独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

晴れた日はお散歩に

常々、散歩を推奨しているススメでございます。
重ねての言となりますが、お勉強の合間には、散歩に行くことをお勧めいたします。
基本、何時間も机の前にいても、能率は落ちるばかりでございます。
それよりも、ときどき身体を動かして、リフレッシュした方が、記憶や理解のノリも違ってくるように考える次第でございます。
さて、その散歩でありますが、できるだけ、日中に行ってくださればと存じます。
これは、お勉強に限らず、でございます。
日中に散歩にでかけるのは、日光を浴びるためでございます。
最近読んだ本によりますと、人間の身体には体内時計があり、この体内時計も、普通の機械の時計のようにちょっとずつ、ずれてくるとのことでございます。
皆さんもご経験があるかと存じますが、ときおり、病気でもないし、睡眠不足でもないし、疲れてもないのに、もの凄く、強烈に眠たくなったりだるくなったりしないでしょうか。
わたくしなどは、数ヶ月に1回はあった感が致します。
それは、一説によると、体内時計の時間がズレにズレてしまって、日中にもかかわらず、身体は真夜中状態であるためと言われているのでございます。
身体は真夜中ですから、やる気が出なかったり、無性にだるかったり、無気力になるといった次第でございます。
人間というのは、時間が来れば自然と眠たくなるのですが、この体内時計がズレ出すと、疲れているのに眠れない、身体が思ったように動かない、気力が湧かない、といった状態に陥るとのことでございます。
この体内時計のズレを直すのが、他でもない日光なのでございます。
よく身体を動かすとよく眠れるといいますが、そのケースというのは、屋外にてお日さまの光を浴びて、身体の時計が元に戻ったともいえるのでございます。
昨今では、うつ病になる人が多い、といわれておりますが、もしかしたら、日光を浴びない生活を続けているから、とその本は警鐘しているのでございます。
そういえば、でございます。
サービス業全盛の現代では、多くの人は内勤でありまして、家から出て最寄の駅なりバス停なり、下手をしたらガレージまでしか歩かず、通勤は車中、職場に着けば即、建物内に入り、そのまま終業まで居続ける、退社の時にはもう日も暮れている、という塩梅ではないでしょうか。
ほとんど日の光を浴びていないのでございます。
現代社会にて問題となっている、引きこもりやニートも、家のなかでずーと過ごすため、身体の時計のずれが直すことができず、結果としてより体内時計がずれにずれまくって、さらに無気力となってしまい、ずるずるとその状態が続くのではないか、と思ったりもするのでございます。
ほんとうに、家のなかで事が済むのは、インターネットが普及したこの10年からでございます。
以前は、生活そのものにしても、何か楽しみを得るにしても、外に出なければならなかったものでございます。
外に出ざるをえないから日光を浴び、時計のズレが直り、気力も湧いてきた、といった塩梅でございます。
また、外勤といいますか、外をよく出歩いて太陽の光を浴びている人たち、たとえば、工事現場でゆんぼを動かしているおっさん達、忙しく荷物を届けている人たちを見るにつけても、何だか、うつとか無気力とかには縁がないように見えるものでございます。
大体元気ですな。
どちらかといえば、エンジニアなどの室内作業に多い人が、そういった状態に陥る感はございます。
どなたか、日照時間による症例の有無、程度、発症率などを研究してくれればと思います。
そういえば、刑務所でも、日光を浴びる時間が設けられております。
監獄運営のノウハウとして、日光浴をさせないとよくないことが体感されているのでありましょう。
やはり、お日さまの光というのは、わたくしたちにとって、大事なものなのではないかと、当たり前の事ながら思う次第でございます。
皆様方におきましては、日光が不足してないか、いま一度、よくよく見直してくださればと存じます。
1〜2時間程度の日照時間で、体内時計はリセットされ、ズレが直るとのことでございます。
わたくしは今日も、適当な理由を付けて、雑用の消化を名目に、日光浴+散歩に出かける次第でございます。
管理職や従業員の健康管理を司る方などおられました、『刑務所』のように、日照時間を設けてくださればと存じます。
暑い盛りでありますから、夜の散歩もよいのですが、よくよく日光も浴びるよう、ご助言する次第でございます。

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難問は捨てるけど

試験勉強をしておりますと、いわゆる、難問の類に遭遇するかと存じます。
本日のススメは、その取り扱い方でございます。
基本的に、難問は捨てます。
本試験や模試の際に難問と遭遇したなら、捨て問として適当にマークして、他の問題に時間をまわします。
難しい問題も簡単な問題も、同じ1点でございます。
なら、簡単な問題で最低限度の得点を確保した上で、難しい問題に手を付けるべきでございます。
おいしいものは先に食べるようなものでございます。
難しい問題にかかりきりとなり、時間が足りなくなって、取れる問題を慌てて解答、つまらぬミスで失点することとなれば、目も当てられません。
ですから、取りあえずは、捨てるのでございます。
日々のお勉強であれば、参考程度に見て、深くは追いません。
というのも、難問というのは、一生懸命になっても、力が付かないからでございます。
解説も意味不明なことが多く、テキストの記述も難解のため、いまいち費用対効果がよくないのでございます。
しかも、でございます。
難問は試験戦術上、それほど重要ではないのでございます。
ぶっちゃけて言うと、大半の受験生は、難問となれば解けません。
ですから、難問などできなくても、点差が開かないのでございます。
誰も解けない問題が出ても、実質、100点満点のテストが、99点になったようなもので、全員にとって意味がないのでございます。
単にその問題を印刷したために、インクがムダになったくらいでございます。
点差が開かないということは、問題そのものは合否に与していないとも言えるわけでございます。
合否に最も影響を与えるのは、受験生ならば誰でも点を取りにくる問題でございます。
ですから、点差の開かぬ難問を取ろうとするよりも、致命的な影響のある普通の問題にがんばったほうが、合格は近づくといった塩梅でございます。
しかし、前述したように、捨てるのは『基本的に』という、条件付でございます。
捨てるか捨てないかの際に、まず、判断しなくてはならないのは、それが難問であるかどうか、でございます。
ここを正しく判断しないと、実に損を致します。
難問だと思っていたら、単に自分が実力不足で、難しく見えていた。
しかし、その難問は、基礎や基本がみっちりできていないと解けない問題で、いわゆる、良問であったりするのでございます。
ですから、難問だといってその問題を捨ててしまうと、折角の点数アップの機会・実力アップのチャンスを自分から捨てていることになってしまうのでございます。
良問を繰り返すことほど、力の付く問題演習もありません。
それなのに、それを捨てるなんて、実に、実に、もったいない話でございます。
デパートの地下食品売り場にて、国産有機大豆を使用、天然ニガリ使用、良質の水を使って作られた、値の張る高級豆腐を買ってきて、冷やで一杯やろうとしたら、はやく飲みたい味わいたいで慌ててしまい、間違えてソースをかけて、500円が台無しになるくらいに、勿体のない話でございます。
まあ、意外にソースは豆腐に合うのですが、やはり、という次第でございます。
難問といえども、早急に結論付けず、やるべきかどうかの判断をしっかりつけた上で、難問は捨てるようにしてくださればと存じます。

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メモやカード

お勉強におきましては、メモやカードを作るのは、意外によいお勉強となります。
まず、書くことがよきお勉強でございます。
そこには取捨選択があります。何をどう書くかが、記憶や理解の足しとなる、といった塩梅です。
わざわざ書くという手間をかけるわけですから、少なくとも、意味のないものを書くわけがありません。
何らかの重要性なりを知っているからこそ、メモやカードを作るわけでございます。
注意点は、メモやカードを作っただけで、記憶したり理解できるわけではないことでございます。
大切なことや重要なことを絞りに絞ってから、メモやカードにすることを忘れないようにしてほしく存じます。
逆に言えば、何でもかんでも、メモやカードにしてはならない、となります。
メモやカードは、お勉強の補助でしかありませんので、本末転倒しないようご注意ください。
また、大切なのは、適当な時期が来たら、メモやカードは処分することでございます。
よほど間違えたことや、何回も忘れたことを、メモ・カード化したのならば、本試験のその日まで保管しておいてもよろしいでしょうが、多少憶えたりしたものは、どんどんと捨てていくべきでございます。
メモやカードの数で、試験に受かるわけではありません。
よく、未練たらしくテキストや問題集に、メモやカードの残骸を挟んでおられる方がいますが、その数が多いほど、できていない証拠でありまして、見る人が見れば、あ、こいつは落ちるなと思われているものでございます。
メモやカードとしたならば、明白な期限を切り、その日までに消化して、くしゃくしゃに丸めて捨てるようご助言いたします。
さて、メモやカードの次なる利点は、持ち運びができる点でございます。
出先で、暇を見つけて見るだけでも、かなり、記憶は維持できるものでございます。
また、とにかく憶えなければならないだけの、無味乾燥事項を憶える際にも、メモやカードは有効であるかと存じます。
何度も何回でも目にすることで、記憶は作られていくので、メモやカード状の方が、テキストや問題集に比べれば接触が容易く、回数を稼ぐことができます。
その結果、曲りなりでも憶えて行ける、といった次第でございます。
このように、有用なメモやカードですが、1つだけ守るべき点がございます。
それは、丁寧に、わかりやすく書くことでございます。
グチャグチャに書かれていると、解読するという無駄な時間と無駄な手間がかかります。
また、内容が不明だと、まったくメモ・カード化した意味がなくなってしまいます。
メモやカードにされたものは、よく用いられてこそ、その真価を発揮するものでございます。
それなのに、それを使う前の段階で、手筈が整っていなければ、ほんとうにどうしようもありません。
書き方・作り方ひとつで、以降の利用度が違ってまいります。
メモやカードの効果を最大限に享受するのは、具体的かどうか、丁寧に書かれているかどうか、重要であると知っているかどうか、にかかっております。
メモやカードを作る際は、いつどこで読んでも意味が通じるよう意識して、作成してくださればと存じます。

(さらに…)