独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

貯め込めない

貯める、ということは、よいことのように言われてございます。
そら、右から左へお金を使うよりかは、収入の一部は貯蓄し、投資なりに回す方がよいでしょう。
太古の昔から、収入の1割は貯金して、投資用の資金に充てるように言われておりました。
また、収入の1割は教育費・学費の捻出のために、運用資金として貯蓄するのも、よいように思います。
このように、貯めるというのは、何らかの目標なり目的、意図があってこそのものなのでございます。
しかしながら、問題となってくるのは、貯め込み過ぎ、でございます。
過ぎたるはなんとやら、のアレでございます。
むやみやたらに、使う予定もないのに、ひたすらお金を貯め込むというのは、非常に困ったことと相なります。
現状のデフレ不況も、一説によりますと、お金の多くが高齢世帯に止まったままになっており、資金需要の多い家庭持ち世代・若年層に回っていないことがあげられます。
使われるお金の総量が多いほど、GNPはよくなってくるわけですが、現在では、富の多くが動かなくなっているからこそ、困ったことになっているのでございます。
以前、詐欺というのは若者が定番でありました。名義貸し、口座貸し、英会話の教材などなど、多くの詐欺は、若者が引っかかったのでございます。
それは、若者がお金を持つようになったことと、若者の裏にいる親に金があることを知っていたからこその、詐欺だったわけでございます。
しかし、最近の詐欺は、若者が騙されるということはあまり聞きません。大半は、高齢者でございます。それは、いわずもがな、高齢者がお金を持っている証左なのでございます。
まさに、詐欺は時代を映す鏡、でございます。
火の無いところに煙は立たず、金ないところに詐欺は行なわれず、でございます。
っと、話を元に戻しましょう。
貯めこむのはよくないのは、もう1つ、貯めこむものは得てして、無駄であることが多いのでございます。
先もいいましたように、お金の貯め込みすぎは死に金になるばかりでございます。
動物をお考えください。リスはせっせとどんぐりを貯めようと地中に埋めますが、大半は忘れてしまいます。犬も骨を埋めますが、それも忘れてしまいます。
人は、それら動物の姿を見て、ほほえましいと思うのですが、彼らを笑うことなどできないのでございます。
押入れを見よ、ガレージを見よ、倉庫を見よ、机の引き出し、キャビネットを見よ、HDDを見よ、というように、意外に貯めこんでいる愚かさを、我が身にも如実に見て取れるのでございます。
貯め込むというのは、当の本人は正しいと思っていても、傍から見れば、意外に馬鹿馬鹿しい結果を生むのでございます。
お勉強も同様でございます。
アレをしよう、これもしようと、学習計画や予定表、手帳には、繰り越しに繰り越されている、先送りに先送りされてきた、勉強メニュウが溢れるときがございます。
まさに、お勉強を貯めこんでいるわけでございます。
やることを前提に備忘的に書き留めるのであればよろしいのですが、何か、やりそうもないのに、手帳なりを埋めに埋める方がございます。
先の犬とリスを思い起こして下さればと存じます。同じことではないか、といった次第でございます。
貯めるのは賢明ではありますが、貯め込みすぎはより賢明になるどころか、愚か一直線でありますので、この点、ご理解くださればと存じます。

