独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

一生懸命のふり

やる気を出す方法のひとつに、一生懸命にやることが挙げられるかと存じます。
やる気があるから一生懸命になる、というわけではないのでございます。
一生懸命になるから、やる気が出て来るといった次第でございます。
めんどくせえと思って気持ち半分にやったり、適当にやったりするのが、1番メンドクサイお勉強なのでございます。
それもそのはず、それでは、やる気が1つも分泌されないからでございます。
やるならやる、やらないならやらない、そのあたりの気持ちをはっきりさせることが、肝要であるかと存じます。
しかし、人間でありますから、全てが全てのお勉強に一生懸命になれるものではありません。
また、お勉強の対象でも、一生懸命になれるかどうかが決まってまいります。
くっだらない、と吐き捨てるしかないものは、確かにございます。
どうでもいいような数字を憶えたり、わけのわからぬ仕組みやシステムや、定義や語句や用語や、表やリストや、試験が終ればあっという間に忘れそうな、こまごまとしたものを憶えなければなりません。
そんなものに、一生懸命になれるわけがないのでございます。
しかしながら、内実は伴わなくても、外見だけの物まねなら、できるものではないでしょうか。
心身ともに一生懸命になるのは難しゅうございますが、一生懸命になっている「わたし」くらいなら、演じることができるのではないでしょうか。
つまり、一生懸命のふりをするのでございます。
これはこうで、あれはあーで、テキストの文言を神妙に考えるふりを致します。
この意味はこうで、あのところにかかってくる云々かんぬんと、まるで問題集の問題が深遠な人生の問題を考察するかのように解いてみます。
まるで聖典に接した僧侶のように、感動に震えながらテキストを読んでみます。
まるで、予備校や専門学校の講師のような感じに、(お、なかなか上手い問題だなあ、次の小テストに使ってみるかね)と完全なる上から目線で過去問を解いてみます。
熱があるようなふりでも、不思議なもので次第に、本当の熱が入ってくるのでございます。
最初はあんなに冷え冷えとしていたやる気が暖かくなって、やっていけてしまうのでございます。
中途半端に燃える不完全燃焼状態は、非常に疲れます。
ならば、ふりでも構いませんので、完全な燃焼状態にてお勉強をしてくださればと存じます。
さて、この一生懸命のふりは、時間を決めてやるとようございます。
俳優でもあるまいし、何時間も「勉強をする人」のふりなど、できるものではありません。
ですから、30分なら30分と時間を決めて、その時間だけは熱のあるふりをして、それ以外は、のんべんだらりとするのがよかろうかと存じます。
しかし、まあ、30分でも熱のあるふりをすれば、その余力で残りのお勉強時間も、一生懸命にできるかと存じます。
一生懸命やるふり、熱のあるふりでも、お勉強には効果的であることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

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最悪には確証あり

考え方といいますのは、やはりあるものでございます。
最善のことから考えるのと、最悪な考えるのとは、どちらが楽であり、そして、確かであるかといいますと、明らかに最悪な方でございます。
最悪なこと、つまり、自分にとって最も起きてほしくないことというのは、非常によくわかるのでございます。想像がつくのでございます。
あのデータが消えてしまうと、この半年の仕事がパーである、とか、昔の異性遍歴が今の配偶者にばれるわけにはいかない、といったケースが、ざっと考えられるかと存じます。
悪いことといいますのは、ありありと考えられて、ある程度の想像がつくのでございます。
ですから、考えられる範囲で、想像できる範囲で、そうしたことについて、1つ1つ手をつけていくわけでございます。
先程の例で言えば、毎日軽いバックアップをとって帰る、週に一度はHDDに焼いておく、心を尽くして世話する、色目を持たない、そんな雰囲気すらもたない、人目につかないよう地味にするなどの処置を取ることで手を打っていくわけでございます。
こうした処置が、茫漠とした不安を晴らし、そして、自分の現状でできることとできないことを分けていくのでございます。
逆に、最高のことから考え出しますと、いまいち、しっくりこない、ふわふわした夢想者のたわごとになりかねないのでございます。
誰しも、ほんとうに意中の異性がいるものでございます。
男性で言えば、姉御肌の人がいいとか、若い人がいい、とか、かといえば、少し歳を食って酸いも甘いも知っている方がよい、また、口には言えない嗜好なり癖があるものでございます。
女性で言えば、白馬の王子様が迎えに来るなどが、例として挙げられるかと存じます。
しかし、でございます。
夢想したり、想像のなかで楽しんだり、話の種、おしゃべりの友、酒の肴にするのは十分役に立つのでありますが、さて、実際に実現を考えようとしても、どう考えればよいかと相なるわけでございます。
王子様といえば、王族でございますが、王族に見合う身分であるかどうか、まず問題でありますし、馬というのは意外に飼料代が馬鹿にならず、糞の始末から馬小屋の掃除まで考えると、人を2人は雇わねばならず、結構な恒常的な出費となってしまいます。
また、王子なら何でもよいかなどといいますとそうでもなく、50歳でも王子様の方はごまんとおられるかと存じます。
自分が最高だなと思っていることといいますのは、意外に考え難いのでございます。
欲をかき過ぎると失敗するなどと申しますが、それは、最高を目指していくうちに現実から遊離して、戯言レベルの思考と相なるからではないかと、考える次第でございます。
長々となりましたが、お勉強におきましても同様の事情であるかと存じます。
できなかったりわからなかったりして、不安になったり気に病んだりした際は、最悪のことから考えてみると、しっかりと地に足付いた考えができるかと存じます。
最悪、1点の失点だろ、ほかで取り戻すよ!などと考えられれば、できなかったことについての胸のつかえは取れるように思います。
最悪の事態やケースに思いを馳せることで、確証を重ねていけるかと存じます。
蛇足でございますが、最悪のケースが取るに足らないものの場合は、それに関して気に病んだり心を割く必要がないわけでございます。
アレコレ気に病んでも、最悪、10万あればカタがつくのであれば、全く気に病むものではないかと存じます。それ以上のときは、熟考して、よくよく考えれば良いかと存じます。

