独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

フェレンギ人のバイブル28〜30

『28. モラルはいつも力によって限定される。』
逆をいうなら、モラルを制限できることが、「力」である。
力なき正義は無力に等しい。
そうは思いたくないが、事実はかくの如きものである。
国民主権制度であり、1人1票制度をとり、政治が開かれたといっても、力が分散されただけである。
力は、ときどき自然集約されて爆発するときもあるが、常はたゆたっているものでしかない。
故に、あの手この手で組織化し、束ねた者が権力を握ることとなる。
茶の間の正義、床屋政談では、無力である。
その言がどれ程正しく見えてても、その言者が何をしているのかを見るべきである。
その言のために、何をやっているのだろうか。
はっきりいえば、身銭を切ってどこぞの政党なり政治家に寄付でもしているのだろうか。
党員として機関紙でも配っているのか、サポーターなり運動員として、のぼりでも持っているのか。
批判のための批判、批判をしたいがための批判になってはいないか。
批判をするのなら、同じように批判をする政治家や政党があれば、寄付をするのか。
言に終わるだけの言などを、聞く耳は持たないほうが賢明である。
彼・彼女のストレス発散に付き合う必要はない。
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『29. 誰かが「それは金にならない」と言うとき 、そいつは嘘をついている。』
酸っぱい葡萄ほど、人の心理を雄弁に語る言はない。
人には、見栄や名誉があるから、いい大人なら欲しがりはしない。
ただ、ほんとうに、心底、どうしても欲しいものが出てきたときに、何をするかということなのだ。
もし、手に入らないのであれば、先の酸っぱい葡萄のキツネのように、欲しかったものの悪口を言って、溜飲を下げるであろう。
もし、手に入りそうならば、嘘を言ってでも、手に入れようとするだろう。
○○って商売になるのかしら?と聞いてみて、難しいなあ〜というときは、おそらく、真実を付いている可能性は高い。
なぜなら、その言を吐く人の欲が刺激されてないからだ。要するに、食指が伸びていないから、あまり儲かりそうにない、と言えるのである。
次に、「金にならない」には2つあって、即座に、吐き捨てるように言われたのなら、その通りである。
全くトンチンカンなことか、全く見通しやその他常識を知らないときは、そう言われる。
心中では、何を甘いことを言っているんだ、この砂糖野郎、とでも思っているだろう。
しかし、強く、説得力をもって、意欲的に、「金にならん」と言ったときは、要注意である。
こちらの欲を薄めて、あきらめさせたい程に、魅力的な物件であるかもしれないからだ。
心を知ることは、ほんとうに大事なのである。
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『30. 会話はタダだがシンセエールには金がかかる。』
シンセエールとは、フェレンギ人のアルコールで、悪酔いをしないようにした合成酒とのこと。
まず言えるべきは、タダの会話では、やはり、タダの情報しか引き出せない。
価値のある、商売につながる情報を得ようとするなら、シンセエール分のコストを払って、購わねばならないといった次第を、フェレンギ人は語るのであろう。
また、無闇矢鱈に飲み歩くな、と釘を刺しているのかもしれない。
コネ作り・縁作り・ネットワーク作りと称して、飲みに飲む人がいるが、商売人の飲み方ではない。
単に、遊びたいだけの話であるが、当の本人は、良心にもとるのか、これも仕事の1つと言って、理由を付けて飲み遊ぶのである。
商売で飲む人は、飲む人を冷酷なほどに選ぶ。
金を使って無意味に飲むな、ビジネスと称して飲み歩くなと、諭しているようにも思われる。
※ ちなみに、「フェレンギ人」とは、『スタートレック』に登場する、金儲け☆大好き星人です。

