独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

全力を尽くすのは

いま一度、改めて確認しておきたい事がございます。
全力を尽くす、と言いますが、わたくしたちが全力を尽くさねばならないのは、本試験というその日のみでございます。
本試験当日に、わたしたちは全力を尽くし、自身の持つ実力を100%出し切らねばならないのでございます。
ということは、でございます。
本試験以外の日々は、全力を尽くさなくても、100%の力を出さなくてもよい、というわけでございます。
この点、考え違いをなさらないようにしてくださればと存じます。
人間と言いますのは、まあ、うまくできたものでありまして、緩急・強弱があるものでございます。
一生懸命がんばったなら、それなりの休養が必要なのでございます。
もっといえば、意思に反してでも、身体は休もうとするのでございます。
毎日毎日、全力を尽くす勉強をしておりますと、必ずといっていいほど、やりたくなくなってくるのでございます。
嫌になってくるのでございます。
これが、本試験はまだまだ先というときに起これば、まだましなのですが、本試験直前に発生すると悲惨でございます。
身体がいうことを聞かないのでございます。
どんなにやろうと思っても、テキストを開いただけでウンザリしてしまうのでございます。
先ほども申しましたが、わたくしたちは、本試験当日に全力を尽くせばよいわけであります。
ですから、その他の日々は、本試験で全力を尽くせるように用いなければならないのでございます。
毎日全力ならば本試験でも全力が出る、というのでしたら、毎日全開パワーでよろしいかもしれませんが、実際にそうではないことは自明でございます。
本試験で全力を尽くすためには何をしたらいいか、どうしていけばいいかを、いまいちどお考えくださればと存じます。
穏当なお勉強を続けて、本試験で自分の実力を100%出し切れば、かなりの高い確率で合格できます。
やることさえやった人は、目の前に配られた問題冊子と解答用紙に、自分の持っている力を100%発揮できれば合格できるのです。
試験といいますのは、不足によって不合格になることもありますが、逆に、余分なことや余計なことで落ちることもあるのでございます。
意外にも、本試験前にお勉強で燃え尽きて灰色になってしまった御仁はたくさん居られます。
言い換えますと、本試験に全力を尽くすための準備が試験勉強である、ともいえるかと存じます。
お勉強のしすぎで落ちるなんて、大変もったいない事でございます。
宜しくご調整の程を、ご助言する次第でございます。

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精神集中

寒かったり暑かったりする春先でございます。
お勉強も身体が資本でありますから、各自、ご自愛の程、お願いする次第でございます。
ときに、強い風が吹き荒れることもございます。
移動中の際は、お気をつけくださればと存じます。
さてさて、こんな日々でもお勉強をしなくてはならないわけですが、ときには、まったくといっていいほど、集中できないときもあるかと存じます。
目の前の事に集中しようとしても、腹の中が煮えくり返っているときや、頭が何か他のことでいっぱいのとき、そのほか、体調等々の理由によって、どうしても集中できないときがあるかと存じます。
めやすは10〜15分でありましょうか。
やろうとしてその時間が経っても少しも集中できない時は、時間を変えるべきかと存じます。
精神集中といいますと古めかしく聞こえますが、やはり、それなりの心の状態が整わないとお勉強というのは進まないのではないかと考える次第でございます。
わたくしたちは機械ではありませんから、すぐに切り替えが効くものではありません。
逆にいえば、すぐに切り替えが効く人というのは、何かを病んでいるか、ほんとうに張りのないお心なのでありましょう。到底、わたくしには真似ができない事でございます。
しかも、お勉強といいますのは、結構内的なものでありまして、事務や雑用のようにただやればよい代物でもありません。
この点が、精神集中の有無が問われるのでございます。
何かに焦りながら、気にかけながら、追われながら、かっかしながらのお勉強では、少しも身につくものがありません。
そして、先ほど言いました、10〜15分の時間が経過しても、ちっとも集中できないときは、お止めになるのがよかろうかと存じます。
心が整わない状態で何かをしようとしても、つまらないミスを連発するのが関の山。
わかることもわからなくなるし、普段できることでもできなくなるのがオチでございます。
そんな状態でお勉強するくらいなら、戦略的撤退と申しますか、その時は止めてしまったほうがよい、という次第でございます。
意味のある言葉は残っていくもの。
精神集中というと、坊主臭ただよう言葉ですが、意外に含むものがあるなと思ったわたくしでございます。

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同じ事でも違うふう

まあ、基本的にお勉強といいますのは、同じ事の繰り返しでございます。
しかしながら、同じ事・同じ内容・同じ風の事であっても、受け取り方は段々と変わっていくのでございます。
試験勉強の最初の方はのっぺりとしたものが、中盤・後半とさしかかるに連れて、段々と凹凸が付いてくるものでございます。
(これは本試験で出てたところだな)とか、(これ、ややこしいんだよなあ)とか、(間違っているから気をつけないと)などといった思いを抱くかと存じます。
基礎や基本事項などは、お勉強の最初のほうはできなくても、フーン程度に高をくくっておりますが、試験勉強の追い込みなどに間違えたりできていない事が判明したしますと、ほんとうにぞっとして底が抜けるような不安に襲われます。
目の前の事は「同じ事」であっても、こちらの受け取り方が大きく違ってくるわけでございます。
その受け取り方の違いが、重要ではないかと考える次第でございます。
その違いが生じたことこそ、実力の伸びの明白な証拠である、というわけでございます。
お勉強上の悩み事といいますのも、それと同じ事が言えるのではないかと存じます。
お勉強をしておりますと、忘れる事やできなくなる事など、日常茶飯事でございます。
それらを体験するたびにガッカリするものであります。
これで本試験に間に合うのか、不安に思うこともありましょう。
しかし、そういった受け取り方をするようになっているのが、実力の証拠なのでございます。
まったく実力の付いていないときなら、できなかろうが、わからなかろうが、理解していないだろうが、平気の平左衛門であったはずでございます。
悩むのも、それが重要だ、出るなとわかるようになったがゆえんの事なのでございます。
受け取り方がまったく変わらないというのは、まったく成長のなかった証とも言うことができましょう。
お勉強をしない実力ゼロの人は、できないことやわからないことを恐れもしませんし、不安に思いません。
実力が曲がりにも出来上がっているからこその受け取り方の変化である、このことに意をお払いくださればと存じます。
受け取り方が変わっていくのなら、まだ、伸びしろのある証拠でございます。
基本的に大事なことは、大きく変わることはありません。
何度でもいうがよい、といいますように、何度でもやらないといざというときに役に立たないものでございます。
何度でも同じ事を言う人が居られますが、特にご老人の方でありますが、話の種がない理由のほかに、その話を何度もする価値があるために、何度も言うのではないかと考える次第でございます。
健康第一、身体が資本、酒はキチガイ水などとよく言われますが、ほんとうにそうだよねえと心底思われる方も居られるかと存じます。
おそらく幾多の経験を経た後にその話を思い出して、ああそうだったかと得心するのではないかと存じます。
四角い豆腐も丸く切れるものでございます。
受け取り方はどんどんと変化をしていくことを、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

(さらに…)