『34. 平和はビジネスに役立つ。』
平和だからこそ、商売は成り立つ。
近くで暴動多発地帯や治安が悪いところでは、お客様そのものが寄り付かないから、商売にならない。
やって来る者は、入店五分後には強盗になりそうな、性質の悪い者が大半であろう。
じわじわダメージの来る万引きの被害も厳しい。
それ以上に怖いのは、従業員の質である。
外から来る盗人や強盗は、まだ自衛の策も立つだろうが、内側の敵は遺憾ともしがたい。
もろ、だからである。売上金に手は付けられるし、商品も同様に、いくらでも懐に入れられる。
取引先の銀行はどこで、いつ入出金に行くのか、売上金はどこに保管するかまで、オープンになってしまう。実に危険だと言わざるを得ない。
1商店の内実がそうなら、地区で、地域で、街で、市で、ビジネスがうまく行かないのも、ごく自然の理である。
これまで日本では、水と安全はタダと言われてきたが、逆にいえば、それらが、諸外国と比べれば比較にならないほど上質のレベルで提供されていたからこそ、ここまでの経済発展を遂げたともいえるのである。
ちなみに、中国で最も信用にならないのは、警察である。マフィアより信用できない。
また、ちなみに、資源大国のオーストラリアで鉄鋼業が起きなかったのは、そして、今後も工業は発展しないだろうが、水が悪かったからである。
左がかった白痴平和論者の言ではないが、平和こそ経済と雇用の最たるものである。
今こそ、わたしたちの足元がこれまでどうだったか、そしてこれからどうなるのか、その認識を改めるべきである。
安保が弱まっただけで、海賊に襲われるのが、わたしたちの住む世界である。
『35. 戦争はビジネスに役立つ。』
アメリカの貿易赤字で面白い話がある。
アメリカの貿易赤字は巨額なものがあるのだが、統計上、この赤字には、あるものが含まれていないとのことである。
そのあるものとは、アメリカの輸出した武器の額である。
そう、アメリカは、日本を含め世界の西側陣営に武器を輸出しているが、その輸出分の学は、統計上、貿易扱いにはならず、除外されているのである。
そら、○○国に武器を何億ドル分輸出しました、なんておっぴらにすれば、その国の戦力が明らかになってしまう。だからこそ、貿易扱いにならないのであろう。
戦闘機から対空ミサイル、対艦ミサイル、銃器類、衛星使用料、イージスシステムなどなど、日本の防衛で、アメリカ製品の恩恵を受けないものを探すことの方が難しいくらいだ。
日本でそうなら、台湾やイスラエル、引いてはEU各国も、内国軍事面でのアメリカ依存はかなりの割合であろう。
アメリカの貿易赤字を大きく叫ぶマスコミであるが、その統計の実を洗ってみれば、実に不可思議なことになってしまう。おそらく、武器輸出分を含めれば、数字は様変わりするだろう。
話が少しずれたが、戦争とビジネスの線引きは実に難しいこと、いうなれば、戦争とビジネスは非常に相性がいい、もっといえば、相似通うものであることを知っておいても損はないだろう。
一時期、貿易摩擦ではやった「経済戦争」という語句があるが、今では、戦争が経済、「戦争経済」なのである。
『36. 多くのフェレンギ人は、もはや自分をあざ笑うことができない。』
頭髪が薄くなれば、誰でも悩むだろうか。
わたしはそうではないといえる。もし、自分がガンを患い、抗ガン剤治療を選択したとしよう。
抗ガン剤の副作用で髪の毛が抜けたとする。
こうした場合、禿を悩むだろうか。悩まない。
禿ではなく、自分の命の方を、ガンの治療の成否や再発の有無を悩むであろう。
禿で悩めるのは、生きられるからでしかないのである。明日があることを、微塵も疑っていないのだ。
これと同じ理屈で、悩みとは悩みではない。真に問題がある場合、人はもう悩めないのである。
それを受け入れるしか他ないからである。
悩めること自体が、ある意味、余裕がある証なのである。
フェレンギ人も、自分の商売や金の汚さに、心中思うことがあるのだろう。
しかし、それもいってしまえば、嘲られる分、まだまだ商売に身が入っていない証左なのである。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月22日 1:15 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
独学のコツの1つとして、無意味なことで躊躇しない、ということがございます。
その理屈は、こうでございます。
どうせしなければならないのなら、ぐずぐずせずに、今この瞬間、やってしまえばよい、という塩梅でございます。
1番ムダな時間のは、うだうだと躊躇しているときでございます。
断崖絶壁を飛び越える!とか、数千・数億の借金をする!、などの超危険な状況であるなら、よくよくと、とっぷり考えればよいでしょう。
じっくりと考えるのは、傍から見れば、ぐずぐずしているようにも見えましょうが、そんな騒音など気にせず、気の済むまで、厳密の上に厳密にリスクを計算して、考えていけばいいのでございます。
飛び越えるリスクとメリットを測りにかけて、あーだこーだと考えているわけですから、時間はかかりましょう。
しかし、単に、テキストを5ページ・10ページ読む、とか、問題集の問題を十何問解くとか、復習するとか、憶えなおすとか、こうしたことに、うーん・うーむと熟考する理はないように思います。
