| カテゴリー: 過去のススメ |
まあ、生きていればいろいろとありますが、大体のことは自業自得でございます。
といいますか、ある原因が特定の人なり、集団なり、組織なりに還元されるのは、滅多にないことでございます。
よっぽどの重過失や故意でもない限り、100%の責任を転嫁できないものでございます。
例えば、ある食品を食べたらあたってしまったというのなら、そのお店なり販売店にケツを持っていくことはできるかと思います。
しかし、それも場合によりけりで、食中毒の起きそうな店かどうかは、見た目や商売のやり方で、多少は見当が付くものでございます。
わたくしはそういうところに煩い人でありまして、少しでも清潔さや衛生に気の抜けたところを見つけると、二度と行かなくなるタチでございます。
そういうところとは、従業員の履いている靴や服の袖口、髪の毛等々、でございます。
経営者がけちだと、制服のクリーニングを従業員任せ(負担)とさせますので、得てして衛生費もケチっているだろうと予想できるわけでございます。
衛生費をケチれるくらいなら、物品費・食材費を削らぬわけがないわけでありまして、ま、味も2年もすれば低下して、ほいで、しゃーないということで新メニューでてこ入れして、これまでいた顧客すら失うという次第でございます。
損なら最初から行く必要はない、と言うわけでございます。
建前からいえば上記なのでありますが、ほんとのところは、一度食べ物にあたって酷い目にあったからでありまして、食中毒・食あたりが起きそうなところには行かないのでございます。
まあ、話を元に戻しますと、結果を他人に押し付けられるようなケースは、実際にはそれ程数はないわけでして、我が身に起きたことというのは、大概の事が自業自得、自身がその原因であるかと思うのでございます。
年を取ると丸くなる、なんて申しますが、経験が増え視野も広くなるにつれて、因果がよりよくわかってくるという事が背景にあるかと存じます。
よく見えてくるからこそ、焦らずじたばたしなくなるようにわけでございます。
○○がダメだ、○×がよくないなどと口泡を飛ばしてみても、何かが変わるわけではありません。
事態を、そして、結果を変えたいのなら、自分が変わるしかないのでございます。
泣いて浮気をしないでね、と頼み込んでも、する人は来月にもするものでございます。そういうものでございます。
他人はどんなにアドバイスしようが忠告しようが、変えることはできません。
ならば自分を変えねばならないのでございます。変えられるのは自分のみでございます。
力の強い生物、タフな生命力の有る生物が生き残るわけではなく、環境に適応できた生き物が生き残るのでございます。
環境を変えた生き物、ではないのでございます。自身を変えたものでございます。
起きた事はまずは自分が引き受け、そして、それでどう変わるか大切になるかと存じます。
しかし、でございます。
起きた事の全てが全て、自分の責任ではありません。
何でも引き受けるといいますか、自分のせいにしてしまう人が居られますが、あまり健康な状態ではありません。
あまりに引き受けると、軽いうつになってしまうので、ご注意くださればと存じます。
全部が全部他人のせいでもなく、自分のせいでもございません。それらは、割合であるかと存じます。
仕事で忙しくて時間が取れない、といってもその仕事を選んだのは自分ですし、仕事が忙しいのもいいことでもございます。
正確に事態を把握する事が肝要であるかと存じます。
めんどくさがって全部自分のアレだとしていますと、必ず、爆発いたします。
こういう点は直せるし、次回からは違うようにできる、しかし、ここから先はどーもならんねという、中途半端で曖昧なのが、現実的な思考であるかと存じます。
折り合いをつける、という便利な言葉が日本語にはございます。
自業自得といいますが、業は決して己のみの専属的なものではないかと存じます。得も、そうでありましょう。
自他の割合の折り合いを付けつつ、目の前のことにお励みくださればと存じます。
二者択一より
2010年4月5日 10:20 AM
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