独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

好物の写真を貼っとけ

試験勉強で問題なのは、やはり、やる気でございます。

どうにもこうにもやる気が出ないときは、原始的な欲求から刺激するのがよろしいように存じます。

その欲求とは、やっぱり、食欲でございましょう。

とはいえ、お勉強中にバクバクと食事をするわけにも参りません。

ですから、タイトルにあるように、好きな食べ物の写真を貼っておくことをお勧め致します。

単に写真を貼るというだけでも、食欲感といいましょうか、結構な満足があるのでございます。

やる気を出すという点では、家族の写真、または恋人の写真に劣るものがございます。

しかし、好物の写真も、それらと双璧を為すくらいのパワーを持っているのでございます。

前者の、家族や恋人の写真は踏ん張る力を与えます。

あともうちっとやろう!という気が起きるのでございます。

そして、後者の好物の写真は、先へ進む力、それも、ダンプカー並に前進する力を与えるものでございます。

わらじのように分厚い肉に、溶けたバターが載っている。赤ワイン。

大皿いっぱいの刺身。薄く切られて食べられるのを待つばかりのふぐの写真。日本酒。

桶ぎっしりの、鮮度マックシングの寿司。そして、ビール。

いい具合に冷えている大吟醸酒とクリームケーキ。

茶碗になみなみと注がれた焼酎。炒っただけの豆。それか、塩。それか、焼き味噌。

「そういう物を食べるために、飲むために、がんばっているんだ!」とか、「合格したら、食べるし飲むぜ!」といった風に思うことができれば、腹の底からむくむくと、やる気が搾り出されるように存じます。

発奮する一材料として、好物の写真を貼ることを推奨するものでございます。

いちいち写真を撮るのが面倒な方は、行きたい店の切り抜きでも、張っておくとようございます。 

または料理の本をカラーコピーして、貼るのも良いかと存じます。

雄は眠れず雌は熟睡

上野動物園に、新しくパンダがやって参りました。

子ども達の喜ぶ顔が目に浮かんで、実にほほえましく思います。

おそらく、10年後、20年後に、「意外にパンダって臭いよね」てな感じの思い出となることでありましょう。

さてさて、パンダが到着したときのニュースの見出しに、「雄は眠れず雌は熟睡」とございました。

オスのパンダは新しい環境に警戒の目を緩めず起きていたが、メスのパンダはグウスカと寝ていた、といった次第でございます。

まるで神経質な雄、図太い雌といった表現で、とてもよくオスとメスの真実を照らしているように考える次第でございます。

しかし、なのでございます。

もしも、子どもパンダがいたなら、メスパンダは寝なかったことでありましょう。夜通しで新しい環境が安全かどうか、警戒の上に警戒したことでありましょう。

もしかしたら、このメスパンダは、オスのパンダが身近にいてくれたからこそ、熟睡できたかもしれないわけでございます。

一匹だけでぽつねんとしていたならば、どうなっていたか、というわけでございます。おそらくは、不安と恐怖で眠れなかったことでしょう。

片方のオスパンダだって、傍らのメスのパンダがいなかったら寝たかもしれません。

ええかっこをしたいから、メスの気を引かすために、そんなことをしたとも、考えられるわけでございます。

こんな風に、いろいろと考えられるものなのでございます。

前提となっていることや、条件、環境といったものを、少しずらして考えてみると、意外なものが見えて参ります。

同じようなことを同じようにしなくてはならない、お勉強だからこそ、常に違った風に、異なる点からお眺めくださればと思います

不意の、今までにない発見や解釈が、お勉強のやる気をかき立てることを、明記しておきたく存じます。

難しく考えるな!って

タイトルの「難しく考えるな!」の後には、「そっちのほうがうまくいくんだ」と続きます。

なかなかに、含蓄のある言でございます。

お勉強といいますのは、新しいことを知ることでございます。そして、新しく何かを憶えていく作業でございます。

試験勉強の最初の方では、考えるどころの話ではありません。

というのも、知識や記憶が不足しているために、上手に考えられないからでございます。

それに、試験に関する事項についての用語や語句にも慣れておりませんので、上手に思考を組み立てることができません。

ですから、いうなれば、ごく率直に、単純に、シンプルに目の前のことを捉えざるを得ないわけで、それが結果的に、上手に考えていることになっているわけなのでございます。

しかし、お勉強が進んで、実力が付き、相応の知識が蓄えられてまいりますと、暗雲が立ち込めてくるのでございます。

そう、知識や記憶、語句や用語が充実してきたために、より深く、より複雑に、より多面的に考えられるようになってしまうのでございます。

ですから、どうにも試験に出ないから無視してよいことや、ほっときゃいいことに拘泥しだすのでございます。

難しいから後でやればいいのに、「考えられる」がゆえに、考え始めてしまうのでございます。

このあたりの塩梅を、憶えていてほしく存じます。

知っているが故に、考えられるがゆえに、下手を打ってしまうことは多々ございます。

難しく考えることは、上手に考えることではありません。

単に、時間と労力を失い、神経をすり減らすくらいで終わるだけの、下手な考えにいたることもございます。

難しく考え始めたら、本当にその考える対象は、考えるだけの価値があるのか、お調べくださればと存じます。