独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

保険で、無駄じゃない

ぎりぎりのところで受かるのは、良くも悪くもありません。

受験生が多く固まるのは、合格ボーダーの前後3点でございます。

ですから、どうしても、首の皮一枚つながった状態のぎりぎりで受かる人のほうが多いのでございます。

 しかし、注意すべきは、最初からギリギリで合格しようとする、省エネの勉強でございます。

それは、通用いたしません。

合格点が60点のところ、80点で合格したと致しましょう。

理想を言うならば、80点取るくらいの勉強をするよりも、60点くらいが取れる質・量のお勉強をして、浮いた分は、お勉強以外の他のことをすればよいと相なります。

しかし、それは理想でしかありません。もっというなら、危険すぎるというのが、わたくしの率直な感想でございます。

差の20点は無駄だったのかといいますと、全くをもって、無駄ではありません。

この20点分の得点は、保険であったからでございます。

併せて、もしも、その試験にて、試験問題の大幅な変更があったとしたら、と仮定してみてください。

大変化があったとき、この20点分の余計とも見える勉強が、どう影響するかなのでございます。

おそらく、ギリギリ60点しか取らない勉強をしてきた人は、大幅な試験問題の変化についていけず、惨敗することでありましょう。

60点を狙いうるような勉強というのは、従来型の出題を前提とするからこそ、可能となるからでございます。

対して、20点、余計に勉強をしてきた人は、この余計な20点分の勉強の中から、数点は引き出せる可能性がございます。

そうしますと、どう転ぶかわからなくなるのでございます。おそらくは、この追加的な数点が、合格圏に入らせるような気がしてならないのでございます。

たくさん勉強することは、決して損ではないことをお見知りおきくださればと存じます。

それは、保険をかけているのでございます。

当たり前の事ですが、お勉強をやればやるほど、合格は確実なものとなって参ります。

ここまでやるのは無駄だなとなどと思わず、本試験のその日まではお励みくださればと存じます。

結果として、ギリギリ合格するのは結構でございます。

ギリギリ合格だからといって肩身の狭い思いはせずとも結構です。

ただ、最初からギリギリで合格しようとするのは、危険で、リスク大きいので、止めるようご助言する次第でございます。

そんなところで省エネしても、もう1年の、再勉強・再受験ともなれば、「省」したことなど吹っ飛びます。

そっちの方が損なのはいうまでもございません。

近道でより失敗する

避けられない運命ならば、甘受する・受け入れるべきでございます。

お勉強が嫌なら嫌で、止めてしまえばいいのでございます。

しかし、合格するには、どうしたってしなくてはなりません。

仕方のないことをグダグダ考えても、それでその仕方なしが変るわけでもありません。

ぐずぐずしていたら、やるべきことが蒸発するわけでも、どこかにいくわけでも、やらなくてよくなるわけでもありません。

ならば、さっさとやるべきことはやってしまいましょう。

これから、100時間超、連続してやるというわけでもないのでございます。

やったとしても、2、3時間というごく短い時間でございます。

ですから、ぐずぐずしないで、さっくりとやってしまえばいいのでございます。

理解や記憶は、実はあとから付いてきますので、できる・できないは別にして、まあ、とりあえずやっちまうことを、ご助言する次第でございます。

仕方がないからやる、ただそれだけの話しでございます。

これが、です。

仕方がないのに、やらずに済ませようとしたり、楽にできないか?とズルをしようとするから、話は余計にややこしくなるのでございます。

そして、問題の解決からどんどんと離れてしまうのでございます。

わたくしの経験からすると、楽をしようと近道にいったら、藪にヘビ、蜘蛛の巣べたべた、木の根で転倒、蛭はチュウチュウ等、ヒドイ目に遭うことが多々ありました。

結局、正攻法を採っていれば、今はもうやらずに済んだということも、多々ございました。

下手に近道モドキに進むと、だいたいは迷ってしまい、そして、迷うと余計にしんどい思いを致します。

過度に期待する分だけ、落差があるからでございます。そして、元の道に戻るという要らぬ手間が発生するからでございます。

お勉強に近道なし、でございます。そういう近道モドキが視界に入っても、堪えることをお勧めいたします。

まあ、そんなうまい話はありませんでしたよ。。。

フェレンギ人のバイブル64〜66

『64. 店(shop)の話はするな。買い物(shopping)の話をしろ。』

人は店の内装で買わない。 

よく、お店のインテリアや什器類の品質等々が、店の個性で取り沙汰されることがあるが、それらは特に何でもない。

それらがあるから、売れているわけではない。

お客様は、衛生的なこと以外は、本当に無頓着である。というか、自分の買い物に絡むこと意外は、全然憶えていない。

ゴミが落ちていたり、掃除ができてなかったりすれば客足は遠のくかもしれない。

ヤダナと思って、来なくなる人はいるかもしれない。

しかし、そのお店の商品が際立って安かったり、品質が良ければ、必ず再びやって来るのが多数である。

店云々は問題ではない。あってもすぐに片付く。

問題は、どのような場所で、何を取り扱い、どの時間帯に、何がどう売れているか、である。

枝葉末節なことには、目を瞑るべし。何が買われて、何が売られているのか、だけである。

わたしたち客の立場の者は、内装に目が行くようなら、そこで出されるものや商品によくよく視線を注ぐべきである。

何かから目を逸らすために、念入りの内装をすることが、十分過ぎるほどに考えられる。

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『65. 船(ship)の話はするな。送料(shipping)の話をしろ。』

配送業者など、お客様にとってはどうでもいいし、どこでもいい。

ビンや食品など、輸送方法が商品に甚大な影響を及ぼすなら熟慮が必要だが、そうでないなら、ぶっちゃけ、どうでもいい。

どんな梱包資材で送られようが、どの輸送業者だろうが、それ以上に、送料の額だけが問題なのである。

お客様にとっては、送料はいくらか、単純に安く届けばいい、のみに関心がある。タダならなおよい。

送料の問題は実に根深く、心理の問題でもある。

「送料」があるがために、検索サイトを巡り巡って、ようやく辿り着いたその商品が欲しいなあと思っても、送料があると、すうっと気持ちまで冷え切ってしまうのである。

お客様にとって、最初に買うときは、品物もお店もよくは知らないから、不安である。不安なら財布の紐は硬く閉ざされてしまう。

1万円が7980円に、7980円が4980円に。10個(本)が7(本)に、7(本)が2本に、といった塩梅である。

データを調べてみて、商品に自信のあるお店や、リピーターの多い商品を扱っているお店は、最初に利用してくれるお客様、つまり新規のお客様には、送料分を省くのも「あり」である。

初回送料無料にして、それ以降は、○○円以上は無料、とするのもあり、のように思われる。

もちろん、きっちりとフォローや営業をかけるのは言うまでもない。

損益分岐点が許すのであれば、「送料」というお客様方の重石を取り外してしまうのも、よいように思われる。

わたしたち「客」の立場の者は、送料で店側のサービスを垣間見ることができるのである。 

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『66. 艦隊では、気違いは辞めることが出来る。だけど、辞めたがってる奴はまともか、強要されてるかどっちかだ。』

正直、よくわからない。