独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

無意味な躊躇

独学のコツの1つとして、無意味なことで躊躇しない、ということがございます。
その理屈は、こうでございます。
どうせしなければならないのなら、ぐずぐずせずに、今この瞬間、やってしまえばよい、という塩梅でございます。
1番ムダな時間のは、うだうだと躊躇しているときでございます。
断崖絶壁を飛び越える!とか、数千・数億の借金をする!、などの超危険な状況であるなら、よくよくと、とっぷり考えればよいでしょう。
じっくりと考えるのは、傍から見れば、ぐずぐずしているようにも見えましょうが、そんな騒音など気にせず、気の済むまで、厳密の上に厳密にリスクを計算して、考えていけばいいのでございます。
飛び越えるリスクとメリットを測りにかけて、あーだこーだと考えているわけですから、時間はかかりましょう。
しかし、単に、テキストを5ページ・10ページ読む、とか、問題集の問題を十何問解くとか、復習するとか、憶えなおすとか、こうしたことに、うーん・うーむと熟考する理はないように思います。
こうしたことは、さっさと済ませてしまえばよいのでございます。
その躊躇に意味はあるのかどうか、まずは、この点を明らかにしておくべきかと存じます。
基本は、やろうとは思ったが、3分たってもやらないことは、やらずともよいことか、それか、今そのときはやれないときと踏んでもよいでしょう。
どう思おうが・考え込もうが、やらないものはやらないし、やれないことはやれません。
次いで、やろうとは思ったのだが、特に用事もなく突発的な事件も起きてないのに、30分経過したら、その日にはやらないし、やらないと判断してようございます。
おそらく、やっても実にはならないことでしょう。
無意味な躊躇は、たとえれば、アクセルとブレーキを同時に踏むが如しでございます。
進むと同時に止めているのでございます。ほんとうに、無駄でございます。エンジンを切るか、両方のペダルから足を離せばいいだけでございます。
グダグダと躊躇するのは、時間を無駄にするのみならず、わたくしたちの気持ちも、害するものでございます。
心底、ぐったりとしてしまうのでございます。澱のように疲れが積もるのでございます。
心のブレーキとアクセルを踏んで、心のエンジンが空回りしまくっているとでも、想像してみてください。
やるときはやる。
やらないときはやらない。
この2つをきっちりするだけで、心の重荷といいますか、負荷が結構、軽くなります。
やるときはやって、あとはスッキリして過ごせばよく、やらないときは、そのやらなかった分をいつやるのか、計算して計画して翌日以降に按配していけばよいだけでございます。
躊躇してぐだぐだすることは、大きなロスでありますので、この点を踏まえて、目の前のことに相対してくださればと存じます。

自分の因果関係

お勉強といいますのは、1つの体系であり、そしてまた、実験でもございます。
何か、コレコレという決まりきった方法があるのではないのでございます。
言ってしまえば、個々それぞれの人に、それぞれのやり方がある、としかいいようがないのでございます。
考えても見れば、同じ授業で同じ教科書を使っていても、成績には差が出て来るのでございます。
もちろん、個々の努力が物を言うのではありますが、「差」の存在こそが、お勉強というものが個人的なものであることを示しているように思うのでございます。
さて、先ほど、わたくしは、お勉強とは実験であると申しました。
本当にわたくしは、お勉強というのは、自分自身を素材にした、実験であるように思うのでございます。
ある人には有効なAというやり方がダメだったりする反面、あまり人気のない、人に知られていないBというやり方がうまく行ったりするのでございます。
朝のお勉強がうまく行く人が居れば、完全夜型の0時過ぎのお勉強が1番しっくり来る方も居られます。
電車の中で暗記がうまく行く人も居れば、全くできない方もいます。
Aという教材がいいという人もいれば、ダメだという人もいます。
お勉強というのは、ほんとうに多種であり多様であるのでございます。
ですから、お勉強の方法というのは、自得するというか、自分で見つけた方が、あれこれ方法論やノウハウを追いかけるよりも速いことが多いのでございます。
基本、お勉強といいますのは、自分でひねり出したものほど、うまく行くように思います。
こうしてあーしたらいいよ、と言われてやるよりも、自分でウウンと考えてぱっと(こうしたらいいんじゃねえの?)と思いついたものが、以降のお勉強に良い影響をもたらすこともあるのでございます。
信頼のおける人に言われることで、がんばれる人もおられることでありましょう。
ならば、こうした人は、よき師を見つけることが、お勉強で重要な要素となってくるでしょう。
ちなみにわたくしは、前者の自得派でございます^^
お勉強とは、自身の因果をつかむことでもございます。
少し寝たらバリバリお勉強が進む人なら、帰宅後に少し寝るのもいいでしょう。
しかし、いったん寝ると朝まで起きない人なら、帰宅後のミニ睡眠は、お勉強の大敵となるでしょう。
気合を入れたら続く人もいれば、気合を入れて気負ってお勉強をするとたちまち三日坊主に終わる人もいます。
ならば、気負わない範囲でお勉強に臨むことが、その人にとっては必勝法となることでありましょう。
暗記や記憶の作業も同様でございます。憶え方というのも、実に個人差がございます。
書けば憶える人、背景や論拠をおさえることで憶える人、関連付けて憶える人、声に出して唱えて憶える人、何回も何回も見て憶える人、などなど、これまた、個々の人によって必勝のパターンが違ってくるのでございます。
自身の因果というものを発見し、実地に試していくことで、「自分の勉強」というものが、いっそう見えてくるように思います。
外に溢れるやり方や方法論、ノウハウに疲れた方は、内にある自分の因果を探り当ててくださればと存じます。

よい文房具は買い置きて

人にはそれぞれ、書き方といいますか、書き様といいますか、書くクセといいますか、字の特色があるものでございます。
人それぞれに、書き方・筆圧などがあるからこそ、筆跡鑑定と言う鑑定法があるのでありましょう。
何でもかんでも、個性に引っ付けるのは、余計に無個性になる気がしてアレなのですが、やはり、文字1つ書くにしても、「個」というものがございます。
ですから、個それぞれに、しっくりくる文房具というのがあるのでございます。
ペンなんて書ければよい、存在ではございます。
しかし、ボールペン一本にすら、合う合わないという相性が、厳然として存在しているように思います。
逆にいえば、そのくらいに、しっくり来る文房具がある、ということでございます。
しっくりというのは、書いていくうちにわかるのでございます。
数あるペンのうち、どうしても使ってしまうペンがございます。
どうしても、そのペンに手が伸びるのでございます。
わざわざ今手にしたペンを湧きに置いて、机の上をがさごそ探してまで使うペンはあるのでございます。
それこそ、意中の一本といいますか、個に適う一本といいますか、自分にあった一本なのでございます。
何をどうすれば合うかなどは、上手には言えません。
合う文房具の感じは、本当に微妙でございます。
たとえば、重さであるとか、インクの粘り・薄さというか、グリップの感じとか、意識しなければ感じないところでございます。
強いて言いますれば、重さは軽すぎず、また、重すぎることもなく、インクも自分の書く速さに合っており、握りもなじむといった感じでありましょうか。
書くときにストレスがなく、何より、字を書いていて気持ちがよいのでございます。
もしも、こうした文房具に遭遇したのなら、本当に幸運ということができましょう。
必ず、そのペンの商品名とメーカーをメモしておくべきでございます。それが出先であっても。
そして、すぐに注文すべきか、それか、買いに行くようにスケジュール表に一筆、書いておくようご助言申し上げます。
わたくし自身の身の上話ではありますが、自分に合った文房具ほど、なぜか、世の中から消えうせることが多い、という感がするからでございます。
わたくしが、(あーいいなあ、これ!)と思った文房具は、なぜか店先から消えていくのでございます。
そして、よくよく調べたら、もう生産中止になっていたりするのでございます。
こうすると、遠い日の片思いのように、何を書いていても、あのときのあの文房具が思われてならないのでございます。
文房具は、値段でもなく、メーカーでもなく、言ってしまえば、品質ですらもなく、ごくごく、自分の手と指と書き方に合うか否かでございます。
自分の合ったものが人気商品ではありませんから、今後も売られ続ける保証など、少しもないのでございます。
ですから、手の平と指とに、ピーンときた文房具につきましては、すぐさま、大量に買い置きするよう申し上げる次第でございます。
何時までも、あると思うな親と金、などと申しますが、文房具の類は、それらとは比べられる対象ではありませんけれども、それでも、合わない文房具で気持ち悪く・違和感を持ちながら書くよりも、しっくり来る文房具で書く方が、いいに決まってございます。
たかが文房具ではありますが、されど、文房具でございます。
使えばわかる、使えばわかってくる、道具の良し悪しでございます。
弘法筆を選ばずといいますが、わたくしたちは弘法大帥レベルではないのですから、よく使うものほど、よく吟味した方がよいように思います。
日常でよく使うものほど、自分に合うものをお使いくださればと存じます。ぐっと気分は変るように思います。