独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

不合格を怖がっても仕方ない

試験と運とは、切っても切れぬものがございます。

努力をすることで、運の影響はかなりのところまでは、抑えることはできます。

しかしながら、運の問題を、根絶することはできないのでございます。

どれほどに、合格間違いなしと言われた実力者が、すっぽり合格者の列から抜け落ちる現象は、実によくあることでございます。

当の本人にとってはたまらないでしょうが、試験では、それこそ日常的な現象です。

1回の試験に、まあ、数百人、数千人単位の規模で、アララという感じで落ちた方が、おられることでしょう。

しかし、考えてもみれば、試験というのは、落ちるものでございます。

なんたって、通る人のほうが少ないのでございます。

合格率が5%ならば、なんとまあ、95%もの人が落ちてしまうのでございます。

倍率は、20倍!でございます。

以前は、大学や高校の高い倍率というのがよく耳目を引きましたが、なんてことはない、それらの試験は1人で何校・何学部も受けますが、相対的に見た目だけの高競争が行なわれているに過ぎません。

しかし、資格試験の倍率は、重複する人がおりませんから、すべて、ガチの真っ正直な数字でございます。

先の5%の試験で、5000人が受けたならば、合格者は250人、不合格者は4750人。

完全確率抽選方式であれば、大概の人は落ちるわけでございます。

試験勉強といいますのは、言い換えますなら、落ちるものをいかにして落ちないかを競う作業、ということができるかと存じます。

落ちてしまうのが、そもそも、なのでございます。

世には、合格者の談が溢れてございます。このため、世の中には、合格者の方が多いという感じがして参ります。

しかし、なのでございます。敗軍の将、兵を語らずと申します。サイレントマジョリティと申します。

語られない声の方が多いのが、現実なのでございます。

まあ、声も高々と自分が落ちたことを喧伝するような人は、よほどの目立ちたがりか、マゾなのでありましょう。あまりお付き合いしたくありませんね。

不幸にも、不合格となってしまっても、試験とは落ちやすいものだという、試験の前提を、忘れないで欲しく思います。

つまり、それほどに自分を責めるな、といった次第でございます。

自分の持てる力をすべて振り絞り、努力の上に努力を重ね、工夫の上に工夫をしたのにもかかわらず、結果がダメであることは、やはり、あるのでございます。

たまたま、強烈にできる人が受験生に勢ぞろいした、なんてこともございます。

たまたま、他の受験生が適当に答えた問題で正解して、それで合格ラインに入った、何てこともございます。

繰り返しとなりますが、やっぱりこういうことは必ずあるもので、そこそこの反省と失敗の分析を行なったなら、さっさと過去のことは水に流してしまうことを、ご進言する次第でございます。

もう一度やりたいのか!

お勉強が嫌になってきたら、こう唱えるとようございます。

また、お勉強への緊張が緩んできたら、以下のように唱えるとようございます。

またまた、やる気はあるんだけど、身体が机に向かないときにも、唱えるとようございます。

『もう一度、やりたいの?』と。

こんなことを、もう一度やりたいのかと、新ためてお考えくださればと存じます。

想像力を、働かせてくださいませ。

無味乾燥なテキストを来年の今も読むの?

そのまえに、改訂版を買わないといけないかもね。

また、○○千円飛んでいくことになるね、もったいない。欲しかったアレは買えるし、やりたかったアレもできるよね…。

もっともっと、リアルにイメージしてみましょう。

…好き勝手に問うてくる問題集を、またやるの?

ホント、何言ってんだろうね、この人たちは。

おめえ達はよく知ってるからそういえるけどさ、こっちは知らんのよ。

手元にはなんだ、資料やら法令やらがあるからさ、そんな風に言えるけど、何にもない空手でやってごらんよ。できねえからさ。

もっともっと、リアルにイメージをば。

こんな本にさ、もう1年付き合うだけの価値はある?もっとほかに付き合うべき本、人はあるんでないかい?!

過去問はさー、まあ、買い替えはしなくていいかもだけど、ま、もう一度「やる」のは、時間の無駄だよね…。

もっとイメージは膨らませることができるように思います。

お勉強の個々についても、お考えください。

電話帳並の厚さの過去問を、またやる?ホント好きね。

っていうか、自分がなにが好きだったのかも、忘れそうだよね。

暗記の作業はめんどいなあ。またメモ(カード)にするのか。電車の中で憶えなおしか。

…などなど、様々に想像ができるように存じます。

不幸にも落ちた後で、発奮しても全く意味はないのでございます。

不合格になる前に発奮して、がんばらないといけないのでございます。

不合格になってから、気合を入れるのでは遅すぎるのでございます。

本試験が来る前の、いまこの1時間と、今日1日は、とても意味があるのでございます。

試験後には、正確にいうと、合格後はいくらでも、のん気にできるのでございます。

時間の価値をいま一度、計り直してくださればと存じます。

もう一度、同じ事をしたくないと心から思えば、幾ばくかの力も湧いてきます。

そこから少しでもやれば、心はスッキリ致しますし、それが、新たな力が生まれる源泉ともなります。

サボるのは先にいくらでもできるのですから、今このときを踏ん張って、お励みくださればと存じます。

『もう一度やりたい?』と自身に問うことで、強烈な活を入れてくださればと存じます。

予習

独学で最も重要な作業は、いわずもがな、復習でございます。

復習せずして合格できるなかれ、といえるくらいに、復習は重要な作業でございます。

この点、お忘れなきよう、ご留意くださればと存じます。

さて、復習とはもう1つ、「習」の名のつくものがございます。

そう、タイトルにありますように、予習でございます。

さて、この予習はどうしたらいいか、が本日のススメでございます。

まず、重要度から申しますと、復習のほうが大事でございます。

1時間という限られた時間しかないのであれば、やるべきは、圧倒的に復習でございます。

極言すれば、予習などしなくてもよい、ということができます。つまり、予習をする時間があるなら、復習をせよ、というわけでございます。

しかし、じゃあといってはなんですが、予習は全く無意味なのかといいますと、そうでもありません。

やるべきことを、先取りできるという点につきましては、実に効のある作業でございます。

まず、先にやってしまうことで、調子付きます。本学習の際には、既視感がございますから、進み具合は多少良くなるものでございます。

そして、すっきり感がございます。

少しでも、先のことをやると、心のモヤモヤが晴れるといいますか、予習をして先に何をするのかを把握するだけ、殊の外、すっとするものでございます。

また、予習の分量もよきものがございます。

予習といいますのは、ほんの、ではありますが、数ページ・数問程度を行なうものでございます。

しかし、このちょっとしたことが、お勉強の「量」のアップに通じるのでございます。

数ページ・数問を余分にやることで、それがあとあとで、時間あたりの勉強量の増加になっていく次第でございます。

こうした「量」のアップがいい経験となって、今後の勉強量の増加につながっていくのでございます。

このように、予習は悪くはない作業ではございます。

時間に余裕がある人は、予習の機会を設けて、次に勉強することを前もってやっておくのはよろしいように存じます。

しかし、やはり、お勉強におきましては、復習のほうが大切だといわざるを得ません。

復習をやって、日々のお勉強を済ませ、そしてなお、余力と時間があるのでしたら、予習というプラスを行なってくださればと存じます。

逆を言えば、予習が、復習や日々の勉強の支障になっているならするな、といった次第でございます。

まず、第1に復習を、次に日々のお勉強を、最後が予習、でございます。