独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

疲労を知る

生きることとは何か、なんて言われますと困ってしまいます。
知ったこっちゃないと言うのが本音ではありますが、わたくしはかっこをつけて、生きるとは疲れることである、と申しております。
疲れるというのは、負の側面ばかりではありません。よい面もあるといわざるを得ないのでございます。
疲れずして、食べ物はおいしいでしょうか。腹も空かないのに食べねばならないのは苦痛でございます。
食べたくも無いのに、においや風味で無理やりに食欲を駆り立たせられ、胃袋に物を詰め込むのは、よい食事とはいえないでしょう。
疲れずして、よく眠れるでしょうか。ああ疲れたといって布団に飛び込み、数分で意識が吹っ飛ぶ。これこそまさに、極上の快ではないかと存じます。
人生の恐怖の1つである失業は、何故にそれほど恐ろしいかといいますと、もちろんのこと、金銭面のこともあるでしょうが、疲れることができないからでございます。
やることもないのでエネルギーは鬱屈し、内に内に溜まってまいります。
夜は当然、身体も頭も疲れていないので、よくは寝付けません。布団に入っても数時間、寝返りを打つ事となりましょう。
疲れるからこそ、娯楽や楽しみが活きて来るわけでございます。疲れることを避けて、よい人生は歩めないかと考えます。
ただ、もちろんのこと、ド疲れ、ド疲労、過労は、よろしくありません。
食生活を見直す、生活を見直す、人生の優先順位を見直すなどして、疲労の蓄積は防がねばなりません。蓄積された疲労こそが、大病のもと、費えの最たるものでございます。
身体が資本などと申しますが、本当にその通りでありまして、患えば治さざるを得ないし、我が身は苦しいは、ゼニはかかるは、その間は仕事なりが滞るわで、疲労を舐めるとヒドイ目に遭うものでございます。
言うまでもありませんが、健康状態には、甘く見ないようにしていただきたく存じます。中小企業の社長さんは入院したら即、誰よりもはやく、銀行の担当がお見舞いに来るとのこと。シビアであります。本当に身体・健康は、「資本」でございます。
さてさて、疲労しないのもダメであり、また、疲れすぎるのも、これまたよろしくはないのでございます。
ではどうすればよいか、と相なります。
そこでまずは、自分の疲労というものに対して、意識をしっかり働かせる事でございます。
疲労にも、緩急・高低・強弱がございます。
このタイプの疲労なら、風呂に20分ほど浸かって、身体から出しちゃえばなんとかなる。
お菓子を食べれば回復する。
こういう状態の疲労はすぐに抜けないので、無理せず、早々と寝るに限る。
とまあこんな風に、自身の疲労について、より詳しくなるわけでございます。
こういう状態のときはできて、こういうときにはできないという区別が付けば、不調時にがんばるようなトンチンカンな対処はなくなるように思います。
不調時にやるべきことは休息と、考えと心のリフレッシュでございます。
また、本当ならできるのに、疲れたからといって、グダグダとテレビやパソコンの前で時間を費やすこともなくなることでありましょう。
できるのにやらないのを、怠惰と申します。
このように、自身の疲労を知ることによって、疲労への対処法から、自身の限界までを知ることができるように思います。
また、疲労状態の改善に当っても、これまでにはないアレコレの手段方策が見出されてくるように思います。
お勉強の合間の散歩のときなどに一度、疲労について考えてみてくださればと存じます。

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散歩一考

独学では、散歩を実に推奨するものでございます。
といいますのも、名案や突破法などは、机の前で閃くというよりも、屋外の散歩のときに閃くことが多いからでございます。
また、ずっと机の前で座っていても、頭に血が登って血がうっ血するだけでございます。
ですから、立ち上がって外に出て、両手を振って両足を動かして、血の巡りをよくするわけでございます。
15分も歩いていくうちに、頭の霞やモヤモヤが大分晴れてくるように思います。そうした状態になってから、いざ、考え直せば宜しいかと存じます。
さて、卓効の多い散歩でありますが、問題は場所でございます。
大概散歩といいますと、公園、河川敷あたりをぶらぶらするものでございます。
しかし、何時も同じところでは素っ気がないので、新しい場所に足を時には向けてくださればと存じます。
たとえば、お寺を見つけたら、お墓の有無を確かめてみます。
最近は管理が厳しいので入るようにはいいませんが、立ち止まってそっとお墓や卒塔婆を見てみることでございます。
お墓参りにいくときとは違う、不思議で変な気分に陥るかと存じます。
わたしは生きていて、向こうは死んでいる。しかし、なんだか日常という形では、つながりのある予感がしてならないわけでございます。
また、自分自身のことが心に浮かぶものではなく、子供について、両親や祖父母、または近親者、親しかった人の在りし人・去りし人のお顔がふと、思い立ってくるものでございます。
そうすると、お勉強への思いはどこぞへいってしまい、散歩の間は「ううむ」と、心中から沸き起こってくるものを考えるような感じるような、そういう心持ちになるものでございます。
お勉強一色だった頭は不思議にリセットされて、家に帰ると何とも、活き活きとしてくる自身を発見するかと存じます。
なお、ぐったりしてうつうつとしてきた人は、一度、自分の人間関係を振り返るがよいでしょう。
お寺だけでなく、小学校や中学校の周辺を歩くのもようございます。
クラブで汗を流している学生や、帰宅途中に馬鹿馬鹿しいことをしている子、おばさんそっくりの立ち話に興じている子を見るにつけて、何か綿々と続いているものを感じるのではないかと存じます。
これまた、「ううむ」と時間の行き来について、そこはかとなく考え出す自分を見出すかと思います。
デパートやスーパーにふらりと、本当に何の目的もなく、入っていくのもようございます。
そして、普段では絶対に行かないところに、いくべきでございます。
たとえば、男性なら女性用の被服売り場など、ベルリンの壁並みの障壁がありますが、勇気を持って入ってみます。
子供へのプレゼント、または、愛人への贈り物を贈るんだ、てな感じを醸しつつ、見て回ることでございます。
店員の痛い視線を感じるかもしれませんが、そこはぐっと我慢です。
次第に、心中に普段の生活や仕事では感じない、独自の緊張を見出すことでしょう。
女性なら、機械売り場、トルクやレンチ、ニッパーなどの器具コーナーにいって見ます。
ちなみに、女性はほぼ大概の売り場で見ますが、たとえば、男性用下着売り場にもいるし、もちろん男性洋服売り場にもいます、食品やお酒は言うまでもないし、ほとんどの売り場に生息しているわけですが、唯一、これまで、機械工具売り場で見かけたことはありません。
普段は絶対に行かない売り場にて、そこでなんでこんなものがあるのかと訝ってみてください。そして、それらの器具や道具を使っている人を想像してみてください。意外な発見があるかと存じます。
このような発見のある散歩を、単にお勉強の気分転換のみに充てるのは、少しく惜しく思う次第でございます。
散歩はときに、お勉強以上にいい勉強になることをご体感くださればと存じます。