1つを俄然に

お勉強といいますのは、やれば必ずできるようになっていくものではございます。
しかし、それは、右肩上がりの、正比例のグラフを描くものではありません。
上がったり下がったりするものでございます。
その上下の動きも、ほんとうに予想の付かない動き方をするものでございます。
上がりに上がり、これでもう大丈夫かと思いきや、その後でズドンと、超低調状態に陥ることもございます。
逆に、もうだめだなあ、止めるかあと思っていながらも、惰性でお勉強をしておりますと、峠を越えたのか、あっというまに合格レベルの実力圏に、実力が伸びに伸びることがございます。
お勉強といいますのは、ほんとうにわたくしたちの主観で行ない、主観で感じておりますので、色々と齟齬が大きいのでございます。
この点、お勉強をする際には、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
目の前のことは、思った通りには進みませんし、また、自分が思っているようにもなってはいないのでございます。
このように、惑いの多いお勉強でございますが、さて、あれやこれやのことに疲れてきたら、いっそのこと、一旦、全部をやめてしまうのが宜しいかと存じます。
実力が伸びるにつれて、どうしてか人は、あれもこれもと、手を付けるようになってしまうのでございます。
そして、励めばできてしまうから、これまた、タチが悪いのでございます。
「この前もできたのだから、今日もできる。」
こんな感じで、どんどんと過大な作業を己に課すようになってしまうのでございます。
最終的には、そのくらいバリバリとやっていかないといけないでしょうが、バリバリとやるには相応の経験なりが必要になって参ります。
ここらあたりの塩梅が欠落したままで、過大なことをしていきますと、先に申したように、「あれやこれや」のことで疲れてしまうのでございます。
まず、「あれやこれや」に思いが馳せるようになったことそのものが、1つの実力の伸びの証でございます。
できることはできる、のでございます。
次なる段階は、できることを、どううまくやるか、どう調整付けて疲れないようにやっていくか、に話が移るのでございます。
バリバリやるというのは、気合や精神力のみならず、配分や調整でバリバリできているという側面があるのでございます。
やる意欲一本でバリバリとできるほど、物事は単純ではないのでございます。
以降は、調整の練習と相なるわけですから、まず、一旦は全作業を止めてみて、最も重要で、やるべきことを1つだけ、選んで見るのでございます。
そして、その1つを俄然に、徹底して、集中して、ほかの事など完全に無視してやってみることでございます。
おそらく、1つのことでも結構な負担があるのだな、と思ってしまうかと存じます。
なら、2つ・3つとやっていくことなど、もっと難しいことだと、わかってくるのではないかと存じます。
そこから、自分なりの調整やし切り方が、ほのかに見えてくるのではないかと考えます。

ぽっちり・どっさり

見た目というのは、実に重要でございます。
わたくしたちの目といいますのは、何でもかんでも、物の像を捉えてしまうのでございます。
きれいなものか汚いものまで、全てが視覚の対象なのでございます。
ですから、よくよく、わたくしたちは見るものについて、注意を払っておかねばならないのでございます。
なぜ人の歴史が始まって、工芸や美術品が依然として存続しているのか、思いを馳せてみてくださればと存じます。
それは、人体がそうなっているから、と考えても、おかしくはないように思います。
さてさて、ぐっちゃぐっちゃの机や、散乱した、あたかも空き巣に入られたくらいに乱雑な部屋を見て、何とも倦怠感を抱いた方は、たくさんおられるかと存じます。
わたくしたちは、自分の目で見たものから、少なからず、影響を受けているのでございます。
やる気というのも同様でありまして、ひと目見たが故に、やる気というのが、疎漏しかねないのでございます。
まず、机の上とその周辺は、整理整頓をしておくべきでございます。
資料やノート、カードやプリント、コピーの類は、きちんとファイルやフォルダ、バインダーに挟むなり入れるなりして、まとめておきます。
それらがごちゃごちゃなだけで、気が散ります。気が散れば、集中が持ちません。
紙類がすっきりしているだけでも、心持ちは違ってまいりますので、まず、この点をお試しください。
次に、机の上や周辺に、勉強道具や教材を、どっさりと置かないことでございます。
テキストや問題集、過去問がどっさりと控えているのを見て、嫌気が増さないわけがありません。
それらは、できるだけ隠しておくように、目に見えなくするように、ご助言する次第でございます。
布を被せるとか、机の下に置くとか、何とかして、視界からその姿の多くを除いておくべきなのでございます。
理想を言えば、机の上にはぽっちりと、テキストか問題集の1冊2冊が、そこはかとなく置かれているのが宜しいかと存じます。
1〜2冊なら、どーんとその姿が襲ってくることもありませんし、テキストのぽっちりとした姿が目に入れば、お勉強をしなければと気持ちを新たにすることもできるように思います。
ただ、隠すようにいいましたが、これは、しまいこむとは違うので、この点、ご注意ください。
本棚や戸棚の中、引き出しの中に、しまってはいけません。
2度と出てこなくなる危険性もございます。
教材類やよく使う道具は、しまってはならず、用のある際に瞬間的に手が届くところに置かれていなければならないのでございます。
しまってしまうと、視界に入らないことから、どんどんと疎遠になってしまうのでございます。
このあたりの微妙な塩梅が難しいものでございます。
よく使うものたちは、身近のすぐ手に取れるところに置き、しかも、視界に入らないようにしておく。
その一方で、完全に視界から断絶しないようにする。
こんな微妙な置き方をしなければならないのでございます。
わたくしは、100円ショップで買ったプラスチックの駕篭にまとめて放り込んで、机の下に置いております。
目には見えないけれども、すぐに手に取れる、といった塩梅でございます。
お勉強におきましては、どっさりと各種道具類・教材類を準備しなくてはなりませんが、見た目はぽっちりとしておいたほうが、心の負担は軽いように考える次第でございます。
やる気が逃げない、整理整頓のやり方を、一度お考えくださればと存じます。