できるようになるための練習や訓練での失敗は、少しも恥ずかしくない。「できないからやっている」わけで、できないのなら失敗して当然。当然のことを批判しない。
失敗を過度に恐れる方がございます。
しかし、勘違いしてはならないのは、できるようになるための練習や訓練の失敗は、少しも恥ずかしくないということでございます。
「できない」から、そうしているのであって、失敗は前提のうちに含まれてございます。
当該そもそもの「できない」という前提を、はしょっちゃだめよ、という塩梅でございます。
失敗して恥ずかしいのは、「できる」ことができなかったときでございます。
プロの野球選手が平凡なフライを捕り損ねたり、サッカー選手がパスをすかしたりする。それは、正々堂々と「恥」です。
いくらでもブーイングの雨を嵐と投げつければよいでしょう。
しかし、やり始めて日が経っておらず、それほどの経験もないのに失敗するのは、そう恥ずかしくはないのでございます。
車の車庫入れなんてものは、慣れれば誰でもできますが、最初からスッスと入れられた人など、数えるほどでありましょう。
失敗には、恥ずかしい失敗と恥ずかしくない失敗とがあることを、ご理解いただければと存じます。
両者は、全く違う性質のものだから、その『区別』は重要でございます。
でないと、ますます「できなく」なってしまうからでございます。
「できる」という状態になるには、無数の練習と幾多の訓練の後に発生する状態でありまして、呪文めいた文言を発すればできるようになるわけでも、賢人の言葉を読めばできるようになるわけでは決してありません。
逆を言えば、すぐには「できない」からこそ、その「できる」ことに価値が出てくるわけですから、焦らず、急かさず、時間を取って、練習と訓練を経て、「できるように」なってくださればと存じます。
もっと逆を言えば、練習も訓練もしていないのに(させていないのに)、「できない」なんて考えるな(言うな)、という寸法でございます。
ちなみに、過度に恐怖を抱いていてもよい失敗には、2つありまして、借金・負債・保証人・手形の裏書関連であります。
「お金」が絡んだことについては、自信の恐怖を無視せず、慎重に決定を下すべきかと存じます。
もう1つの恐怖すべきことは、「配偶者選び」でございます。
古人は、「商売の損は一時の損、配偶者のしくじりは一生の損」なんて申してございます。
2012年2月3日 11:16 AM
★みんなとシェアする