独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

最悪には確証あり

考え方といいますのは、やはりあるものでございます。
最善のことから考えるのと、最悪な考えるのとは、どちらが楽であり、そして、確かであるかといいますと、明らかに最悪な方でございます。
最悪なこと、つまり、自分にとって最も起きてほしくないことというのは、非常によくわかるのでございます。想像がつくのでございます。
あのデータが消えてしまうと、この半年の仕事がパーである、とか、昔の異性遍歴が今の配偶者にばれるわけにはいかない、といったケースが、ざっと考えられるかと存じます。
悪いことといいますのは、ありありと考えられて、ある程度の想像がつくのでございます。
ですから、考えられる範囲で、想像できる範囲で、そうしたことについて、1つ1つ手をつけていくわけでございます。
先程の例で言えば、毎日軽いバックアップをとって帰る、週に一度はHDDに焼いておく、心を尽くして世話する、色目を持たない、そんな雰囲気すらもたない、人目につかないよう地味にするなどの処置を取ることで手を打っていくわけでございます。
こうした処置が、茫漠とした不安を晴らし、そして、自分の現状でできることとできないことを分けていくのでございます。
逆に、最高のことから考え出しますと、いまいち、しっくりこない、ふわふわした夢想者のたわごとになりかねないのでございます。
誰しも、ほんとうに意中の異性がいるものでございます。
男性で言えば、姉御肌の人がいいとか、若い人がいい、とか、かといえば、少し歳を食って酸いも甘いも知っている方がよい、また、口には言えない嗜好なり癖があるものでございます。
女性で言えば、白馬の王子様が迎えに来るなどが、例として挙げられるかと存じます。
しかし、でございます。
夢想したり、想像のなかで楽しんだり、話の種、おしゃべりの友、酒の肴にするのは十分役に立つのでありますが、さて、実際に実現を考えようとしても、どう考えればよいかと相なるわけでございます。
王子様といえば、王族でございますが、王族に見合う身分であるかどうか、まず問題でありますし、馬というのは意外に飼料代が馬鹿にならず、糞の始末から馬小屋の掃除まで考えると、人を2人は雇わねばならず、結構な恒常的な出費となってしまいます。
また、王子なら何でもよいかなどといいますとそうでもなく、50歳でも王子様の方はごまんとおられるかと存じます。
自分が最高だなと思っていることといいますのは、意外に考え難いのでございます。
欲をかき過ぎると失敗するなどと申しますが、それは、最高を目指していくうちに現実から遊離して、戯言レベルの思考と相なるからではないかと、考える次第でございます。
長々となりましたが、お勉強におきましても同様の事情であるかと存じます。
できなかったりわからなかったりして、不安になったり気に病んだりした際は、最悪のことから考えてみると、しっかりと地に足付いた考えができるかと存じます。
最悪、1点の失点だろ、ほかで取り戻すよ!などと考えられれば、できなかったことについての胸のつかえは取れるように思います。
最悪の事態やケースに思いを馳せることで、確証を重ねていけるかと存じます。
蛇足でございますが、最悪のケースが取るに足らないものの場合は、それに関して気に病んだり心を割く必要がないわけでございます。
アレコレ気に病んでも、最悪、10万あればカタがつくのであれば、全く気に病むものではないかと存じます。それ以上のときは、熟考して、よくよく考えれば良いかと存じます。

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最悪のケース思考

絶対できると思っていた問題を間違ったり、完全に憶えたはずのことを忘れていたり致しますと、なんだか足元が崩れるような不安に襲われるものでございます。
わからなくはありませんが、過度に不安に思うことはなさらぬよう、釘を刺しておきたく存じます。
といいますのも、合格するに足る実力の持ち主だって、ときにうっかりして忘れることも、できないことがございます。
そして、できること・マスターしたことといいますのは、いざ本試験ともなれば、ほぼ100%思い出したり解けるものでございます。
最も危いのは、自分でもできるかなと不安に思っているところや、やり足りないなあと思っているところでございます。
そうしたところが不運にも、本試験で出てしまうと、まあできないものでございます。
できることといいますのは、多少、日々の試験勉強のときにできなくとも、本試験となればできちゃうものでございます。
この点を踏まえてクヨクヨせず、復習に精を出してくださればと存じます。
さて、もうひとつ、お考えください。
それができないとした場合、最悪のケースには、どのようなものが考えられるでしょうか。
最悪のケースとは、できないところが本試験にてバッチリと出題され、それが原因で不合格となることるかと存じます。
しかし、それには、どれだけの実現可能性があるのでしょうか。
まず、そのわからない・できない・憶えられないところは、どれほどの頻度で問題になるのでしょうか。
多少できなくても、ぶっちゃけいえば、そこがそんなに出題されないならば、どうってことないわけでございます。
もし、そこがよく出るところでしたら、失点の可能性が高まり、点を失うことになりますから、大いに反省をしなければなりません。
しかし、数年に1回こっきりしか出ないところや、ほんとうに枝葉末節で、他の受験生もやってなさそうなところは、言うほどに点差が生じないので、最終的な合否には関係しないものでございます。
ですから、そこができないからといっても、直通で不合格になるとは限らないのでございます。
過去問の傾向や出題分布を見て、どのくらいの影響があるかを確かめれば、本当にそこができないのを反省すべきかどうかをいえないのでございます。
できなくても、出題される可能性が低いのなら、期待値は0.01点程度の損失になるかと存じます。
しかも、あるところができずとも、最悪、完全に1点を失うのが関の山でございます。
よっぽどの超重要事項でもない限り、2点、3点といった大量失点には到らないのでございます。
いうなれば、単に1点失うのみ、でございます。
あるところができないからといって、気に病むのは、確かに復習の機会や次のお勉強の発奮となりますから、悪い事ではありません。
しかし、あまりに考えすぎて、お勉強から遠ざかるようなら、それは正しき思考ではないように思います。
しっかり復習するなり、対策を取りさえすれば、できないところは次第に解消するもの。
それか、捨て問にして1点を失うことを覚悟し、他のところで取り返すようにすれば、それ以上、そのことについて悩むのは損であると、考える次第でございます。
目の前の失敗なりできないなりに心が奪われているようでしたら、一度、最悪のケースをお考えくださればと存じます。
さすれば、そんな事にずっと関わってはならない、拘泥してはならないことが分かってくるかと存じます。

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考えたら楽観的に

独学におきましては、基本的に楽観がその根底にございます。
しかし、単に少し抜けただけの楽観ではありません。
よくよく考えてみたうえでの、楽観なのでございます。
たとえば、テキストの定義文なり表・リスト、重要語句・用語が憶えられないと致しましょう。
多くの人は、ここで肩を落としたり気分が暗くなったりするものでございます。
できない・わからない、は確かに、不合格のもとではございます。
しかし、それは、本試験のそのときだけのものでありまして、本試験の日までにできるようになっていればよいだけの話でございます。
ですから、「いまはできない・わからないけれども」と条件付けて考えなければならないのでございます。
そう考えますから、ほいじゃまあ、今できることはなんじゃいな、とか、どこからやるかね、といったように次善の策が生まれてくるのでございます。
多くのうちの1個でもできれば、あとはそのやり方で、2個、3個とできる部分を増やせばよいわけでございます。
2個、3個とできるように、わかるように、憶えられるようになれば、次は半分を目指します。
おそらく、できることでしょう。半分まで済めば、残りはできたも同然でございます。
全部ができないからといって、むやみやたらに落ち込んだり、陰気になることほど、事態の解決を遠ざけているものはございません。
また、でございます。
できなかったりわからなかったりしたときは、反省すべき点が必ずございます。
しかし、落ち込んでいたり、できないやなどと悲観的な気分に浸っておりますと、どうしても、その反省が疎かになるのでございます。
基本的に、あるところができなくても、お勉強上の反省点や教訓を汲み取ったならば、それでおしまいなのでございます。悲観をするような隙はないのでございます。
得た教訓や対策なりを考えるわけですから、それ以降は、失敗や失策については考えないのでございます。
悲観の始まりは無思考から、と申します。愚か者はどんな幸福な境遇でも嘆く、と申します。
逆に言えば、今日できなかったなら、そのできなかったことを明日以降に考えなくなるまでの処置なり反省をしてないからこそ、悲観的になってしまうのでございます。
お勉強におきましては、ひとまず楽観的な姿勢を保ち、そして、よくよくどうしたらいいか、どうしたらできるようになるか、忘れないようになるかを自身の頭でお考えくださればと存じます。
うんうんと心に気に病むよりも、よっぽど、問題解決に繋がるかと存じます。
解決に向いて考えておりますと、楽観的になるものでございます。

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