基本的に独学では、わからないことや難しいことは、できるだけ先送りするものでございます。
とにかく、それほど手間のかからないところから制覇をして参ります。
次いで、そこそこの努力を払えば、点数の取れるところに着手いたします。
まだ、この時点では、判らないことや難問の解決を考えません。
まあ、ちょっとだけ挑戦するのもよいかもしれません。
実力が思った以上に充実していたり、調子がよいときや、冴えているときなら、さくっと解決するかもしれないからでございます。
とはいえ、物事といいますのは、そう簡単にうまく行くものでも、自分が思ったようにならないものでございます。
挑戦してみても、穏当にできないまんまであるかと存じます。
さて、ポイントは、ここでできなくても落ち込まないことでございます。
まだまだ先がございます。また、今できないからといって未来永劫、できないわけではありません。
ですから、再度先送りをして、目の前にある復習事項なりを消化していけばよいわけでございます。
さて、では、いつ難しいことやわからないことに着手するかでございます。
はっきりいますと、これといった基準なり要件はありません。
ただ、自身の心のうちに「やろう!」という気持ちが出て来るまでは、先送りすべきかと存じます。
そんなのでいいのかと思われるかもしれませんが、わたくしはいいと思います。
お勉強を続けるうちに、その難しいところやわからないところの配点の高さや、頻出度がわかってくるものでございます。
(ああ、あそこができなければ、2〜3点は失うなあ)などと思うことでしょう。
模試を受けたときにでも、(あそこができるようになれば、Aランクになってたんだよなあ)などと、思うこともありましょう。
人は、「なぜそれをするのか」という理由がある方が、いっそうエネルギーが湧いてきます。
先の思ったことが、それをする立派な理由となるのでございます。
「合格するためには、どうしてもできなければならない!」と打倒の炎が燃えている状態と、「やったほうがいいみたいな感じがするけれども、ぶっちゃけやりたくないよね。でもやったほうがいいんだけどめんどうだよね」というような、ダブルバインドの状態でやるのとでは、どれほどやる気の湧き方が違うでしょうか。
別人の如く、違ってくることでありましょう。
それに、でございます。
もしかしたら、難しいことやわからないことは、試験にはあまり出ないものかもしれないのでございます。
あまり試験に出ないものや重要でないものに、過度のパワーを費やして疲労困憊するよりも、「なぜするのか」という理由と根拠を先に集めるべきかと存じます。
集まって、難しいことやわからないことをやる価値が十分に実感してから、着手しても少しも遅くないように考える次第でございます。
やるにあたっての「機」について、お図りくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月23日 7:31 PM |
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梅雨真っ盛り、という天気模様でございます。
じめじめとして暑く、べっとり汗ばむ季節でございますが、まあ、あと2週間もすれば、からりと晴れるでしょうから、今だけ今だけとお忍びくださればと存じます。
さて、ほんの1〜2週間前は、朝なんて肌寒いばかりで、すわ冷夏か?!などと不安に思うほど寒かったのですが、相応に暑くなってきております。
こういう寒暖差のあるときは、非常に身体に負担がかかるのか、常以上に疲れたり、ぐったりしたり、身体が重たかったりするものでございます。
こうした状態にあるときにオススメするのは、普段食べないものを食べる、でございます。
つくづく思いますに、人間なんて生き物は、半分以上が消化器でできているわけでございます。
鏡に我が身を映してじっと眺めてみれば、我が身の中心部分の胴体には、胃や腸で一杯なわけでございます。
人は顔である。否、人は心である。否、人は精神である、などと色々言われておりますが、はっきりと物理的なことを言えば、物を食べ消化し排泄する機能がわたしたちの身体の4割以上を占めているわけでございます。
それだけ食べるもの、そして、食べるという行為が大きな影響を持っているゆえんであるかと、考える次第でございます。
さてさて、身体がぐったりしたときには、普段は食べない物をたっぷり食べるべきかと存じます。
といいますのも、これまでは、身体が元気であったから、食べずに済んだ、それらの栄養を必要としなかった、他で補ってこれたといえるからでございます。
普段肉食が多く、野菜をあまり食べない人は、ぜひとも、この梅雨のときくらいは、野菜をたっぷり食べるべきかと存じます。
鍋一杯に新たまねぎと新じゃがいも、にんじん、旬のにんにくをスライス、ショウガをすっていれて、コンソメか塩で煮ただけのものでも、実においしく感じるはずでございます。
