まあ、基本的にお勉強といいますのは、同じ事の繰り返しでございます。
しかしながら、同じ事・同じ内容・同じ風の事であっても、受け取り方は段々と変わっていくのでございます。
試験勉強の最初の方はのっぺりとしたものが、中盤・後半とさしかかるに連れて、段々と凹凸が付いてくるものでございます。
(これは本試験で出てたところだな)とか、(これ、ややこしいんだよなあ)とか、(間違っているから気をつけないと)などといった思いを抱くかと存じます。
基礎や基本事項などは、お勉強の最初のほうはできなくても、フーン程度に高をくくっておりますが、試験勉強の追い込みなどに間違えたりできていない事が判明したしますと、ほんとうにぞっとして底が抜けるような不安に襲われます。
目の前の事は「同じ事」であっても、こちらの受け取り方が大きく違ってくるわけでございます。
その受け取り方の違いが、重要ではないかと考える次第でございます。
その違いが生じたことこそ、実力の伸びの明白な証拠である、というわけでございます。
お勉強上の悩み事といいますのも、それと同じ事が言えるのではないかと存じます。
お勉強をしておりますと、忘れる事やできなくなる事など、日常茶飯事でございます。
それらを体験するたびにガッカリするものであります。
これで本試験に間に合うのか、不安に思うこともありましょう。
しかし、そういった受け取り方をするようになっているのが、実力の証拠なのでございます。
まったく実力の付いていないときなら、できなかろうが、わからなかろうが、理解していないだろうが、平気の平左衛門であったはずでございます。
悩むのも、それが重要だ、出るなとわかるようになったがゆえんの事なのでございます。
受け取り方がまったく変わらないというのは、まったく成長のなかった証とも言うことができましょう。
お勉強をしない実力ゼロの人は、できないことやわからないことを恐れもしませんし、不安に思いません。
実力が曲がりにも出来上がっているからこその受け取り方の変化である、このことに意をお払いくださればと存じます。
受け取り方が変わっていくのなら、まだ、伸びしろのある証拠でございます。
基本的に大事なことは、大きく変わることはありません。
何度でもいうがよい、といいますように、何度でもやらないといざというときに役に立たないものでございます。
何度でも同じ事を言う人が居られますが、特にご老人の方でありますが、話の種がない理由のほかに、その話を何度もする価値があるために、何度も言うのではないかと考える次第でございます。
健康第一、身体が資本、酒はキチガイ水などとよく言われますが、ほんとうにそうだよねえと心底思われる方も居られるかと存じます。
おそらく幾多の経験を経た後にその話を思い出して、ああそうだったかと得心するのではないかと存じます。
四角い豆腐も丸く切れるものでございます。
受け取り方はどんどんと変化をしていくことを、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年4月6日 4:13 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
まあ、生きていればいろいろとありますが、大体のことは自業自得でございます。
といいますか、ある原因が特定の人なり、集団なり、組織なりに還元されるのは、滅多にないことでございます。
よっぽどの重過失や故意でもない限り、100%の責任を転嫁できないものでございます。
例えば、ある食品を食べたらあたってしまったというのなら、そのお店なり販売店にケツを持っていくことはできるかと思います。
しかし、それも場合によりけりで、食中毒の起きそうな店かどうかは、見た目や商売のやり方で、多少は見当が付くものでございます。
わたくしはそういうところに煩い人でありまして、少しでも清潔さや衛生に気の抜けたところを見つけると、二度と行かなくなるタチでございます。
そういうところとは、従業員の履いている靴や服の袖口、髪の毛等々、でございます。
経営者がけちだと、制服のクリーニングを従業員任せ(負担)とさせますので、得てして衛生費もケチっているだろうと予想できるわけでございます。
衛生費をケチれるくらいなら、物品費・食材費を削らぬわけがないわけでありまして、ま、味も2年もすれば低下して、ほいで、しゃーないということで新メニューでてこ入れして、これまでいた顧客すら失うという次第でございます。
損なら最初から行く必要はない、と言うわけでございます。
建前からいえば上記なのでありますが、ほんとのところは、一度食べ物にあたって酷い目にあったからでありまして、食中毒・食あたりが起きそうなところには行かないのでございます。
まあ、話を元に戻しますと、結果を他人に押し付けられるようなケースは、実際にはそれ程数はないわけでして、我が身に起きたことというのは、大概の事が自業自得、自身がその原因であるかと思うのでございます。
年を取ると丸くなる、なんて申しますが、経験が増え視野も広くなるにつれて、因果がよりよくわかってくるという事が背景にあるかと存じます。
よく見えてくるからこそ、焦らずじたばたしなくなるようにわけでございます。
○○がダメだ、○×がよくないなどと口泡を飛ばしてみても、何かが変わるわけではありません。
事態を、そして、結果を変えたいのなら、自分が変わるしかないのでございます。
泣いて浮気をしないでね、と頼み込んでも、する人は来月にもするものでございます。そういうものでございます。
