独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

夜に行く末考えず

基本的に、試験勉強といいますのは、不安の塊のようなものでございます。
合格率が50%を超えるような試験でありましたら、まあ、不安も和らぐものでございます。
しかし、現実に合格率は、高くて10%台でありまして、下手をしたらそれを下回る数字でございます。
10人に1人しか受からない、10人に9人は落ちるというわけですから、純粋な確率上、落ちる方が高いわけであります。
この時点で、不安はむくむくと際限なくわきあがることでしょう。
しかも、でございます。
試験勉強におきましては、完全なる対策は不可能でございます。
試験範囲の全てを勉強するのは無駄が多く、到底できないものでありますし、試験問題も誰が解けるのかわからないような問題がございます。
問題の傾向もがくっと変わることもあり、なかなかに完全な対策は難しいのでございます。
この対策の不完全さも、不安の原因となるものでございます。
まあ、このように、試験勉強というのは、不安と切っても切れない関係にあることを、知っておくべきかと存じます。
さて、この不安の中身についてなのですが、くれぐれも夜の時間に考えないようにしてほしく思います。
というのも、夜の考えというのは、どうも陰に陰に入り込んでいく傾向が強く、必要以上に、気落ちするからでございます。
まともじゃない、などといいますと大げさのように聞こえますが、基本、まともでないように考えている気がしてならないのでございます。
(ああ、こんな問題を間違えてしまった!)と考えるにせよ、夜だと、ああこれでもう落ちてしまう、とか、何度もやったのにできないなあ、などと、深みにはまるような考えに到ってしまうのでございます。
しかし、朝や昼だと、そんなに深く考えず、まあ、こういうこともあるべよと、色合いが180度も違う風に考えるのでございます。
是非とも、朝や昼の思考と、夜の思考との明白なる「差」をお確かめくださればと存じます。
人口に膾炙するところでは、夜書いた恋文というのは、とてもじゃないが見れたものでない、と申します。
支離滅裂でルナティック、そんなことを言ってもいいのかよ!とさまぁ〜ず・三村が青筋を立てて突っ込むような内容になるのでございます。
夜に今後の試験のついて考えると、どうもくさくさしますし、水っぽく、前向きにならないような傾向があるかと考える次第でございます。
夜だと、2〜3問間違ったくらいで、本気で落ちるなあとベッドのなかでぐったりしたりするのでございます。
お勉強の計画を練るときや反省をするときは、できるだけ、朝か昼の時間帯に行うことをお勧めしたく存じます。
夜に大反省会など致しますと、本当にぐったり致します。
夜はお勉強一筋に、読んだり解いたり書いたりして頭を酷使して、バタンとベッドに倒れこむのが宜しかろうと存じます。
そしてつぎの日の、コーヒータイムのときにでも、昨日のお勉強を反芻してみればよいでしょう。
夜にショックを受けても、朝や昼に見返してみると、なんで、あんなに衝撃を受けたのかわからないときもあるかと存じます。
夜は考えるに適さない時間帯であることを、意識の片隅においていてくださればと存じます。
蛇足ではありますが、布団の中ではあれこれと考えないのが賢明かと存じます。
基本的に全く無駄でございます。何ひとつ、建設的なことや前向きなものは生まれてこないでしょう。
わたくし自身、何度も布団のなかでヤキモキしましたが、何ひとつ考えたことを覚えておりません。睡眠が不足しただけ損でした。
布団の中では、普段読まない本でも読むのが1番でございます。

