お勉強には、やる気と切っても切れない関係がございます。
やる気がなかったり、湧かなかったりすると、お勉強といいますのは進まないものでございます。
では、このやる気とは、何かと申しますと、それは気持ちではないかと存じます。
人といいますのは、ほんとうに感情の生き物でありまして、いい気持ちなら疲れていてもお勉強ができてしまうものでございます。
逆に、気分が悪いときには、疲れてなくても、テキストの1ページすら読みたくなくなるものでございます。
お勉強は継続が大切でございますから、気分次第でお勉強したりしなかったりではよろしくありませんが、お勉強の能率や進捗というのは、気持ちの状態に強い因果のあることを意識の片隅においていてくださればと存じます。
では、問題なのが、気持ちをどう整えるか、でございます。
お仕事がらみや人間関係のどうしてもアレしてしまうものは、致し方がありません。
お給料とは我慢料、腐れ縁に逆縁などの言葉は、今でもしっかり根付いておりますが、やはり、それらの悩みは尽きないものでございます。
こうしたことは、どう思おうが、まあ、ぶっちゃけいえば、心のなかで何回ぶちのめしても変わらないものでありますから、考えないようにするのが賢明でございます。
わたくしたちが気持ちにおいてできることは、くだらないことやつまらないことでいっぱいにしないことでございます。
こうしたことは、普通に生きていたら引きも切りません。
歩いたらガムを踏んだ、ウンチを踏んだ、近所の犬が壁におしっこをする、ゴミを捨てに行ったら回収されていた、ゴミを出したらカラスが突いて散乱して、私生活がもろになってしまった、駐輪場の自転車が乱雑、頼んだ事ができてない、色々とございます。
電車に乗ることでさえ、不満や苛立ちはございます。
臭いポマード、きつい香水、近くで化粧、腋臭、異臭、体臭、濡れた傘があたる、並んでいたら順番を無視される、家を出て駅に着いたら定期やカードを忘れてたなど、何でもいらだちの元でございます。
しかし、こうしたことでいちいちむかついていたら、心のエネルギーは拡散するのみでございます。
読む物、見る物も気持ちには影響を及ぼします。
陰惨なニュースがよく目に付きますが、なんてことはない、そういうものをテレビ局はピックアップして放送するのでございます。
読み物も、最近は人の目を引くことに一生懸命で、見ると疲れてしまいます。
わたくしは、最近とみに雑誌を買わなくなりました。表紙倒れともうしますか、内容がないのでございます。これなら、識者のブログやまとめ系ブログを読んでいるほうがよっぽど満足があるものでございます。
お勉強を抱えているのでありましたら、まず、下らぬことで心を惑わせないことでございます。
そして、見る物と聞く物を選ぶ事でございます。
ニュースやテレビ、その他のwebサイトやブログなどは、お勉強後に見るのが賢明かと存じます。見てしまえば、どうしても影響を受けてしまうからでございます。
ならば、まずお勉強を済ませてから、気分転換なりで見るのが宜しいかと存じます。
お勉強がはかどらない際は、少し自分の心を確かめてみることでございます。
感情の使い方や、見る物や聞く物を変えてみるだけで、気持ちは変ってまいります。
気は持ちようとは、よく言ったものだと痛感する次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月12日 10:48 AM |
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お勉強といいますは、まあ、基本は適当といいますか、根を詰めないようにするのが肝要でございます。
もちろんのこと、このことは真面目にやらないというわけではないのでございます。
やるときは真面目にやりますが、めちゃくちゃにがんばらないのでございます。
といいますのも、独学と申しますのは、基本的に監視をする人がおりませんので、やめようと思えばいつでも好きなときに止めてしまえるのでございます。
「もうすこしがんばろうぜ!」という人がいませんから、あまりに自分を追い込みすぎてしまうと、途端に嫌になってしまい、お勉強が頓挫なり挫折をするわけでございます。
無理を通せば、ほんとうに道理は引っ込むもの。
お勉強にがんばったら、後で長期のスランプに陥って、がんばった事がすべて水泡に帰したなんてこともございます。
この点、独学には独学の特性がございますので、よくよく考えてお勉強してくださればと存じます。
さて、独学の特性と申しますと、その他のサポートがないのも、その特徴であるかと存じます。
いってしまえば、すべてのことを自分でやらないといけないわけでございます。
