結論からいいますと、勉強の方法云々といいますのは、ある程度のお勉強が進んでからとなります。
最初からベストのやり方を模索するよりも、泥縄式でも始めていくのが穏当な勉強方法かと存じます。
といいますのも、いい方法か悪い方法かというのは、ある程度の実力がないと判断ができないからでございます。
当の本人がまともに判断ができないのですから、得てして、何か人なり物なり言なりの根拠を持ってこなければならなくなります。
正しそうな意見を、現実感のある意見を、たくさん集めることになるかと存じます。
しかし、どれだけ意見をたくさん集めましても、それらを取捨選択し総合して、ある1つの方針なり指針へと組み上げていくのは、実に頭脳的な働きが必要となるものでございます。
それは、実に高度な作業であるわけでございます。
わたくし個人的には、情報という形で意見は集めはしますが、ある程度で集めるのは止め、いきなりお勉強に入るのを常としております。
いざやってみた方が、すぐに、よくわかるからでございます。加えて、こちらの方が先に述べた総合化よりも楽だからでございます。
教材の良し悪しなどは、その典型であるかと存じます。
よいものかどうかを、Webの数十ページに渡って調べに調べるくらいなら、書名と出版社名をメモって、どこぞの帰りに本屋によって実物を見たほうが、よっぽどマシな判断を下すことができます。
やってみないとわからない、というのは、結構たくさんあるものでございます。
スゲエ難しい、といわれているところが、それほどでもないことは、腐るほどある現象でございます。
逆に、簡単なものといわれているのに、どえらい手間取ることも、これまた多々あるものでございます。
お勉強の方法についても、また、かくの如しでございます。
多少不安ではありましょうが、ある程度の意見や情報が集まれば、エイヤっ!とお勉強を進めていくべきかと存じます。
考え違いをしている方がおられるかもしれませんので、ここで釘を刺しておきます。
ある方法を取れば、魔法の粉にかかったように、合格できるような勉強方法はございません。
また、その方法を取れば、お勉強がまるで唐人手品のように簡単になるものでもありません。
お勉強に苦労と努力は付き物でございます。
よい方法とは、簡単になったり即合格できるようなものではなくて、努力を成果・結果につなげてくれる方法がよき方法なのでございます。
わたくしは、勉強の負担を軽くしたりなくすような方法はいりません。
わたくしがほしいのは、確実に合格できる方法でございます。努力はいたしますから、かなりの高い可能性で結果につなげてくれる方法でございます。
わたくしは努力はしますし、相応の労力と時間、そして、予算を割く気持ちでおります。ただ、確実に合格したいだけなのでございます。
基本的に、最初から最適な方法を云々するよりも、まずは、お勉強を始めてテキストを3回、問題集を3回解くところまでこぎつけるべきかと存じます。
そして、そこから、最も適したお勉強の方法を模索していくべきかと存じます。
実力が付いてないのに、方法の適否は判断できぬように思います。
判断力がないために、ダメでスカめいた方法を選んでしまい、お勉強がおじゃんになるよりかは、泥縄式の試行錯誤の方が宜しいかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月9日 4:24 PM |
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失敗や間違えがこたえる、気になってしまうという人がおられるかと存じます。
確かにそうかもしれません。
もっとうまく行く方法があるのに、こんな失敗をするのは馬鹿馬鹿しい、徒労ではないか、というわけでございます。
また、何か失敗してしまうと、無能力者の烙印を押されると申しますか、馬鹿というラベルを貼られるといいますか、非常にイヤな感情が沸き起こる人もおられるかと存じます。
お勉強におきましては、この点、理性にてしっかり割り切ってほしく存じます。
といいますのも、失敗したらダメなのは、だた本試験というその日だけだからでございます。
また、独学でありますから、どれほど馬鹿げた間違いをしようとも、誰に責任を取るわけでも、誰の目が気になるわけでもありません。
所詮は、1個人であるわたくし達自身の問題でございます。
アレな話ですが、くしゃみをしたときに、ちょっぴり漏らしてしまう経験をされた方もおられるかと存じます。
大丈夫かなとおならをしたら、アレしてしまったことも、恐らく多くの方がご経験済みかと存じます。
会社や電車の中、パーティ・会食中であるなら、非常に非常にまずいことでございます。
しかし、自分の家の自分の部屋なら、まったく少しも問題ではありません。
失敗や過ち、間違いといいますのは、一部の物を除けば、大変に相対的なものでして、気にすべきかそうでないかは、分かれるものでございます。
間違いや失敗をしてならないのは、先ほどもいいましたように、本試験のそのときでしかありません。
なら、それ以外の時は、やっても構わないと言うことでございます。
間違いや失敗にも、教訓やヒントがたくさんございます。いや、いってしまえば、それらの中にこそ、次の段階へと進む種子が潜んでいるものでございます。
間違えない・失敗しないことだけに注意しておりますと、次の種が取れなくなってしまうのでございます。