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集中ができないとき

だんだん、だんだんと暑くなってきております。
考えてみれば、今年もあと少しで半分が終わります。あと数日でもう7月でございます。
アレもコレもやっておきたかった!という焦燥感に駆られますが、暑くなるさなかでは、力は半分も出ません。
こうしたときは、何をどうやるか、しっかりとやるべきことの計画・順序と、力と時間の配分に思いを馳せて下ればと存じます。
しっかりした準備があれば、本調子になった際に、ぐっと物事が円滑に進むかと思います。
さて、本日のススメは、集中についてでございます。
お勉強というのは、片手間ではできるものではありません。
最近ではよく、インターネット上で行なわれるネット講義などがありますが、わたくし個人にとっては全くの無用と割り切ってございます。
というのも、ネットにつながった状態では、勉強どころか本すら読めないと、心底知っているからでございます。
必ずマウスはブラウザの起動ボタンをクリックして、何か趣味のページに飛んでいっていることでしょう。
集中というのは、実に繊細なものであって、何か少しでも邪魔をするようなものがあると、途端に揺れ動いてしまうことを、意識の片隅においておくべきかと存じます。
そして、集中というのは、心身の状態によって大きくブレのあるものでございます。
体調がよく、心も何とも落ち着いているときは、すっと集中状態に入り、長く集中状態に入っていることができます。
しかし、そんな心身ともに好調なんてことは年に数回しかないものでございます。
さて、集中して勉強をしたいが、何とも集中できないときは、まず、集中を妨げている物を遠ざけるか、隔離することがポイントでございます。
そこでまず、携帯電話の電源をオフにすることを推奨いたします。
何かとつながっているという状態は、まあ、安心するものではありますが、逆に、不安をもかき立てるものでございます。
基本的に、重大な案件の電話がかかってくるのは、年に1〜2回でございます。それ以外は、冷静に考えてみれば、ほんとうにどうでもいいし、お勉強の休憩のときや済んでから対処すればよいことばかりでございます。
ですから、ばっさりと電源を切ることを推奨いたします。
これで電話もかかってきませんし、メールもやっては参りません。外界とは隔絶された、自分の世界に浸ることが可能となります。
最初は不安がありますが、やっているうちに、次第に慣れていくかと思います。
携帯というものが思いのほか、自分を縛っていること、心の重みになっていることにお気づきくださればと存じます。
さて、さらに、もっと集中したいときは、インターネットの回線を切ることをお勧めいたします。
モジェラーから配線を抜いてしまうのでございます。こうすると、自宅の電話も通じなくなりますし、ネットにアクセスすることもできなくなります。
これで、どこからも、情報を得ることができなくなってしまいました。頼りになるのは、自分の頭とコレまでに蓄積してきた経験のみでございます。
やってもらえばわかるのですが、電話・モデムからコードを抜いてしまうと、何ともいいようのない不安と、安心というか安寧というか、落ち着きを得ることができるのでございます。
しかし、そのときに沸き起こる不安というのは、感じるのは最初だけで、ほおって置けばどこぞへ消える取るに足らない不安でございます。
もし、携帯やネットから分断されると、もの凄く不安になる方は、一度カウンセラーに相談するか、しっかりと自己を見つめる必要があるでしょう。これは、お勉強以上に喫緊な問題です。
ま、恐らく多くの方は、不安以上に落ち着きと安定の方を、感じるように思います。(あ、できそう!)というような実感に包まれるかと存じます。
基本的にわたくしは、ド集中したいときは、ネットの回線を物理的に切っております。
こうすると、他のところに気が散らなくなるので、ググっと目の前の事だけに入っていくのでございます。
インターネットというのは本当に便利なものですが、これまた大いに、わたくし達の集中を邪魔していたものだと、実感を得られるかと存じます。
便利なものほど邪魔になる。プラスがあればマイナスもある。
何か上手く行かないときは、プラスの物に潜むマイナスを見出してくださればと存じます。
プラスの中にそれがあるからこそ、見えにくいのでございます。

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