独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

自分からつまらなく

基本的に、お勉強といいますのは、つまらないものでございます。
楽しくて楽しくて仕方がないという人が、わたくしはうらやましくて仕方がございません。
よっぽど感受性が無いのでありましょう。
わたくしなどは、ほんとうに年に数回しか、お勉強で楽しいときはないものでございます。
わたくしだけでなく、皆様方の多くは、仕方がないからやっているのではないかと忖度する次第でございます。
仕方がないのは仕方がないのですが、やはり、やり様というのはあるかと思うのでございます。
つまらなくしているのは、ほかならぬ、わたくしたち自身でございます。
詰まっているのでございます、多くの事が。
何にも新しい事をしないので、古い物事で自分の中が一杯なのでございます。
確かにお勉強といいますのは、手垢の付いたテキストと黒ずんだ問題集と過去問を相手に行なうものですから、試験範囲を一周してしまえば、あとは、やったことばかりを同じように続けねばなりません。
同じような事を同じ様に続けることと、相なるわけでございます。
しかし、でございます。
このことは、お勉強だけのお話でございます。
わたくしたちの生活そのものが、同じきようになるわけではないのでございます。
何かしら、新しくできるはずなのでございます。
お勉強という荷はあるにせよ、自分勝手に勝手に結果を予想して、勝手に1日の結論を引いているきらいはないでしょうか。
お勉強が生活にもろに影響を及ぼしていないか、ご考察くださればと存じます。
言ってしまえばあれですが、所詮は勉強でございます。
灰色のお勉強であっても、生活までが灰色になるわけではございません。
自分から何か新しくする事はできるはずでございます。
近くのホームセンターをぶらつくだけでも、こんな世界があるのかと、驚くことしきりであるかと存じます。
こんなにボルトの数があるのか、釘の種類があるのか、こんな照明器具があるのか、浄水器も安くなった、システムキッチンなんてものは自分で作れそうだ、などなど、発見があるかと存じます。
世の中、そして生きることというのは、違う事のほうが多いものでございます。
自分からつまらなくしてはいないかどうか、お確かめくださればと存じます。
さすれば、新しいやる気や気力も湧いてくるものと思います。

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緑のないところで

本日のススメは、お勉強をする場所・環境について見ていきたく存じます。
宜しくお目汚しの程、お願いする次第でございます。
本日述べますことは、やれば必ず成績が上がるとか、点数が伸びる、記憶が良くなるといった、目に見えるものではないことを、あらかじめ申しておきたく存じます。
ほとんど気持ちの問題なのでありますが、あればある分、よい効果はあるのではないかという、わたくし個人の告白に似たものでございます。
さて、本題に入りたく思いますが、お勉強といいますのは、基本的に刺激がない作業でございます。
毎日毎回、同じものを同じようにやっていかねばなりません。人には、「飽き」という機制がございますから、やはり、うんざりしてくるものでございます。
人はまた、感覚の生き物、環境の生き物でございます。
拷問の1つに、狭くて真っ暗なところに閉じ込めることがございます。
設備そのものは簡単でございます。単に穴を掘って、その中に閉じ込めるのみでございます。
なんだそれだけか、と思われる方も居られるかと存じますが、闇というのは実に精神に影響を及ぼすものでありまして、3日したら気が滅入り、1週間もすればどんな頑強な者でも許しを請う、とのことでございます。
闇かつ無音という、まったく刺激の遮断された環境というのは、人を根底から駄目にするようでございます。
このことを翻っていえば、無味乾燥な環境といいますのも、あまりよくないといえるのではないかと存じます。
そこで、ざっとお勉強の環境を見回してほしく存じます。
そこはどういう世界でありましょうか。
確かに、お勉強といいますのは、集中力が求められる作業でありますから、漫画や雑誌といった気の散る娯楽物はないかと存じます。
しかし、そこには無機質な感じがしないでしょうか。
先ほどもいいましたように、無刺激過ぎると逆にその環境は人を弱らせるのでございます。
お勉強には刺激があり過ぎてはなりませんが、逆に、まったくゼロにするのもいかがなものかと考える次第でございます。
そこでわたくしは、小さな観葉植物をお勧めする次第でございます。
サボテンなど良いかと思います。
机の上なり脇の棚に、生きているものがあるだけでも、なんとも一息がつけることを最近になって、如実に感じるようになってございます。
何ゆえにわたしたちの文化に、いけばな(活花・生花)があるのか、ご考察くださればと存じます。
唯、ほっとするのでございます。
大層なものでなくて結構でございます。
ホームセンターにでも行けば、手軽にミニ観葉植物を手に入れられるかと存じます。
テキストを読むのに、また、問題を解くのに疲れたときに、ふっと目に緑をした生き物があるだけで、なんとも、孤独が癒されるのではないかと存じます。
お勉強といいますのは、個人的なものでありまして、周りの人からどれだけ暖かい支援や励ましがあろうとも、結局は、自分でやるしかないものでございます。
一言でいえば、孤独なのでございます。
しかし、お勉強の空間に少しの生き物でもあれば、だいぶ、その孤独さも和らぐのではないかと存じます。
少しの変化が我が身を助けることは、多々ございます。
ただ、お勉強といいますのは、室内で行ないますので、日の光が必須という植物はあまり推奨できません。
わたくしの場合、サボテンは2つあって、交代ごうたいで机の上に置いてございます。
皆様におきましては、太陽の光が苦手か、あまり日光を必要としない緑の物をお供えくださればと存じます。
ホームセンターで店員に聞いてみれば、良いかと存じます。
緑の点から、自身のお勉強の場所、引いては、生活環境を見直してくださればと存じます。
希望が湧く、などと申し上げますと大げさですが、ふっと息を抜く瞬間が訪れるように考える次第でございます。