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最悪のケース思考

絶対できると思っていた問題を間違ったり、完全に憶えたはずのことを忘れていたり致しますと、なんだか足元が崩れるような不安に襲われるものでございます。
わからなくはありませんが、過度に不安に思うことはなさらぬよう、釘を刺しておきたく存じます。
といいますのも、合格するに足る実力の持ち主だって、ときにうっかりして忘れることも、できないことがございます。
そして、できること・マスターしたことといいますのは、いざ本試験ともなれば、ほぼ100%思い出したり解けるものでございます。
最も危いのは、自分でもできるかなと不安に思っているところや、やり足りないなあと思っているところでございます。
そうしたところが不運にも、本試験で出てしまうと、まあできないものでございます。
できることといいますのは、多少、日々の試験勉強のときにできなくとも、本試験となればできちゃうものでございます。
この点を踏まえてクヨクヨせず、復習に精を出してくださればと存じます。
さて、もうひとつ、お考えください。
それができないとした場合、最悪のケースには、どのようなものが考えられるでしょうか。
最悪のケースとは、できないところが本試験にてバッチリと出題され、それが原因で不合格となることるかと存じます。
しかし、それには、どれだけの実現可能性があるのでしょうか。
まず、そのわからない・できない・憶えられないところは、どれほどの頻度で問題になるのでしょうか。
多少できなくても、ぶっちゃけいえば、そこがそんなに出題されないならば、どうってことないわけでございます。
もし、そこがよく出るところでしたら、失点の可能性が高まり、点を失うことになりますから、大いに反省をしなければなりません。
しかし、数年に1回こっきりしか出ないところや、ほんとうに枝葉末節で、他の受験生もやってなさそうなところは、言うほどに点差が生じないので、最終的な合否には関係しないものでございます。
ですから、そこができないからといっても、直通で不合格になるとは限らないのでございます。
過去問の傾向や出題分布を見て、どのくらいの影響があるかを確かめれば、本当にそこができないのを反省すべきかどうかをいえないのでございます。
できなくても、出題される可能性が低いのなら、期待値は0.01点程度の損失になるかと存じます。
しかも、あるところができずとも、最悪、完全に1点を失うのが関の山でございます。
よっぽどの超重要事項でもない限り、2点、3点といった大量失点には到らないのでございます。
いうなれば、単に1点失うのみ、でございます。
あるところができないからといって、気に病むのは、確かに復習の機会や次のお勉強の発奮となりますから、悪い事ではありません。
しかし、あまりに考えすぎて、お勉強から遠ざかるようなら、それは正しき思考ではないように思います。
しっかり復習するなり、対策を取りさえすれば、できないところは次第に解消するもの。
それか、捨て問にして1点を失うことを覚悟し、他のところで取り返すようにすれば、それ以上、そのことについて悩むのは損であると、考える次第でございます。
目の前の失敗なりできないなりに心が奪われているようでしたら、一度、最悪のケースをお考えくださればと存じます。
さすれば、そんな事にずっと関わってはならない、拘泥してはならないことが分かってくるかと存じます。

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