梅雨真っ盛り、という天気模様でございます。
じめじめとして暑く、べっとり汗ばむ季節でございますが、まあ、あと2週間もすれば、からりと晴れるでしょうから、今だけ今だけとお忍びくださればと存じます。
さて、ほんの1〜2週間前は、朝なんて肌寒いばかりで、すわ冷夏か?!などと不安に思うほど寒かったのですが、相応に暑くなってきております。
こういう寒暖差のあるときは、非常に身体に負担がかかるのか、常以上に疲れたり、ぐったりしたり、身体が重たかったりするものでございます。
こうした状態にあるときにオススメするのは、普段食べないものを食べる、でございます。
つくづく思いますに、人間なんて生き物は、半分以上が消化器でできているわけでございます。
鏡に我が身を映してじっと眺めてみれば、我が身の中心部分の胴体には、胃や腸で一杯なわけでございます。
人は顔である。否、人は心である。否、人は精神である、などと色々言われておりますが、はっきりと物理的なことを言えば、物を食べ消化し排泄する機能がわたしたちの身体の4割以上を占めているわけでございます。
それだけ食べるもの、そして、食べるという行為が大きな影響を持っているゆえんであるかと、考える次第でございます。
さてさて、身体がぐったりしたときには、普段は食べない物をたっぷり食べるべきかと存じます。
といいますのも、これまでは、身体が元気であったから、食べずに済んだ、それらの栄養を必要としなかった、他で補ってこれたといえるからでございます。
普段肉食が多く、野菜をあまり食べない人は、ぜひとも、この梅雨のときくらいは、野菜をたっぷり食べるべきかと存じます。
鍋一杯に新たまねぎと新じゃがいも、にんじん、旬のにんにくをスライス、ショウガをすっていれて、コンソメか塩で煮ただけのものでも、実においしく感じるはずでございます。
野菜のエキスが臓腑に染みこむ感じを受けるかと存じます。
レタスも安くなってきたので、しゃきしゃきしたのを皿一杯に盛り、それだけでは味気がないので、縮緬雑魚をふりかけて食べたり、カリカリに焼いたベーコンやフライドガーリックスライスといっしょに食べます。
きゅうりもたくさん出回ってきました。ざっと塩もみしたものをもろきゅうでかじりつきます。スライスしてシーチキンと合えます。
生野菜が不足していた方がこの時期にたくさんの生野菜を食べますと、血が洗われるような感じを受けるかと思います。
また、肉をあまり食べない方は、是非、この時期にお肉を食べるべきかと存じます。
特に、レバーは宜しいかと思います。私はあまり肉類を食べないのですが、この数週間、あまりに寝起きが悪くて身体が重かったので、久しく食べてなかったレバーを食べたところ、実においしく、ぐんと元気が出た次第でございます。
お魚を普段食べない人は、焼き魚でも中食で買ってきたり、缶詰の魚を食べてみると、ぐっと身体に力が入ってくるかと存じます。生は季節柄怖いのでアレでアレ。
普段食べないものを食べてみると、おそらくは、「まさに身体が求めていた」という感じを受けるように思います。
そして、身体が欲していたといいますか、舌以上に、身体全体でおいしくいただけるように思います。
お勉強も体調によって、進み具合や充実度は大きく変ってきます。
家でお料理をする際や、また外出の際、飲みの際には、普段の自分では食べないものを、メニューなり売り場から探してきて、積極的にお食べくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月22日 4:13 PM |
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類は友を呼ぶ、とは実に得てして名言であると考えます。
簡単にその意味を言いますと、気のあった者(物)や似かよった者(もの)は、自然に寄り集まる、という意味でございます。
実に言いえて妙でございます。
これをお勉強に当てはめてみますと、間違ったところは更に間違う、忘れたところはまたも忘れる、できないところはやっぱりできない、といえるからでございます。
こうした上記の現象は、本当によく起きるものでございます。
本当に、実によく、お勉強の実際に当てはまるのでございます。
間違ったところ・間違った事柄は、たとえ、目の前のそれが間違えないようになっても、模試などでちょっと切り口なり問題の出題を変えられただけで、途端に間違えてしまいます。
それはもう、おそろしいくらいに、引っかかって間違えるのでございます。わざとじゃない?くらいにでございます。
「間違い」には「間違い」が近づいてくるわけでございます。
人はよく同じ間違いを犯すものでございます。
例えば、こんなダメな人とよく付き合えるねえという人は、同じような人とお付き合いして、これまた同じように破局していくものでございます。
