気分といいますのは、意外に重要なものでございます。
いまさら、何いってんだか、と思われる方もおられるかと存じます。
しかし、よくよく考えて見ますと、「気分」がわたくしたちの思考や感情を、大きく支配していることはたくさんあるかと存じます。
気分が少し悪かったから、喧々した言い方をしてしまった。
気分がよくなかったから、いつもならもう少し押すところを、引いてしまった。
気分がよくないから、つまらなく大雑把に、手半分で済ませてしまった。
こうした、気持ちによって苦い思いをした経験を、皆様お持ちであるかと存じます。
お勉強のやる気というものも、この「気持ち」なるものによって左右されるものでございます。
気持ち1つで、今日のお勉強が変ってくるといった次第でございます。
いい気持ちを維持するのは、まず、朝一番に何を見るかが重要であるかと存じます。
朝1番最初に見るものは、意外にその日1日の気分を左右するのでございます。
恐らく多くの方は、朝には、テレビや新聞等を見たり読んだりしているものかと存じます。
しかし、一度、全く見ないようにするか、見るにしても気分を朗らかに、心暖かくするようなものを中心に見るようにするのでございます。
朝にテレビや新聞を見ないようにすると、不思議と心軽くなるものでございます。
この事に気付いたのは、わたくし自身が朝にはまったくテレビを見なくなり、また、新聞も見なくなったことに発端がございます。
旅先で、ふと、朝にテレビを見たのですが、まあ、やっていることというのは、不安や恐怖を撒き散らすようなことばかりで、一日中、いやあな気持ちが残ったのでございます。
経済や政治のニュースはまだしも、ゴシップなどは、正直、どうでもいいことではないかと思わざるを得ないのでございます。
また、語る口調もアレなのでございます。テレビや新聞というのが、いかにわたくしたちの感情を起伏させるような作りをしているか、まざまざと知ったのでございます。
ニュースは、グーグルニュースやその他のWebサイトか得るようになってきて、改めて送信する側の意図や作為が見えてきたのでございます。
知らなくてもいいようなことを、おおげさに、しかも事件の最も核心的な部分は隠して報道するその姿勢に、ありありと嫌気が差したものでございます。
特段に、見るな、と言うのではないのでございます。テレビや新聞などの情報は、どのみち、最新ではないのですから、いつ見ようとも、ぶっちゃけよいのでございます。
最新のニュースが知りたいのなら、ネットで手に入れればいいわけですし、正直、最新中の最新のニュースを必要とするのは、ごく限られた人、それも一部の専門家しかいないのではないかと考える次第でございます。
ですから、テレビや新聞は、昼のヒマなときや食後のぼんやりしたときに見るのをお勧めする次第でございます。
朝には意図的に見ないで、仕事や家事が一段落してから、追々と見れば良いかと存じます。
朝にくだらないもの、特に必要の無いものを見て、1日気分悪く過ごすくらいなら、見ない方がよろしかろうと存じます。
基本的に、どこそこで火事があろうが知ったことではありませんし、交通事故も正直、関係ありません。家事も交通事故も、統計上、年々減っているものでございます。
テロや社会事件は、マスメディアよりネットの方が1次情報にアクセスできる以上、テレビや新聞は必須のものではありません。
日々の天気予報は、ネットのウェザーニュースの方が便利でございます。
基本、マスメディアの情報が必要なのは、津波や地震等の天変地異のときくらいでありましょう。
必要性の薄いものを、単に習慣だからといって続ける必要はありません。
BGM代わりなら、ほかに流すべき音楽はあるかと存じます。
時計代わりなら、マイセンの皿時計のほうがよほど情操によいものがありましょう。
テレビがBGMであり時計の代用なんて、趣味の悪さを露呈する如しでございます。
朝に見るものや聞くものを変えてみるだけで、その日の気分は変ってくるかと存じます。
1日を変えたいなら、まず、朝の時間をお変えくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月25日 9:03 PM |
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わたくしたちは、環境の生き物と言われております。
身の回りのことというのは、意外に見えないところに影響を与えているものでございます。
例えば、壁紙の色でございます。収容所や刑務所は大概、コンクリートの灰色一色でございます。
というのも、灰色は生気を奪う色といわれておりまして、囚人をおとなしくさせんがため、とのことでございます。
全く正反対の建物としては、幼稚園などが上げられるかと存じます。
大体、ピンク色か黄色、赤色というように、明るい色が使われているかと存じます。
やはり、元気が出る色なのでしょうか、長年の子供とも付き合いから引き出された配色なのでありましょう。
当たり前のようで忘れがちでございますが、わたくしたちは、環境の生き物である点、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
さて、お勉強でございますが、お勉強も周りの影響を得てして受けてしまうものでございます。
基本的に、モデルルームやショールームのような完全なまでに整理されたところや豪華絢爛なところでは、お勉強はできません。
息が詰まると申しますか、そわそわすると申しますか、落ち着かないといいますか、まあ、お勉強の方に集中できないのでございます。
とはいえ、お勉強は、めちゃくちゃに乱雑な状況でも、芳しくはありません。
雑踏や人ごみの中や居酒屋の騒音のなかでは、とてもじゃないが、お勉強のやりようがございません。
ある程度ちらかっていて、また、そこそこに整理整頓されている、こうした環境がお勉強にはよいのではないかと存じます。
