独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

メモやカード

お勉強におきましては、メモやカードを作るのは、意外によいお勉強となります。
まず、書くことがよきお勉強でございます。
そこには取捨選択があります。何をどう書くかが、記憶や理解の足しとなる、といった塩梅です。
わざわざ書くという手間をかけるわけですから、少なくとも、意味のないものを書くわけがありません。
何らかの重要性なりを知っているからこそ、メモやカードを作るわけでございます。
注意点は、メモやカードを作っただけで、記憶したり理解できるわけではないことでございます。
大切なことや重要なことを絞りに絞ってから、メモやカードにすることを忘れないようにしてほしく存じます。
逆に言えば、何でもかんでも、メモやカードにしてはならない、となります。
メモやカードは、お勉強の補助でしかありませんので、本末転倒しないようご注意ください。
また、大切なのは、適当な時期が来たら、メモやカードは処分することでございます。
よほど間違えたことや、何回も忘れたことを、メモ・カード化したのならば、本試験のその日まで保管しておいてもよろしいでしょうが、多少憶えたりしたものは、どんどんと捨てていくべきでございます。
メモやカードの数で、試験に受かるわけではありません。
よく、未練たらしくテキストや問題集に、メモやカードの残骸を挟んでおられる方がいますが、その数が多いほど、できていない証拠でありまして、見る人が見れば、あ、こいつは落ちるなと思われているものでございます。
メモやカードとしたならば、明白な期限を切り、その日までに消化して、くしゃくしゃに丸めて捨てるようご助言いたします。
さて、メモやカードの次なる利点は、持ち運びができる点でございます。
出先で、暇を見つけて見るだけでも、かなり、記憶は維持できるものでございます。
また、とにかく憶えなければならないだけの、無味乾燥事項を憶える際にも、メモやカードは有効であるかと存じます。
何度も何回でも目にすることで、記憶は作られていくので、メモやカード状の方が、テキストや問題集に比べれば接触が容易く、回数を稼ぐことができます。
その結果、曲りなりでも憶えて行ける、といった次第でございます。
このように、有用なメモやカードですが、1つだけ守るべき点がございます。
それは、丁寧に、わかりやすく書くことでございます。
グチャグチャに書かれていると、解読するという無駄な時間と無駄な手間がかかります。
また、内容が不明だと、まったくメモ・カード化した意味がなくなってしまいます。
メモやカードにされたものは、よく用いられてこそ、その真価を発揮するものでございます。
それなのに、それを使う前の段階で、手筈が整っていなければ、ほんとうにどうしようもありません。
書き方・作り方ひとつで、以降の利用度が違ってまいります。
メモやカードの効果を最大限に享受するのは、具体的かどうか、丁寧に書かれているかどうか、重要であると知っているかどうか、にかかっております。
メモやカードを作る際は、いつどこで読んでも意味が通じるよう意識して、作成してくださればと存じます。