間違いや失敗をしても、通常のお勉強であれば、ほんとうに何てことありません。
本試験が著しく不利になるわけでもないし、誰かに嫌われることもないし、悪い評判が立つわけでもないし、悪いことは基本、何も起きないことでしょう。
間違っても大きな影響は、ないのでございます。
何度も間違ってもそれほどのものがないことがわかってきたら、「なあんだ、間違っても別にいいじゃん」みたいな蛮勇といいますか敵を呑むタイプの勇気も沸いてくるものでございます。
正解をすることも勉強の一部ですが、間違うこと・失敗することも勉強になる点、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
逆を言うなれば、通常のお勉強といいますのは、間違うための練習である、といってもよいかと思います。
また、同様の趣旨でございますが、問題を解くのにこんなに時間がかかるなんてダメだ、とか、テキストを読むのにこんなに手間取るなんてダメだなあ、などとお考えないようにしてくださればと存じます。
1秒1分を争うのは、唯一、本試験というごくごくごくごく、限られた時間でしかありません。
大体のことというのは、10分か15分、果てには30分遅れようが、なんともないものでございます。
陸上競技者やF1レーサー、空軍パイロットでもないのに、時間を気にするなど愚かであるかと存じます。
通常のお勉強の際に、時間が気になって焦っても、何1つ利となることはありませんので、この点も、考え直しをしてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月8日 3:49 PM |
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基本的に、お勉強といいますのは、マイペースで進めるものでございます。
といいますのも、無理に無理を重ねると、得てしてお勉強に嫌気が差してしまうからでございます。
「嫌」という感情は、実に強いものがございます。
それは、ある程度大きくなると、意思ではどうにもならないパワーを持つようになるのでございます。
毎日無理に勉強をしていたら、3日目・7日目に止めてしまった、というのは、本当にありふれた失敗談でございます。
いったん、嫌になってしまいますと、どうにもこうにも、1つもやる気がして参りません。つい先日まではやる気があったのに、もう今では絶無なほど、やろうという気が起きないのでございます。
ですから、そこまで嫌にならないのが、独学の1つのコツなのでもございます。
しかし、マイペースが完全無欠の、万全たる方法かといいますとそうでもございません。
やはり、がんばりの上にがんばらなければならないお勉強があるのでございます。
それは、言うなれば、お勉強の難所と申しましょう。
どんな小さい山でも、越えるのに気合を入れなければならない難所がございます。
お勉強におきましても、実にボリュームが多い単元や、全くをもって複雑怪奇でややこしい内容のところ、うざいほど詳細な規定をしているところがございます。
お勉強におきましても、難所がことを意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
これまでのように、ハイキング気分のマイペースでは、到底、踏破できないところがあるのでございます。
ハイキング感覚で行くと、必ず途中でへばるか、挫折してしまいます。
こうした難所に差し掛かった際は、これまでの気分を一変させ、ひたすらにがんばる決意を固めてほしく存じます。
ひたすらにがんばらないといけない難所の代表は、1回目の過去問かと存じます。
過去問というのは、ちんたらちんたらとは、到底やれない代物でございます。
ぐだぐだとやってしまうと、殊更に嫌気が差す難物でございます。
内容そのものは、難しくはないのでございます。だって、これまでの合格者の数だけ、できている人がいるわけですから、絶対にできないものではないのでございます。
ただ、最初のうちは大変にとっつき難いのでございます。
こうした過去問のような難物を、長々やっておりますと、非常にストレスが溜まってまいります。
ですから、3連休や週末の2日間で、「ひたすらがんばる」対象にして、その休みの間に済ませてしまうのでございます。
1回でも全部終わらせれば、後々は復習をこつこつと重ねていけばよいだけの話でございます。
そのほかの対象例としては、苦手ポイントや超絶に難解なところ、膨大に憶えなければならないところが、「ひたすらがんばる」対象に適しているかと存じます。
先の過去問と趣旨は同様でございます。ちんたらちんたらやっていると、ストレスばかりが高じるうえに、進み方ともとろく、やってられない気分になるからでございます。
ですから、そこだけ、ある期間の全エネルギーと時間を投入して、やり切ってしまうという塩梅でございます。
無闇矢鱈にがんばるのが、独学のがんばりではございません。
ほんとうにがんばらないと到底できそうにないか、途中でくじけそうなところで、がんばりにがんばるのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月7日 10:01 AM |
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