フェレンギ人のバイブル31〜33

『31. フェレンギ人の母親をからかうな。』
どんなに温厚な人でも、急所というものがあって、そこを突かれると激昂する。フェレンギ人にとっては、母親が急所なのであろう。
温厚な人ほど、いつまでも許さず、恨みを持ち続ける。
どっちかといえば、すぐにかっとなる人の方が、恨みを持たないものである。
また、普段冷静で計算高い人ほど、ひとたび感情的になったときは、手が付けられなくなる。あとあとの報復も、酷いことになる。
人によっては、冗談で済まされないことがある。よくよく肝に銘じておくべきである。
済まされないことをしてしまえば、ほぼ、和解は不可能である。
損害は金銭で購えるけれども、感情はそうは行かない。
そして、その地雷とも言うべきところは、どこにあるのかわからない。
言葉使いには気を付けるように言われなくなって久しい。
言論の自由にどっぷりと浸かっているわたしたちは、言葉の恐ろしさをつい忘れてしまう。
一言が命取りになることを、よくよく踏まえておくべきであろう。
言葉が軽くなって久しいが、言葉ほど危ういものはない。
隣で寝ている人の顔を見れば、つい言ったあの一言でそうなっているのである。
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『32. 自分が売るものには気を付けろ。時として顧客の希望をかなえてしまうからだ。』
ビジネス書・ビジネス雑誌を開けば、顧客満足という4文字が出ない日はない。
が、逆にいえば、顧客が不満足でなければ、商売は成り立たないわけでもある。
このあたりの塩梅は実に難しい。完全な商品を提供してしまえば、それが壊れるまでは、売れなくなってしまうからである。
満たされれば、買わなくなる。だから、継続して売るには、満たしてはならないわけだが、そこそこの欲求を満たさないと、次に買ってもらえなくなる。パラドクスなのである。
徒然草に、職人の話が出ている。同趣旨なのだが、完全に作るのはよくないことで、どこか不完全で未完成なところを作っておくのが、真の名人であるといっている。
フェレンギ人風に言うなら、完全なものを作ってしまえば、顧客は完全に満足してしまうので、次の注文がなくなってしまう。
当然、作る職人の側からすれば、ご飯の食い上げになる。仕事がなくなる。仕事がなければ、技を振るう機会も減る。技術も衰えてしまい、結局、作る者がいなくなるか、作る物が悪くなる。
故に、どこかに未完成なところを作っておいて、次の仕事に繋げる、といった次第である。
ふと思ったが、もの凄くおいしいものを食べると、逆にその店から遠のくことはないだろうか?
最上のサービスと最高の商品が、自分の首を絞める。つくづく、商売は難しい。
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『33. 上役におべっかを使ってもフトコロは痛まない。』
おべっかをいっても、何かが減るわけではない。とうぜん、出銭もない。
ノーコストで、好印象が買えるのである。使わない手はない。
殺し文句という言葉がある。
男性なら、頼りがいがある、仕事ができる、目がちがう、などなどで、男性ならそう言われたら悪い気はしない。
女性なら、目がきれい、髪がきれい、肌がきれい、首筋が、身体の線がきれいなどの言葉がそうであろうか。とりあえずきれいと言っておけば、事は済む。
キョウハイチダント、オキレイデスネ。
これらの言葉をかけても、こちらには何の損はない。
よくよく考えれば、全く無いのである。
ならば、どんどん言うべきであって、誰もが得をするし、誰も損をしない。こんないいことはないのである。
なんだかこびていたり、おべんちゃらを言うのが非難されるときもあるが、それは、あからさまに嘘が混じっているときである。
うまく褒めれば、誰も攻めやしない。男性なら、ネクタイを褒めておけばいいし、女性なら、スカーフを褒めておけばよい。
先に、言葉の危険性に言及したが、ここでは、一転して、言葉のプラス作用について語っている。
当該雑文を読んだ人は、早速、実践をして欲しい。
昔、ステキナクツデスネ、と言われたが、その靴は980円の安物であったが、嬉しかったわたしである。
980円でも心浮き立つのだから、靴にお金をかける人なら、喜びもひとしおであろう。
ステキナカミドメデスネ、ステキナメガネデスネ、シャレタパソコンデスネ、サイシンノケイタイデスカ、フンイキノイイカバンデスネ、ツカイヤスソウナ○○デスネ。
人を褒められないなら、物でも褒めよう^^
逆に、物が褒められるとき、先の例でいえば、ネクタイやスカーフが褒められたなら、あなた自身には褒めるところがないというわけであるが、これは、少し被害妄想的で、穿ちすぎな物の見方であろう。