こうしたことは、さっさと済ませてしまえばよいのでございます。
その躊躇に意味はあるのかどうか、まずは、この点を明らかにしておくべきかと存じます。
基本は、やろうとは思ったが、3分たってもやらないことは、やらずともよいことか、それか、今そのときはやれないときと踏んでもよいでしょう。
どう思おうが・考え込もうが、やらないものはやらないし、やれないことはやれません。
次いで、やろうとは思ったのだが、特に用事もなく突発的な事件も起きてないのに、30分経過したら、その日にはやらないし、やらないと判断してようございます。
おそらく、やっても実にはならないことでしょう。
無意味な躊躇は、たとえれば、アクセルとブレーキを同時に踏むが如しでございます。
進むと同時に止めているのでございます。ほんとうに、無駄でございます。エンジンを切るか、両方のペダルから足を離せばいいだけでございます。
グダグダと躊躇するのは、時間を無駄にするのみならず、わたくしたちの気持ちも、害するものでございます。
心底、ぐったりとしてしまうのでございます。澱のように疲れが積もるのでございます。
心のブレーキとアクセルを踏んで、心のエンジンが空回りしまくっているとでも、想像してみてください。
やるときはやる。
やらないときはやらない。
この2つをきっちりするだけで、心の重荷といいますか、負荷が結構、軽くなります。
やるときはやって、あとはスッキリして過ごせばよく、やらないときは、そのやらなかった分をいつやるのか、計算して計画して翌日以降に按配していけばよいだけでございます。
躊躇してぐだぐだすることは、大きなロスでありますので、この点を踏まえて、目の前のことに相対してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月21日 3:50 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
お勉強といいますのは、1つの体系であり、そしてまた、実験でもございます。
何か、コレコレという決まりきった方法があるのではないのでございます。
言ってしまえば、個々それぞれの人に、それぞれのやり方がある、としかいいようがないのでございます。
考えても見れば、同じ授業で同じ教科書を使っていても、成績には差が出て来るのでございます。
もちろん、個々の努力が物を言うのではありますが、「差」の存在こそが、お勉強というものが個人的なものであることを示しているように思うのでございます。
さて、先ほど、わたくしは、お勉強とは実験であると申しました。
本当にわたくしは、お勉強というのは、自分自身を素材にした、実験であるように思うのでございます。
ある人には有効なAというやり方がダメだったりする反面、あまり人気のない、人に知られていないBというやり方がうまく行ったりするのでございます。
朝のお勉強がうまく行く人が居れば、完全夜型の0時過ぎのお勉強が1番しっくり来る方も居られます。
電車の中で暗記がうまく行く人も居れば、全くできない方もいます。
Aという教材がいいという人もいれば、ダメだという人もいます。
お勉強というのは、ほんとうに多種であり多様であるのでございます。
ですから、お勉強の方法というのは、自得するというか、自分で見つけた方が、あれこれ方法論やノウハウを追いかけるよりも速いことが多いのでございます。
基本、お勉強といいますのは、自分でひねり出したものほど、うまく行くように思います。
こうしてあーしたらいいよ、と言われてやるよりも、自分でウウンと考えてぱっと(こうしたらいいんじゃねえの?)と思いついたものが、以降のお勉強に良い影響をもたらすこともあるのでございます。
信頼のおける人に言われることで、がんばれる人もおられることでありましょう。
ならば、こうした人は、よき師を見つけることが、お勉強で重要な要素となってくるでしょう。
ちなみにわたくしは、前者の自得派でございます^^
お勉強とは、自身の因果をつかむことでもございます。
少し寝たらバリバリお勉強が進む人なら、帰宅後に少し寝るのもいいでしょう。
しかし、いったん寝ると朝まで起きない人なら、帰宅後のミニ睡眠は、お勉強の大敵となるでしょう。
気合を入れたら続く人もいれば、気合を入れて気負ってお勉強をするとたちまち三日坊主に終わる人もいます。
ならば、気負わない範囲でお勉強に臨むことが、その人にとっては必勝法となることでありましょう。
暗記や記憶の作業も同様でございます。憶え方というのも、実に個人差がございます。
書けば憶える人、背景や論拠をおさえることで憶える人、関連付けて憶える人、声に出して唱えて憶える人、何回も何回も見て憶える人、などなど、これまた、個々の人によって必勝のパターンが違ってくるのでございます。
自身の因果というものを発見し、実地に試していくことで、「自分の勉強」というものが、いっそう見えてくるように思います。
外に溢れるやり方や方法論、ノウハウに疲れた方は、内にある自分の因果を探り当ててくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月20日 3:14 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |