独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

もくじを眺める

お勉強というのは、基本的に半年から1年にわたる長丁場の作業でございます。
ですから、どうしても途中で、自分が何をしているのかわからなくなってくることがございます。
毎日お勉強をするのが何よりのコツではあるのですが、時に、自分が何をしてどの方向に進んでいるか、曖昧になってくるかと存じます。
こうなった際は、ひとまず目の前のお勉強は置いておいて、最初の方にある、もくじを丹念に眺めることをお勧めする次第でございます。
もくじの利点は、その全体性でございます。
お勉強というのは、多数の体系と無数の細かいことでできあがっております。
勉強することが複雑で膨大で広大のためか、個々の袋小路に陥りやすいのでございます。
それほど点にならないところを考えこんだり、短い時間では到底できないところなのに、できない・できないと心悩ましたりするのでございます。
こんなときに、もくじを眺めてみますと、そこでは、極限までに簡略された試験の姿を目にする事と相なります。
じっともくじを眺めているうちに、ふっと視野が開けるというか、視点が動くといいますか、これまで見てきた試験というものの見方が、違ってくるように思います。
こうなるとしめたもので、現に自分がはまり込んだ穴ぽこといいますか、思考の間隙から脱出できるのでございます。
より客観的に、大局的に試験を見れるようになり、今以上に合理的なお勉強と相なるかと存じます。
もくじの利点は、もう1つございます。
それは、鼻をへし折るといいますか、過信を正すとでもいいましょうか、自分の抜け落ちた部分を発見する機会となるのでございます。
まあできているだろう、と思っていても、いざもくじを眺めていくと、不思議と不安な気持ちが沸き起こり、ヤキモキしてくるのでございます。
あそこはできているのだろうか、あの箇所は憶えているだろうか、といった気になる箇所が、どんどん思い浮かんでくるのでございます。
そのように不安に思ったところは、まさにその通りでありまして、できてはおりません。
模試で問われれば必ず間違え、本試験では必ず手痛い失点となるところでございます。
もくじを眺めて発生する不安は、いい不安といってよいでしょう。
できないというのは、ある意味、僥倖であることをわたくしたちは憶えておかねばなりません。
できないことやできそうにないところが判明しただけで、儲け物でございます。
わたくしたちが本当に酷い目に遭うのは、予期も予想もしなかった種のものでございます。
本試験で出題されて、(ああ、ここできてないじゃん!ギャア!)となるよりも、今、できていないほうが圧倒的にいいのはいうまでもありません。
明らかに1点を取り戻せるチャンスを、わたくし達は発見したわけでございます。
今、ヤバそうなところがわかったのですから、あとは、丁寧にケアをするのみでございます。
もくじをつらつら眺めて、むむ?と胸騒ぎを覚えたところは、赤丸でもつけておいて、のちのちの復習課題や学習計画に組み込んでいってほしく思います。
むやみやたらに問題を解くよりも、テキストを読むよりも、ずっとずっとポイントの絞られた実効性の高いお勉強となるかと存じます。
このほかにも、もくじには色々な使い方が可能でございます。しかし、まあ、ひとまずは上記の2点から、もくじという物を活用してほしく存じます。
「もくじには大きな意味があるんだなあ」と思えるようになれば、レベルアップした証でございます。

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塩も忘れず

毎日、むっとする毎日でございます。
ま、梅雨ですので仕方がないといえば仕方がありません。
あともう少しすれば、からっと晴れあがり、不快ではない暑さとなるかと存じます。そのときまで、じっとお耐えくださればと存じます。
さて、暑さ対策といえば、水分補給でございます。
水ッ気については、熱中症で倒れる人が出るたびに、特集が組まれるのでそれを見て、飲んでいけば良いかと存じます。
ただ、飲み物には注意でございます。清涼飲料水には大量の砂糖が含まれてございます。
ですから、熱中症だ!水ッ気だ!といってガブガブ飲むと、血中の糖度が上がり、それを薄めようと逆に身体は渇きます。
このため、ますます飲む、しかし、ますます渇く、とヒドイ連鎖に入ってしまい、身体に結構なダメージが来ます。
普通のジュースの類は、意外に身体が疲れる飲み物でありますので、この点、ご注意くださればと存じます。
コーヒーや紅茶も、これまた考えものでございます。
砂糖の問題もあるのですが、それ以上にカフェインの存在でございます。
あまりに飲むと、ビチビチギチギチにカフェインが頭にきて頭痛やら、お腹に降りてきて嘔吐や下痢に見舞われることがございます。
カフェインも一種の薬であり、致死量もございます。
(ウィキによりますと、5〜10gが致死量で、コーヒー1杯では100mgほどのカフェインを含有し、50杯から100杯のコーヒーを飲むと急性中毒に至るとのことでございます。)
日本茶ならいいのかといいますと、これまたカフェインが入っておりますし、お茶には他の薬効もございますので、飲みすぎはこれまた危険でございます。
ウーロン茶には利尿作用があるので、飲み過ぎると1駅ごとにトイレにいきたくなるものでございます。
結局、従来の水(白湯)か、大麦を焙じて煮出しただけの麦茶が、身体に影響少なく、水分補給ができるように考える次第でございます。
しかし、また注文があるのですが、水だけでは不十分であることでございます。
汗をかけば身体の塩っ気もついでに出て参ります。ですから、塩っ気の補給も涵養でございます。
しかし、昨今では、塩=不健康の代名詞となっており、摂るのを躊躇する方がたくさんございます。
塩の取り過ぎはよくありませんが、塩自体は生きる上で必須のものでございます。
試しに汗をたくさんかいてどろどろになって家に帰ってきて、ぐったりしているときに、ちょっぴり塩を舐めてみてください。
いつもは辛い!とくるところが、実においしく、明らかに塩が身体に溶け込んでいく感じを得られるかと存じます。そして、何とも身体が軽くなるかと存じます。
飲み物の持参派の方や、お子さんが水筒を持って学校に持っていっている方は、ほんのちょっぴり、自然塩を1つまみ入れておくことを推奨いたします。大分、元気になるかと。
最近は塩飴という飴もございます。わたくしは、塩飴を舐めて、塩っ気を補充しております。
汗をかいたときに舐めると、ほっぺたの裏がびりびりしびれるほどおいしく、あー汗をかいたなあと実感しております。
お勉強ができるのも、体調あってのことでございます。しっかり体調管理の程を、お願いする次第でございます。