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テキストはずうっと

独学では、主に問題演習を中心に試験勉強を行なって参ります。
ここでいう問題集とは広い意味での問題集でありまして、基本的な問題集や初歩的な問題集、過去問から予想問題集、模試問題集、横断問題集などなど、すべての問題集を含んでございます。
独学では、問題演習を通して試験勉強を進めていく、といった次第でございます。
お勉強の舞台は、主として問題集が担うのでございます。
では、でございます。
テキストはどうなるのか、どのように扱えばいいのか、どういう立ち居地なのかという疑問が生じるかと存じます。
もちろんのこと、テキストも使います。大いに使います。
しかし、最も使うようになるのは、試験勉強の中盤以降になってからでございます。
試験勉強の序盤では、テキストは初歩的な問題集で問われたところをじっくり読んで、その他のページは適当に読み流す程度でございます。
過去問を解くときでも同様に、出題されたところは熟読するが、その他のページはざっと読む程度でございます。
基本的に、試験勉強の前半では、テキストはサポート役なのでございます。
テキストがメインの勉強対象となるのは、過去問演習を終らせた後からでございます。
幾数冊の問題集と過去問を終えると、ようやくといいますか、テキストと正面から向かい合える力が身に付くからでございます。
それまでは、あまりテキストを丁寧に読まないといいますか、それほどに重視しないのでございます。
といいますのも、テキストという教材は、試験勉強のすべての期間で勉強するからでございます。
テキストは、最初の問題集のときも読みます。
その復習のときも、確認のために読みます。
過去問演習でも大いに読まねばなりませんし、過去問の復習においても同様に、否、これまで以上にテキストを読み込むことになります。
予想問題集や模試問題集を解くときにも、模試を受けたあとにも目を通すことに相なるかと存じます。
テキストを読む機会は、無数にあるわけです。
逆に言えば、各問題集をマスターするのは、そのときどきしかないというわけでございます。
もっと逆に言えば、テキストというのは、試験勉強の全ての期間をかけてマスターしていくものである、といえるかと存じます。
ですから、1回1回の勉強では負担を抑えた、軽めの扱い、サポート扱いをしていくわけでございます。
試験勉強の終盤となりましたら、ほぼ大概の内容が頭に入っているでしょうから、真剣に、丁寧に熟読していくという塩梅でございます。
ただ注意してほしいのは、以上の教材の取り扱いは試験の全てに通じるものではない、という点でございます。
中には、テキストを真剣に読まずとも、過去問演習と問題演習で合格できてしまう試験もございます。
しかし、まあ、大半の試験に適用可能でありますので、皆様のお勉強の一助になればと存じます。

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