このことを違う風にいいますと、お勉強の環境とは、それほどに片付けたり整理整頓をしなくてもよいと言う事と相なります。
とりあえず、ぱっとみでいいので、片がついておけばよいのでございます。
それにはまず、散らかるものを1つにまとめる駕篭の様な物がありますと便利でございます。
そこに取りあえず放り込んでいくだけでも、ある程度、見れたものになる次第でございます。
そして、大き目のゴミ箱があれば良いかと存じます。そこに、目を通せばよいだけの郵便物やチラシその他を投げ込みます。
ポイントは、使う時間は「1通あたり30秒」という点でございます。
基本的に、郵便物の8割以上は、見たら終わりなものでございます。座ってペンを出して返事を書いたり、印鑑を押して返送するような郵便物は、ほんとうに数限られているのではないでしょうか。
なら、処理の必要でないものは、後で見ようとためるようなことをせず、即断にデカゴミ箱に投げ込むべきかと存じます。
この2点を徹底するだけでも、ぱっと見の片づけが達成できるかと存じます。
基本的に、散らかる原因といいますのは、?置き場所がない。?ゴミを保管する。?習慣付けれてない、の3点であるかと存じます。
この3点さえ守れば、散らかってはいない環境となるかと存じます。
お勉強に集中できる環境を整備するのも、大事なお勉強の1つでございます。
なんとも気が乗らない、やる気があるのにやりたくない、なぜか気が散るというときは、周りにその原因があるかと思われます。
いっぺんにやると面倒なので、お勉強の息抜きの際にでも、環境整備に取り組んでいただきたく存じます。
一度、自分の集中システムを作ることができますと、一生使えるものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月24日 3:21 PM |
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基本的に、お勉強とはこまごましたこと、些細なこと、細かいことを憶えていかねばなりません。
その理由は、資格試験といいますのは、専門家になるためのものだからでございます。
専門家は細かいことを知っていてこその、専門家でございます。
大雑把に知っているのは、単に知っている人でありまして、専門家ではないのでございます。
普通の人なら(うざいな)と思って見過ごすようなことを知っているからこそ、専門家なのでございます。
わたくしたちは、資格という専門家の証を手に入れるためにお勉強をしているわけであります。
細かいことを知っているからこその、専門家。細かいことを憶えていかねばならないのは、お勉強の性質上、仕方のないことなのでございます。
細かいことはメンドクサイから憶えたくないししたくない、といいますのは、自ら専門家への道を断っていることを意識してくださればと存じます。
しかし、でございます。
いくら本試験にて必要だからといって、細かいことばかりに意を払っておりますと、心はだんだんとくさくさしてくるものでございます。
視野も小さく、考えも矮小化してまいります。
本心では(まあなんでこんな数字や語句を憶えねばならんのか)と煮えくり返っているわけですが、仕方がない一心で押さえ込んでいるわけでございます。
細かなことを、意に反して、理性のもとで憶えこんでいっているわけでございます。
その反動は、必ずあると踏んでおくべきかと存じます。
漢方だって副作用はございます。お茶だって飲みすぎれば、副作用があるのでございます。
況や、お勉強をや、でございます。
お勉強に熱心になって、細かなことを憶えるたびに、できるようになるたびに、得てしてわたくしたちは、物事を小さく小さく、細かく細かく考えるようになっていることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
それは、お勉強の副作用でありますから、仕方のない面でもありますし、本試験で合格を勝ち取るまでは、続けなければならない思考の型ではございます。
しかし、細かく考えようとすればいくらでも細かく考えることが可能でありまして、あまりに過度に細かいことを考えますと、嫌気が募るばかりでございます。
ですから、お勉強のときどきには、大きくお考えくださればと存じます。
いま目の前でやっていることは、試験全体からすれば、どのような位置づけにあるのか。
試験戦術上、どのような意味があるか。得点の費用対効果は高いのか。
優先順位は適切か、ほかにすべきことはないのか。
そもそも、このお勉強は自分にとって如何なる意味があるか。
などなど、ときには、テキストの記述や問題集の問題から離れて、自他のことをお考えくださればと存じます。
ときどきでも、大きく考えるようにしますと、それが一種の息抜きになって、気分を大きく持つことができます。
(完全理解は次にまわせば良い。今は簡単に見ておこう)などなどと、客観的に視野広く考えることができるわけでございます。お勉強のストレスやプレッシャーを、かなり軽くすることができるでしょう。
また、これからの見通しも立ってくるように思います。学習計画はより充実することでしょう。
お勉強といいますのは、どうしても細かいことが相手になりますので、大きく捉えること、大きく考えること、大きく事態を見直すことを、ときどき行ってくださればと存じます。
また、自分では大きく考えているつもりでも、お勉強の副作用にて、いつもの自分の考えよりも小さく・細かく考えていることもございます。
意識的に、さらに大きく頭と心を用いてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年5月21日 11:57 AM |
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