独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

知名度の低い資格は、取ってはいけない。

履歴書に書きたいからとか、真っ白な資格欄では恥ずかしいから、という理由で資格を取るなら、知名度の低い資格は取ってはいけません。

というのも、知名度の低い資格は、「評価がされない」からです。

正確に言いましょう。知らないものを人は正しく評価できません。「評価されない」のではなくて、「評価のできる人がいないので、評価のしようがない」のです。

面接等では、知名度の低い資格は基本スルーです。なぜならば、人は自分が無知であることをおっぴろげにはしたくないからです。

知名度の低い資格を持っていることの評価は、プラスマイナスゼロってところです。

しかしなのです。下手をすると、さらに酷な結末が待ち構えているかもしれません。

知名度の低い資格は、「プラマイゼロ」ではなくて、「マイナス」のときだってあるのです。

知名度の低い資格が資格欄に書かれていると、面接で「これはどういう資格なのですか?」と突っ込まれる羽目に陥ります。

ここで、本当に、話術にプロ並みに、うまく返さないといけないのです。

その資格の通り一遍の、つまり、資格のパンフレットや公式HPで書かれているようなことを述べても、「フーン」という冷たい反応しか返って来ません。

事情を知らない人に、簡潔に、数分で、何かを分らせるというのは至難の業です。そして、さらに、「つまらないこと」を「つまらなく言う」と、それだけで人を退屈させて、マイナスの評価に傾きがちになります。

資格の事情なんて、関係のない人にとっては、つまらないことこの上ありません。

あなたは、ファミレスで「公認会計士と税理士の違い」について延々としゃべった人と、次回もランチに行くでしょうか?行かないですね。

そもそも、資格をというのは、それを持っているだけで、自動的にある程度の評価が加わるのが原始的な強みです。

「へー、○○持っているんですね」が、典型的な評価像ですよ。

しかし、知名度の低い資格だと、先も言ったように、面接で無用に突っ込まれてつまらない返しをしてしまい、「藪を突いて蛇を出す」になりかねません。

仮に、知名度の低い資格について、一生懸命考えて自己PRに用いたとしましょう。

そうすっと、自分がその資格の、労務費無料のPR要員になってしまうという、ホント馬鹿げた結果を享受する羽目に陥ります。

お金出して教材買って勉強して証書なり証明書を手数料を払って発行して、それで「無料資格PR要員」になるのは、非常に損な取引だと思います。

履歴書に書く予定がないとか、自己啓発や自分の勉強のためなら、知名度なんて関係ありません、

しかし、就職や転職に役立たせたい、将来的な保険にしたいという気で資格を取るのであれば、知名度が低い資格は、取ってはいけないのです。

試験に受からない3タイプ

「自己反省しない人」だと、試験には受かりません。

試験勉強では、点を取る勉強が優先されますが、次第に、点を取る勉強は、重要ではなくなります。

実力が、頭打ちになるからです。そのため、中盤や終盤では、点を落とさない勉強が大事になります。

自己反省をしない人は、自分の過ちやミスを、軽視します。最悪のケースだと、手を付けようとしません。

しかし、間違ったとこやできないところにこそ、「取り返すことのできる1点」があるわけです。

結果がついてこない時こそ、なぜそうなるのかを冷静に考えて原因を突き止め、同じ過ちを繰り返さないようにすることが大事です。

自分の過ちを直視するのは、精神的に嫌な作業ではありますが、「まったく見ようとしない人」に比べたら、ぜんぜん、リスクは少ないほうです。

できなかったことやミスした事実をしっかり受止めて、改善を練っていきましょう。

「自己中心的な人」だと、試験には受かりません。

周りが見えない人は、得てして、自分も見えてません。

よく、本試験でブツブツ呟いたり身体をゆすったりガタガタと物音を立てたりする、しち迷惑な人がいますが、典型的な「自分が見えてない人」で、得てして、試験には落ちます。

どうしてかというと、自己中心的だと、「過ち」の方針転換や調整ができないからです。

「あ、これは、違うな!」という素朴な発見こそ、「正しい方向」へ舵を切る動機や、引いては転機となります。

先のガタガタブツブツ人は、そういう行為が本試験という特殊な時間に、回りにどれほどうっとおしい思いを抱かせるのかわかってません。だから、そんなことが「できる」のです。

迷惑な「自分」が見えてないのです。

自分が間違ってないことに気づかなければ、調整など行えるわけがありません。

試験勉強においては、確固たる信念や信条は、ほどほどにしておきましょう。

なお、最初のほうは自分が見えていたのに、だんだんと近視眼的になって、最終的には「自分」が見えなくなっている人がいます。

自己中は、「誰にでもかかる病」なので、注意が必要です。

勉強が大好きな人は、受かりません。

試験に合格する人は、試験に合格することをした人が受かります。

「勉強をすごくした人」じゃあないのです。

試験に求められていることを満たした人から、合格します。

勉強が好きな人は、「自分の勉強」をしていることが多いのです。

勉強というと、それだけでOKみたいな感じがしますが、絶対的に違います。

「自分の勉強」とは、対象がどうであれ、自分の関心や自分の興味を満たしているだけです。

「自分の勉強」は、教養や見識を涵養する勉強です。言うなれば、試験の行われないところでする勉強です。

試験では、自分の関心や興味以外のところから、たっぷり出題されます。

関心や興味をどれだけ突き詰めても、試験に出ないところは出ません。

試験では、「試験勉強」をしてください。

試験勉強とは、反射神経のトレーニング

問題を解くのが、ものすごく早い人がいます。わたしもそのうちの一人です。

というよりも、最初は遅くてもだんだんと早くなって、本試験では時間がかなり余るくらいにまで、早く問題が解けるようになります。

どうして、そんなに早く解けるのか、その秘密を知らない人にとっては、ミステリーでしかありません。

しかし、「早く解く」手品の種など、カンタンなものなのです。

問題を解くのがものすごく早い人とは、単に反射神経を磨いているだけなのです。

反射神経とは、言うなれば、「早い反応」です。

問題を見ます。問題文を読みます。単語や語句やキーワードが視界に入ります。

もうここで、頭の中では、ばばっと浮かんできているものがあります。

それは、これまでに勉強してきた、問題集や過去問の幾多の問題と解答とが、頭をよぎっているのです。

で、それら浮かんできた記憶群を、目の前の問題に当てはめているのです。

つまり、早く解ける人は、「考えている」のではないのです。

試験問題は、おおかた似通った問題が出題されます。

試験においては、まったく異なる出題はごく一部か稀であり、出題の様式や形式は一定の範囲に収まるものなのです。

問題を早く解ける人は、目の前の試験問題のパターンを読み取って、そのパターンに適う記憶なり解き方を、頭から引き出しているだけなのです。

もっと言うと、試験勉強は、変な話ですが、「考えないようになる」ことを目指さないといけないのです。試験にも拠りますが、問題の前で、うーんと唸るようではまだまだ、なのです。

いちいち考えている状態は、試験勉強では「未熟」なのです。

考えないで、問題文を読んだら反射で、傾向と対策と解答を当てはめていく、これが『合格者』です。

問題文を読んで、ぱっと答えが浮かぶくらいになっておけば、大体の試験に穏当に合格できます。

そうなるのに最も適しているのは、過去問演習です。

見た瞬間に、問題の意図や答え、解答が反射的に浮かぶくらいに、過去問をやっておきましょう。

試験勉強とは、過去問を通じて行う、反射神経のトレーニングなのです。