独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ためらいが無駄時間

人といいますのは、とても重要なことをやるのに際しては、時間をかけないものでございます。
お腹がキリキリと痛むときに、トイレに行こうか行くまいか、躊躇する人はいないかと存じます。
それこそダッシュでありまして、トイレに駆け込み、ドアを開けるときに片手はベルトを外して、すぐさま用が足せるようになっているかと存じます。
ここに、ためらいというものはございません。
基本的に、ほんとうにやろうとすること、やりたいこと、やるべきことにつきましては、着手するのに30秒と時間をかけないかと存じます。
意中のあの人から電話がかかってきたり、メールの着信音がしたなら、それこそ、飛びかるように電話機に向かうものでございます。
わたくしたちは、やるべきことに対して、時間をあける必要はないのでございます。
基本的に、お勉強をしようと思っているのなら、それから30秒以内に着手すべきでございます。
というのも、この30秒を超えて手をつけないでいると、以降はぐだぐだタイムの展開が始まるからでございます。
(やろうかなあ〜)と思いつつも、何かどうでもいいこと、くだらないこと、今やらなくてもいいことで大切な時間を満たしてしまうことは、多々ございます。
これはほんとうによくない、時間の使い方であるかと存じます。
やろうと思っているのに、なぜかできない。こうしたことは多々ございますが、そうさせるのは、「ためらい」という形のない、厄介な化け物でございます。
選択に悩んだりすることとは、全く別の心の動きであるかと存じます。
これをしたらいいのかな?と考える事は、危険予知であったり、ほかの選択肢を慮ったり、応益の比較考量であったりと、結構な知的行為であるといえましょう。
しかし、当該ためらいは、やるべきこととそのやるべき価値を把握しており、その他の選択肢は総じてやる必要性も価値もないことがはっきりしているわけでございます。
ここで、判断に悩む事など無いのでございます。
わたくしたちが取るべきは、心に巣くうためらいを除く事でございます。
いや、正確に言うならば、心にためらいが起きる前に、行動に移すべきなのでございます。
つまり、心にためらいが生まれてその巣を張る前に、わたくしたちがやるべき事に着手すべきなのでございます。
これがいまのところ、わたくしがとっております、ためらい対処法でございます。
ためらえばためらうほど、手がけるのに時間がかかってくるかと存じます。
すぐにやれば終る事なのに、うだうだして、気付いたら夜の11時から手がけることになるわけでございます。
(ああ、もうこんな時間!)と気が急いて焦ってしまえば、いい作業にはならないかと存じます。
恋のためらいなら、まあまだ、絵にも歌にもなりますが、お勉強のためらいなど、何の色もございません。
今日の分はささっとやってしまってその後で、気持ちよくぐだぐだしてほしく存じます。

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勉強のためによく休む

「ナポレオンは睡眠を3時間しか取らなかった.。しかし、よく居眠りをしていた。」
わたくしは、この故事が大好きでございます。働くことも大事ですが、休むことも等しく大切なのでございます。
よく動くためにはよく休まねばならないのでございます。寝ずして何かを為そうとは考えぬほうが良いかと存じます。
よっぽどの事情がない限りは、人間は夜も寝ないでがんばりにがんばれないものでございます。
例えば、億単位の借金があるとか、周りから相当たるプレッシャーを与えられているとか、私財のほとんどを事業につぎ込んでいるなどの事情があるのでしたら、24時間365日、それこそがんばりにがんばれるかと思います。
しかし、わたくしたちの大半は、そのような事態にはありませんし、お勉強といいますのは、これまた、そういう事態にある人ができるようなものではございません。
個人的には、のっぴならない事情にある人は、お勉強などしてはならないかと存じます。
1日たりとも休まない、苛烈過ぎる勉強というのは、たいていは身の毒となります。
失敗したときの衝撃が半端ではありません。最悪、軽いうつ状態になるかと存じます。
よく休みこと、このことをお忘れないように、お勉強のお励みくださればと存じます。
日曜日の存在が、よきヒントになるかと存じます。
なぜ1週間のうち、1日だけ休みがあるかといいますと、休んだ方が効率がよいからでございます。
雇用者の立場からいうと、休ませた方がよく働かせられる、というわけでございます。
この休ませた方が効率がよい、という労務管理は、江戸時代からあったと言われております。
盆と正月くらいしか休みがない丁稚奉公だと思われておりますが、四季のイベントやら年中行事、そのほか業界のしきたり等々によりまして、完全な休みと言うのはありませんが、だいぶ休める日々、仕事をしない日々があったと言われているのでございます。
明治・大正にいたっても、奉公人を休ませた方が働きが良いことは、よく知られていたようでございます。
現代においても、話は変わらず、でございます。
よく動くためにはよく休まねばならない、まずはこの点をご理解くださればと存じます。
お勉強と申しますと、ねじり鉢巻にひたすら努力とイメージされる方も多いかと存じます。
一面はそうでございます。ほんとうにやらねばならないときは、ひたすらにお勉強をしなくてはなりません。
しかし、ただがんばるだけがお勉強ではありません。きちんと、休むことを考えておかないと、身体や頭がついていかないのでございます。
相当たる理由がないのに、がんばり続ける事は心身ともに、ダメージを与えるものでございます。
心身にダメージがあれば、お勉強の進捗もかんばしくはなくなるかと存じます。
鉄だって、同じところばかりを使い続ければ、金属疲労を起こして壊れてしまうのでございます。
いわんや、我々の身をや、でございます。
どうすれば自分がリラックスできて活力が戻るのか、よくよく知っておいてほしく存じます。
趣味や興味、娯楽があるのも、よくやらんがためでございます。

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使用頻度で置く

先日のススメでは、お勉強の際の机の大きさについて、言及いたしました。
今回は、底に何をどう置いていくかについてみていきたく存じます。宜しく、お耳汚れの程、申し上げる次第でございます。
さて、皆様のパソコンでございますが、たくさんのソフトウェアがインストールされているかと存じます。
基本、余分なソフトはのないほうがメモリを食いませんので、使わないソフトはどんどん削除すべきでございます。
代表的なのは、無料期間の過ぎたお試しソフトやウイルス対策ソフト、ファイヤーウォールソフトでございます。
もはやそうしたソフトは使いようがありませんから、使用期限が過ぎたものは、ばしばしと削除くださればと存じます。
ここまでは誰でもできるのでございます。
問題なのは、使いそうなソフトウェア、使うかもしれないソフトウェア、役に立ちそうなソフトウェアでございます。
そこで注目すべきが、使用頻度という目盛りでございます。
基本的に、1年間使っていないソフトウェアは削除しても、問題はありません。
たとえ、そのソフトウェアが必要になったとしても、そのときは自分のパソコンにあるかどうかの記憶も定かではなく、おそらく、検索をかけてフリーのソフトなどをダウンロードして、間に合わせるものなのでございます。
なくても支障はないのですから、削除しても構わないかと存じます。
この「使用頻度」に着目して、ソフトウェアを整理・削除していきますと、幾分かパソコンの動きは良くなって快適なPCタイムが過ごせるかと存じます。
同様の事が、お勉強のことにも言えるのでございます。
使用頻度の高いものを身近に、そうでないものは、身の回りから遠ざけていくと、非常に、利便で快適なお勉強空間ができあがるのでございます。
まず、3重丸を頭に浮かべてほしく存じます。円の中心には自分自身を置きます。
1番真ん中の丸には毎日使うものを置きます。お勉強で言いますと、テキストや問題集、過去問、その他の資料、文房具類、メモ用紙、紙切れ、ノートの類でございます。
手を伸ばせばすぐの、思い立ったら即、手の届く範囲にこれらのものを置くのでございます。
もしスペースが足りなくなるようでしたら、折りたたみ式の物置き場などをホームセンターから買ってこれば良いかと存じます。試験後は植木鉢置きにでもできますので、あって損はありません。
2番目の丸には、週に何回か使うものを置くものでございます。
たとえば、辞書や辞典、時々見ることになる願書を置くことになりましょうか。
それか、使用頻度の少ない教材を置くかと存じます。
最後の最も外の丸は、月に1回くらい使うものがあれば、そこに置きます。
それ以外のものは、お勉強の空間に置かないように致します。
ほかの部屋に持っていくか、押入れに投げ込むか、それか、勇気を奮って捨てるべきでございます。
2対8の法則というのは、この使用頻度にも当てはまるものでございまして、わたくしたちがその日常で80%使う道具というのは、道具全体の20%のものに限られると申します。
先のパソコンでいえば、どれだけソフトウェアがあろうとも、よく使うのは全体の2割となる塩梅でございます。
調味料もいえるのではないかと存じます。ずらりと東西の調味料があっても、1番使うのは味噌としょう油ではないでしょうか。
20世紀に現われた最新の調味料のXOジャンなどはいつ使ったのでしょう。
身の回りに1番良く使うものを集中させれば、取りに行く事も少なくなり、どっかり腰を落ち着け、集中してお勉強臨めるかと存じます。
頭ん中はそうそうに変えられませんが、身の回りの物理的なことはいくらでも変えられるものでございます。
是非、お試しくださればと存じます。

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