「間違い」には、「正しさ」以上に、新たな「間違い」が引かれるというわけでございます。
さて、次の、忘れたところは得てして忘れるも、お勉強では頻繁に見られる現象でございます。
覚えたかなと思ったら忘れていて、徹底的に読書きして繰り返し、これでもう忘れないだろうと思ったら、3日後には忘れていた、なんてことは本当によくあります。
憶えたと思って、いざ、模試等となれば、真っ白になったと言うことも、これまたよくある現象でございます。
忘れたものというのは、再び「忘れる」が近寄ってくるわけでございます。「憶えた」が近づくよりも、「忘れる」が寄り添ってくるのでございます。
「できない」にも、同様に「できない」がやってくるわけでございます。
ですから、何度も何度も、本当に数百回の練習や訓練を通さなければ、「できる」ようにはならないのでございます。
ここまで読んでウンザリした方もおられるかと存じます。
しかしながら、この逆も真なりなのでございます。
つまり、できたのならば、もう「できる」のでございます。少しの見直しとチェックで、できてしまうのでございます。
憶えたのなら、もう「憶えている」しか、近寄ってこないわけでございます。
要は、間違いなり、忘れたなり、できないをどこまで引き離せるか、でございます。
ちょっとそこらでは、同じ類友が近づいてくるのみ、でございます。ですから、それらを正したいのであれば、徹底してやり直す、見直す、繰り返すのが、達効があるのでございます。
中途半端なところでやめますと、また類友現象再び、でございます。
この点、お勉強の際には、ご注意くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月21日 3:54 PM |
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お勉強のコツの1つに、緩急強弱をつけることがございます。
お勉強といいますのは、全部が全部に対して、100%の努力をしなくてもよいのでございます。
どういうことかといいますと、お勉強の中には、やっていくうちにわかってくるものがあり、また、それほどに考えなくてもできてしまうところが、結構な数あるからでございます。
つまりは、普通に読んだり解いたりしていれば、自然とできていくところは、それほどに努力を払わずともよいわけでございます。
ま、油断は禁物ですから、時折の復習で、ぬか床のぬか漬のようにかき回して、理解なり記憶を確かめれば、それでことが済むわけでございます。
ですから、こうしたところには、ときどきの努力を、ま、60%・70%の努力をすればよいわけでございます。
お勉強のすべてのすべてに対して、100%努力すべし、というわけではないことを、まずはおさえてくださればと存じます。
しかしながら、ところどころ、要所要所にて、必ず100%の努力が求めれるところがあるのでございます。
本当に1から考えて、少しも不明慮なところをなくさねば、到底理解できないところがあるのでございます。
きっちりと隅から隅まで、1つも落とすことなく憶えておかねば、到底点の取れないところがあるのでございます。
こうしたところに対しては、100%の努力を向けるわけでございます。
100%の努力を向けるとは、今もっている時間や手間を、そこに集中する事でございます。
つまり、そこだけで、1日のお勉強の全てを費やしても構わないのでございます。
果てには、そこだけに、1週間のお勉強の全部を充てても構わないのでございます。
要努力の箇所は、中途半端な理解度では、点になりませんから、徹底してやるわけでございます。
100%の努力をもって、1字1句、1センテンス1パラグラフを揺るがせにせず、しっかりと見ていくわけでございます。
100%の努力ですべきところはそうして、そうでないところはそうしない、簡単に言えばそう言うことでございます。何も特殊めいたものはないかと存じます。
ただ、どこに100%で臨み、どこを適当に済ますかは、最初の内はわかりません。
ただある程度お勉強が進めば、ここはやっとかなあかんなあという、鼻が効くようになって参ります。
そういうところがわかってから、100%のピュア努力をやるべきかと存じます。
突然に、テキストの1ページ目・問題集の1問目から、ラストスパートレベルの努力を払う方を、ときどき見受けます。
そういうやり方を否定するものではありませんが、ただ一言、ロスは大きいという点を指摘しておきたく存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月18日 3:24 PM |
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