人にはそれぞれ、書き方といいますか、書き様といいますか、書くクセといいますか、字の特色があるものでございます。
人それぞれに、書き方・筆圧などがあるからこそ、筆跡鑑定と言う鑑定法があるのでありましょう。
何でもかんでも、個性に引っ付けるのは、余計に無個性になる気がしてアレなのですが、やはり、文字1つ書くにしても、「個」というものがございます。
ですから、個それぞれに、しっくりくる文房具というのがあるのでございます。
ペンなんて書ければよい、存在ではございます。
しかし、ボールペン一本にすら、合う合わないという相性が、厳然として存在しているように思います。
逆にいえば、そのくらいに、しっくり来る文房具がある、ということでございます。
しっくりというのは、書いていくうちにわかるのでございます。
数あるペンのうち、どうしても使ってしまうペンがございます。
どうしても、そのペンに手が伸びるのでございます。
わざわざ今手にしたペンを湧きに置いて、机の上をがさごそ探してまで使うペンはあるのでございます。
それこそ、意中の一本といいますか、個に適う一本といいますか、自分にあった一本なのでございます。
何をどうすれば合うかなどは、上手には言えません。
合う文房具の感じは、本当に微妙でございます。
たとえば、重さであるとか、インクの粘り・薄さというか、グリップの感じとか、意識しなければ感じないところでございます。
強いて言いますれば、重さは軽すぎず、また、重すぎることもなく、インクも自分の書く速さに合っており、握りもなじむといった感じでありましょうか。
書くときにストレスがなく、何より、字を書いていて気持ちがよいのでございます。
もしも、こうした文房具に遭遇したのなら、本当に幸運ということができましょう。
必ず、そのペンの商品名とメーカーをメモしておくべきでございます。それが出先であっても。
そして、すぐに注文すべきか、それか、買いに行くようにスケジュール表に一筆、書いておくようご助言申し上げます。
わたくし自身の身の上話ではありますが、自分に合った文房具ほど、なぜか、世の中から消えうせることが多い、という感がするからでございます。
わたくしが、(あーいいなあ、これ!)と思った文房具は、なぜか店先から消えていくのでございます。
そして、よくよく調べたら、もう生産中止になっていたりするのでございます。
こうすると、遠い日の片思いのように、何を書いていても、あのときのあの文房具が思われてならないのでございます。
文房具は、値段でもなく、メーカーでもなく、言ってしまえば、品質ですらもなく、ごくごく、自分の手と指と書き方に合うか否かでございます。
自分の合ったものが人気商品ではありませんから、今後も売られ続ける保証など、少しもないのでございます。
ですから、手の平と指とに、ピーンときた文房具につきましては、すぐさま、大量に買い置きするよう申し上げる次第でございます。
何時までも、あると思うな親と金、などと申しますが、文房具の類は、それらとは比べられる対象ではありませんけれども、それでも、合わない文房具で気持ち悪く・違和感を持ちながら書くよりも、しっくり来る文房具で書く方が、いいに決まってございます。
たかが文房具ではありますが、されど、文房具でございます。
使えばわかる、使えばわかってくる、道具の良し悪しでございます。
弘法筆を選ばずといいますが、わたくしたちは弘法大帥レベルではないのですから、よく使うものほど、よく吟味した方がよいように思います。
日常でよく使うものほど、自分に合うものをお使いくださればと存じます。ぐっと気分は変るように思います。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月19日 9:44 AM |
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貯める、ということは、よいことのように言われてございます。
そら、右から左へお金を使うよりかは、収入の一部は貯蓄し、投資なりに回す方がよいでしょう。
太古の昔から、収入の1割は貯金して、投資用の資金に充てるように言われておりました。
また、収入の1割は教育費・学費の捻出のために、運用資金として貯蓄するのも、よいように思います。
このように、貯めるというのは、何らかの目標なり目的、意図があってこそのものなのでございます。
しかしながら、問題となってくるのは、貯め込み過ぎ、でございます。
過ぎたるはなんとやら、のアレでございます。
むやみやたらに、使う予定もないのに、ひたすらお金を貯め込むというのは、非常に困ったことと相なります。
現状のデフレ不況も、一説によりますと、お金の多くが高齢世帯に止まったままになっており、資金需要の多い家庭持ち世代・若年層に回っていないことがあげられます。
使われるお金の総量が多いほど、GNPはよくなってくるわけですが、現在では、富の多くが動かなくなっているからこそ、困ったことになっているのでございます。
以前、詐欺というのは若者が定番でありました。名義貸し、口座貸し、英会話の教材などなど、多くの詐欺は、若者が引っかかったのでございます。
それは、若者がお金を持つようになったことと、若者の裏にいる親に金があることを知っていたからこその、詐欺だったわけでございます。
しかし、最近の詐欺は、若者が騙されるということはあまり聞きません。大半は、高齢者でございます。それは、いわずもがな、高齢者がお金を持っている証左なのでございます。
まさに、詐欺は時代を映す鏡、でございます。
火の無いところに煙は立たず、金ないところに詐欺は行なわれず、でございます。
っと、話を元に戻しましょう。
貯めこむのはよくないのは、もう1つ、貯めこむものは得てして、無駄であることが多いのでございます。
先もいいましたように、お金の貯め込みすぎは死に金になるばかりでございます。
動物をお考えください。リスはせっせとどんぐりを貯めようと地中に埋めますが、大半は忘れてしまいます。犬も骨を埋めますが、それも忘れてしまいます。
人は、それら動物の姿を見て、ほほえましいと思うのですが、彼らを笑うことなどできないのでございます。
