独学では、散歩を実に推奨するものでございます。
といいますのも、名案や突破法などは、机の前で閃くというよりも、屋外の散歩のときに閃くことが多いからでございます。
また、ずっと机の前で座っていても、頭に血が登って血がうっ血するだけでございます。
ですから、立ち上がって外に出て、両手を振って両足を動かして、血の巡りをよくするわけでございます。
15分も歩いていくうちに、頭の霞やモヤモヤが大分晴れてくるように思います。そうした状態になってから、いざ、考え直せば宜しいかと存じます。
さて、卓効の多い散歩でありますが、問題は場所でございます。
大概散歩といいますと、公園、河川敷あたりをぶらぶらするものでございます。
しかし、何時も同じところでは素っ気がないので、新しい場所に足を時には向けてくださればと存じます。
たとえば、お寺を見つけたら、お墓の有無を確かめてみます。
最近は管理が厳しいので入るようにはいいませんが、立ち止まってそっとお墓や卒塔婆を見てみることでございます。
お墓参りにいくときとは違う、不思議で変な気分に陥るかと存じます。
わたしは生きていて、向こうは死んでいる。しかし、なんだか日常という形では、つながりのある予感がしてならないわけでございます。
また、自分自身のことが心に浮かぶものではなく、子供について、両親や祖父母、または近親者、親しかった人の在りし人・去りし人のお顔がふと、思い立ってくるものでございます。
そうすると、お勉強への思いはどこぞへいってしまい、散歩の間は「ううむ」と、心中から沸き起こってくるものを考えるような感じるような、そういう心持ちになるものでございます。
お勉強一色だった頭は不思議にリセットされて、家に帰ると何とも、活き活きとしてくる自身を発見するかと存じます。
なお、ぐったりしてうつうつとしてきた人は、一度、自分の人間関係を振り返るがよいでしょう。
お寺だけでなく、小学校や中学校の周辺を歩くのもようございます。
クラブで汗を流している学生や、帰宅途中に馬鹿馬鹿しいことをしている子、おばさんそっくりの立ち話に興じている子を見るにつけて、何か綿々と続いているものを感じるのではないかと存じます。
これまた、「ううむ」と時間の行き来について、そこはかとなく考え出す自分を見出すかと思います。
デパートやスーパーにふらりと、本当に何の目的もなく、入っていくのもようございます。
そして、普段では絶対に行かないところに、いくべきでございます。
たとえば、男性なら女性用の被服売り場など、ベルリンの壁並みの障壁がありますが、勇気を持って入ってみます。
子供へのプレゼント、または、愛人への贈り物を贈るんだ、てな感じを醸しつつ、見て回ることでございます。
店員の痛い視線を感じるかもしれませんが、そこはぐっと我慢です。
次第に、心中に普段の生活や仕事では感じない、独自の緊張を見出すことでしょう。
女性なら、機械売り場、トルクやレンチ、ニッパーなどの器具コーナーにいって見ます。
ちなみに、女性はほぼ大概の売り場で見ますが、たとえば、男性用下着売り場にもいるし、もちろん男性洋服売り場にもいます、食品やお酒は言うまでもないし、ほとんどの売り場に生息しているわけですが、唯一、これまで、機械工具売り場で見かけたことはありません。
普段は絶対に行かない売り場にて、そこでなんでこんなものがあるのかと訝ってみてください。そして、それらの器具や道具を使っている人を想像してみてください。意外な発見があるかと存じます。
このような発見のある散歩を、単にお勉強の気分転換のみに充てるのは、少しく惜しく思う次第でございます。
散歩はときに、お勉強以上にいい勉強になることをご体感くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月30日 2:54 PM |
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だんだん、だんだんと暑くなってきております。
考えてみれば、今年もあと少しで半分が終わります。あと数日でもう7月でございます。
アレもコレもやっておきたかった!という焦燥感に駆られますが、暑くなるさなかでは、力は半分も出ません。
こうしたときは、何をどうやるか、しっかりとやるべきことの計画・順序と、力と時間の配分に思いを馳せて下ればと存じます。
しっかりした準備があれば、本調子になった際に、ぐっと物事が円滑に進むかと思います。
さて、本日のススメは、集中についてでございます。
お勉強というのは、片手間ではできるものではありません。
最近ではよく、インターネット上で行なわれるネット講義などがありますが、わたくし個人にとっては全くの無用と割り切ってございます。
というのも、ネットにつながった状態では、勉強どころか本すら読めないと、心底知っているからでございます。
必ずマウスはブラウザの起動ボタンをクリックして、何か趣味のページに飛んでいっていることでしょう。
集中というのは、実に繊細なものであって、何か少しでも邪魔をするようなものがあると、途端に揺れ動いてしまうことを、意識の片隅においておくべきかと存じます。
そして、集中というのは、心身の状態によって大きくブレのあるものでございます。
体調がよく、心も何とも落ち着いているときは、すっと集中状態に入り、長く集中状態に入っていることができます。
しかし、そんな心身ともに好調なんてことは年に数回しかないものでございます。
さて、集中して勉強をしたいが、何とも集中できないときは、まず、集中を妨げている物を遠ざけるか、隔離することがポイントでございます。
そこでまず、携帯電話の電源をオフにすることを推奨いたします。
何かとつながっているという状態は、まあ、安心するものではありますが、逆に、不安をもかき立てるものでございます。
基本的に、重大な案件の電話がかかってくるのは、年に1〜2回でございます。それ以外は、冷静に考えてみれば、ほんとうにどうでもいいし、お勉強の休憩のときや済んでから対処すればよいことばかりでございます。
ですから、ばっさりと電源を切ることを推奨いたします。
これで電話もかかってきませんし、メールもやっては参りません。外界とは隔絶された、自分の世界に浸ることが可能となります。
