独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

大きな努力で

まずもって申し上げておきたいのは、大きな努力をしよう、と言うことでございます。
最高峰の理想は、少ない努力で最大の成果でございます。つまり、極限まで理想をいうなら、勉強時間が0時間で合格するのが、最高の理想であるといえましょう。
しかし、そんなことは、試験の主催者によっぽどの寄付をするとか、試験委員を買収するとかしない限り、不可能でございます。
寄付や買収にかかる費用を考えれば、勉強時間がゼロで合格するのは、非常に高くつくといわざるをえません。
コストもかけず、勉強もせず、また、努力もせずに合格するなんてことは、夢物語でしかないとお考えくださればと存じます。
少ない努力で合格したい、ということを極限まで突き詰めるならば、上記のようなばかばかしい夢物語を追いかけていることになるのでございます。
それは賢明なのかといえば、まあ、愚かの方に傾くかと存じます。
ならば、ほどほどの努力で合格したい、と考えるのはどうかと相なります。
しかし、ほどほどの努力とは、いったいどういうものか非常にあやふやでございます。
合格点ぎりぎりで合格するくらいの勉強をする、ということを意味するのでしょうか。
やりすぎた分は損になるから、そこそこの勉強で合格したい、ということなのでしょうか。
しかし、思いますに、バランスを取るというのは、非常に難しいことではないかと存じます。
どうやれば、どういう計算と目論見の上で、ぎりぎりで合格できるお勉強をやろうとするのか、根拠となると実に曖昧ではないかと考える次第でございます。
やり過ぎるくらいのお勉強の方が、例えば、他の人なら平均500時間で合格するところを、800時間かけて合格するといった方が、実行の上では容易なのでございます。
ぎりぎり500時間の勉強で合格する方が、合格する以上に困難なことかと思わざるを得ないのでございます。
お勉強におきましては、合格することが最大の目標でございます。
合格するかしないかの2者択一なのですから、ぎりぎり合格するなんてアクロバティックなことは考えない方が宜しかろうと存じます。
ぎりぎりの勉強量で合格しようとして、不幸にも失敗して再受験となれば、結局は元の倍のお勉強となるわけですから、言うなれば、リスクの大きいやり方としかいいようがありません。
先ほどの例で言えば、トータルの勉強時間が、500時間が倍の1000時間にもなってしまうわけでございます。そう考えれば、800時間の勉強で1回でパスする方が賢明でありましょう。
わたくしたちは、少ない努力で合格しようとしたり、ぎりぎり・ほどほどの努力で合格しようとするよりも、無駄やロスもあるでしょうが、大きな努力で合格を目指したいと思う次第でございます。
小さな努力で大きな成果を目指すと、得てして、バクチになってしまいます。場で朽ちるからバクチでございます。将来・未来のために行うお勉強なのに、朽ちてどうすんだい、と相なるわけでございます。
他の人が1時間でできることなら、わたくしたちは2時間のお勉強を見ておくのでございます。
大きな努力で成果を求めるほうが、よっぽど確実でございます。
試験といいますのは運以上に、お勉強したことがものを言います。ですから、確実に成果を蓄積していくやり方のほう、よりいっそう合格が近いかと思います。
寡を以って小を得る、大量主義でお勉強をお考えくださればと存じます。どっしり構えて、目の前のことに臨めるかと存じます。
せせこましいお勉強に比べれば、よっぽど安定するかと思います。

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冷蔵庫にしまえるの?

整理整頓は、お勉強におきまして、重要な部分を担っているように思います。
もちろん、直接的に合格には貢献いたしませんが、それでも、大事なところを支えているように思うのでございます。
わたくし自身の経験でしかありませんが、部屋がぐちゃぐちゃな人は、大概、落ちていったように思います。
部屋がゴミくちゃで、玄関にまでビールやチューハイの空き缶が散乱し、ビンや燃えないゴミが玄関出てすぐのところにまで溜まっていた友人が、ひょんなことで失踪してからは、片付けや掃除、整理整頓の重要性を改めて思うものでございます。
大概、潰れる会社やお店というのは、小汚いか汚いかのどちらかでございます。
先日仰天したのですが、お店の開店前に仕込みに使ったであろう生ゴミの袋を、店の前の道路に平気で出していた店がありました。こいつダメだと、いかりやチョースケ風に突っ込みましたが、早々の態で潰れたのは言うまでもありません。
アレ、この店潰れたんだ、という発見があるときは、大概、汚いところや乱雑なところがあるものでございます。
ちなみにわたくしは、従業員の駐車場や駐輪場をよく見るものでありまして、そこがくちゃくちゃだと、どれほど評判のよい店でもいきません。大概潰れるからです。
内装に殆ど凝らず、殺風景なつくりであっても、清潔感があるのなら行きます。
通人は、オープンしたての店には行かないと申します。3年経って行くのでございます。すぐ潰れるような店では、上質な時間は味わえません。さもありなんと思った次第でございます。
さてさて、話が脱線いたしましたので、お勉強について戻りたいと思います。
お勉強におきましても、整理整頓は重要な部分であるかと存じます。
部屋の片づけができないのに、どうして、テキストや問題集、過去問の内容をきちんと憶えていけるのか、というわけです。
記憶とは、ある程度の規則性があって、憶えるべき対象は整理されてないと、憶えることができないのでございます。
携帯電話の番号も「3・4・4」と規則めいているからこそ、憶えられるのでございます。これが、11桁連続した数字であれば、憶えるのにひどく苦労する事でしょう。
整理整頓されたものほど、憶えやすくなることを意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
お勉強で整理整頓をしていくには、やはり、身の回りのことも整理整頓できねば、嘘となります。
そこで、身の回りの整理整頓と相なるわけですが、部屋が片付かないという人は、得てして、ものが捨てられない人でございます。
そこで今回は、置いておく際の基準をご紹介したく存じます。
それは、「冷蔵庫」にしまう価値がそのものにあるか否かで考えるのでございます。
これは要るのか?置いておくべきか?と悩んだ際は、冷蔵庫にしまうとしたら、という条件を付け加えるのでございます。
あの狭い冷蔵庫に、それをしまう価値はあるのか。冷蔵庫の中身をどこぞにおいて、敢えてしまう価値はあるのか。腐らぬよう長期保存する価値はあるのか。
っとこんな風に考えるわけでございます。
「冷蔵庫」を基準に考えていきますと、ぱっと天啓のように「いらねえよっ!」「いつまであるんだよっ!」とさまぁ〜ず三村風の突っ込みを交えた決断が下せるかと思います。
長年押入れにしまっていたダンボールを、わたしは1つ処分できました。
部屋の中には、要らないものだらけであることが、お分かりいただけるかと存じます。
部屋から要らないものを捨てていくだけでも、そこに秩序と理(ことわり)が、そして、物を増やさぬよう節制が生まれるかと存じます。

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朝一番に何見るか

気分といいますのは、意外に重要なものでございます。
いまさら、何いってんだか、と思われる方もおられるかと存じます。
しかし、よくよく考えて見ますと、「気分」がわたくしたちの思考や感情を、大きく支配していることはたくさんあるかと存じます。
気分が少し悪かったから、喧々した言い方をしてしまった。
気分がよくなかったから、いつもならもう少し押すところを、引いてしまった。
気分がよくないから、つまらなく大雑把に、手半分で済ませてしまった。
こうした、気持ちによって苦い思いをした経験を、皆様お持ちであるかと存じます。
お勉強のやる気というものも、この「気持ち」なるものによって左右されるものでございます。
気持ち1つで、今日のお勉強が変ってくるといった次第でございます。
いい気持ちを維持するのは、まず、朝一番に何を見るかが重要であるかと存じます。
朝1番最初に見るものは、意外にその日1日の気分を左右するのでございます。
恐らく多くの方は、朝には、テレビや新聞等を見たり読んだりしているものかと存じます。
しかし、一度、全く見ないようにするか、見るにしても気分を朗らかに、心暖かくするようなものを中心に見るようにするのでございます。
朝にテレビや新聞を見ないようにすると、不思議と心軽くなるものでございます。
この事に気付いたのは、わたくし自身が朝にはまったくテレビを見なくなり、また、新聞も見なくなったことに発端がございます。
旅先で、ふと、朝にテレビを見たのですが、まあ、やっていることというのは、不安や恐怖を撒き散らすようなことばかりで、一日中、いやあな気持ちが残ったのでございます。
経済や政治のニュースはまだしも、ゴシップなどは、正直、どうでもいいことではないかと思わざるを得ないのでございます。
また、語る口調もアレなのでございます。テレビや新聞というのが、いかにわたくしたちの感情を起伏させるような作りをしているか、まざまざと知ったのでございます。
ニュースは、グーグルニュースやその他のWebサイトか得るようになってきて、改めて送信する側の意図や作為が見えてきたのでございます。
知らなくてもいいようなことを、おおげさに、しかも事件の最も核心的な部分は隠して報道するその姿勢に、ありありと嫌気が差したものでございます。
特段に、見るな、と言うのではないのでございます。テレビや新聞などの情報は、どのみち、最新ではないのですから、いつ見ようとも、ぶっちゃけよいのでございます。
最新のニュースが知りたいのなら、ネットで手に入れればいいわけですし、正直、最新中の最新のニュースを必要とするのは、ごく限られた人、それも一部の専門家しかいないのではないかと考える次第でございます。
ですから、テレビや新聞は、昼のヒマなときや食後のぼんやりしたときに見るのをお勧めする次第でございます。
朝には意図的に見ないで、仕事や家事が一段落してから、追々と見れば良いかと存じます。
朝にくだらないもの、特に必要の無いものを見て、1日気分悪く過ごすくらいなら、見ない方がよろしかろうと存じます。
基本的に、どこそこで火事があろうが知ったことではありませんし、交通事故も正直、関係ありません。家事も交通事故も、統計上、年々減っているものでございます。
テロや社会事件は、マスメディアよりネットの方が1次情報にアクセスできる以上、テレビや新聞は必須のものではありません。
日々の天気予報は、ネットのウェザーニュースの方が便利でございます。
基本、マスメディアの情報が必要なのは、津波や地震等の天変地異のときくらいでありましょう。
必要性の薄いものを、単に習慣だからといって続ける必要はありません。
BGM代わりなら、ほかに流すべき音楽はあるかと存じます。
時計代わりなら、マイセンの皿時計のほうがよほど情操によいものがありましょう。
テレビがBGMであり時計の代用なんて、趣味の悪さを露呈する如しでございます。
朝に見るものや聞くものを変えてみるだけで、その日の気分は変ってくるかと存じます。
1日を変えたいなら、まず、朝の時間をお変えくださればと存じます。

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