押入れを見よ、ガレージを見よ、倉庫を見よ、机の引き出し、キャビネットを見よ、HDDを見よ、というように、意外に貯めこんでいる愚かさを、我が身にも如実に見て取れるのでございます。
貯め込むというのは、当の本人は正しいと思っていても、傍から見れば、意外に馬鹿馬鹿しい結果を生むのでございます。
お勉強も同様でございます。
アレをしよう、これもしようと、学習計画や予定表、手帳には、繰り越しに繰り越されている、先送りに先送りされてきた、勉強メニュウが溢れるときがございます。
まさに、お勉強を貯めこんでいるわけでございます。
やることを前提に備忘的に書き留めるのであればよろしいのですが、何か、やりそうもないのに、手帳なりを埋めに埋める方がございます。
先の犬とリスを思い起こして下さればと存じます。同じことではないか、といった次第でございます。
貯めるのは賢明ではありますが、貯め込みすぎはより賢明になるどころか、愚か一直線でありますので、この点、ご理解くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月18日 10:57 AM |
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『31. フェレンギ人の母親をからかうな。』
どんなに温厚な人でも、急所というものがあって、そこを突かれると激昂する。フェレンギ人にとっては、母親が急所なのであろう。
温厚な人ほど、いつまでも許さず、恨みを持ち続ける。
どっちかといえば、すぐにかっとなる人の方が、恨みを持たないものである。
また、普段冷静で計算高い人ほど、ひとたび感情的になったときは、手が付けられなくなる。あとあとの報復も、酷いことになる。
人によっては、冗談で済まされないことがある。よくよく肝に銘じておくべきである。
済まされないことをしてしまえば、ほぼ、和解は不可能である。
損害は金銭で購えるけれども、感情はそうは行かない。
そして、その地雷とも言うべきところは、どこにあるのかわからない。
言葉使いには気を付けるように言われなくなって久しい。
言論の自由にどっぷりと浸かっているわたしたちは、言葉の恐ろしさをつい忘れてしまう。
一言が命取りになることを、よくよく踏まえておくべきであろう。
言葉が軽くなって久しいが、言葉ほど危ういものはない。
隣で寝ている人の顔を見れば、つい言ったあの一言でそうなっているのである。
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『32. 自分が売るものには気を付けろ。時として顧客の希望をかなえてしまうからだ。』
ビジネス書・ビジネス雑誌を開けば、顧客満足という4文字が出ない日はない。
が、逆にいえば、顧客が不満足でなければ、商売は成り立たないわけでもある。
このあたりの塩梅は実に難しい。完全な商品を提供してしまえば、それが壊れるまでは、売れなくなってしまうからである。
満たされれば、買わなくなる。だから、継続して売るには、満たしてはならないわけだが、そこそこの欲求を満たさないと、次に買ってもらえなくなる。パラドクスなのである。
徒然草に、職人の話が出ている。同趣旨なのだが、完全に作るのはよくないことで、どこか不完全で未完成なところを作っておくのが、真の名人であるといっている。
フェレンギ人風に言うなら、完全なものを作ってしまえば、顧客は完全に満足してしまうので、次の注文がなくなってしまう。
当然、作る職人の側からすれば、ご飯の食い上げになる。仕事がなくなる。仕事がなければ、技を振るう機会も減る。技術も衰えてしまい、結局、作る者がいなくなるか、作る物が悪くなる。
故に、どこかに未完成なところを作っておいて、次の仕事に繋げる、といった次第である。
ふと思ったが、もの凄くおいしいものを食べると、逆にその店から遠のくことはないだろうか?
最上のサービスと最高の商品が、自分の首を絞める。つくづく、商売は難しい。
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『33. 上役におべっかを使ってもフトコロは痛まない。』
おべっかをいっても、何かが減るわけではない。とうぜん、出銭もない。
ノーコストで、好印象が買えるのである。使わない手はない。
殺し文句という言葉がある。
男性なら、頼りがいがある、仕事ができる、目がちがう、などなどで、男性ならそう言われたら悪い気はしない。
女性なら、目がきれい、髪がきれい、肌がきれい、首筋が、身体の線がきれいなどの言葉がそうであろうか。とりあえずきれいと言っておけば、事は済む。
キョウハイチダント、オキレイデスネ。
これらの言葉をかけても、こちらには何の損はない。
よくよく考えれば、全く無いのである。
ならば、どんどん言うべきであって、誰もが得をするし、誰も損をしない。こんないいことはないのである。
なんだかこびていたり、おべんちゃらを言うのが非難されるときもあるが、それは、あからさまに嘘が混じっているときである。
うまく褒めれば、誰も攻めやしない。男性なら、ネクタイを褒めておけばいいし、女性なら、スカーフを褒めておけばよい。
先に、言葉の危険性に言及したが、ここでは、一転して、言葉のプラス作用について語っている。
当該雑文を読んだ人は、早速、実践をして欲しい。
昔、ステキナクツデスネ、と言われたが、その靴は980円の安物であったが、嬉しかったわたしである。
980円でも心浮き立つのだから、靴にお金をかける人なら、喜びもひとしおであろう。
ステキナカミドメデスネ、ステキナメガネデスネ、シャレタパソコンデスネ、サイシンノケイタイデスカ、フンイキノイイカバンデスネ、ツカイヤスソウナ○○デスネ。
人を褒められないなら、物でも褒めよう^^
逆に、物が褒められるとき、先の例でいえば、ネクタイやスカーフが褒められたなら、あなた自身には褒めるところがないというわけであるが、これは、少し被害妄想的で、穿ちすぎな物の見方であろう。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月15日 12:11 AM |
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