お菓子か果物か

お勉強といいますのは、頭を酷使するものでございます。
ですから、頭に速やかに考えるためのエネルギーを補給しなくてはなりません。
そこで、甘いものを食べなくてはならなくなる、といった次第になるわけで、何かとダイエットが頭にちらつく方でも、お勉強とならば、その制限を外してもよいわけでございます。
まさに、合法的に甘いものをたらふく食べられるわけで、心底、ヒヒヒと思いが湧いてきますし、「垂涎」でございます。
甘いものと頭の関係は、非常に深いものがございます。
基本的に、女性は甘いものを好みますが、というのも、女性の認識は「像」を描くからといわれております。
女性は、常にイメージから入っていくとのことでございます。
ある「もの」があるとして、男性はその機能や性質などを考えていくのですが、女性は、その「もの」を持った自分がどう見えているか、どう映えているか、を考えるのでございます。
たとえば、新しい携帯電話があるとすると、男性は携帯の近畿能やメモリの量、データ転送量を考える一方で、女性なら、その携帯を持って話している自分、持っている自分を、頭のなかで診ているのでございます。
言い換えれば、男性はテキスト思考であり、女性はイメージ思考なのでございます。
さて、パソコンの処理について考えてみますと、テキストというのは実にデータ量が少なく、処理しやすいものでございます。
一方の、イメージは、容量も大きく、処理に時間がかかるものでございます。
イメージの方が処理が大変なわけでして、その分、エネルギーを大量に消費する、といった次第でございます。
女性の脳というのは、常にイメージで処理に処理をしているからこそ、多大に甘いものを好むのではないかと、考えている次第でございます。
もちろん、男性においても、頭をしっかりと使う人や使う職業の人は、甘いものが大好きで、文豪や小説家と呼ばれる人は、大概甘いものが好物だったといわれております。大福とか。
ま、こんな風に、頭を酷使するのなら、ぼおっとしないように、甘いもので脳のエネルギー源を補充しなくてはならない、といった次第でございます。
そこで、なのですが、甘いものの選択が、これまた重要なのでございます。
それこそ、甘い物といっても、多くの種類があるからでございます。
まず、砂糖でございます。お茶にたっぷり砂糖を入れると、本当に緊張が解けます。
ジャムもようございます。ロシアでは紅茶にたっぷりジャムを入れるように、ジャムは砂糖の代わりにもなります。
もちろん、トースト用にもなりますし、スプーン1杯とってきて、舐めるというのも、何ともよいのでございます。
菓子パンなど、あの手この手で新商品があり、また、定番・ベーシックなパンがあり、これまた、悩むものでございます。
お菓子というと、これは更に複雑拡大発展しており、和物から洋物、生菓子から干菓子まで、ほんとうに何を食べるか一晩くらい悩めるほどの、種類がございます。
そして、忘れてはならないのは、果物でございます。
果物も、甘いものでありまして、砂糖やお菓子とは違った、その風味、みずみずしさ、香り、歯ざわりがあって、これまた、たまらないのでございます。
梨の季節は終わりつつ、ちらほら、りんごも出てきておりまして、楽しみとしか言い様がございません。
甘いものなら何でもいいのではありますが、お菓子の食べすぎは、1つは如実にお腹の周りに出て来ること、そして、虫歯になりやすいこと、自分の考える以上に食べてしまうこと、肌荒れの原因、胃腸のむかつきの原因となることを指摘しておきたく存じます。
お菓子にはお菓子のよさが、果物には果物のよさが、厳然として存在しております。
わたくしが思うのは、お菓子と果物の割合は半々にするのがよいかなあ、と考えます。
果物には、普段の食事では不足しがちなビタミンが豊富ですし、なにより、結構値が張るので、大量に食べないという利点がございます。
お菓子はセールにぶち当たると、それこそかご一杯に買い込める危険性があります。果物は、幾ら安いといっても日持ちがしませんから、大量買いの大量食いができないという利点は大きいように存じます。
お勉強のお供が充実しますと、自然とお勉強も円滑に進むものでございます。
お勉強の合間にでも、今日食べる甘いものをお考えくださればと存じます。