絶対できると思っていた問題を間違ったり、完全に憶えたはずのことを忘れていたり致しますと、なんだか足元が崩れるような不安に襲われるものでございます。
わからなくはありませんが、過度に不安に思うことはなさらぬよう、釘を刺しておきたく存じます。
といいますのも、合格するに足る実力の持ち主だって、ときにうっかりして忘れることも、できないことがございます。
そして、できること・マスターしたことといいますのは、いざ本試験ともなれば、ほぼ100%思い出したり解けるものでございます。
最も危いのは、自分でもできるかなと不安に思っているところや、やり足りないなあと思っているところでございます。
そうしたところが不運にも、本試験で出てしまうと、まあできないものでございます。
できることといいますのは、多少、日々の試験勉強のときにできなくとも、本試験となればできちゃうものでございます。
この点を踏まえてクヨクヨせず、復習に精を出してくださればと存じます。
さて、もうひとつ、お考えください。
それができないとした場合、最悪のケースには、どのようなものが考えられるでしょうか。
最悪のケースとは、できないところが本試験にてバッチリと出題され、それが原因で不合格となることるかと存じます。
しかし、それには、どれだけの実現可能性があるのでしょうか。
まず、そのわからない・できない・憶えられないところは、どれほどの頻度で問題になるのでしょうか。
多少できなくても、ぶっちゃけいえば、そこがそんなに出題されないならば、どうってことないわけでございます。
もし、そこがよく出るところでしたら、失点の可能性が高まり、点を失うことになりますから、大いに反省をしなければなりません。
しかし、数年に1回こっきりしか出ないところや、ほんとうに枝葉末節で、他の受験生もやってなさそうなところは、言うほどに点差が生じないので、最終的な合否には関係しないものでございます。
ですから、そこができないからといっても、直通で不合格になるとは限らないのでございます。
過去問の傾向や出題分布を見て、どのくらいの影響があるかを確かめれば、本当にそこができないのを反省すべきかどうかをいえないのでございます。
できなくても、出題される可能性が低いのなら、期待値は0.01点程度の損失になるかと存じます。
しかも、あるところができずとも、最悪、完全に1点を失うのが関の山でございます。
よっぽどの超重要事項でもない限り、2点、3点といった大量失点には到らないのでございます。
いうなれば、単に1点失うのみ、でございます。
あるところができないからといって、気に病むのは、確かに復習の機会や次のお勉強の発奮となりますから、悪い事ではありません。
しかし、あまりに考えすぎて、お勉強から遠ざかるようなら、それは正しき思考ではないように思います。
しっかり復習するなり、対策を取りさえすれば、できないところは次第に解消するもの。
それか、捨て問にして1点を失うことを覚悟し、他のところで取り返すようにすれば、それ以上、そのことについて悩むのは損であると、考える次第でございます。
目の前の失敗なりできないなりに心が奪われているようでしたら、一度、最悪のケースをお考えくださればと存じます。
さすれば、そんな事にずっと関わってはならない、拘泥してはならないことが分かってくるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月17日 4:12 PM |
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独学におきましては、基本的に楽観がその根底にございます。
しかし、単に少し抜けただけの楽観ではありません。
よくよく考えてみたうえでの、楽観なのでございます。
たとえば、テキストの定義文なり表・リスト、重要語句・用語が憶えられないと致しましょう。
多くの人は、ここで肩を落としたり気分が暗くなったりするものでございます。
できない・わからない、は確かに、不合格のもとではございます。
しかし、それは、本試験のそのときだけのものでありまして、本試験の日までにできるようになっていればよいだけの話でございます。
ですから、「いまはできない・わからないけれども」と条件付けて考えなければならないのでございます。
そう考えますから、ほいじゃまあ、今できることはなんじゃいな、とか、どこからやるかね、といったように次善の策が生まれてくるのでございます。
多くのうちの1個でもできれば、あとはそのやり方で、2個、3個とできる部分を増やせばよいわけでございます。
2個、3個とできるように、わかるように、憶えられるようになれば、次は半分を目指します。
おそらく、できることでしょう。半分まで済めば、残りはできたも同然でございます。
