独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

だからこそ大きく

基本的に、お勉強とはこまごましたこと、些細なこと、細かいことを憶えていかねばなりません。
その理由は、資格試験といいますのは、専門家になるためのものだからでございます。
専門家は細かいことを知っていてこその、専門家でございます。
大雑把に知っているのは、単に知っている人でありまして、専門家ではないのでございます。
普通の人なら(うざいな)と思って見過ごすようなことを知っているからこそ、専門家なのでございます。
わたくしたちは、資格という専門家の証を手に入れるためにお勉強をしているわけであります。
細かいことを知っているからこその、専門家。細かいことを憶えていかねばならないのは、お勉強の性質上、仕方のないことなのでございます。
細かいことはメンドクサイから憶えたくないししたくない、といいますのは、自ら専門家への道を断っていることを意識してくださればと存じます。
しかし、でございます。
いくら本試験にて必要だからといって、細かいことばかりに意を払っておりますと、心はだんだんとくさくさしてくるものでございます。
視野も小さく、考えも矮小化してまいります。
本心では(まあなんでこんな数字や語句を憶えねばならんのか)と煮えくり返っているわけですが、仕方がない一心で押さえ込んでいるわけでございます。
細かなことを、意に反して、理性のもとで憶えこんでいっているわけでございます。
その反動は、必ずあると踏んでおくべきかと存じます。
漢方だって副作用はございます。お茶だって飲みすぎれば、副作用があるのでございます。
況や、お勉強をや、でございます。
お勉強に熱心になって、細かなことを憶えるたびに、できるようになるたびに、得てしてわたくしたちは、物事を小さく小さく、細かく細かく考えるようになっていることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
それは、お勉強の副作用でありますから、仕方のない面でもありますし、本試験で合格を勝ち取るまでは、続けなければならない思考の型ではございます。
しかし、細かく考えようとすればいくらでも細かく考えることが可能でありまして、あまりに過度に細かいことを考えますと、嫌気が募るばかりでございます。
ですから、お勉強のときどきには、大きくお考えくださればと存じます。
いま目の前でやっていることは、試験全体からすれば、どのような位置づけにあるのか。
試験戦術上、どのような意味があるか。得点の費用対効果は高いのか。
優先順位は適切か、ほかにすべきことはないのか。
そもそも、このお勉強は自分にとって如何なる意味があるか。
などなど、ときには、テキストの記述や問題集の問題から離れて、自他のことをお考えくださればと存じます。
ときどきでも、大きく考えるようにしますと、それが一種の息抜きになって、気分を大きく持つことができます。
(完全理解は次にまわせば良い。今は簡単に見ておこう)などなどと、客観的に視野広く考えることができるわけでございます。お勉強のストレスやプレッシャーを、かなり軽くすることができるでしょう。
また、これからの見通しも立ってくるように思います。学習計画はより充実することでしょう。
お勉強といいますのは、どうしても細かいことが相手になりますので、大きく捉えること、大きく考えること、大きく事態を見直すことを、ときどき行ってくださればと存じます。
また、自分では大きく考えているつもりでも、お勉強の副作用にて、いつもの自分の考えよりも小さく・細かく考えていることもございます。
意識的に、さらに大きく頭と心を用いてくださればと存じます。

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夜に行く末考えず

基本的に、試験勉強といいますのは、不安の塊のようなものでございます。
合格率が50%を超えるような試験でありましたら、まあ、不安も和らぐものでございます。
しかし、現実に合格率は、高くて10%台でありまして、下手をしたらそれを下回る数字でございます。
10人に1人しか受からない、10人に9人は落ちるというわけですから、純粋な確率上、落ちる方が高いわけであります。
この時点で、不安はむくむくと際限なくわきあがることでしょう。
しかも、でございます。
試験勉強におきましては、完全なる対策は不可能でございます。
試験範囲の全てを勉強するのは無駄が多く、到底できないものでありますし、試験問題も誰が解けるのかわからないような問題がございます。
問題の傾向もがくっと変わることもあり、なかなかに完全な対策は難しいのでございます。
この対策の不完全さも、不安の原因となるものでございます。
まあ、このように、試験勉強というのは、不安と切っても切れない関係にあることを、知っておくべきかと存じます。
さて、この不安の中身についてなのですが、くれぐれも夜の時間に考えないようにしてほしく思います。
というのも、夜の考えというのは、どうも陰に陰に入り込んでいく傾向が強く、必要以上に、気落ちするからでございます。
まともじゃない、などといいますと大げさのように聞こえますが、基本、まともでないように考えている気がしてならないのでございます。
(ああ、こんな問題を間違えてしまった!)と考えるにせよ、夜だと、ああこれでもう落ちてしまう、とか、何度もやったのにできないなあ、などと、深みにはまるような考えに到ってしまうのでございます。
しかし、朝や昼だと、そんなに深く考えず、まあ、こういうこともあるべよと、色合いが180度も違う風に考えるのでございます。
是非とも、朝や昼の思考と、夜の思考との明白なる「差」をお確かめくださればと存じます。
人口に膾炙するところでは、夜書いた恋文というのは、とてもじゃないが見れたものでない、と申します。
支離滅裂でルナティック、そんなことを言ってもいいのかよ!とさまぁ〜ず・三村が青筋を立てて突っ込むような内容になるのでございます。
夜に今後の試験のついて考えると、どうもくさくさしますし、水っぽく、前向きにならないような傾向があるかと考える次第でございます。
夜だと、2〜3問間違ったくらいで、本気で落ちるなあとベッドのなかでぐったりしたりするのでございます。
お勉強の計画を練るときや反省をするときは、できるだけ、朝か昼の時間帯に行うことをお勧めしたく存じます。
夜に大反省会など致しますと、本当にぐったり致します。
夜はお勉強一筋に、読んだり解いたり書いたりして頭を酷使して、バタンとベッドに倒れこむのが宜しかろうと存じます。
そしてつぎの日の、コーヒータイムのときにでも、昨日のお勉強を反芻してみればよいでしょう。
夜にショックを受けても、朝や昼に見返してみると、なんで、あんなに衝撃を受けたのかわからないときもあるかと存じます。
夜は考えるに適さない時間帯であることを、意識の片隅においていてくださればと存じます。
蛇足ではありますが、布団の中ではあれこれと考えないのが賢明かと存じます。
基本的に全く無駄でございます。何ひとつ、建設的なことや前向きなものは生まれてこないでしょう。
わたくし自身、何度も布団のなかでヤキモキしましたが、何ひとつ考えたことを覚えておりません。睡眠が不足しただけ損でした。
布団の中では、普段読まない本でも読むのが1番でございます。

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一生懸命のふり

やる気を出す方法のひとつに、一生懸命にやることが挙げられるかと存じます。
やる気があるから一生懸命になる、というわけではないのでございます。
一生懸命になるから、やる気が出て来るといった次第でございます。
めんどくせえと思って気持ち半分にやったり、適当にやったりするのが、1番メンドクサイお勉強なのでございます。
それもそのはず、それでは、やる気が1つも分泌されないからでございます。
やるならやる、やらないならやらない、そのあたりの気持ちをはっきりさせることが、肝要であるかと存じます。
しかし、人間でありますから、全てが全てのお勉強に一生懸命になれるものではありません。
また、お勉強の対象でも、一生懸命になれるかどうかが決まってまいります。
くっだらない、と吐き捨てるしかないものは、確かにございます。
どうでもいいような数字を憶えたり、わけのわからぬ仕組みやシステムや、定義や語句や用語や、表やリストや、試験が終ればあっという間に忘れそうな、こまごまとしたものを憶えなければなりません。
そんなものに、一生懸命になれるわけがないのでございます。
しかしながら、内実は伴わなくても、外見だけの物まねなら、できるものではないでしょうか。
心身ともに一生懸命になるのは難しゅうございますが、一生懸命になっている「わたし」くらいなら、演じることができるのではないでしょうか。
つまり、一生懸命のふりをするのでございます。
これはこうで、あれはあーで、テキストの文言を神妙に考えるふりを致します。
この意味はこうで、あのところにかかってくる云々かんぬんと、まるで問題集の問題が深遠な人生の問題を考察するかのように解いてみます。
まるで聖典に接した僧侶のように、感動に震えながらテキストを読んでみます。
まるで、予備校や専門学校の講師のような感じに、(お、なかなか上手い問題だなあ、次の小テストに使ってみるかね)と完全なる上から目線で過去問を解いてみます。
熱があるようなふりでも、不思議なもので次第に、本当の熱が入ってくるのでございます。
最初はあんなに冷え冷えとしていたやる気が暖かくなって、やっていけてしまうのでございます。
中途半端に燃える不完全燃焼状態は、非常に疲れます。
ならば、ふりでも構いませんので、完全な燃焼状態にてお勉強をしてくださればと存じます。
さて、この一生懸命のふりは、時間を決めてやるとようございます。
俳優でもあるまいし、何時間も「勉強をする人」のふりなど、できるものではありません。
ですから、30分なら30分と時間を決めて、その時間だけは熱のあるふりをして、それ以外は、のんべんだらりとするのがよかろうかと存じます。
しかし、まあ、30分でも熱のあるふりをすれば、その余力で残りのお勉強時間も、一生懸命にできるかと存じます。
一生懸命やるふり、熱のあるふりでも、お勉強には効果的であることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

(さらに…)