独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

地道論

最少のコストで、最大のリターンを得るのが、理想的でございます。
しかし、そんなうまいことは、実際には、ほぼないと言って過言ではありません。
なぜ、ないかというと、そんなおいしいところには、人が殺到するからでございます。
最初は楽園のような状態でも、どんどんどんどん人が増え、どんどんどんどんうまみがなくなるものでございます。
また、そんなうまい時は、ごく短いもの、瞬間的なものである、ともいえましょう。
時間の経過とともに、蜜にたかる蟻は増えていくものでございます。
しだいに、やはり、自分の取り分も少なくなっていくのでございます。
わたくしなどは、「最少のコストで、最大のリターン」に類似する文句があると、すぐさま、詐欺を思い浮かべるものでございます。
そして、どういう状態になったら、こういう妖しい文句が、自分の心を捉えて離さないか、天の加護のように、聖書の一句のように、耳に届くのかを考えるものでございます。
ひっかからない、だけでは、わたくしは引っかかるからでございます。
お金の損で済むならいいのですが、精神的に、肉体的に禍根が残るのを最も恐れるものでございます。
ですから、ひっかかりそうな事態を想定して、そうならないよう、自衛しているものでございます。
儲け話をささやかれたら、「あ、来たな」と思うものでございます。
さて、お勉強におきましても、最少の努力で最大の成果を得るようなことは、考えない方が宜しかろうと存じます。
基本、時間の無駄、労力の損でございます。
先もいいましたように、試験の完全攻略マニュアルなどあれば、即、対策が取られるものでございます。
わたくしたち受験生以上に、試験に対して利害関係があるのは、本試験問題の作成者・出題者の方でございます。
試験委員という箔は輝かしいものがございます。
下手な問題を出せばそれこそ、来年からは試験委員を変えられてしまうでしょう。
いきなり合格者が倍増すれば、こらおかしいな、と思うのは自然でございます。
すぐさま、そうしたものには対策が取られることでしょう。
また、次順位の利害関係者である、専門学校や出版社がそれを見逃すはずがありません。
彼らは、おそらく受験生以上に試験について考える人たちでございます。それこそ、24時間、考えていることでありましょう。
即、自分たちの授業なり教材に、転化させてしまうでしょう。
ローリスク・ハイリターンの寿命など、ほんとうに一瞬でございます。
そんなものを当てにするよりも、わたくしは、自身に元から備わっている、記憶力やら理解力を伸ばした方がはやいし、確実だし、試験後のあとあとになっても使えると考えるものでございます。
記憶や理解というのは、やってやれないものではありません。その障害となっているものを除けば除くほど、うまくできるものでございます。
地道というと、手垢でべたべたして少しも目新しいこともなく、何も、気が振るうものはありません。
何か、要領の悪い馬鹿が言う台詞だと思われるかもしれません。
しかし、逆を言えば、誰にとっても効果のある、確実な手段だからこそ、ここまで手垢だらけになり、かつ、人口に膾炙されているのだ、と言えるわけでございます。
結局は、歩みが遅いのが普通であると思って、やきもきせず、日々、自身のやるべきことをこなしていくのが、最も近道のように考える次第でございます。

