| カテゴリー: 過去のススメ |
類は友を呼ぶ、とは実に得てして名言であると考えます。
簡単にその意味を言いますと、気のあった者(物)や似かよった者(もの)は、自然に寄り集まる、という意味でございます。
実に言いえて妙でございます。
これをお勉強に当てはめてみますと、間違ったところは更に間違う、忘れたところはまたも忘れる、できないところはやっぱりできない、といえるからでございます。
こうした上記の現象は、本当によく起きるものでございます。
本当に、実によく、お勉強の実際に当てはまるのでございます。
間違ったところ・間違った事柄は、たとえ、目の前のそれが間違えないようになっても、模試などでちょっと切り口なり問題の出題を変えられただけで、途端に間違えてしまいます。
それはもう、おそろしいくらいに、引っかかって間違えるのでございます。わざとじゃない?くらいにでございます。
「間違い」には「間違い」が近づいてくるわけでございます。
人はよく同じ間違いを犯すものでございます。
例えば、こんなダメな人とよく付き合えるねえという人は、同じような人とお付き合いして、これまた同じように破局していくものでございます。
「間違い」には、「正しさ」以上に、新たな「間違い」が引かれるというわけでございます。
さて、次の、忘れたところは得てして忘れるも、お勉強では頻繁に見られる現象でございます。
覚えたかなと思ったら忘れていて、徹底的に読書きして繰り返し、これでもう忘れないだろうと思ったら、3日後には忘れていた、なんてことは本当によくあります。
憶えたと思って、いざ、模試等となれば、真っ白になったと言うことも、これまたよくある現象でございます。
忘れたものというのは、再び「忘れる」が近寄ってくるわけでございます。「憶えた」が近づくよりも、「忘れる」が寄り添ってくるのでございます。
「できない」にも、同様に「できない」がやってくるわけでございます。
ですから、何度も何度も、本当に数百回の練習や訓練を通さなければ、「できる」ようにはならないのでございます。
ここまで読んでウンザリした方もおられるかと存じます。
しかしながら、この逆も真なりなのでございます。
つまり、できたのならば、もう「できる」のでございます。少しの見直しとチェックで、できてしまうのでございます。
憶えたのなら、もう「憶えている」しか、近寄ってこないわけでございます。
要は、間違いなり、忘れたなり、できないをどこまで引き離せるか、でございます。
ちょっとそこらでは、同じ類友が近づいてくるのみ、でございます。ですから、それらを正したいのであれば、徹底してやり直す、見直す、繰り返すのが、達効があるのでございます。
中途半端なところでやめますと、また類友現象再び、でございます。
この点、お勉強の際には、ご注意くださればと存じます。
ダメは
2010年6月21日 3:54 PM
★みんなとシェアする