独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

醤油にクエン酸を入れるとポン酢になる-節約のためじゃない、名誉のために。

タイトルが内容のすべてを物語っていますが、敢えて述べていきます。

醤油に、クエン酸を入れると、ポン酢になります。

入れるクエン酸の量は「お好み」で結構ですが、目安としては、小皿1つにつき「少々の4分の1」くらいです。

ま、ちょっとずつクエン酸を入れていって、お好みの酸っぱさに調整してください。

味は、単純に酸っぱくなった醤油でして、まさしく「ポン酢」です。おそらく誰も、その調味料の酸っぱさがクエン酸由来だなんて、わからないでしょう。

ぜひ、お試しください。

ところで、名誉にかけて言いたいのは、「醤油にクエン酸を入れるとポン酢になるよ。これからは味ポンとかを買わずに済むね!節約・節約!!」と、しみったれたことではありません。

ポン酢は、すべてが同じ味や風味をするわけではありません。

地方の特産と合わさった、独自のおいしいポン酢はたくさんあります。スダチやカボスをたっぷりと使った贅沢なポン酢は、ご飯にかけてもおいしいです。

わたしが強く言いたいのは、「醤油+クエン酸=ポン酢」という式を憶えておけば、「ポン酢切れ」をなくすことができる、ということです。

ポン酢は、あつあつの餃子やシュウマイ、肉たっぷりの鍋物、しゃぶしゃぶなどで、大変重宝する、定番中の定番の調味料です。

肉の脂のうまさを、醤油のコクが深め、酸っぱさがアクセントとさっぱり感をもたらすポン酢は、何倍も料理をおいしくさせ、言いようのないうまさを体感させるものです。

舌が喜ぶとはこのことを、ポン酢は体現するのです。

逆を言えば、ポン酢がなければ、先の料理の魅力は激減してしまいます。

決して、「ポン酢が切れていたために、素の醤油で食べることになる」のを、避けなければならないのです。

「ごめーん、ポン酢が切れてた~。でも、醤油や塩、柚子胡椒とかでもおいしいよね!」なんて言っても、家族の誰も納得もしないし、同情もないし、許しもしません。

食卓に漂うのは、「あきらめ」です。

配偶者のあの冷たいまなざし・・・お前はこういうとき、何かいっつも欠けとるね、オレもう口に出しても言わんけどね、もう諦めとるでいいわ。ホント常備というのができんね、リストにしてさ、まとめときゃさ、欠品なんてそうそう起きんがね。なんでこういう手間をかけんかね、この人は・・・という心中の吐露を、プロの俳優のように身体だけで表現します。

小学校や中学校の子供なら、ブーブー言います。「なんでポン酢がないの~~せっかくの餃子なのに!!」などと口うるさく騒ぎます。

でももう、次第に言わなくなるでしょう。

静かに淡々とお箸を手にして、食べ始めます。あなたのおっちょこちょいを諦めたのです。成長の証ですね。

このように、「ポン酢切れ」というのは、大変な不評と不興を買い、ずっと批判の種となる甚大な事件になりかねません。

せっかく料理を作ったのだから、ポン酢切れくらい許してくれるだろうというのは、甘えです。

食べる方からしたら、期待した分だけ落胆が深まるので、非常なるがっかり感があるのです。ホント、ご飯と汁と納豆と香の物を出した方が、まだましだったくらいです。

さて、グダグダと申しましたが、先述したように、万が一ポン酢が切れていても、「醤油+クエン酸=ポン酢」を知っておけば、緊急避難的に、ポン酢的な液体を確保できます。

名誉のために、クエン酸でポン酢の代用になることを憶えておきましょう。

醤油が切れていたら、もうこれはもう、手の施しようがないです。豆腐を頭にぶつけてみてください。

知名度の低い資格は、取ってはいけない。

履歴書に書きたいからとか、真っ白な資格欄では恥ずかしいから、という理由で資格を取るなら、知名度の低い資格は取ってはいけません。

というのも、知名度の低い資格は、「評価がされない」からです。

正確に言いましょう。知らないものを人は正しく評価できません。「評価されない」のではなくて、「評価のできる人がいないので、評価のしようがない」のです。

面接等では、知名度の低い資格は基本スルーです。なぜならば、人は自分が無知であることをおっぴろげにはしたくないからです。

知名度の低い資格を持っていることの評価は、プラスマイナスゼロってところです。

しかしなのです。下手をすると、さらに酷な結末が待ち構えているかもしれません。

知名度の低い資格は、「プラマイゼロ」ではなくて、「マイナス」のときだってあるのです。

知名度の低い資格が資格欄に書かれていると、面接で「これはどういう資格なのですか?」と突っ込まれる羽目に陥ります。

ここで、本当に、話術にプロ並みに、うまく返さないといけないのです。

その資格の通り一遍の、つまり、資格のパンフレットや公式HPで書かれているようなことを述べても、「フーン」という冷たい反応しか返って来ません。

事情を知らない人に、簡潔に、数分で、何かを分らせるというのは至難の業です。そして、さらに、「つまらないこと」を「つまらなく言う」と、それだけで人を退屈させて、マイナスの評価に傾きがちになります。

