独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

難問は捨てるけど

試験勉強をしておりますと、いわゆる、難問の類に遭遇するかと存じます。
本日のススメは、その取り扱い方でございます。
基本的に、難問は捨てます。
本試験や模試の際に難問と遭遇したなら、捨て問として適当にマークして、他の問題に時間をまわします。
難しい問題も簡単な問題も、同じ1点でございます。
なら、簡単な問題で最低限度の得点を確保した上で、難しい問題に手を付けるべきでございます。
おいしいものは先に食べるようなものでございます。
難しい問題にかかりきりとなり、時間が足りなくなって、取れる問題を慌てて解答、つまらぬミスで失点することとなれば、目も当てられません。
ですから、取りあえずは、捨てるのでございます。
日々のお勉強であれば、参考程度に見て、深くは追いません。
というのも、難問というのは、一生懸命になっても、力が付かないからでございます。
解説も意味不明なことが多く、テキストの記述も難解のため、いまいち費用対効果がよくないのでございます。
しかも、でございます。
難問は試験戦術上、それほど重要ではないのでございます。
ぶっちゃけて言うと、大半の受験生は、難問となれば解けません。
ですから、難問などできなくても、点差が開かないのでございます。
誰も解けない問題が出ても、実質、100点満点のテストが、99点になったようなもので、全員にとって意味がないのでございます。
単にその問題を印刷したために、インクがムダになったくらいでございます。
点差が開かないということは、問題そのものは合否に与していないとも言えるわけでございます。
合否に最も影響を与えるのは、受験生ならば誰でも点を取りにくる問題でございます。
ですから、点差の開かぬ難問を取ろうとするよりも、致命的な影響のある普通の問題にがんばったほうが、合格は近づくといった塩梅でございます。
しかし、前述したように、捨てるのは『基本的に』という、条件付でございます。
捨てるか捨てないかの際に、まず、判断しなくてはならないのは、それが難問であるかどうか、でございます。
ここを正しく判断しないと、実に損を致します。
難問だと思っていたら、単に自分が実力不足で、難しく見えていた。
しかし、その難問は、基礎や基本がみっちりできていないと解けない問題で、いわゆる、良問であったりするのでございます。
ですから、難問だといってその問題を捨ててしまうと、折角の点数アップの機会・実力アップのチャンスを自分から捨てていることになってしまうのでございます。
良問を繰り返すことほど、力の付く問題演習もありません。
それなのに、それを捨てるなんて、実に、実に、もったいない話でございます。
デパートの地下食品売り場にて、国産有機大豆を使用、天然ニガリ使用、良質の水を使って作られた、値の張る高級豆腐を買ってきて、冷やで一杯やろうとしたら、はやく飲みたい味わいたいで慌ててしまい、間違えてソースをかけて、500円が台無しになるくらいに、勿体のない話でございます。
まあ、意外にソースは豆腐に合うのですが、やはり、という次第でございます。
難問といえども、早急に結論付けず、やるべきかどうかの判断をしっかりつけた上で、難問は捨てるようにしてくださればと存じます。

