独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

おいしい病気・花粉症

花粉症といいますのは、見方を変えますと、おいしい病気なのでございます。

見方というのは、たとえば、医者側・治療側・薬屋側・製薬側でございます。

まず、花粉症で、人は死にません。

また、花粉症になったら、ホニャララの薬を飲まないと死ぬ、重病になる、なんてことはありません。

このあたり、花粉症薬というのは、人の生き死にを司るその他の薬と比べたら、非常に気楽なものでございます。

気楽に作って売れるからこそ、各メーカーがこぞって販売・広告するわけでございます。

そして、花粉症といいますのは、重篤化しません。

わたくし、風邪をこじらせて大変な目に遭ったことはありますが、花粉症では、この云十年、例年通りの洟水、くしゃみ、目の痒み、口の中の奥上顎が、「がゆい」くらいしか、身に起きていません。

ほんと、小学生時分と、花粉症で起きていることは変わってないのでございます。

そして、花粉症は、ほっといても、何の治療行為をしなくても、時期が来れば治ります。

正確に言うなら、花粉症の諸症例が出なくなるわけでございます。

花粉症は、スギの花粉が原因といわれておりますが、スギも毎日毎日ずっと発情しているわけでなく、時期が来れば納まります。

花粉が納まれば、自然に花粉症も治まるわけでございます。

これは、医者側・治療側・薬屋側・製薬側からすれば、天国でありましょう。

だって、何もせずとも、時期が来ればほぼ確定的に治るわけですから、気楽なこと、この上ありません。

上記3点から、見方を変えれば、花粉症は実に「おいしい」病気であることがお分かりいただければと存じます。

だから、無理やりに洟水やくしゃみを止める薬を飲んで、下手に副作用に見舞われるほうが、損であるかと存じます。

薬というのは、効けば効くほど、副作用がございます。大事な会議がある、プレゼンがある、デートがあるなど、よほどのことがない限り、飲まない方がよいでしょう。

花粉症で死ぬことはそうありませんが、花粉症の薬を飲んで頭がぼんやりして事故ってしまうなんてことは、おそらく、数多くあるのではないかと存じます。

知性的で、あっと驚くカンニングをしてくださいよ

19歳の予備校生が試験中に携帯を使ってカンニングをした、なんてことだ!と大騒ぎしていたら、今度は沖縄県警の警察学校の生徒である巡査達が、卒業試験の問題を盗み見する始末。

あらら、という感じでございます。

わたくしが驚くのは、カンニングそのものの行為ではなく、カンニングをした人の倫理観や品格のなさではありません。

驚くのは、なにゆえに、それほど杜撰なカンニングをするのか、という点でございます。

カンニングの真相が明らかになるにつれて、「馬鹿じゃねえの」としか思えないのが、上記2件のカンニング事件の顛末でございます。

皆様方におきましては、一度、科挙の試験の本を読むことをお勧めいたします。

科挙の歴史とは、カンニングの歴史でもございます。

大昔の科挙の試験問題など、誰も話題にしませんが、事がカンニングに到りますと、現代においても、実に豊かな話の種になるのでございます。

テキストの内容が書かれたびっしり肌着・下着・帯。

着物の模様に紛れるように書かれた語句や用語。

うっすらと筆に掘られた論語の文言。

「すずり」かなと思ったら教科書だった。

髪をしばる布にあれやこれやの文字・熟語。

工芸品クラスのカンニングペーパー。

昔の人は、熱心に、熱意をもって、カンニングをしようと工夫に工夫を重ねたのでございます。

しかしながら、上記2件のカンニングは、何たるずさんで、低能で、幼稚なカンニングでありましょうか。

反吐が出るのは、彼らのつまらなすぎる、下らぬ、卑しい幼稚な人間性を垣間見るからでございます。

最新のIT器具を駆使し、練りに練ったカンニングであれば、ここまで騒がれなかったように思います。

怪盗小説・探偵小説なみのあっと驚くカンニングなら、学校の管理の甘さのほうを批判したことでしょう。

少なくとも、わたくしたちの受け取り方は、大きく違ってきたはずでございます。

試験あればカンニングあり、チート行為あり、でございます。

社会に出れば、試験のような手続きで物が進むところなど、ほとんどありません。

「技」というものは、盗むものでございます。書も絵も彫刻も、仕事のやり方、電話のかけ方、手紙の効果的な出し方、礼状のタイミングなどなど、全部、仕事のできる人のやり方のパクリでございます。

技術など、パクリ上等の世界でございます。マツシタ・マネシタ・ダメでしたの世界でございます。

カンニングの行為は、許されません。わたしが同じ受験生だったら、許しませんし、たまったものではありません。

が、やりようはあるだろう、という気が致します。

せめて、やるからには、探偵小説・怪盗小説のトリック並みに、手をかけたカンニングをしていただきたく存じます。

「そこまでするくらいなら、まじめに試験勉強をしたほうがいいんでないかい」

「その努力と熱意を勉強に」

「まじめにやったほうが、はやいような気もする」

と、わたしたちを感心もさせ、呆気に取るくらいのカンニングをする、知性と実行力とを、今後のカンニング犯に望むものでございます。

過剰な自粛が不況を呼ぶ

結論から申しますと、被災に遭っていないのであれば、過剰に自粛する理由はありません。

もっと言うならば、自粛してはいけない、努めて萎縮してはならないように思います。

各地で祭りや催しごとの取り止め・延期がされているようですが、全くの誤りでございます。

こういうときだからこそ、遊ばねばならないのでございます。

これは、とても大事なことでございます。

というのも、被災に遭ってもいない人まで、日々の経済活動が鈍ると、共倒れになってしまうからでございます。

先のススメでも申しておりますし、個々の経済評論家の方々も述べられているように、今、このときに萎縮して経済が停滞すると、余計に、被災地の復興は遅れるのでございます。

確かに、東北地方太平洋沖地震のこと、被災地と被災者の方々、福島原発のこと、福島・群馬・栃木・千葉・宮城の農家・酪農家・漁師の方々のことを考えますと、どうにも痛ましい気持ちが沸き起こるのが人情でございます。

しかし、なのでございます。

そこで、萎縮してしまうのは、全くの反対なのでございます。

ニュースで、百貨店の前年同月比の売上がざっと平均して15%以上も落ち込みました。

新車の売上は、なんと、35%も落ち込みました。由々しき事態でございます。

確かに、大震災の直後の混沌とした状況と、計画停電の煽りもあって、売上が落ちるのは、仕方のない面もございます。

しかし、今後は、こうした萎縮が、日本経済全体の足かせになることを、一人一人が意識すべきかと存じます。

日本の経済は、内需型経済でありまして、GDPの4?5割が内需で動いてございます。

輸出以上に、内需の方が大事なのでございます。内需とは、とどのつまり、わたくしたちが日々使っているお金の総額でございます。わたしたちがお金を使うからこそ、回りまわって企業の設備投資の呼び水となるのでございます。

設備投資が順調そうなら、銀行がしぶしぶカネを貸し始めるのでございます。

今後も皆がお金を使わないようになると、いっそう、デフレ不況が進行致します。

こういうとアレですが、今後、東北地方の被災地の復興のみならず、各地で、津波・地震対策の事業が展開されて参ります。

まず、小中学校の耐震化が進みます。防災用物資の備蓄も進むことでしょう。

巨大な需要でございます。巨額のお金が動き始めます。

有効需要が少なくて、多くの資金が国債に還流していた事態は、今後、大きく変化するように思います。

しかし、それには、予算が組まれ、予算が按分されるまでのタイムラグがございます。そこまでに、経済の大底が抜けてしまえば、元も子もありません。

今このときが、10年以上の長きに続いたデフレ不況の脱却点になるかもしれないのでございます。

大震災によって仕事そのものが流れた人・家計もたくさんあるでしょうが、おそらく、需要はおいおいと戻っていきます。

そして、多分、震災前より大きな額が戻ってくるでしょう。

しゅんとしていたら景気が良くなるわけでなし、被災地が復興するわけでもなし。

その不活動ぶりが、いっそう内需を損なわせ、被災地の復興を邪魔しているとお考えくださればと存じます。

わたしは、月初めなので、さっそく、いつもより大目の、肉3キロを買ってきました。じゃんじゃん食べる予定です。

今こそ、お金を使うときでございます。

今財布の紐を締めるのは、回りまわって自分の首を絞めていると、ご認識を改めくださればと存じます。

車を買い換えようと思っていたなら躊躇はせず、春物が欲しいのであればいまこそ、お召しくださればと存じます。

こういうとアレですが、「被災地のため」との錦の御旗で、消費活動にお励みくださればと存じます。きっと無駄遣いも許してくれるでしょう。