最初は不安がありますが、やっているうちに、次第に慣れていくかと思います。
携帯というものが思いのほか、自分を縛っていること、心の重みになっていることにお気づきくださればと存じます。
さて、さらに、もっと集中したいときは、インターネットの回線を切ることをお勧めいたします。
モジェラーから配線を抜いてしまうのでございます。こうすると、自宅の電話も通じなくなりますし、ネットにアクセスすることもできなくなります。
これで、どこからも、情報を得ることができなくなってしまいました。頼りになるのは、自分の頭とコレまでに蓄積してきた経験のみでございます。
やってもらえばわかるのですが、電話・モデムからコードを抜いてしまうと、何ともいいようのない不安と、安心というか安寧というか、落ち着きを得ることができるのでございます。
しかし、そのときに沸き起こる不安というのは、感じるのは最初だけで、ほおって置けばどこぞへ消える取るに足らない不安でございます。
もし、携帯やネットから分断されると、もの凄く不安になる方は、一度カウンセラーに相談するか、しっかりと自己を見つめる必要があるでしょう。これは、お勉強以上に喫緊な問題です。
ま、恐らく多くの方は、不安以上に落ち着きと安定の方を、感じるように思います。(あ、できそう!)というような実感に包まれるかと存じます。
基本的にわたくしは、ド集中したいときは、ネットの回線を物理的に切っております。
こうすると、他のところに気が散らなくなるので、ググっと目の前の事だけに入っていくのでございます。
インターネットというのは本当に便利なものですが、これまた大いに、わたくし達の集中を邪魔していたものだと、実感を得られるかと存じます。
便利なものほど邪魔になる。プラスがあればマイナスもある。
何か上手く行かないときは、プラスの物に潜むマイナスを見出してくださればと存じます。
プラスの中にそれがあるからこそ、見えにくいのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月29日 2:45 PM |
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山登りをされた方には、ご経験があるかと存じます。
だいたい1つの山に1つは、心臓破りの坂と呼ばれるような、登るのに厳しい難所があるものでございます。
その難所では、急ぐと数倍は疲れるところでございます。ですから、ふうふうと、一足一足、足を動かしていかねばなりません。
山には、登り慣れた人がございます。まるで天狗のように、重い荷物を背負っているにもかかわらず、飛ぶように山道を登っていきます。
しかし、そうした天狗の方は、何度も何回も山を登っては下り、肩で息をして、ときには黄水を吐き出し、ときおり山の怖さを知った後での、天狗登りなのでございます。
幾多の経験を経てそうなったのに、ド素人の人がその真似をしたら酷い目に遭うのは、言を待たないかと存じます。
とはいえ、この点、山登りですと自然が相手ですので、登って行くうちに、(こいつはダメだ、ペースを守らんと)と悟って参ります。
ースを超えた登山をしても、酷い目に遭うのは自身ですから、どんな頑固な人でも、若作りな人でも、山に際しては、その本分を守るように、見受ける次第でございます。
ですから、難所に差しかかれば、ゆっくりと焦ることなく、段差を気にして、転ばないよう、僅か30センチも足らない距離を、時間をかけて踏んでいくわけでございます。
お勉強にも、登山と同じような場面に遭遇するものでございます。
山に勾配のきつい難所があるように、お勉強にも、どうにも難しかったり、複雑怪奇で理解によほど時間のかかるところがあるものでございます。
まあ、どんな試験でも、難所は5つほどあるとお考えくださればと存じます。
しかし、同じ難所といっても、お勉強におきましては、その難しさの起伏が物理的に目に見えません。
目の前にあるのは、同じ日本語で書かれたテキストしかありません。
ですから、頭のどこぞでは(こいつはムズカシイ、なんか違うぞ)と思いつつも、なぜかこれまでと同じような調子とペース、そして、気持ちで臨むことがあるのでございます。
しかし、難所ですから、普通の調子で行ってうまくいくわけがありません。調子のよいときなど、まさに好調に勢いを借りて、急勾配の坂をダッシュするかのような真似をする人もいて、散々な目に遭うのでございます。
目は先入観でいっぱいですから、理解は乏しく、憶えも悪く、だんだんとイライラして、余計に消耗するわけでございます。
お勉強の各試験科目、各単元、各章といいますのは、それ自体が独立したもので、ある章が簡単だったから、以降の章も簡単になるとは限りません。
なだらかな坂が続いたから、これからもなだらかだろう、と考える登山者がいれば、何時しかダウンして真っ青になることでしょう。
簡単といわれる試験でも、難所はございます。そこだけが難しいのに、調子に乗って、または高を括って油断する人が後を絶ちません。
まずは、お勉強というものには難所があるということを、もっといえば、何時しか難所に差しかかることを意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
お勉強といいますのは、常に同じものではありません。どこぞで変わってくるものでございます。
まずは、そうした変化をおつかみくださればと存じます。そして、時折、その変化をつかみ損ねたときは、気持ちを入れ替え、ゆっくりじっくりと、地歩を固めるように目の前のことに接してくださればと存じます。
これまで上手く行ったから、今後も上手く行くだろうというのは、妄想に過ぎません。
試験なら高を括っても不合格だけありますが、人生のある局面の高括りが、致命的な失敗をもたらすことがございます。
お勉強はお勉強でありますが、それをしている人に変りはないことに、ご留意くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年6月28日 3:39 PM |
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