全部ができないからといって、むやみやたらに落ち込んだり、陰気になることほど、事態の解決を遠ざけているものはございません。
また、でございます。
できなかったりわからなかったりしたときは、反省すべき点が必ずございます。
しかし、落ち込んでいたり、できないやなどと悲観的な気分に浸っておりますと、どうしても、その反省が疎かになるのでございます。
基本的に、あるところができなくても、お勉強上の反省点や教訓を汲み取ったならば、それでおしまいなのでございます。悲観をするような隙はないのでございます。
得た教訓や対策なりを考えるわけですから、それ以降は、失敗や失策については考えないのでございます。
悲観の始まりは無思考から、と申します。愚か者はどんな幸福な境遇でも嘆く、と申します。
逆に言えば、今日できなかったなら、そのできなかったことを明日以降に考えなくなるまでの処置なり反省をしてないからこそ、悲観的になってしまうのでございます。
お勉強におきましては、ひとまず楽観的な姿勢を保ち、そして、よくよくどうしたらいいか、どうしたらできるようになるか、忘れないようになるかを自身の頭でお考えくださればと存じます。
うんうんと心に気に病むよりも、よっぽど、問題解決に繋がるかと存じます。
解決に向いて考えておりますと、楽観的になるものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月14日 11:04 AM |
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お勉強をしておりますと、ときに激昂するものでございます。
あまりに問題が難しいと、頭に血が上ります。
あまりに何がなんやら分からないときも、血が上ります。
説明不足のテキストの記述にぶちぎれることもございます。
問題集や過去問の解説も同様でございます。
おめぇ、何を解説してんだよ!と、さまぁ〜ず・三村風に突っ込みたくなるものでございます。
憶えたはずなのに完全なまでに忘れていると、これまた、自分のせいなのですが、かあっとしてしまいます。
理解したはずなのに、後でやってみると全然で、自分のことながら不甲斐なく、とさかに来るものでございます。
しかし、不思議なことに、なぜか、ムカついて怒っているときほど、お勉強をしてしまうのでございます。
お勉強七不思議のひとつでございます。
ムカついたり腹が立ったら、普通はやめるものでございます。もういいよ、てな感じでございます。
しかしなぜか、お勉強におきましては、そのまま、かっかとした状態で続けてしまうのでございます。
しかし、でございます。
頭に血が上っていて業ッ腹のときは、そのままお勉強を続けても1つも成果は生まれないのでございます。
そのままで、何時間やろうとも1つも理解したり憶えたりできないのでございます。
逆に、自体はどんどん悪くなるものでありまして、どんどんどんどん、分かっていたところは分からなくなって、そして、ますます、激昂してくるのでございます。
かあっと来た際は、まず、中断することが肝要でございます。
かあっとした状態では、間違っても以降のお勉強が円滑に進みません。マイナスのみ。
ならば、やめた方がマイナスにならない分、トクなわけでございます。
止めたら、なんでも結構でございます。
雑事なり雑用なりを、必ずすることでございます。
本棚の整理でも結構でございます。要らない本、去年一度も開かなかった本は多数あるはずでございます。
靴の整理、捨てる下着の選別、CDラックの整理、パソコンの周辺機器の整頓・埃とり、ベランダの整頓、玄関の整理など、探せば雑用の類はいくらでもあるかと存じます。
そして、その雑用を一生懸命、集中して行います。20分から30分程度でしょうか。
そうしますと、頭のお勉強の部分に溜まっていた血がほかに流れるのでしょうか、ふっと事態が見えてくるのでございます。
ときには、あーしたらいいんじゃないかという名案が沸いたり、自分の見落としていた点を発見したりするのでございます。
激昂した際には、気分転換というのがとても大事になってくるかと存じます。
イライラしてきて、うまくいかない予兆が出て来て参りましたら、意地を張らず、お勉強は中断することをお勧めしたく存じます。
また、詭弁ではありますが、イライラからの逃避先として、雑事なり雑用をストックしておくのも、結構であるかと存じます。野菜室の掃除などは、その筆頭であるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月13日 3:13 PM |
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