独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

今間違えてこそ

お勉強をしておりますと、どうしても間違いや失敗に突き当たるものでございます。
あれほどテキストを読み込んだのに、1ヶ月もしたら忘れていた、なんてことは、よくあることでございます。
毎日100回は書いて憶えたのに、1週間もすると忘れてた、なんてことも、これまたよくある話でございます。
こういうときには、ああとがっくりと、肩にくるものがございます。
眠いまなこをこすったあの勉強も、見たいものも見ず、やりたいこともせずにやったあの夜の勉強も、すべて徒労だったか、などと思いがちでございます。
ま、間違えたあとの3分間は、がっくりしてもよろしかろうと存じます。
やはり、人間ですから、がんばったことが無駄だったのを知ると、どうしても、気落ちするものでございます。
しかしながら、どの深さにまで、テンションといいますか、緊張感といいますか、心の張りを維持するかでございます。
換言すれば、どれほど嘆く必要があるのか、というわけでございます。
基本的に、本試験ではない試験勉強の期間では、どれほど間違えようが、究極的に構わないのでございます。
本試験というその日だけに、できればよいのが、お勉強というものでございます。
ただそれだけの話でありまして、今、できようができまいが、そらできた方が良いに決まっておりますが、さりとて、できずともそれほどまでに悲嘆する必要はないのでございます。
今この時点で間違えるのは、全然構わないことなのでございます。
できていたと思っていたらできていなかった、これがもし本試験にて発覚して、自己採点をしたら合格点より1点下だったなんてことだったら、悔やみきれないものがございます。
しかし、現下のお勉強のときに見つかったのですから、いうなれば、失点するところを発見できた、ともいえるのでございます。
ですから、再び復習して、憶え直すなり理解し直せば、それで事が足りるのでございます。
うだうだと細かいところに注目してしまうから、嘆きは深みにはまって行くのでございます。
ほいで、嘆きに足を取られて、姿勢を立て直すのに時間がかかってしまうのでございます。
その間は、やはりお勉強の進捗や能率も、落ち気味になることでありましょう。
過去に何回やったなんてことは、取りあえず棚にさらしておいて、今、もう一度やり直せばいいだけのこと。
本試験にて間違わなかっただけでも、マシなのでございます。
本試験にて、ああ、あれほどやったのにできてないや、などと思うよりも、わたくしは数十倍は、マシな事態であるかと思います。
今はできなくてもよいのでございます。そして、今、できるようになればよいだけの話しでございます。
起きたことを、そっくりそのまま認めてしまえば、どおってことはないことは多々ございます。
お勉強においての、多々少々の出来事などは、どおってことないことの筆頭ではないかと、考える次第でございます。

(さらに…)

先送りも方法のうち

お勉強をしていますと、どうも頭を悩ますものに遭遇するものでございます。
例えば、やっているんだけど、よくわからないものでございます。
何度もテキストの記述は読んでいる、問題を解いている、解説を熟読している。
穏当に行けば、理解できているはずなのに何故か、ピンときていない、心底わかっていない感があるのでございます。
ここでのポイントは、深く深く、考え尽くさないことでございます。
考えることは結構でございます。
どこがわからないのか、いま一度見直してみる。
違う角度から見直してみる。
よく似た言葉で言い換えてみる。
図や表で表してみる。
ノートに箇条書きでまとめる。
などなど、理解へ到るための努力は惜しまないのでございます。
しかし、あまりに過度に考え込むのは、これまた考えものなのでございます。
感覚的な言い方で申し訳ありませんが、考えていることが頭に焼き付いてしまうのでございます。
何か玉子でも焼いていて、ふと他ごとに手を出して、気付いたらフライパンからもうもうと煙が立ち込めていたシーンを思い描いてくださればと思います。
そのときの、玉子が真っ黒に炭化したフライパンが、考え尽くした際の頭の中と考えてくださればと存じます。
あまりに分からないことを考えすぎると、頭の中にこびりついてしまうのでございます。
頭から離れられなくなってしまうのでございます。
そうしますと、意識はそこだけに集中してしまうので、他ごとが疎かになってしまいます。
コツは、こびりつかない前に、火から離す点にございます。つまり、あまりに考えて炭化する前に、考えることを延期するのでございます。
うんうんウンウン考えてみて、結論がでないものは、以降どれほど考えても、よい結論はでません。
次第に何がわからないかも、わからなくなってしまうのでございます。
こうなると本末転倒でございます。
考えに考えてみても分かる予感がないときは、そのときはキッパリあきらめて、時間を置くお勧めする次第でございます。
時と場所が変れば、理解にいたることもございます。
そして、考えてもよくわからないことに費やす時間を、その他にまわすべきかと存じます。
それか、その考えてもよくわからぬことは、1日のうち15分から30分だけ考えて、そこで解決しなかったら翌日に持ち越し、という形にもすることができるかと存じます。
考えるというのは、結構な消耗を伴います。
1つのことに過度に考えると、その他のことを考えるための力までも使い果たすことになってしまいます。
早急に解決を望まない、問題の解消を求めないことも、考えるための方法であるかと存じます。
うーんと頭をひねっても解消しないようなことに遭遇したときは、先送りしてみるの手であるかと存じます。

(さらに…)

大きな努力で

まずもって申し上げておきたいのは、大きな努力をしよう、と言うことでございます。
最高峰の理想は、少ない努力で最大の成果でございます。つまり、極限まで理想をいうなら、勉強時間が0時間で合格するのが、最高の理想であるといえましょう。
しかし、そんなことは、試験の主催者によっぽどの寄付をするとか、試験委員を買収するとかしない限り、不可能でございます。
寄付や買収にかかる費用を考えれば、勉強時間がゼロで合格するのは、非常に高くつくといわざるをえません。
コストもかけず、勉強もせず、また、努力もせずに合格するなんてことは、夢物語でしかないとお考えくださればと存じます。
少ない努力で合格したい、ということを極限まで突き詰めるならば、上記のようなばかばかしい夢物語を追いかけていることになるのでございます。
それは賢明なのかといえば、まあ、愚かの方に傾くかと存じます。
ならば、ほどほどの努力で合格したい、と考えるのはどうかと相なります。
しかし、ほどほどの努力とは、いったいどういうものか非常にあやふやでございます。
合格点ぎりぎりで合格するくらいの勉強をする、ということを意味するのでしょうか。
やりすぎた分は損になるから、そこそこの勉強で合格したい、ということなのでしょうか。
しかし、思いますに、バランスを取るというのは、非常に難しいことではないかと存じます。
どうやれば、どういう計算と目論見の上で、ぎりぎりで合格できるお勉強をやろうとするのか、根拠となると実に曖昧ではないかと考える次第でございます。
やり過ぎるくらいのお勉強の方が、例えば、他の人なら平均500時間で合格するところを、800時間かけて合格するといった方が、実行の上では容易なのでございます。
ぎりぎり500時間の勉強で合格する方が、合格する以上に困難なことかと思わざるを得ないのでございます。
お勉強におきましては、合格することが最大の目標でございます。
合格するかしないかの2者択一なのですから、ぎりぎり合格するなんてアクロバティックなことは考えない方が宜しかろうと存じます。
ぎりぎりの勉強量で合格しようとして、不幸にも失敗して再受験となれば、結局は元の倍のお勉強となるわけですから、言うなれば、リスクの大きいやり方としかいいようがありません。
先ほどの例で言えば、トータルの勉強時間が、500時間が倍の1000時間にもなってしまうわけでございます。そう考えれば、800時間の勉強で1回でパスする方が賢明でありましょう。
わたくしたちは、少ない努力で合格しようとしたり、ぎりぎり・ほどほどの努力で合格しようとするよりも、無駄やロスもあるでしょうが、大きな努力で合格を目指したいと思う次第でございます。
小さな努力で大きな成果を目指すと、得てして、バクチになってしまいます。場で朽ちるからバクチでございます。将来・未来のために行うお勉強なのに、朽ちてどうすんだい、と相なるわけでございます。
他の人が1時間でできることなら、わたくしたちは2時間のお勉強を見ておくのでございます。
大きな努力で成果を求めるほうが、よっぽど確実でございます。
試験といいますのは運以上に、お勉強したことがものを言います。ですから、確実に成果を蓄積していくやり方のほう、よりいっそう合格が近いかと思います。
寡を以って小を得る、大量主義でお勉強をお考えくださればと存じます。どっしり構えて、目の前のことに臨めるかと存じます。
せせこましいお勉強に比べれば、よっぽど安定するかと思います。

(さらに…)