独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

寒い日のコーヒーはレンジでチン

温かいコーヒーは、冬の日のお勉強と最高の相性を誇ります。

いくら暖房が効いているとはいえ、身体の内は割かし冷えているもので、湯気の立つコーヒーは、実においしいものございます。

一口すすれば、内臓が喜ぶのを実感できるかと存じます。

茶碗の中には1つの世界があると、中国の古人は言いましたが、何だかわかって来たわたくしでございます。

さてさて、冬真っ盛りの寒い日にコーヒーを淹れると、その淹れる間に、幾分か冷めてしまいます。

カップをじゅうぶんに温めていても、やはり、少しぬるくなってしまうのでございます。

加えて、ドリッパーが陶器製だと、これまた、お湯の熱が取られてしまうので、ややぬるめのコーヒーになってしまう次第でございます。

そこでどうすればいいかと申しますと、淹れたコーヒーをレンジで「1分」ほど、加熱するのでございます。

淹れる間に少しばかり冷めてしまったコーヒーに、ちょっとばかし加熱するって寸法です。

そうすると、熱すぎもなくぬるくもない、丁度いい塩梅の一杯になるという次第でございます。

寒い朝など、実においしくいただけますし、深々と冷える夜のお勉強には、殊の外、おいしくて、「ああぁ」と声を漏らすこと請け合いでございます。

お勉強の大いなる励みになるかと存じます。

さて、ここからが肝心なところです。

嫌な亭主や上司のコーヒーは、レンジの加熱を「3分から5分」にします。

そうすると、コーヒーの表面がぼこぼこと湧き立つほどに、熱いコーヒーができあがります。

当該「血の池地獄コーヒー」は、飲むどころか持つことだって難しい熱さでございます。

何回息を吹きかけて冷まそうとも、ビクともしない熱量のために、飲むのに大変な手間がかかります。

アチチと奮闘しているその姿を、目の端の方で冷ややかに眺めつつ、暖かい一杯を楽しもうという次第でございます。

心はいっそう、ほっこりと温まるように存じます。

しかし、猫舌の人に沸き立つコーヒーを淹れるのは、あまりに悪意が強すぎるので、お控えくださればと存じます。

猫舌の人には、コーヒーの出がらしを、一つまみ、入れるとよいでしょう。

みりんを入れるのも可能でございます。

 

 

何で焦らすのかな。急いで何のトクがあるのかなあ。

子どもに対しては、「急に」、「急いて」、何かをさせないことは、大切かと思います。

つくづく思いますが、いい大人だって、始めてやる事というのは失敗しますし、慣れてないことは上手にできないものでございます。

自分のことを棚に置いて、「早くやれ!」なんて言うのは、まるでマスメディアのように、卑怯卑劣でございます。

ぐずぐずしている子も、その子なりにあーだこーだ考えてやっているのでございます。

それを「ぐずぐずしない」なんて言っちゃいますと、その子は、だんだんと考えることを放棄し始めて、上手に考えられないようになってしまいます。

その子は、(なんでこんなことをしなくちゃいけないのかなー)と思っていたり、他ごとに意識が飛んでいたり、例えば、靴を履くのに時間がかかるときは、靴を履くこと以上に、靴の形態に興味津々であったり、ビニルの肌触りや靴下との接触感を不思議に思っているのでございます。

中には、(何で靴なんてはかないといけないんかなーはだしの方が気持ちいいのになあー)なんて思っているかもしれません。

「ぐずぐずするな」といえるのは、その子はもうじゅうぶんに練習なり訓練をして、「できること」なのに、嫌がって愚図っているときでございます。

水遣りやら掃除など、ちゃっちゃとやった方がいいのに、だらだらやっているときには、「できるんだから、ちゃっちゃとやれよ」と言うのは、『理(ことわり)』がありましょう。

わたしは、大人と子どもをあまり区別しない人でございます。

性差がないのが「子ども」で、性差があるのが「大人」だくらいにしか、考えておりません。

大層な違いがあるわけでなく、似たものであるとしか思えないのでございます。

急いては事を仕損じる。短気は損気、なんて申します。まさに、大人のためにある格言かと存じます。

下手に急いでも、失敗してその後始末をすれば、急いで得たものなど吹き飛んでしまいます。

子どもだってそうなら大人だってそうだし、大人だって「相変わらずそう」だから、格言やことわざが未だに残っているわけです。

わかりたくてできるようになりたいのなら、子どもも大人もともども、「急く」ことは、ほどほどにしておくべきかと存じます。

やわらかい鉛筆(2BやB)を使おう

大人といいますか、いい年齢になると、使用する筆記具は主にボールペンか、洒落た人となると万年筆になるものでございます。

お勉強におきましては、上記筆記具に加えてシャーペンが、メインの筆記具となるものでございます。

確かに、それらも結構至極でございます。

しかし、「書き味」なるものはやっぱりあるものでして、紙と筆記具の接触感があることを、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

お勉強となりますと、やはり、ノートなりコメントなりメモ書きを多々行うものでございます。

そんな折に、すらすらっと書ける、力を入れずに書ける、力まなくていい筆記具の存在は、長期的な観点からすると、無視できないものがあるのでございます。

ときには、ボールペンやシャーペンの利用を少し控えて、鉛筆、特に、柔らか系の2BかBの鉛筆を使ってほしく思います。

何とも、やわらかくて、太くて、微妙にいい感じがするのでございます。

人によっては、筆圧の強い人がおられます。わたしもそうなのですが、たくさん書くと妙に手首や肩、背中が凝ったりする人でございます。

 お勉強をすると妙に疲れるという人は、無駄に・余計に・意味もなく・無意識的に、グイングインという感じで、身体の特定の部分に「力」が入り過ぎている可能性がございます。

この点、2BやBのようなやわらかくて、力むと上手に書けなくなる鉛筆を用いると、無駄な力の存在を意識できるかと考える次第でございます。

あー無駄に力が入ってるからしんどいんだな、と思えば、何かとこれまでに至らぬ存在について、認識が及ぶように考えます。

「知らないものは探せない。」と古人は言いました。

ちなみに、鉛筆表記の「H」はHard、「B」はBlack、「F」はFirm(しっかりした)を意味している、とのことでございます。(BY wiki)