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メモやカード

お勉強におきましては、メモやカードを作るのは、意外によいお勉強となります。
まず、書くことがよきお勉強でございます。
そこには取捨選択があります。何をどう書くかが、記憶や理解の足しとなる、といった塩梅です。
わざわざ書くという手間をかけるわけですから、少なくとも、意味のないものを書くわけがありません。
何らかの重要性なりを知っているからこそ、メモやカードを作るわけでございます。
注意点は、メモやカードを作っただけで、記憶したり理解できるわけではないことでございます。
大切なことや重要なことを絞りに絞ってから、メモやカードにすることを忘れないようにしてほしく存じます。
逆に言えば、何でもかんでも、メモやカードにしてはならない、となります。
メモやカードは、お勉強の補助でしかありませんので、本末転倒しないようご注意ください。
また、大切なのは、適当な時期が来たら、メモやカードは処分することでございます。
よほど間違えたことや、何回も忘れたことを、メモ・カード化したのならば、本試験のその日まで保管しておいてもよろしいでしょうが、多少憶えたりしたものは、どんどんと捨てていくべきでございます。
メモやカードの数で、試験に受かるわけではありません。
よく、未練たらしくテキストや問題集に、メモやカードの残骸を挟んでおられる方がいますが、その数が多いほど、できていない証拠でありまして、見る人が見れば、あ、こいつは落ちるなと思われているものでございます。
メモやカードとしたならば、明白な期限を切り、その日までに消化して、くしゃくしゃに丸めて捨てるようご助言いたします。
さて、メモやカードの次なる利点は、持ち運びができる点でございます。
出先で、暇を見つけて見るだけでも、かなり、記憶は維持できるものでございます。
また、とにかく憶えなければならないだけの、無味乾燥事項を憶える際にも、メモやカードは有効であるかと存じます。
何度も何回でも目にすることで、記憶は作られていくので、メモやカード状の方が、テキストや問題集に比べれば接触が容易く、回数を稼ぐことができます。
その結果、曲りなりでも憶えて行ける、といった次第でございます。
このように、有用なメモやカードですが、1つだけ守るべき点がございます。
それは、丁寧に、わかりやすく書くことでございます。
グチャグチャに書かれていると、解読するという無駄な時間と無駄な手間がかかります。
また、内容が不明だと、まったくメモ・カード化した意味がなくなってしまいます。
メモやカードにされたものは、よく用いられてこそ、その真価を発揮するものでございます。
それなのに、それを使う前の段階で、手筈が整っていなければ、ほんとうにどうしようもありません。
書き方・作り方ひとつで、以降の利用度が違ってまいります。
メモやカードの効果を最大限に享受するのは、具体的かどうか、丁寧に書かれているかどうか、重要であると知っているかどうか、にかかっております。
メモやカードを作る際は、いつどこで読んでも意味が通じるよう意識して、作成してくださればと存じます。

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フェレンギ人のバイブル 1〜3

『1. もし他人のものを拾っても、絶対返さないこと。』
自身が、やるかやらないかは別にして、こういう人がいるということは、胸にしておくべきである。
物を貸しても返さない人がいるのだから、物を拾ったなら、更に返さないのは自明の理である。
一言で言えば、物を落とすな、そして、物を落とすかのような扱いはするな、である。
もっと言えば、大切なものは外に出さず、しまっておけ、である。見せびらかすな。
取り返すために徒労を重ねるよりも、落とさないように・無くさないする。これ肝心である。
また、落とした当の本人が、忘れていることは多々ある。お金ですら、落とし主は出てこないときがある。(表にはできない犯罪がらみの資金や脱税で銀行にも置けないお金だろうけれども。)
こういう人・こういう事情もあるのだから、返そうとしなくてよかろう。
また、拾ったものが盗品なら、もうけもの。こちらは善意の第三者。
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『2. 正直な顧客はだますことができない。しかしやってみる分にはかまわない。』
正直な人、素直な人は、得てしてだますことはできない。
そして、常識を持つ人も、これまた、騙し難い。
中途半端に欲を持つことの愚かしさを知っているからだ。正直者は、ほんとうに騙されない。
しかしなかには、それを装う者もいる。
そして、欲を出して騙されたときに、正直者を装う者もいる。自分の動機や欲を棚上げして、騒ぐ。
騒ぐのが大きいほど、衒う者である。自身の欲を隠す者である。
目の前の人が本物かどうか、試してみる意味でも、「やってみる分には構わない」のである。
天はお見通しであり、天がそれをやっているのかもしれない。
ただ、騙すかどうかは、本人の道徳に拠るだろう。また、騙されたのなら、自身が正直者かどうか、改める機会とすべきであろう。
再度言う、中途半端に持つ欲ほど、身を損なうものはない。
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『3. ものを手に入れる時、必要以上に金を使わない。』
骨董を買うときに、どんなにほしくても、決めたそれ以上の額を使わない人がいる。
賢明な買い方かと思う。人は、意外に自分の買う「物」がわかっていない。知らない物を買うときは、得てして、大損する。
物の価値がわからぬ者が、得てして、余分のお金を使うのだ。知性の問題なのである。
また、お金を使うときは、財布の紐がかなり緩んでいることを知らなくてはならない。
家を買うと、なぜだか、ばったばったと家具を買い込む人がいるが、典型的な例である。
そのときこそ、〆に〆て、有用かつ長く使えるものを吟味し、よくよく考えてそろえていかねばならない。
紐が緩んでいるので、あっというまに、お金が飛んでいくのである。
「必要以上」というのは、自身の必要を知ってこそのものである。
必要を知る、要を知ること、お金のかなめを知ることが、よりよいお金の使い方であるように思う。
逆の、必要以下に払わない、としないところがいいと思う。
必要な分を払わねば、必ずどこかで取り返される。長い目で見ればほんとよくできている。

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