独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

試行錯誤と無駄

独学におきましては、できるだけ無駄を省くことを第一にしてございます。
例えば、読んでも少しもわからぬテキストはすぐに投げ捨てます。
決して、そんなダメテキストを有効利用しようなんてけち臭いことは考えません。
ダメはダメ。腐った食材は腐ったものであり、早く捨てねば臭うのみでございます。
どんなに優れた料理人であろうとも、腐った食材では料理はできないのと同様なのでございます。
独学に失敗する人といいますのは、得てして、このダメ教材で我慢すると申しますか、なんとか使えないかと苦心惨憺する方が多いと見受けられます。
弘法筆を選ばず、などと申しますので、わたくしも、(ああ、こいつはダメだなあ)と思った教材で、がんばったときもありましたが、ことごとく、ダメであったことを告白したく存じます。
やはり、ダメ教材はダメ教材でございます。
このことを意識の片隅にでもおいていてくださればと存じます。
さて、ダメ教材のような目に見えて無駄な事は避けるのが独学ではありますが、だからといって、お勉強の試行錯誤を否定するものでは、「決して」ないのでございます。
このあたりの線引きは微妙でありますが、うまくいかないからといって即、無駄であるというわけではないのでございます。
うんうんとテキストの1文や問題集の問題、解説に頭を悩ます時間と作業とを、否定するものではないのでございます。
わたくしは基本的に、うまくいかないのがお勉強、と考えてございます。うまくいかぬが恋の道、果てに恨むが愛の道、から盗んだ次第でございます。
逆に言いますと、読んですぐわかるようなこと・できるようなことといいますのは、他の誰も事情は同じでしょうから、問題にされないのではないかと考えるわけでございます。
恋もすらすらいくようなら、スケコマシか何らかの意図があると踏んだ方が賢明でありましょう。
うんうんとするからこと、問題となる、だから、点となりうるというわけでございます。
もし、こうした試行錯誤を無駄と考えてやらずじまいだと、点差を生むような力は身に付かないように思う次第でございます。
試行錯誤と無駄作業との違いは、こうなったらこうといった条件付けや、数字によるデータの裏づけもなく、きわめて経験的なものとなってしまいます。
しかし、この2点の区別が物事の本質的なコツのように思う次第でございます。
何でこんな無駄なことをやらねばならないのか、とつぶやくバイト君がおられます。
例えば、徹底した商品の品出しや商品の棚の入れ替え・置き換え、でございます。
皆様におきましても、多くのお店で品出しを続けまくる店や、行く度に商品の配置が違っている店が記憶にあるかと存じます。
それらにも十分な意味があるのでございます。
前者の品出しは販売の機会ロス防止・心理ロスの防止でございます。
後者は客の滞留時間を延ばして衝動買いを催すためでございます。または、新たな商品との接触数を増やすためでございます。
なんでこんなことをするのか、には意味があるのでございます。
丸投げした言い方ではありますが、試行錯誤と無駄作業との区別とを、しっかりと付けてくださればと存じます。
無駄と試行錯誤の区別が付くようになれば、今以上にお勉強の効率が伸びるように思う次第でございます。

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全力を尽くすのは

いま一度、改めて確認しておきたい事がございます。
全力を尽くす、と言いますが、わたくしたちが全力を尽くさねばならないのは、本試験というその日のみでございます。
本試験当日に、わたしたちは全力を尽くし、自身の持つ実力を100%出し切らねばならないのでございます。
ということは、でございます。
本試験以外の日々は、全力を尽くさなくても、100%の力を出さなくてもよい、というわけでございます。
この点、考え違いをなさらないようにしてくださればと存じます。
人間と言いますのは、まあ、うまくできたものでありまして、緩急・強弱があるものでございます。
一生懸命がんばったなら、それなりの休養が必要なのでございます。
もっといえば、意思に反してでも、身体は休もうとするのでございます。
毎日毎日、全力を尽くす勉強をしておりますと、必ずといっていいほど、やりたくなくなってくるのでございます。
嫌になってくるのでございます。
これが、本試験はまだまだ先というときに起これば、まだましなのですが、本試験直前に発生すると悲惨でございます。
身体がいうことを聞かないのでございます。
どんなにやろうと思っても、テキストを開いただけでウンザリしてしまうのでございます。
先ほども申しましたが、わたくしたちは、本試験当日に全力を尽くせばよいわけであります。
ですから、その他の日々は、本試験で全力を尽くせるように用いなければならないのでございます。
毎日全力ならば本試験でも全力が出る、というのでしたら、毎日全開パワーでよろしいかもしれませんが、実際にそうではないことは自明でございます。
本試験で全力を尽くすためには何をしたらいいか、どうしていけばいいかを、いまいちどお考えくださればと存じます。
穏当なお勉強を続けて、本試験で自分の実力を100%出し切れば、かなりの高い確率で合格できます。
やることさえやった人は、目の前に配られた問題冊子と解答用紙に、自分の持っている力を100%発揮できれば合格できるのです。
試験といいますのは、不足によって不合格になることもありますが、逆に、余分なことや余計なことで落ちることもあるのでございます。
意外にも、本試験前にお勉強で燃え尽きて灰色になってしまった御仁はたくさん居られます。
言い換えますと、本試験に全力を尽くすための準備が試験勉強である、ともいえるかと存じます。
お勉強のしすぎで落ちるなんて、大変もったいない事でございます。
宜しくご調整の程を、ご助言する次第でございます。

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精神集中

寒かったり暑かったりする春先でございます。
お勉強も身体が資本でありますから、各自、ご自愛の程、お願いする次第でございます。
ときに、強い風が吹き荒れることもございます。
移動中の際は、お気をつけくださればと存じます。
さてさて、こんな日々でもお勉強をしなくてはならないわけですが、ときには、まったくといっていいほど、集中できないときもあるかと存じます。
目の前の事に集中しようとしても、腹の中が煮えくり返っているときや、頭が何か他のことでいっぱいのとき、そのほか、体調等々の理由によって、どうしても集中できないときがあるかと存じます。
めやすは10〜15分でありましょうか。
やろうとしてその時間が経っても少しも集中できない時は、時間を変えるべきかと存じます。
精神集中といいますと古めかしく聞こえますが、やはり、それなりの心の状態が整わないとお勉強というのは進まないのではないかと考える次第でございます。
わたくしたちは機械ではありませんから、すぐに切り替えが効くものではありません。
逆にいえば、すぐに切り替えが効く人というのは、何かを病んでいるか、ほんとうに張りのないお心なのでありましょう。到底、わたくしには真似ができない事でございます。
しかも、お勉強といいますのは、結構内的なものでありまして、事務や雑用のようにただやればよい代物でもありません。
この点が、精神集中の有無が問われるのでございます。
何かに焦りながら、気にかけながら、追われながら、かっかしながらのお勉強では、少しも身につくものがありません。
そして、先ほど言いました、10〜15分の時間が経過しても、ちっとも集中できないときは、お止めになるのがよかろうかと存じます。
心が整わない状態で何かをしようとしても、つまらないミスを連発するのが関の山。
わかることもわからなくなるし、普段できることでもできなくなるのがオチでございます。
そんな状態でお勉強するくらいなら、戦略的撤退と申しますか、その時は止めてしまったほうがよい、という次第でございます。
意味のある言葉は残っていくもの。
精神集中というと、坊主臭ただよう言葉ですが、意外に含むものがあるなと思ったわたくしでございます。

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