資格の事情なんて、関係のない人にとっては、つまらないことこの上ありません。

あなたは、ファミレスで「公認会計士と税理士の違い」について延々としゃべった人と、次回もランチに行くでしょうか?行かないですね。

そもそも、資格をというのは、それを持っているだけで、自動的にある程度の評価が加わるのが原始的な強みです。

「へー、○○持っているんですね」が、典型的な評価像ですよ。

しかし、知名度の低い資格だと、先も言ったように、面接で無用に突っ込まれてつまらない返しをしてしまい、「藪を突いて蛇を出す」になりかねません。

仮に、知名度の低い資格について、一生懸命考えて自己PRに用いたとしましょう。

そうすっと、自分がその資格の、労務費無料のPR要員になってしまうという、ホント馬鹿げた結果を享受する羽目に陥ります。

お金出して教材買って勉強して証書なり証明書を手数料を払って発行して、それで「無料資格PR要員」になるのは、非常に損な取引だと思います。

履歴書に書く予定がないとか、自己啓発や自分の勉強のためなら、知名度なんて関係ありません、

しかし、就職や転職に役立たせたい、将来的な保険にしたいという気で資格を取るのであれば、知名度が低い資格は、取ってはいけないのです。

試験に受からない3タイプ

「自己反省しない人」だと、試験には受かりません。

試験勉強では、点を取る勉強が優先されますが、次第に、点を取る勉強は、重要ではなくなります。

実力が、頭打ちになるからです。そのため、中盤や終盤では、点を落とさない勉強が大事になります。

自己反省をしない人は、自分の過ちやミスを、軽視します。最悪のケースだと、手を付けようとしません。

しかし、間違ったとこやできないところにこそ、「取り返すことのできる1点」があるわけです。

結果がついてこない時こそ、なぜそうなるのかを冷静に考えて原因を突き止め、同じ過ちを繰り返さないようにすることが大事です。

自分の過ちを直視するのは、精神的に嫌な作業ではありますが、「まったく見ようとしない人」に比べたら、ぜんぜん、リスクは少ないほうです。

できなかったことやミスした事実をしっかり受止めて、改善を練っていきましょう。

「自己中心的な人」だと、試験には受かりません。

周りが見えない人は、得てして、自分も見えてません。

よく、本試験でブツブツ呟いたり身体をゆすったりガタガタと物音を立てたりする、しち迷惑な人がいますが、典型的な「自分が見えてない人」で、得てして、試験には落ちます。

どうしてかというと、自己中心的だと、「過ち」の方針転換や調整ができないからです。

「あ、これは、違うな!」という素朴な発見こそ、「正しい方向」へ舵を切る動機や、引いては転機となります。

先のガタガタブツブツ人は、そういう行為が本試験という特殊な時間に、回りにどれほどうっとおしい思いを抱かせるのかわかってません。だから、そんなことが「できる」のです。

迷惑な「自分」が見えてないのです。

自分が間違ってないことに気づかなければ、調整など行えるわけがありません。

試験勉強においては、確固たる信念や信条は、ほどほどにしておきましょう。

なお、最初のほうは自分が見えていたのに、だんだんと近視眼的になって、最終的には「自分」が見えなくなっている人がいます。

自己中は、「誰にでもかかる病」なので、注意が必要です。

勉強が大好きな人は、受かりません。

試験に合格する人は、試験に合格することをした人が受かります。

「勉強をすごくした人」じゃあないのです。

試験に求められていることを満たした人から、合格します。

勉強が好きな人は、「自分の勉強」をしていることが多いのです。

勉強というと、それだけでOKみたいな感じがしますが、絶対的に違います。

「自分の勉強」とは、対象がどうであれ、自分の関心や自分の興味を満たしているだけです。

「自分の勉強」は、教養や見識を涵養する勉強です。言うなれば、試験の行われないところでする勉強です。

試験では、自分の関心や興味以外のところから、たっぷり出題されます。

関心や興味をどれだけ突き詰めても、試験に出ないところは出ません。

試験では、「試験勉強」をしてください。