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晴れた日はお散歩に

常々、散歩を推奨しているススメでございます。
重ねての言となりますが、お勉強の合間には、散歩に行くことをお勧めいたします。
基本、何時間も机の前にいても、能率は落ちるばかりでございます。
それよりも、ときどき身体を動かして、リフレッシュした方が、記憶や理解のノリも違ってくるように考える次第でございます。
さて、その散歩でありますが、できるだけ、日中に行ってくださればと存じます。
これは、お勉強に限らず、でございます。
日中に散歩にでかけるのは、日光を浴びるためでございます。
最近読んだ本によりますと、人間の身体には体内時計があり、この体内時計も、普通の機械の時計のようにちょっとずつ、ずれてくるとのことでございます。
皆さんもご経験があるかと存じますが、ときおり、病気でもないし、睡眠不足でもないし、疲れてもないのに、もの凄く、強烈に眠たくなったりだるくなったりしないでしょうか。
わたくしなどは、数ヶ月に1回はあった感が致します。
それは、一説によると、体内時計の時間がズレにズレてしまって、日中にもかかわらず、身体は真夜中状態であるためと言われているのでございます。
身体は真夜中ですから、やる気が出なかったり、無性にだるかったり、無気力になるといった次第でございます。
人間というのは、時間が来れば自然と眠たくなるのですが、この体内時計がズレ出すと、疲れているのに眠れない、身体が思ったように動かない、気力が湧かない、といった状態に陥るとのことでございます。
この体内時計のズレを直すのが、他でもない日光なのでございます。
よく身体を動かすとよく眠れるといいますが、そのケースというのは、屋外にてお日さまの光を浴びて、身体の時計が元に戻ったともいえるのでございます。
昨今では、うつ病になる人が多い、といわれておりますが、もしかしたら、日光を浴びない生活を続けているから、とその本は警鐘しているのでございます。
そういえば、でございます。
サービス業全盛の現代では、多くの人は内勤でありまして、家から出て最寄の駅なりバス停なり、下手をしたらガレージまでしか歩かず、通勤は車中、職場に着けば即、建物内に入り、そのまま終業まで居続ける、退社の時にはもう日も暮れている、という塩梅ではないでしょうか。
ほとんど日の光を浴びていないのでございます。
現代社会にて問題となっている、引きこもりやニートも、家のなかでずーと過ごすため、身体の時計のずれが直すことができず、結果としてより体内時計がずれにずれまくって、さらに無気力となってしまい、ずるずるとその状態が続くのではないか、と思ったりもするのでございます。
ほんとうに、家のなかで事が済むのは、インターネットが普及したこの10年からでございます。
以前は、生活そのものにしても、何か楽しみを得るにしても、外に出なければならなかったものでございます。
外に出ざるをえないから日光を浴び、時計のズレが直り、気力も湧いてきた、といった塩梅でございます。
また、外勤といいますか、外をよく出歩いて太陽の光を浴びている人たち、たとえば、工事現場でゆんぼを動かしているおっさん達、忙しく荷物を届けている人たちを見るにつけても、何だか、うつとか無気力とかには縁がないように見えるものでございます。
大体元気ですな。
どちらかといえば、エンジニアなどの室内作業に多い人が、そういった状態に陥る感はございます。
どなたか、日照時間による症例の有無、程度、発症率などを研究してくれればと思います。
そういえば、刑務所でも、日光を浴びる時間が設けられております。
監獄運営のノウハウとして、日光浴をさせないとよくないことが体感されているのでありましょう。
やはり、お日さまの光というのは、わたくしたちにとって、大事なものなのではないかと、当たり前の事ながら思う次第でございます。
皆様方におきましては、日光が不足してないか、いま一度、よくよく見直してくださればと存じます。
1〜2時間程度の日照時間で、体内時計はリセットされ、ズレが直るとのことでございます。
わたくしは今日も、適当な理由を付けて、雑用の消化を名目に、日光浴+散歩に出かける次第でございます。
管理職や従業員の健康管理を司る方などおられました、『刑務所』のように、日照時間を設けてくださればと存じます。
暑い盛りでありますから、夜の散歩もよいのですが、よくよく日光も浴びるよう、ご助言する次第でございます。

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難問は捨てるけど

試験勉強をしておりますと、いわゆる、難問の類に遭遇するかと存じます。
本日のススメは、その取り扱い方でございます。
基本的に、難問は捨てます。
本試験や模試の際に難問と遭遇したなら、捨て問として適当にマークして、他の問題に時間をまわします。
難しい問題も簡単な問題も、同じ1点でございます。
なら、簡単な問題で最低限度の得点を確保した上で、難しい問題に手を付けるべきでございます。
おいしいものは先に食べるようなものでございます。
難しい問題にかかりきりとなり、時間が足りなくなって、取れる問題を慌てて解答、つまらぬミスで失点することとなれば、目も当てられません。
ですから、取りあえずは、捨てるのでございます。
日々のお勉強であれば、参考程度に見て、深くは追いません。
というのも、難問というのは、一生懸命になっても、力が付かないからでございます。
解説も意味不明なことが多く、テキストの記述も難解のため、いまいち費用対効果がよくないのでございます。
しかも、でございます。
難問は試験戦術上、それほど重要ではないのでございます。
ぶっちゃけて言うと、大半の受験生は、難問となれば解けません。
ですから、難問などできなくても、点差が開かないのでございます。
誰も解けない問題が出ても、実質、100点満点のテストが、99点になったようなもので、全員にとって意味がないのでございます。
単にその問題を印刷したために、インクがムダになったくらいでございます。
点差が開かないということは、問題そのものは合否に与していないとも言えるわけでございます。
合否に最も影響を与えるのは、受験生ならば誰でも点を取りにくる問題でございます。
ですから、点差の開かぬ難問を取ろうとするよりも、致命的な影響のある普通の問題にがんばったほうが、合格は近づくといった塩梅でございます。
しかし、前述したように、捨てるのは『基本的に』という、条件付でございます。
捨てるか捨てないかの際に、まず、判断しなくてはならないのは、それが難問であるかどうか、でございます。
ここを正しく判断しないと、実に損を致します。
難問だと思っていたら、単に自分が実力不足で、難しく見えていた。
しかし、その難問は、基礎や基本がみっちりできていないと解けない問題で、いわゆる、良問であったりするのでございます。
ですから、難問だといってその問題を捨ててしまうと、折角の点数アップの機会・実力アップのチャンスを自分から捨てていることになってしまうのでございます。
良問を繰り返すことほど、力の付く問題演習もありません。
それなのに、それを捨てるなんて、実に、実に、もったいない話でございます。
デパートの地下食品売り場にて、国産有機大豆を使用、天然ニガリ使用、良質の水を使って作られた、値の張る高級豆腐を買ってきて、冷やで一杯やろうとしたら、はやく飲みたい味わいたいで慌ててしまい、間違えてソースをかけて、500円が台無しになるくらいに、勿体のない話でございます。
まあ、意外にソースは豆腐に合うのですが、やはり、という次第でございます。
難問といえども、早急に結論付けず、やるべきかどうかの判断をしっかりつけた上で、難問は捨てるようにしてくださればと存じます。

(さらに…)