独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

原発が沈静するまで拭き掃除

福島の原発事故が、最悪のレベル7に評価されました。

遅すぎるくらいだと、個人的には思いますが、各自、被曝対策を執るべきかと存じます。

震災後、1ヵ月経っても、いまだに原発からは放射能が漏れ続けております。

放射線の量は減ったとはいえ、わたしたちは確実に被曝することになります。

わたくしが調べてわかったことは、放射線は、「足し算」で考えなければならないことでございます。

日中の放射線濃度の数字よりも、これまで、つまり3月11日から今日までの、総放射線量を足し算しなければならないのでございます。

うちのところでは、今日の濃度の数字は低いから大丈夫、ではないのでございます。

また、福島から遠いところであっても、原発の放射能漏れが長期化している以上、注意が必要でございます。

放射性物質は、花粉のような粒子であって、物資の流れ、人の流れによって、確実に飛んでくると考えてよろしいかと存じます。

福島近県の方は、それなりの対策をされているかと思いますが、遠いから大丈夫というわけでもないので、注意が必要かと存じます。

特に、子どもさんがおられる方は、原発が沈静化するまでは、拭き掃除を徹底してほしく存じます。

放射性物質というのは粒子であって、重力に引かれて、地面に、床に堆積していくからでございます。

つまり、放射性濃度は、地面に近いほうが高くなる、という次第でございます。

よく、空中の放射能濃度が公表されておりますが、それは、地面より高いところの数字であることを、決して忘れてはいけません。

ガイガーカウンターは、地面に置くと、空中の数値と比べ、かなり高くなります。

それは、地面に放射性物質が堆積している証でございます。

家においても、事情は同じでございます。床に近づくにつれて、放射線の濃度は高くなるわけでございます。

放射性物質は、花粉や黄砂のように考えると、対策が見えてきます。

つまり、人の動きによって身体に付着した放射性物質は、外から家の中についてきて、床の上に落ちていく、といった次第でございます。

子どもというのは身長が低く、背の高い大人と比べて、相対的に高い濃度の放射性物質を吸うことになります。赤ちゃんなど、床の上を這いますから、より多く吸い込んでしまうでしょう。

だからこその、拭き掃除でございます。

小さな子どものいるご家庭では、原発から放射性物質が漏れなくなるまでは、過度に神経質になっても良いかと思います。

掃除機を使うと空中に舞ってしまうので、クイックルワイパーなどの、お手軽拭き掃除道具で、小まめに床を拭くべきかと存じます。

公表されているデータにおいては、放射能漏れは大人以上に、子ども達に特に大きな影響を与えることを示しております。

わたくしたちは、子ども達のために、できることはすべて、すべきかと存じます。

国や政府は子どもを守らない:文部科学省が児童生徒の年間被曝許容量を20ミリ・シーベルトまで許容することを検討

文部科学省が児童生徒の年間被曝許容量を20ミリ・シーベルトまで許容することを検討中、とのことでございます。

衝撃を受けましたので、一筆、啓上したく存じます。

統一地方選があったとはいえ、このことについては、トップ級のニュースであると思います。

しかし、何故かベタ記事でございます。

当初、わたくしは、何を言っているのかわかりませんでした。しかし、調べますとどうも、本気のようでございます。

この記事に接して、わたくしは、国や政府は子どもを守らないことが、完全に、はっきりとわかりました。

今のところ、確実にわかっているのは、「放射線は子どもの健康に大きな影響を及ぼす」ということでございます。

チェルノブイリの事故の後で、児童の甲状腺ガンの発症数が見られたので、「因果関係」があるいわれるようになったのでございます。

他のガンはどうなのか、これは沈黙しております。「因果関係」がわからないから、でございます。

専門家としてむやみやたらのことは言えないのでしょうが、放射線が遺伝子を傷つける以上は、ガンの発症率は高くなっていて然るべきでありましょう。

そう考えるのが、常識でございます。

調べましたところ、1年あたりの被曝許容量20ミリ・シーベルトというのは、成年男性の原発作業者の被曝限度量です。

この20ミリ・シーベルトという数字は、男性の原発作業者が、常に作業時に浴びる放射線の量を測定・記録し、健康診断を欠かさず、そして、原発作業に従事することを認めた人だからこそ、許容される数字でございます。

(参考ページ:http://takedanet.com/2011/04/post-2cdd.html

子どもの被曝量を、誰が、どの機関が、どの責任で、どういう仕組みで管理するのでしょうか。

全くの、無策と無法でございます。満天下の児童虐待でございます。

子どもは、逃げられないでしょうが。アホじゃないのか、と満腔の怒りで一杯でございます。

どうぞ、福島県をはじめ、風向きによっては放射性物質が飛んでくるところにご在住の方は、この1年は学校を休ませるか、県外に住まわせ転校させる、おじいさんやおばあさん、親戚や親類縁者の住んでいるところに、住民票を移すなどして、ご自衛くださればと存じます。

1年もすれば、原発の落ち着いてはいるでしょう。もっと、状況は見えやすくなります。

1年くらい、学校に行かなくても、その分など後でいくらでも取り戻せます。わたくしは、取り戻せないことの方を恐ろしく思います。

政府発表や行政機関発表の情報をうのみにしないよう、お願い申し上げます。

本当に、特に今回の件は、発表の時期が微妙というか、地方選の選挙報道に紛れるようにして行われたきらいもあり、怒り沸騰でございます。

福島県の学校関係者は、良心があるのなら、閉校してほしく思います。

以下のような、最悪な言い訳の循環をしてほしくありません。

10年後・・・

学校関係者・教育委員会は、政府が安全と言ったからといい、政府が責に問われたなら、文部科学省が安全だいったからといい、文部科学省が詰問されれば、原子力安全保安院がいいと言ったからといい、院は、国際何たら機関のデータをもとにしたといい、そして、マスコミが大騒ぎして、「絶対安全だと信じていた、申し訳ない」といって頭を下げるのでしょう。

謝ることなど、発症してからは遅いのでございます。また悲劇を繰り返すつもりなのでしょうか??

だれの責任が特定されるまで、数十年かけて裁判をするのでしょう。そして、政権交代のタネになる形で、政治的な解決が図られるのでしょう。その間に、資料はうまく消えていくのでしょう。

年間被曝許容量を20ミリ・シーベルトというのは、成年の男子でもきついのに、成年女子や妊婦にとっては、「トンデモナイ」数字でございます。

それが、子ども対象って。

『本当のキチガイは、普通の人』という言を、まじまじと思い出しました。

文部科学省は、この基準を緩和した者の、名前を公表すべきです。テロの恐怖に怯えてまでなすべきことがどうか、自身で問うて見よ。

生徒や児童の安全が確保できないなら、そして、強くいいたいのは、無法な基準まで作って学校という機能と義務教育制度を維持するくらいなら、学校そのものを県外に移すか、戦争中のように学童疎開するか、閉校すべきでございます。

ネットで調べてみますと、ソフトバンクの孫社長も、twitter上でこの基準緩和には激怒したようで、全く同感でございます。

お子様をお持ちの方は、こういう国と政府と行政であることを、いま一度、ご確認くださればと存じます。最低です。

謹んでご冥福を申し上げます

今日は、4月11日です。3月11日の東北地方太平洋沖地震の大震災から、はや1ヶ月が経ちました。

本日、11日10時の時点で、1万3,116人の方がなくなられました。行方不明者数は1万4,377人。

かけられる言葉がありませんが、心よりお悔やみ申し上げます。

お怪我・ご病気をされた方は、18都道県で4,792人。1日も早く、お身体が治りますよう、お祈り申し上げます。

復興の足音も聞こえておりますが、まだまだよちよち歩きで、本格的なものではありません。

一命は取り留めたが、経済的に大打撃を受けた人たちには、この一時を踏ん張って欲しく思います。

大小、たくさんのことがありましょうが、命あっての物の種、他の人の分まで頑張って欲しく思います。

福島第1原発では、未だ低レベルながら放射性物質が漏れ出ております。少しも予断を許しません。

近所・近県にお住まいの方の不安や不信は、胸に突き刺ささります。

特に、小さなお子さんをお持ちのご家族の心配は、想像を超えたものがあるかと存じます。

風向きや天気、放射能濃度などの正しい情報を集め、できるだけ、賢明な処置を取ってくださればと存じます。

(参考:全国の放射能濃度

各都道府県の公営住宅で、募集をしているところもあります。生活資金を、低利で融資してくれる公的な金融もございます。

原発が収束するまでの一時的な避難を含め、お考えくださればと存じます。

土と海と水と空気の放射能の汚染が続いております。農業・酪農・漁業の方々を、じわじわと締め付けております。

原発関係者の努力には頭が下がりますが、より迅速な解決をお願い致します。

まだまだ、まだまだ、東日本大震災の大きな傷跡は残っております。

しかし、被災地の人々、被災の余波を受けている人々は、日本だけでなく、世界からも、多くの人がともにあることを忘れないでほしく思います。

天災に遭うか遭わないかは、運のみでございます。

わたしを含め、運良く震災に遭わなかった人は、いつも被災地と被災に遭われた人たちに、心を寄せるようにお願いしたく存じます。

明日は我が身。少しでも、被災地がよくなりますよう、1人1人がんばっていきましょう。