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一生懸命のふり

やる気を出す方法のひとつに、一生懸命にやることが挙げられるかと存じます。
やる気があるから一生懸命になる、というわけではないのでございます。
一生懸命になるから、やる気が出て来るといった次第でございます。
めんどくせえと思って気持ち半分にやったり、適当にやったりするのが、1番メンドクサイお勉強なのでございます。
それもそのはず、それでは、やる気が1つも分泌されないからでございます。
やるならやる、やらないならやらない、そのあたりの気持ちをはっきりさせることが、肝要であるかと存じます。
しかし、人間でありますから、全てが全てのお勉強に一生懸命になれるものではありません。
また、お勉強の対象でも、一生懸命になれるかどうかが決まってまいります。
くっだらない、と吐き捨てるしかないものは、確かにございます。
どうでもいいような数字を憶えたり、わけのわからぬ仕組みやシステムや、定義や語句や用語や、表やリストや、試験が終ればあっという間に忘れそうな、こまごまとしたものを憶えなければなりません。
そんなものに、一生懸命になれるわけがないのでございます。
しかしながら、内実は伴わなくても、外見だけの物まねなら、できるものではないでしょうか。
心身ともに一生懸命になるのは難しゅうございますが、一生懸命になっている「わたし」くらいなら、演じることができるのではないでしょうか。
つまり、一生懸命のふりをするのでございます。
これはこうで、あれはあーで、テキストの文言を神妙に考えるふりを致します。
この意味はこうで、あのところにかかってくる云々かんぬんと、まるで問題集の問題が深遠な人生の問題を考察するかのように解いてみます。
まるで聖典に接した僧侶のように、感動に震えながらテキストを読んでみます。
まるで、予備校や専門学校の講師のような感じに、(お、なかなか上手い問題だなあ、次の小テストに使ってみるかね)と完全なる上から目線で過去問を解いてみます。
熱があるようなふりでも、不思議なもので次第に、本当の熱が入ってくるのでございます。
最初はあんなに冷え冷えとしていたやる気が暖かくなって、やっていけてしまうのでございます。
中途半端に燃える不完全燃焼状態は、非常に疲れます。
ならば、ふりでも構いませんので、完全な燃焼状態にてお勉強をしてくださればと存じます。
さて、この一生懸命のふりは、時間を決めてやるとようございます。
俳優でもあるまいし、何時間も「勉強をする人」のふりなど、できるものではありません。
ですから、30分なら30分と時間を決めて、その時間だけは熱のあるふりをして、それ以外は、のんべんだらりとするのがよかろうかと存じます。
しかし、まあ、30分でも熱のあるふりをすれば、その余力で残りのお勉強時間も、一生懸命にできるかと存じます。
一生懸命やるふり、熱のあるふりでも、お勉強には効果的であることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

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最悪には確証あり

考え方といいますのは、やはりあるものでございます。
最善のことから考えるのと、最悪な考えるのとは、どちらが楽であり、そして、確かであるかといいますと、明らかに最悪な方でございます。
最悪なこと、つまり、自分にとって最も起きてほしくないことというのは、非常によくわかるのでございます。想像がつくのでございます。
あのデータが消えてしまうと、この半年の仕事がパーである、とか、昔の異性遍歴が今の配偶者にばれるわけにはいかない、といったケースが、ざっと考えられるかと存じます。
悪いことといいますのは、ありありと考えられて、ある程度の想像がつくのでございます。
ですから、考えられる範囲で、想像できる範囲で、そうしたことについて、1つ1つ手をつけていくわけでございます。
先程の例で言えば、毎日軽いバックアップをとって帰る、週に一度はHDDに焼いておく、心を尽くして世話する、色目を持たない、そんな雰囲気すらもたない、人目につかないよう地味にするなどの処置を取ることで手を打っていくわけでございます。
こうした処置が、茫漠とした不安を晴らし、そして、自分の現状でできることとできないことを分けていくのでございます。
逆に、最高のことから考え出しますと、いまいち、しっくりこない、ふわふわした夢想者のたわごとになりかねないのでございます。
誰しも、ほんとうに意中の異性がいるものでございます。
男性で言えば、姉御肌の人がいいとか、若い人がいい、とか、かといえば、少し歳を食って酸いも甘いも知っている方がよい、また、口には言えない嗜好なり癖があるものでございます。
女性で言えば、白馬の王子様が迎えに来るなどが、例として挙げられるかと存じます。
しかし、でございます。
夢想したり、想像のなかで楽しんだり、話の種、おしゃべりの友、酒の肴にするのは十分役に立つのでありますが、さて、実際に実現を考えようとしても、どう考えればよいかと相なるわけでございます。
王子様といえば、王族でございますが、王族に見合う身分であるかどうか、まず問題でありますし、馬というのは意外に飼料代が馬鹿にならず、糞の始末から馬小屋の掃除まで考えると、人を2人は雇わねばならず、結構な恒常的な出費となってしまいます。
また、王子なら何でもよいかなどといいますとそうでもなく、50歳でも王子様の方はごまんとおられるかと存じます。
自分が最高だなと思っていることといいますのは、意外に考え難いのでございます。
欲をかき過ぎると失敗するなどと申しますが、それは、最高を目指していくうちに現実から遊離して、戯言レベルの思考と相なるからではないかと、考える次第でございます。
長々となりましたが、お勉強におきましても同様の事情であるかと存じます。
できなかったりわからなかったりして、不安になったり気に病んだりした際は、最悪のことから考えてみると、しっかりと地に足付いた考えができるかと存じます。
最悪、1点の失点だろ、ほかで取り戻すよ!などと考えられれば、できなかったことについての胸のつかえは取れるように思います。
最悪の事態やケースに思いを馳せることで、確証を重ねていけるかと存じます。
蛇足でございますが、最悪のケースが取るに足らないものの場合は、それに関して気に病んだり心を割く必要がないわけでございます。
アレコレ気に病んでも、最悪、10万あればカタがつくのであれば、全く気に病むものではないかと存じます。それ以上のときは、熟考して、よくよく考えれば良いかと存じます。

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