独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

知らないことだらけ

最近になってよくよく思うことがございます。
お勉強というのは、知識なり教養なりを得るために、または、それを持っていることを証明するものを得んがために行なうものでありますが、もしかしたら、知らないことを知るために行なうものではないかと、つくづく思うようになってございます。
最近のわたくしは、何かを読んでもハハアと思ったり、何かを見ても、ふうむと思ったりするものでございます。
何かを知るにつけて、まだまだ知らないことだらけだなあ、と思うことしきりでございます。
ある一方でわかってくることがあれば、さらにもう片方でわからないことが増えていく、しかし、それが苦痛でもなく、何とも解明する楽しみというか期待感というか、そういうものがあるのでございます。
ま、そういう時期なり時の巡り合わせだといえば、そうなのでありますが、最近は実に知的に響くことが多いわたくしでございます。
個人的な、のろけの一種でありますが、お耳汚しでありました。
さてさて、お勉強についてでございます。
基本的に、お勉強の基本は楽観でございます。
理由の1つは、お勉強といいますのは、あまりに過度に、まじめに取り組んでも効がないときがあるからでございます。
お勉強したことがそのときはわからなくても、ちょっと時間がたってふとやり直してみると、そういうことかいなと氷解することは、得てして多いのでございます。
正比例のグラフのような、右肩上がりとならないのがお勉強の事実でございます。
すっごく身を入れてもダメなときもあるが、適当にやっても多少の理解に到る、こともあります。
ですから、出来や不出来を過度に考えるよりかは、気楽に楽観的に構えて、お勉強の継続を図るといった次第でございます。
とはいえ、気楽に、楽観的に構えるというのも、難しいものがございます。
本試験が近づけば焦りもするでしょうし、やったことを忘れていたり、できなくなっていれば、これまた、うんざりとして、悲観的になってしまうことでしょう。
確かに、憶えなければ合格は出来ません。
これは、記憶の有無を確かめる試験の真実でございます。
明確な記憶なくして、合格は絶対に出来ません。
言い換えれば、記憶することほど、合格をいざなうものはない、ということもできるのです。
量を憶えれば憶えるほど、点数を取れるチャンスは増し、正確に憶えれば憶えるほど、点のチャンスをつかむことができます。
だけれども、でございます。
最高の戦術が、自身を縛ることもあるのでございます。
記憶すれば優位なのが、逆に、記憶せねばならないとプレッシャーに転化してしまうと、これまた、荷厄介なことになってしまいます。
記憶というのは、ストレスを非常に嫌うからでございます。
憶えないと・憶えないと、と苛まれながら記憶の作業に励んでも、それほど効は奏しないのは、ピンとくるのではないでしょうか。
そうなった際は、「世の中知らないことばかり」などといって、視野を大きくすべきでございます。
確かに、目の前のテキストや問題集のアレコレを憶えなければならないでしょう。
しかし、それらは、いってしまえば、今後わたし自身が知るべきものの、1部分でしかない、もっと他にすべきこともあるのだ、などと考えることができますと、ふっと心の縛りが取れるといいますか、余裕を取り戻せるかと存じます。
記憶といいますのは根を詰めて憶えようとするよりも、何回も何度も時間を置いては改める方が、確実な記憶となるものでございます。
この「何回・何度」を可能にするのは、心の余裕にほかなりません。
(知らないことだらけなんだから仕方ないがね)などと思えるようになれば、記憶の敵である気負いや焦りも、だいぶ姿を消していくように思います。