野菜のエキスが臓腑に染みこむ感じを受けるかと存じます。
レタスも安くなってきたので、しゃきしゃきしたのを皿一杯に盛り、それだけでは味気がないので、縮緬雑魚をふりかけて食べたり、カリカリに焼いたベーコンやフライドガーリックスライスといっしょに食べます。
きゅうりもたくさん出回ってきました。ざっと塩もみしたものをもろきゅうでかじりつきます。スライスしてシーチキンと合えます。
生野菜が不足していた方がこの時期にたくさんの生野菜を食べますと、血が洗われるような感じを受けるかと思います。
また、肉をあまり食べない方は、是非、この時期にお肉を食べるべきかと存じます。
特に、レバーは宜しいかと思います。私はあまり肉類を食べないのですが、この数週間、あまりに寝起きが悪くて身体が重かったので、久しく食べてなかったレバーを食べたところ、実においしく、ぐんと元気が出た次第でございます。
お魚を普段食べない人は、焼き魚でも中食で買ってきたり、缶詰の魚を食べてみると、ぐっと身体に力が入ってくるかと存じます。生は季節柄怖いのでアレでアレ。
普段食べないものを食べてみると、おそらくは、「まさに身体が求めていた」という感じを受けるように思います。
そして、身体が欲していたといいますか、舌以上に、身体全体でおいしくいただけるように思います。
お勉強も体調によって、進み具合や充実度は大きく変ってきます。
家でお料理をする際や、また外出の際、飲みの際には、普段の自分では食べないものを、メニューなり売り場から探してきて、積極的にお食べくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月22日 4:13 PM |
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類は友を呼ぶ、とは実に得てして名言であると考えます。
簡単にその意味を言いますと、気のあった者(物)や似かよった者(もの)は、自然に寄り集まる、という意味でございます。
実に言いえて妙でございます。
これをお勉強に当てはめてみますと、間違ったところは更に間違う、忘れたところはまたも忘れる、できないところはやっぱりできない、といえるからでございます。
こうした上記の現象は、本当によく起きるものでございます。
本当に、実によく、お勉強の実際に当てはまるのでございます。
間違ったところ・間違った事柄は、たとえ、目の前のそれが間違えないようになっても、模試などでちょっと切り口なり問題の出題を変えられただけで、途端に間違えてしまいます。
それはもう、おそろしいくらいに、引っかかって間違えるのでございます。わざとじゃない?くらいにでございます。
「間違い」には「間違い」が近づいてくるわけでございます。
人はよく同じ間違いを犯すものでございます。
例えば、こんなダメな人とよく付き合えるねえという人は、同じような人とお付き合いして、これまた同じように破局していくものでございます。
「間違い」には、「正しさ」以上に、新たな「間違い」が引かれるというわけでございます。
さて、次の、忘れたところは得てして忘れるも、お勉強では頻繁に見られる現象でございます。
覚えたかなと思ったら忘れていて、徹底的に読書きして繰り返し、これでもう忘れないだろうと思ったら、3日後には忘れていた、なんてことは本当によくあります。
憶えたと思って、いざ、模試等となれば、真っ白になったと言うことも、これまたよくある現象でございます。
忘れたものというのは、再び「忘れる」が近寄ってくるわけでございます。「憶えた」が近づくよりも、「忘れる」が寄り添ってくるのでございます。
「できない」にも、同様に「できない」がやってくるわけでございます。
ですから、何度も何度も、本当に数百回の練習や訓練を通さなければ、「できる」ようにはならないのでございます。
ここまで読んでウンザリした方もおられるかと存じます。
しかしながら、この逆も真なりなのでございます。
つまり、できたのならば、もう「できる」のでございます。少しの見直しとチェックで、できてしまうのでございます。
憶えたのなら、もう「憶えている」しか、近寄ってこないわけでございます。
要は、間違いなり、忘れたなり、できないをどこまで引き離せるか、でございます。
ちょっとそこらでは、同じ類友が近づいてくるのみ、でございます。ですから、それらを正したいのであれば、徹底してやり直す、見直す、繰り返すのが、達効があるのでございます。
中途半端なところでやめますと、また類友現象再び、でございます。
この点、お勉強の際には、ご注意くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月21日 3:54 PM |
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