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フェレンギ人のバイブル 1〜3

『1. もし他人のものを拾っても、絶対返さないこと。』
自身が、やるかやらないかは別にして、こういう人がいるということは、胸にしておくべきである。
物を貸しても返さない人がいるのだから、物を拾ったなら、更に返さないのは自明の理である。
一言で言えば、物を落とすな、そして、物を落とすかのような扱いはするな、である。
もっと言えば、大切なものは外に出さず、しまっておけ、である。見せびらかすな。
取り返すために徒労を重ねるよりも、落とさないように・無くさないする。これ肝心である。
また、落とした当の本人が、忘れていることは多々ある。お金ですら、落とし主は出てこないときがある。(表にはできない犯罪がらみの資金や脱税で銀行にも置けないお金だろうけれども。)
こういう人・こういう事情もあるのだから、返そうとしなくてよかろう。
また、拾ったものが盗品なら、もうけもの。こちらは善意の第三者。
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『2. 正直な顧客はだますことができない。しかしやってみる分にはかまわない。』
正直な人、素直な人は、得てしてだますことはできない。
そして、常識を持つ人も、これまた、騙し難い。
中途半端に欲を持つことの愚かしさを知っているからだ。正直者は、ほんとうに騙されない。
しかしなかには、それを装う者もいる。
そして、欲を出して騙されたときに、正直者を装う者もいる。自分の動機や欲を棚上げして、騒ぐ。
騒ぐのが大きいほど、衒う者である。自身の欲を隠す者である。
目の前の人が本物かどうか、試してみる意味でも、「やってみる分には構わない」のである。
天はお見通しであり、天がそれをやっているのかもしれない。
ただ、騙すかどうかは、本人の道徳に拠るだろう。また、騙されたのなら、自身が正直者かどうか、改める機会とすべきであろう。
再度言う、中途半端に持つ欲ほど、身を損なうものはない。
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『3. ものを手に入れる時、必要以上に金を使わない。』
骨董を買うときに、どんなにほしくても、決めたそれ以上の額を使わない人がいる。
賢明な買い方かと思う。人は、意外に自分の買う「物」がわかっていない。知らない物を買うときは、得てして、大損する。
物の価値がわからぬ者が、得てして、余分のお金を使うのだ。知性の問題なのである。
また、お金を使うときは、財布の紐がかなり緩んでいることを知らなくてはならない。
家を買うと、なぜだか、ばったばったと家具を買い込む人がいるが、典型的な例である。
そのときこそ、〆に〆て、有用かつ長く使えるものを吟味し、よくよく考えてそろえていかねばならない。
紐が緩んでいるので、あっというまに、お金が飛んでいくのである。
「必要以上」というのは、自身の必要を知ってこそのものである。
必要を知る、要を知ること、お金のかなめを知ることが、よりよいお金の使い方であるように思う。
逆の、必要以下に払わない、としないところがいいと思う。
必要な分を払わねば、必ずどこかで取り返される。長い目で見ればほんとよくできている。

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良くも悪くも

お勉強をサボってしまうこともあるかと存じます。
それは受験生なら、誰でもやることでございます。それほど深く気にすることはないように思います。
確かに、サボりはよくないことでございます。
しかしながら、それが完全に悪なのかといいますと、そうでもありません。
自分はこういう状態になったらサボる、ということを知ったわけでございます。
以降で、そうしないよう、そうならないように注意をすれば、今後は、お勉強をサボらなくなるといった次第でございます。
ならば、そのときのサボりは、今後のサボりをなくす「よき」サボりと成るわけでありまして、振りかえ見れば、よいことになってしまうわけでございます。
逆もありましょう。
イヤだったけれども、無理をしてやったと致します。
これのみを取り上げれば、よろしきことでございます。
さて、しかし、この無理が発端となって、無理に無理を重ねるようになったとしたら、どういう塩梅になるでしょうか。
想像の通りに、ストレスは増し増し、嫌気は高じていくでしょう。
そして、ある一線を越えたときに、お勉強は放棄や挫折へと傾くといった次第でございます。
よかったことでも、後の進展が良くなければ、それは良かったことではなくなって、悪しきことになるわけでございます。
世の中の事象の多くは、何か特定のもので出来上がっているわけではないのでございます。
良いことと悪いこと、そして、普通のことでできている、といってもようございます。
友達が多い・お付き合いが多いというのは、確かによいことですが、結婚式によばれまくりのために、貯金がまったくないという方もおられます。
そら、毎月1回は結婚式に出席しておれば、その出費は相当たるものになるでしょう。
付き合いがよいというのも、よかれ悪しかれするのでございます。
さてさて、お勉強のお話に戻したく存じます。
今、そうであっても、これからそれをうまい方向に変えて行けば、いくらでもその失敗や失策はカバーできるものでございます。
テキストを読み直してみたら、、まったく憶えられていなかった。よくあることでございます。
しかし、1つ確かにいえるのは、これまでの憶え方では良くない、非効率であるという教訓を引き出したわけでございます。
それをどう変えていくかでございます。忘れていても、これから忘れ難い憶え方を編み出すことができたなら、万々歳でありましょう。
未来というのは、未だ来てないものでありまして、いかようにでも、変えることができるものでございます。
完全なる良し悪しなどないこと、そして、今の良し悪しなど先々で大きく変ってくることを、ご配慮くださればと存じます。

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