願書は自分で取りにいかないといけませんし、資料は自分で探さないといけませんし、情報の取捨選択も、自分でやっていかねばなりません。
よい例えをするなら、わたくしたちというのは、超零細企業であるとお考えくださればと存じます。
それはちょっとという方は、まあ、自分の腕が頼みの職人、とでもお考えくださればと存じます。
2つに共通するのは、毎日が勝負という点でございます。
毎日がんばりすぎて、数ヵ月後に身体が動かなくなってしまえば、その時点でその事業はぽしゃってしまうのでございます。
専門学校等でありますと、まあ、質問体制や相談コーナーなどの、いうなれば福利厚生が充実してございます。
しかし、独学と申しますのは、この点、非常なほどの素寒貧でございます。
自分でやらずしては、何も始まらないものでありますから、気を抜けないのでございます。
基本的に、気を抜くのは本試験を受けた後だけ、でございます。
独学は、基本的に楽天的で、追い込まず、気を楽に行うものでありますが、それは、「気」を本試験まで維持せんがためでございます。
いったん気を抜ききってしまうと、再び元の地点に戻るのには結構な時間がかかります。
ゆっくりやっても構いませんし、多少、できなくても、わからなくても構いませんが、ただ、気だけは完全に抜かないようにしてくださればと存じます。
成長や実力の伸びというのは、想像以上に遅れてやって参ります。
この点も併せて、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月11日 12:28 PM |
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基本的に、お勉強といいますのは、気が重いものでございます。
少なくとも、朗らかな気分でやれるものではないかと存じます。
そこで大切になってくるのが、いかにすっきりした気分で、お勉強に臨むかでございます。
本日のススメは、そうするための一工夫をご紹介したく存じます。
気持ちよくお勉強をするには、まず、物の場所を明確に決めておくことでございます。
テキストは、問題集は、過去問は、どこに置くかを、決めておくのでございます。
もちろん、教材類ばかりでは限りません。
文具類、ノート、メモ帳、メモ用紙、ポストイット、マーカー、下敷き、カードなど、もろもろの道具の置き場所を決めておきます。
物を使い終わったその都度、物をどこに置くか考えるのは、酸素と時間の無駄でございます。
また、適当に物を置いていくと、あれはどこに置いたのかわからなくなるという、要らぬ手間を食うこととなります。
物の置き場所が決まっていないのは、目に見えませんが、意外にロスと相なります。
もちろんのこと、毎回置く場所を変えると、どこにあるのかわからなくなって、イライラしてしまいます。
そんなほかごとに頭をつかうから、お勉強に向かうときには、頭がへとへとになっているのでございます。
あるべき場所にあるべき物があるだけで、無用のストレスを減らす事ができるかと思います。
専門学校や図書館の自習室、カフェ、その他ファストフードのお店だと、妙に落ち着いて勉強ができるのも、そこには、無用の物がないからでございます。
物がなければ、あるべき場所も当然ございません。
逆に言えば、物があるべきところにない物は、それだけ、ストレスの原因になるわけでございます。
まあ、上記のことは、お勉強に限らず、生活一般、お仕事やお家事一般にも通じるものがございます。
たとえば、電車の切符やバスの整理券を入れておく場所を決めておくと、どこに置いたのか不安になることは絶無と相なります。
これが決めておりませんと、読んでいる本の間に挟んだり、財布や鞄の適当なところにしまい込んだりして、改札口にて要らぬ手間がかかったり、余計な運賃を支払わなければならなくなるわけでございます。
ちなみにわたくしは、ズボンのミニポッケに切符類を入れるようにしております。18のときからの、変らぬ習慣と相なってございます。
「あるべき場所にあるべき物を」は、多くのことに応用いただけるかと存じます。
何かを変えたい、変わりたいと思うようでありましたら、まず、場所の考察から着手してくださればと存じます。
そして、その場所がない場合は、無駄な物・ゴミ・捨てられない物を、勇気と理性を持って処分くださればと存じます。
新しく始めるには、古い物を捨てねばならないことに、ご留意くださいまし。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月10日 4:55 PM |
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