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適切な量と難易度

お薬の但し書きには、必ず「用法と用量をお守りください」と書かれているかと存じます。
お勉強も、同様でございます。
ときどき、自身の実力を超えた勉強量を課して、自分から破綻にひた走る方がおられるのでございます。
刷り込みとでもいうのでしょうか。
お勉強をがんばる=1日10時間も、12時間も勉強すると固定化されている人を見受けます。
脂が載りに載って、実力が付きに付いた直前期あたりなら、このような長時間のお勉強も可能でございます。
試験範囲の勉強はほぼ終わっておりますから、全て見聞きしたものでございます。
また、全科目・全論点・全単元について、考えたこともあるでしょうし、理解に及んだものばかりです。
記憶や暗記もある程度、できあがっております。
ですから、お勉強そのものについては、大きな障害がないわけでございます。
ゆえに、10時間以上ものお勉強が可能となるわけでございます。
彼らは最初から10時間の勉強をしてそうなったわけではなく、結果的に、10時間の勉強ができるようになっただけなのでございます。
しかし、実力がそうも付いておらず、また、試験範囲の勉強が全て終わってもいない、復習もそれほどやっていないのに、かの長時間の勉強をやろうとしても、障害が多くてかなりの苦痛となるのは、自然であるかと存じます。
お勉強におきましても、自身の実力に適うものを、自身の実力に適した量でやっていかねばならないのでございます。
車の免許を取ったばかりの人が突然、F1のレースに出るような無茶な勉強をやったり、ちょっと料理が上手くなったからといって、帝国ホテルの厨房に立つような身の程知らずの勉強をする方がおられます。
よほどタフで、精神力に優れた者でなければ、必ず挫折か放棄に到ることでしょう。
お勉強といいますのは、基本が長丁場の戦いでございます。
ということは、今すぐにできなくてもいいわけでありまして、じょじょにできるようになっていけばよい、ともいえるわけでございます。
一足飛びにできる方ならやればよいのですが、そうでないなら、1段1段、登っていくしかないように思います。
無理を通せば道理は引っ込みます。無理に無理をして、数ヵ月後に嫌気が差してばたんと止めてしまえば、元も子もありません。
一足飛びに階段を登っていって、頂上付近でスッ転べば危険なことはいうまでもありません。
お勉強という、一種の劇薬を摂る際は、適切な量と難易度をお確かめの上、摂取くださればと存じます。

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ドカンとやる

独学の最大の利点を、常に頭の片隅に置いていてくださればと存じます。
独学の利点とは、全てを自分で、自由に決めてもよい点でございます。
あらゆることは、どんどんと、変えて行けばよいのでございます。
自分が好きなように、自分が伸びるように、環境から進め方から学習計画まで、お勉強の殆どを変えていけばよいのでございます。
自分で変えていけるのか、独学の最大の利点であるかと存じます。
唯一変えられないのは、本試験のその日くらいでありまして、それ以外は、自身の裁量にかかっているわけでございます。
裁量の多いと何ができるかといいますと、徹底集中とでもいいましょうか、ある特定のことのみを勉強できることが挙げられるかと存じます。
1日なら1日それのみを勉強する、3日間なら3日間それのみを勉強する、1週間なら1週間それのみを勉強する、といったことが可能なのでございます。
必要があるなら、1ヶ月まるまるを、ある特定の勉強や対策に割いても構わないのでございます。
基本的に、こうした徹底集中のやり方は、あまり言われることがありません。
なぜなら、リスクが大きいからでございます。
たとえば、講師や先生の立場の人が、ある人に向かって、「あなたは○○について、これのみを1ヶ月間やるべし!」といったとしましょう。
しかし、もしその指導通りの勉強がうまくいかなかったならば、その責任の矛先は先生方に向かいます。
「お前の言うとおりにやったが、うまくいかんかったぞ」といったわけでございます。
ですから、だいたい、AもBもCも大事だよ、やっておくんだよみたいな、リスクの少ない言説が世にたくさん巡り巡るわけでございます。
しかし、独学となれば、お勉強の裁量は全て自身にありますから、どかんと時間を取って、ある特定の事項のみを勉強することができるのでございます。
試験勉強におきましては、全然わからないことや、特別に難しいことに時折、遭遇するものでございます。片手間の勉強では到底、理解の及ばないところがあるのでございます。
こうしたときこそ、独学の利点である自由さを発揮すべきときであるかと存じます。
学習計画通りにやれば、必ず試験に受かるわけでもありません。
基本はコツコツなのですが、コツコツで歯が立たないときは、ガブリと食いつかなければならないのでございます。
何日も、何回もやってはいるんだが、理解が進まない・憶えないといったところに遭遇した際は、大量の時間を投入して、その期間だけは徹底集中することをお勧めいたします。
今日の明日もあさっても、同じところを攻め続ければ、何とか解消の糸口くらいは見えてくるもの。
お勉強は、バランスよくやればよいというわけでもありません。
ときには自分でバランスを崩して、徹底的にやらなければならないときがあることを、頭の片隅に置いていてくださればと存じます。

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