『7. 常に耳の穴を開けておけ。』
まず、人の話をよく聞くこと。
特に、何でもない会話の方に意を払うこと。
自分で見聞きすることなど、ほんの一部である。
それがすべてだと思えば、考えの幅は狭くなり、引き出される結論もとんでもないものがでてくる。
ダメ思考にダメ6感あり。考えのもととなったものには、よくよく注意である。
思うに、耳の穴と脳みそとは、繋げない方がよい。
何か重要なものというのは、自分が聞こうとして聞いたものよりも、ふと耳にしたもののほうが多い。
何かを聞こうとして聞こうとするのは、その意図が重要となる。
意図を見抜けなければ、自分で考えたように思っているが、単に言われたままをやるだけに過ぎなくなる。
また、ある曲を聴こうとすれば、それ以外の曲が聞こえなくなるように、自分が聞こうとすれば、自分が聞きたいものしか入らなくなる。
耳の穴を空けておくだけではなく、耳の中をつまらない何か、特定の何かでいっぱいにしないことも、劣らず重要に思われる。
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『8. 自分の小銭の金額も数えておけ。』
大きな金額となるときっちりして、小さな金額となるとなあなあとなる人がいる。
一言でいえば、よくない。
小銭部分ほど、きっちりしないといけないのは、舐められないためである。
お釣りはいいよいいよ、が済むのはタクシーまでである。
タクシーの運転手との付き合いは、それで終わるからである。
後でどう思われようともよいし、また、どうも思われないだろう。
しかし、付き合い上での小銭のなあなあは、相手に隙を見せることになる。
みみっちいと思われたくない、その小心振りが問題なのだ。自分を大きく見せたい、そのつまらない精神のぜい肉が問題なのだ。
大金をきっちりするのは誰でもできる。誰だってそうする。
しかし、1円・10円まで追求すれば、こいつは甘い顔ができないとか、だませれないという、無意識的な印象は出来上がる。
お金は収支が合えばよいというわけではない。
その使い方で、人となりがばれてしまうのが怖いのだ。
お金を出すときには、裸になるくらいの心持ちになるべきである。
今ここで、自分がくみしやすい人、少し舐めている人、甘く見ている人を思い浮かべてみてほしい。
おそらく、小銭部分がきっちりしてない、一言で言えば、小銭がルーズな人ではないだろうか。
喫茶店のおばさんが1円単位まで割り間にするのは、単にお金の問題ではなくて、プライドの問題だからである。
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『9. 本能がチャンスだと告げたら必ず儲かる。』
わたしたちは、最初からわかっていることがよくある、
AでBでCでDで、と論理なり理由を積み上げて結論に到達するのではなくて、頭の中には、何かもやもやした結論が先に明白にあって、後でそこに到達するにはどうしたらいいかを考えているときがある。
直感といえばそれだけなのだけど、うまくいくときというのは、やはり、直感ではないかなと思う。
データや資料を見て、新聞や雑誌を読んで、考えれば、いい商売になるわけでもない。
机上の統計で商売がうまく行くなら、教授や評論家は皆、億万長者であるし、新聞や雑誌が商売に資するのであれば、出版社や新聞社、記者もまた、億万長者になっていなければならない。
そうでないことは明白である。前者の多くは別から給料をもらっているし、印税が収入である。
新聞社や出版社も売り上げの落ち込みは厳しい。
商売を知っているなら、最もよく知りうる自分の商売もうまく行かねばならないだろう。
うまくいっていないなら、それは、知っていないこととなる。
商売というのは、あまりに不確かで曖昧であるため、どうしても机上のよくできた理屈を求めやすい。
そういう傾向が強いことを知っておくべきであろう。もちろん、汝自身においてもである。
企業理念、ミッション、約束、誓い、憲章、ロゴ、マーク。
そんなものを作れば、需要が生まれるのだろうか。そして、いくつあればいいのだろう。
増産しよう!とポスターを貼れば増産すると思っていた国はどうなったのだろう。
わたしはそんな理念物よりも、まねきねこやお狐さま、ほていさんを飾る方が、健全であるように思う。
そんなもので本気で商売がうまくいくわけはないが、理念の類は本気でそうなるように思っている人がいる。外注すれば値段もかかる。
ビジネス書を、大人のおとぎ話と評した人がいるが、蓋し名言である。憶えていて損はない。
話を元に戻す。本能がうまく行かないと語るなら、うまくはいかない。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年8月20日 8:42 AM |
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猛暑の日々が続いております。
皆様方におきましても、十分なる暑さ対策をお取りくださればと存じます。
しかし、こう暑いとどうしても冷たい飲み物がほしくなってまいります。
特に、炭酸飲料でございます。
暑い最中、ぎらぎらと照りつける太陽に炙られて帰ってきたときなど、炭酸のシュワシュワ感で涼をとりたいもの。
しかし、コーラなどの炭酸清涼飲料水には、糖分という結構な問題がございます。
500mlのペットボトル1本の清涼飲料水には、それこそ、スティック砂糖5〜6本分の砂糖が含まれているといわれてございます。
カロリーゼロを標榜して売っておりますが、問題の本質はカロリーではなく、糖質でございます。
あまり経験のない人の方が多いかと存じますが、わたくし、コーラを一気に飲んで気分が悪くなったときがございます。
この現象、くらっとするといいますか、身体から力が抜けるといいますか、あまりよくない感がプンプンするのでございます。
