独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

積極果断に寝ましょう

寝ることは、独学のコツの1つでございます。

結論から申しましと、何もする気が出ないときは、特に何にもせず、そして、なんら奮起も期せず、さっくり寝巻きに着替えて寝ることを推奨するものでございます。

寝るより楽はなかりけり、でございます。

病気になると寝るのは、寝る状態が一番身体が楽で、負担がかからないからでありましょう。

一眠りすれば、身体の疲れはだいぶ取れるのも、寝転んだ状態がそれだけ負担が少ないからでございます。

何ともやる気の出ない、湿り気のある状態よりかは、一眠りでもして、しゃっきりぽんとした心の状態でお勉強をしたほうがいいのは、言うまでもございません。

いったん寝て、疲労やモヤモヤを取って、それからお勉強に着手するというのも、「手」なのでございます。

寝ることが、即サボるわけではないのでございます。

そして、もっと積極的な理由として、へろへろした状態でお勉強をしたとしても、少しも調子は上がらないことが挙げられます。

気分が優れなかったり、テンションが落ちていてお勉強をする気がないときに、無理やり勉強しようとしても、やはり、できないときが多いのでございます。

それどころか、ますますテンションは下がって、イライラが積もるばかりでございます。

結局、ゼロ勉強になるのが落ちですので、いっそのこと、止めて寝たほうがよいのでございます。

また、気が座らない状態でお勉強をしても、つまらないことで要らぬミスをして、更なるイライラが増すものでございます。

ならば、きっぱり床に就き、翌日の朝にでもスッキリした状態でやった方が遥かによいわけでございます。

今日のやる分や、計画の遅れが気になるかもしれませんが、できる状態じゃないのにやっても進まないのが現実。

お勉強が1つも進まないときは、寝るのが1番の処方箋のように存じます。

掃除をすればやることが

独学でのお勉強が続きますと、時折、何とも変な状態に陥るものでございます。

元気ではある。どちらかといえば、健康ではある。

もちろん、病気ではない。

頭がズキズキするわけでもなく、おなかがシクシクするわけでもない。

疲れてもいない。

ふとんに入ると、気絶するように寝ることもない。

何か心を塞ぐようなことがあるわけでもない。

別段に変ではないが、何とも気だるく、ぼんやりしてしまうのでございます。

長いお勉強期間でございます。

お勉強やれないことはないが、さりとて、やる気の出ないときがあることを、お見知りおきくださればと存じます。

こうした、どっちつかずの変な状態の際は、お掃除をお勧めするものでございます。

この掃除は、決して大がかりなものではありません。

次の日に支障が出てしまいますから、身の回りをざっと掃除、整理整頓するくらいでございます。

ただ、普段はいじらないところに、手を付ける次第でございます。

机の下や裏っ側、いつもはあけない引き出しや戸棚、トレイ、箱を点検いたします。

必ずや、使わなくなった道具類、使えなくなった文具類を発見するかと思います。

ひとまず、それら不用品・準不用品の類を、ざっくり整理するのでございます。

これで、多少の心の余裕が生まれるように思います。

次いで、古いメモやノート、書き切れ端などを見出すかと存じます。

それらも、ざっくりと捨てていきます。おそらく、今となってはほとんど意味のないものが大半であるかと存じます。

そして、ほこりが積もっているものがあれば、化学雑巾か科学はたきで拭います。

目にも「ほこり」があるものでございます。

古いものや不用品で視野が占められ、ほこりで視界がくすんでいるからこそ、物が見えてこないのでございます。

身の回りの物々のほこりを拭っているうちに、やるべきことが見えて来るように存じます。

フェレンギ人のバイブル64〜65

『67. どんなに十分でも、十分過ぎることはない。』

まずは、目の前のことに手を抜かないこと。

目の前のことを十分にやる。しっかりやる。とことんやる。

他者や他社、他の店がどうであれ、自分が大事だと思うことはやる。

しかし、それだけでは、十分でないのだ。

わたしたちの世界は、2〜3の「それ」さえすればうまくいくような、単純なものじゃあない。

品質がとことんよくても、パッケージがよくないと売れない。

もちろんだが、パッケージが良くても、品質がいまいちだと次はない。

品質・パッケージがともによくとも、販売のチャネルや売り方が悪いと、もちろん売れない。

ある特定の何かが飛び抜けていても、他の何かが良くないのなら、売れはしないのだ。

十分だと思うことがあるだろうが、常にそれとは違う点から、調べてみるべきである。

どこぞ大穴があるものである。

味もよく、接客態度もいい。メニューもよく練られている。コンセプトもいい。けれども、いまいち客足が定着しないお店があった。

その理由は、ゴミを店の前に出していたからだった。

そら、ご飯を食べようとする客に生ゴミ袋を見せたら退散する。

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『68. 同情は金の代りにはならない。』

 逆を言うなら、同情はしても、情に流された金は出すな、ということである。

同情やいたわりの言は、いくらでも見せることができる。それは、タダだから。

大人になるほど、コストをかけずにそういうことができる。最たるものが政治家である。

泣き落としという、昔からある手法である。生業にするプロもいる、泣き付き屋という。

下手に関わらないのが、処世の知恵である。

しかし、逆に、自分がとことんまで落ち込んでいたり、失敗してズンドコになっているときに、飲み物や食べ物を差し入れてくれたり、どこぞに連れていってくれたり、ときには資金援助もしてくれる人には、感謝をすべきである。

本当に底まで落ちて、信用も金も力も失っている人に、お金をかけてくれる人は、そうそうにいない。

そういう人には、信じるだけの価値があるように思われる。

ただ、間違ってはいけないのは、自腹を切っているかどうかである。

経費で落とす人もいるので、そのあたりは注意深い観察力がいる。

何もしてくれない人や無視する人に比べたら、経費とはいえ、お金を出してくれるのは、とてもありがたい。

しかし、最大限の信用を置くことはできないだろう。

自腹を切るかどうかは、人を判断する際の主要なテーマである。