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疲労を知る

生きることとは何か、なんて言われますと困ってしまいます。
知ったこっちゃないと言うのが本音ではありますが、わたくしはかっこをつけて、生きるとは疲れることである、と申しております。
疲れるというのは、負の側面ばかりではありません。よい面もあるといわざるを得ないのでございます。
疲れずして、食べ物はおいしいでしょうか。腹も空かないのに食べねばならないのは苦痛でございます。
食べたくも無いのに、においや風味で無理やりに食欲を駆り立たせられ、胃袋に物を詰め込むのは、よい食事とはいえないでしょう。
疲れずして、よく眠れるでしょうか。ああ疲れたといって布団に飛び込み、数分で意識が吹っ飛ぶ。これこそまさに、極上の快ではないかと存じます。
人生の恐怖の1つである失業は、何故にそれほど恐ろしいかといいますと、もちろんのこと、金銭面のこともあるでしょうが、疲れることができないからでございます。
やることもないのでエネルギーは鬱屈し、内に内に溜まってまいります。
夜は当然、身体も頭も疲れていないので、よくは寝付けません。布団に入っても数時間、寝返りを打つ事となりましょう。
疲れるからこそ、娯楽や楽しみが活きて来るわけでございます。疲れることを避けて、よい人生は歩めないかと考えます。
ただ、もちろんのこと、ド疲れ、ド疲労、過労は、よろしくありません。
食生活を見直す、生活を見直す、人生の優先順位を見直すなどして、疲労の蓄積は防がねばなりません。蓄積された疲労こそが、大病のもと、費えの最たるものでございます。
身体が資本などと申しますが、本当にその通りでありまして、患えば治さざるを得ないし、我が身は苦しいは、ゼニはかかるは、その間は仕事なりが滞るわで、疲労を舐めるとヒドイ目に遭うものでございます。
言うまでもありませんが、健康状態には、甘く見ないようにしていただきたく存じます。中小企業の社長さんは入院したら即、誰よりもはやく、銀行の担当がお見舞いに来るとのこと。シビアであります。本当に身体・健康は、「資本」でございます。
さてさて、疲労しないのもダメであり、また、疲れすぎるのも、これまたよろしくはないのでございます。
ではどうすればよいか、と相なります。
そこでまずは、自分の疲労というものに対して、意識をしっかり働かせる事でございます。
疲労にも、緩急・高低・強弱がございます。
このタイプの疲労なら、風呂に20分ほど浸かって、身体から出しちゃえばなんとかなる。
お菓子を食べれば回復する。
こういう状態の疲労はすぐに抜けないので、無理せず、早々と寝るに限る。
とまあこんな風に、自身の疲労について、より詳しくなるわけでございます。
こういう状態のときはできて、こういうときにはできないという区別が付けば、不調時にがんばるようなトンチンカンな対処はなくなるように思います。
不調時にやるべきことは休息と、考えと心のリフレッシュでございます。
また、本当ならできるのに、疲れたからといって、グダグダとテレビやパソコンの前で時間を費やすこともなくなることでありましょう。
できるのにやらないのを、怠惰と申します。
このように、自身の疲労を知ることによって、疲労への対処法から、自身の限界までを知ることができるように思います。
また、疲労状態の改善に当っても、これまでにはないアレコレの手段方策が見出されてくるように思います。
お勉強の合間の散歩のときなどに一度、疲労について考えてみてくださればと存じます。

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