ちなみに、ビールでは、こういう現象は起きないように思うのでございます。
どうもこの現象は、血液中の糖濃度が急激に上がったときに起こるとのことでございます。
この事件以来、炭酸清涼飲料水を少し控えるようになったわたくしですが、しかし、そうは言っても、あの炭酸のうまさだけは忘れられないものでございます。
そんなときに、ふと、スーパーで目にしたのが、炭酸水でございます。
あ!この手があったかと、ひとりごちたわたくしでございます。
コーラやサイダーなどの炭酸飲料に求めるもの、それは甘さでなく、シュワシュワ感でございます。
味も素っ気もなく、ぶっちゃけ、ベースが水道水である炭酸水でも、そのシュワシュワ感は味わえるのではないかと、踏んだ次第でございます。
早速、買って来て、氷を入れて試したところ、GOODでありました。
当たり前といえばそうなのですが、無味ながら、あの炭酸清涼意飲料水を飲んだ時のシュワシュワ感は如実に、十分に味わえます。
ま、炭酸水だけでは味気がないので、果汁100%ジュースを入れてみたり、蜂蜜を入れてみたり、ガムシロップを入れてみたりしましたが、少々薄いですが、飲めなくはないといった実感でございます。
個人的には、ミニ缶の炭酸水を買ってきて、くだものを搾った汁、市販されているレモン汁を混ぜて飲むのが良いかと思います。
また、くだものの缶詰を買って来て冷蔵庫で冷やし、炭酸水といっしょに飲み食べるというのも、宜しいかと存じます。
コーラは飲みたいのは山々だが、糖尿病が心配であったり、太るのが気になる方は、炭酸水で御代用くださればと存じます。
暑いからといってコーラやサイダーをがぶ飲みするよりかは、健康上、とてもよいように思います。
また、言うまでもありませんが、炭酸水はウイスキーを割ったりもできますので、お父さんの晩酌にも有用でございます。
子供にも、甘い物を飲ませまくるよりも、手製の炭酸水ジュースのほうが、よいかなーと思ったりします。
暑い盛りでございます。
甘い甘い炭酸飲料の代わりに、今年は炭酸水で乗り切ってくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年8月18日 8:03 PM |
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本試験の問題では、受験生のほとんどが解けない問題がザラに出題されます。
わたくしは、試験問題を作る人を非常にいやらしい人と考えるようにしております。
まあ、どうしてこう、こんな問題が出せるのかね、と思うことがしきりにあるからでございます。
受験のプロである、専門学校の講師の人が多数の参考資料や文献を参照しないと解けない問題は、多々あるもんでございます。
ほんとうに、なんでこんな問題を出したのだろうかと、不思議に思うのでございます。
いまのところ、そうした問題の存在は、ブラフといいますか、ひっかけといいますか、受験生を動揺させるためではないか、と考えるものでございます。
一概には言えませんので、本気にしてほしくないのですが、やたらめったに難しい問題は、問題の後半に出ると言うよりも、序盤や中盤に多いと思うのでございます。
つまり、問題の最後に誰にも解けない難問を出しても、受験生からすれば、解答は終わっていますから、それほどの動揺がない、または、動揺させても仕方がない、といった次第でございます。
序盤や中盤に難問を置いておけば、「なんだこれ?!」とか、「うわあどうしよう」などと、受験生を大いに動揺させることができましょう。
出題者は、受験生の心理を熟知しております。
いったん起きた心の動揺は、そうやすやすと収まるものではありません。
難問で起きた動揺は、次の問題、次の問題へと伝播していき、新たなミスやさらなる動揺を生むことを知っているのでございます。
このような理由から、難問を出してくるのではないかと考える次第でございます。
また、難問で、解答時間を潰させるという目的もあることでしょう。
簡単に言えば、足止めでございます。
難問で時間を取らせ、あとの解答を焦らせる、そういう目的もあるのではないかと存じます。
意外に、ある特定の問題にかかずらったために、全部を解く時間がなくなり、落ちてしまった話をよく聞くからでございます。
問題の最後の方に難問を出しても、ほとんど解答が終わっていますから、少しも足止めにはなりません。
ですから、序盤や中盤にて、超絶な難問を出してきて、受験生の解答を大いに曲げるのではないかと考えるわけでございます。
難問の性質をうまく使って、出題者は問題を構成しているわけでございます。
以上のことは、試論でありますから、すべての試験にてそういえるわけではありません。
しかし、当らずとも遠からずという自負はあるものでございます。
わたくしたちは、試験問題において、こうした趣旨・背景から出題される問題のあることを、知っておくべきかと存じます。
本試験においては、すべての問題に正解する必要はありません。
6割から7割取ることが、本試験の最たる目的でございます。
難問の類にはそれほど力を入れなくて解かずともよいのでございます。
否、逆に言えば、難問の類に一生懸命になることほど、出題者がほくそ笑むこともないのでございます。
ですから、難問と接する際は、ある程度、選択肢を絞り込んだら勘で解答し、次の問題に進むのが正しいのでございます。
思い切って捨ててもよいでしょう。
全問解き終えて、余った時間で解き直せば、十分でございます。
難問には、多くの時間を費やさないのが、試験のセオリーであるかと考えます。
早々に見切りを付けて、次の点の取れそうな問題に進んでくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年8月18日 12:40 PM |
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