他人はどんなにアドバイスしようが忠告しようが、変えることはできません。
ならば自分を変えねばならないのでございます。変えられるのは自分のみでございます。
力の強い生物、タフな生命力の有る生物が生き残るわけではなく、環境に適応できた生き物が生き残るのでございます。
環境を変えた生き物、ではないのでございます。自身を変えたものでございます。
起きた事はまずは自分が引き受け、そして、それでどう変わるか大切になるかと存じます。
しかし、でございます。
起きた事の全てが全て、自分の責任ではありません。
何でも引き受けるといいますか、自分のせいにしてしまう人が居られますが、あまり健康な状態ではありません。
あまりに引き受けると、軽いうつになってしまうので、ご注意くださればと存じます。
全部が全部他人のせいでもなく、自分のせいでもございません。それらは、割合であるかと存じます。
仕事で忙しくて時間が取れない、といってもその仕事を選んだのは自分ですし、仕事が忙しいのもいいことでもございます。
正確に事態を把握する事が肝要であるかと存じます。
めんどくさがって全部自分のアレだとしていますと、必ず、爆発いたします。
こういう点は直せるし、次回からは違うようにできる、しかし、ここから先はどーもならんねという、中途半端で曖昧なのが、現実的な思考であるかと存じます。
折り合いをつける、という便利な言葉が日本語にはございます。
自業自得といいますが、業は決して己のみの専属的なものではないかと存じます。得も、そうでありましょう。
自他の割合の折り合いを付けつつ、目の前のことにお励みくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年4月5日 10:20 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
わたくしたちほしい教材、手に入れなければならない教材は、「合格」できる教材でございます。
これ以上でも、以下でもありません。
合格できる教材がよい教材なのでありまして、合格できないのであれば、それは何物でもないのでございます。
つまり、教材ですらないわけでございます。
まあよい教材などないのでございます。教材とは全て、合格できるものでなければならないのでございます。
教材を選ぶ際は、この点、勘違いなさらないようにしてくださればと存じます。
わかりやすさを全面に押し出す教材は、得てして危険でございます。
わたくしは、通常の3倍の注意力を持って、内容を吟味する次第でございます。
「わかりやすさ」というのは、確かによい教材の1要素でありますが、ほんとうに1つの要素でしかないのでございます。
美しい女は髪の毛も美しいでしょうが、髪の毛の美しい人が美しい女にはならないのと同義でございます。
そこら辺を歩いているおっさんにも、きれいな髪の毛をした人はおられますね。
わかりやすいからといって、その教材が合格を導く教材でないことは、多々、ございます。
わたくしたちがほしいのは、合格のできるものであります。
難しくても、難解でも、吐き気を催すほど文字がびっしりであっても、表紙や書帯に「うんざりする」と書かれていようとも、それが、合格するにあたって必要な事を網羅しているのであれば、わたくしたちは、それを手にすべきなのでございます。
単に、内容の不足した教材、物足りない教材が、「わかりやすい」「シンプル」「初心・入門者用」と銘打たれているのが事実でございます。
特にそれは、テキストで顕著に現われているかと存じます。
しかし、こうした教材では、学習上で目に見えないハンディを負っているのと同じです。
このハンディは、試験勉強が進むにつれてだんだんと姿を見せ始めるものでありまして、実力が付いていくうちに、教材の足りなさを感じるようになるのでございます。
過去問演習中に、または、模試の問題を解いているときに、物足りなさを痛感するようになるかと存じます。
なんたって、答え合わせをしたり解説を読んでテキストと照合したら、テキストには何の記述もないのでございます。
1回2回ならまだ赦せますが、そうしたことが10回も続けば、テキストの質を疑ってみるべきでございます。
過去問にて、何度も何回も出題されているのに、問題集にはその問題がないときは、その問題集はおそらくダメ問題集でありましょう。
最終的に、自身の実力がそうした教材のレベルを超えると、もはや買い替えるしかなくなるのでございます。
最初はよさそうに見えても、試験勉強の中盤から終盤にかけて役に立たなくなるテキストは、多々あるものです。
もし、お使いの教材に「なんだかなあ」とか「物足りないなあ」と思うようになっているのでしたら、どうぞ、それらの質をいま一度、ご考察くださればと存じます。
特に、テキストや過去問といった重要な教材に対して、そのような思いを抱いている時は、喫緊でございます。
早ければ早いほど、勉強と時間のロスを防げるかと存じます。
逆にいいますと、そうした物足りない教材で試験勉強を続けるのは危険でございます。
わたくしたちは、合格するためにお勉強をしているのでございます。
いい勉強をするためにお勉強しているわけではありません。
この点、勘違いをなさらぬよう申し上げたい次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年4月1日 12:48 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |