独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ダーマトグラフ(DERMATOGRAPH)、通称デルマの赤を使おう

何となく目に優しい「赤」色がございます。

それが、本雑文のテーマであります「ダーマトグラフ(DERMATOGRAPH)」、通称デルマの赤色なのでございます。

文房具というのは、正味な話、何を使っても構わないのでございます。

線を引くのに○○だからよくて、△△のメーカーだとダメだ、なんてことは、ないのでございます。

しかし、赤ペンや赤ボールペンで引くと、何となくですが、キツイというか冷たいというか、実務的といいますか、何とも『味気』がないのでございます。

この点、ダーマトグラフは、何とも懐かしい感じのする、そう、クレヨン風のアンダーラインが引けるので、何ともいいのであります。

わたくしにとって文房具というのは、学生時分のママでずうっと変わらなかったのですが、当該ダーマトグラフは、成人になってから新しく使い始めた「文房具」でございます。

ダーマトグラフの存在を知ってから10年以上になりますが、ほぼ毎日、愛用しているものでございます。

使い始めた発端は、故司馬遼太郎が原稿への手入れの際に利用していたからで、ちょっと使ってみるかで手にしたところ、あららという感じで、ずっと使っているという塩梅でございます。

当該ダーマトグラフの特徴は、先も言ったように、見た目にやさしく、味気があり、書き味も滑らかなところが第1点です。

また、擦れてもかすれず、アンダーラインの周りの文言が汚れません。これが第2点。

そして、何より、折れないし、太いし、削りかすがでないしで、このあたりの実用性の高さが第3点です。

ちなみに、「削りかすがでない」とは、皮をぺりぺりと剥くようにして、新しい芯を出すからです。

このように、利点の多いダーマトグラフ、お値段の方も手ごろ価格で、1本は 100円か200円くらいです。

賢明な配偶者様であれば、家計簿をつけているかと思われますが、ダーマトグラフ(DERMATOGRAPH)の赤が1本あれば、いくらでも、それこそ数十年単位で「赤字」と「赤線」を描くことができますので、推奨する次第でございます。

「千里の道も一歩から」は、「千里先」が正しい目的地である場合に限って成立する、ということ

結論から言いますと…

『目的地がちゃんとしているから、コツコツと、一歩づつ着実に進んでいくことに意味が出てくるわけで、目的地なり到達地、目標や目的が間違っていたら、千里・一歩はどうにもトンチンカンなことをしていることになってしまう。』

『故に、自分の誤りやミス、失敗に気づかないと、千里・一歩は、地獄への旅路になってしまう。』

『もし、間違っていることに気づいたのなら、その間違ったことやうまくいっていないことを変えることから、始めないといけない。』

…てな次第でございます。

ことわざ「千里の道も一歩から」は、コツコツやること、実直な努力の大切さを語っているわけですが、それも場合によりにけり、でございます。

当たり前といえば当たり前で、間違っていることを実直にやっても仕方がありません。

何か物事を成し遂げるには、「実直にやっていくこと」は、重要かつ重大な用件ではあります。おそらく、これに欠けて成し遂げられた大事などは、ないように思います。

しかしながら、「実直にやっていさえすれば、そのやっていることが重要なことになったり、有意味になったりするわけではない」という次第でございます。

この点、絶対に、取り違えてはならないかと存じます。

「一生懸命やればいい」が成立するのは、小学校の低学年の社会まででありましょう。

それ以外のところでは、ダメはダメだし、無意味は無意味なママでございます。

ダメや無意味になるものは、相応の根拠と歴史的積み重ね、経験科学的結論があるからこそ、「そう」言われているわけでございます。

ダメであったからダメなのであって、そのダメ事情を無視しても、結果は同じ『ダメ』でありましょう。

 大事なことは、「間違っていることを、間違ったまま、コツコツが大事を金看板に押し立てて、続けるな」ということでございます。

えぐい言い方ですが、破滅しないためには、そうすべきかと存じます。

 

 

「千里の道も一歩から」は、「一歩でも進んでおけば次が楽だ」ということ

結論から言うと…

『千里の道も、一歩進めば一歩分終わるわけだから、ちょっとだけでも歩いておけば、次に歩くときに楽になる』

…という次第でございます。

ことわざの「千里一歩」なのですが、わたしたちは現実問題として、「常に歩いている(作業をしている)(勉強している)」わけではありません。

当然、食べたり飲んだり寝たりしているわけでございます。

今日は、今日の歩みであって、明日には明日の歩みがあるわけでございます。

しかし、やはり、人は倦んできたり、飽きてくるものでありまして、それこそが、人間の生理でありますから、仕方がないように思うのでございます。

しかし、それでも、やらなくてはいけないときがあります。

そこで、作業や勉強に飽きてきた際に、どうしたらよいかというと、今日という日に、わずかな「一歩」でいいので、明日の分を進めておくのでございます。

1ページでも数センテンスの読解構いませんし、数問程度の問題演習でもよいのであります。

というのも、ちょっとだけでもやっておくと、何とも気持ちに余裕が生まれるからで、如実に気が楽になるのでございます。

(ここまで終わってたか)とか(ここまで進んでたんだ)てな、作業の先取り感が少しでもあると、明日という日に、何とも手がけやすくなるのであります。

そら、当初やるべきことの幾ばくかが、「なくなってしまっている」わけですから、それがちょびっとであっても、確実に「楽」になるのでございます。

わたくしは、ことわざ「千里の道も一歩から」は、『ちょっとだけでも手を付けておくと、次にやるときが楽だ』という意味もあるように、解しております。

有体に言えば、ちょっとだけ箸をつけておく、という次第です。

「ちょっとだけのこと」をするのに、多大な手間や巨大な労苦があるわけではありません。

この『精神的おトク感の呼び出し方』は、憶えておいてもよいかと存じます。