また、洗脳できているかどうかを調べるための係官・監視人が必ずいると申します。
いくら理屈やらなんやらでアレしようとも、人間の飽き性の前には屁のカッパなのでございます。
人間というのは、悲惨なほど現実的なものでありまして、燃えるような意欲ややる気が出て来るのは、試験勉強の後半に到ってからでございます。
殿方はよく、胸が大きい方がいいとか、スカートは短いほうがいいなどと飽きもせず申しておりますが、基本は裸が大好きでありまして、胸が小さかろうがなんだろうが、現実に裸になってくれる人が大好きなのでございます。現実の裸を前にして、胸がうんぬん言う男性はおりません。
っと、話を元に戻します。
やる気や意欲というのは、実力の完成を目指して勉強しているときや本試験の直前になれば、自然と燃え上がるものでございます。
逆に言うなら、燃えるような意欲とやる気は、心に現実感がありありと湧き出るようになってから、最大限に発揮させるべきかと存じます。
試験勉強の序盤や中盤にて、大きな力を出そうとするのは、気力の無駄遣いであるかと存じます。
模試がある、などの現実的な事情がありましたら話は別ですが、現実には本試験はまだとおくにあるのに、真剣になってお勉強せよという方が、無理があるかと存じます。
あまりに気合を入れすぎたり、やる気を搾り出そうとすると、1番最初にあげた三日坊主になりがちでございます。
大いなるやる気をもってするよりも、とりあえずは、毎日続けるくらいの小さな目標とちょっぴりしたやる気から、お勉強を見てくださればと存じます。
やる時が来れば自然とやるものでございます。
やれる
2010年3月29日 1:20 PM
★みんなとシェアする